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<転載開始>
広島・長崎への原爆投下は日本を降伏させるのに必要であったとするストーリーはそれが唯一の説明であるかのように長らく続いた。そして、それが主流の考え方として定着してきた。だが、まったく別の見方も存在する。
ここに「日本への原爆投下は第二次世界大戦を終わらせるのに必要ではなかった。米政府の文書がそう認めている」と題された記事がある(注1)。これは2年前の8月7日の記事である。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。
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副題:日本への原爆投下は第二次世界大戦を終わらせるために必要ではなかった。米国政府の文書は、広島と長崎への原爆投下が第二次世界大戦を終わらせるために必要ではなかったことを認めているのである。日本はまさに降伏寸前にあった。核攻撃はワシントン政府によるソ連に対する冷戦の第一撃であったのだ。
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西側の政府やメディアが北朝鮮とその核兵器について、あるいは、イランがいつの日にか核兵器を所有する可能性について恐れるようにと他の地域に向けて報道することは極めて一般的である。
しかし、現実には、人類の歴史上で一般市民に対して核兵器を使用した国はひとつだけであり、一度ではなく二度も使用した。それは米国である。
1945年8月6日と9日、米軍は日本の広島と長崎に原爆を投下した。20万人強の一般市民が犠牲になった。
今日、約80年後、米国の政府関係者、ジャーナリスト、教育者の多くは当時のワシントン政府には日本に原爆を投下する以外に選択肢がなく、その結果、日本を降伏させて第二次世界大戦を終わらせたと主張している。一部の人々は、この恐ろしい残虐行為は実際には高貴な行為であって、その後の戦闘で失われたかも知れない数多くの米兵士の命を救ったのだと主張してさえいる。
だが、このストーリーは広く流布されているが、まったくの偽である。
米国政府の文書は、1945年に原爆が投下される前に、日本はすでに降伏の瀬戸際にあったことを認めている。原爆を投下する必要は全くなかったのだ。
米国の戦争省(1940年代の後半に国防省と改名された)は「戦略爆撃調査」と称される調査を実施し、第二次世界大戦での空爆を分析した。
1946年に発表された戦略爆撃調査報告書は、「日本は原爆が投下されなくても降伏していたであろう」と明確に述べている:・・・原爆の投下がなくても、日本に対する空域における優越性は無条件降伏をもたらすのに十分な圧力をもたらし、侵攻の必要性を回避できたであろうことは明白である。
すべての事実に関して行われた詳細な調査に基づき、戦争に関与し、生存している日本の指導者らの証言に裏付けられて、本調査の意見としては、1945年12月31日以前、そして、おそらくは1945年11月1日以前に、日本は原爆の投下がなくても、ロシアが戦争に参加しなくても、侵攻が計画あるいは考慮されてはいなくても、確実に降伏していたであろうと述べている。
日本に対する核攻撃は明確にソ連を狙った米国による政治的決定を示すものであって、それは米ソ冷戦における最初の一撃であった。
1945年8月、ソ連はナチス・ドイツと同盟を結んでいた日本の支配的なファシスト政権を打倒するために日本への侵攻を準備していた。ソビエト赤軍はこの戦争の欧州戦線でドイツを打倒したばかりだった。
ワシントンは、ソ連が日本のファシズムを打倒し、ベルリンでのそれのように東京を解放した場合、日本のポスト・ファシスト政府がソ連の同盟国になり、社会主義政府を樹立する可能性があることを懸念した。
したがって、広島と長崎に投下された原爆は日本のファシストに向けられたものだったというよりも、むしろソ連の共産主義者に向けられたものなのであった。
日本に対する核兵器の使用という極めて政治的な決定は、実際には、米軍内の何人かの幹部からは反対を受けた。
米軍の歴史で最も有名な将軍の一人であるドワイト・アイゼンハワーはこの戦争でヨーロッパ戦域での作戦を指揮し、かつてはナチスによって支配されていたドイツの占領を監督した。
アイゼンハワーは、後に、日本に核攻撃を行った米国の指導者ハリー・トルーマンの後を受けて、米国の大統領に就任した。
アイゼンハワーはヨーロッパにおけるファシズムとの戦いでのリーダーシップで世界的に有名である。しかし、彼が日本への核攻撃に反対していたことはそれ程知られてはいない。
ホワイトハウスを去った後、アイゼンハワーは「変革のための委任」という表題の回顧録を出版した。この1963年の本の中で、元トップの将軍は1945年7月に当時の米国の陸軍長官であったヘンリー・スティムソンとの間で交わした議論を回想している。
スティムソンはワシントン政府が日本に核攻撃をする計画を立てていることを彼に通知したが、アイゼンハワーはその決定を批判し、「深刻な懸念がある」と述べ、「日本はすでに敗北していて、原爆を投下するのは完全に不要だと確信している」と述べた。
アイゼンハワーはこう書いている:
この出来事は1945年の7月に起こった。スティムソン長官が私のドイツの司令部を訪れ、われわれの政府は日本に原爆を投下する準備をしていると私に伝えた。私は、そのような行為については疑問を抱く正当な理由がいくつかあると感じていた一人であった。・・・しかし、スティムソン長官はニューメキシコでの爆発実験の成功のニュースと、それを使用する計画を私に伝え、私の反応を求めた際、彼は明らかに私の強い賛同を期待していた。
彼が関連のある事実を述べている間、私は抑鬱感を感じており、私は自分の重大な懸念を彼に伝えた。まず、日本はすでに敗北していると私は信じていたため、原爆を落とすことは完全に不必要だと考えた。次に、われわれの国は、米国人兵士の命を救うための措置として、もはや必須とは言えない兵器を使用することによって世界の世論を衝撃に曝すことは絶対に避けるべきだと考えた。日本は、当時、「面子」を失うことは最小限に抑えながら降伏する最善の方法を探しているのだと私は考えていた。長官は私の態度に深く動揺し、迅速な結論の根拠として私が述べた理由に対してはほとんど怒りをもって反論した。
これらの「完全に不要な」広島・長崎への原爆投下は約20万人の市民を犠牲にした。しかし、これらの原爆の投下には政治的な目的が込められており、それはソ連を対象としていたのである。
日本への原爆投下の背後にあったこの政治的理由はによっても公に認められているのである。同局はマンハッタン計画、つまり、原爆開発の科学的イニシアティブに関して教育的情報を提供するウェブサイトを運営している。
米国政府のこのウェブサイトはトルーマン政権が日本に原爆を投下する決定を下したのは政治的な動機によるものであったと認めている。以下のように記述している:
ハリー・S・トルーマン大統領が「トリニティ」実験の成功を知ると、日本に対する戦争でソ連からの助けを必要とする度合いは大幅に減少した。ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、8月15日までに対日戦争に加わることを約束していた。トルーマンと彼の顧問たちは、今や、この助けを本当に望んでいるのかどうかに確信が持てなかった。もし原爆の投下が日本への兵士の投入もなしに勝利を可能にするのであれば、ソ連の助けを受け入れることは日本の戦後の運命に関する議論に彼らを招き入れることにしかならないであろう。
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他の歴史家たちは原爆を使用しなくても日本は降伏していたであろうと主張しており、実際、トルーマンや彼の顧問らはソ連を威圧するためにのみ原爆を投下したのではないかと推測している。
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トルーマンは、日本の統治をソ連と「分担」することはどうしても避けたいと望んでいた。
主流の歴史家たちもこの事実を認めている。
ロンドンを拠点とするシンクタンク「英米安全情報評議会」の研究者であるウォード・ウィルソンは、2013年にワシントンのエリート雑誌である「フォーリン・ポリシー」に「原爆は日本を打ち負かさなかった。スターリンが打ち負かしたのだ」という表題の記事を発表した。
「原爆は戦争を即座に終わらせることを強要したが、日本の指導者たちはもともと降伏を望んでおり、11月1日に予定されていた米軍の本土侵攻の前に降伏していたであろう。したがって、これらの原爆の使用は不要だった」と彼は書いている。
ウィルソンは次のように説明した:
もしも日本人が一般都市の爆撃や広島の原爆投下に関心がなかったのならば、彼らはいったい何に関心を持っていたのだろうか?答えは簡単だ。それはソ連である。
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日本政府の最も強硬な指導者たちであってさえも、戦争を続けることはできないと知っていた。問題は続けるかどうかではなく、できるだけ良い条件でいかにして戦争を終わらせるかということであった。
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日本の降伏を引き起こしたのは広島への原爆投下か、あるいは、ソ連による侵攻と宣戦布告であったのかを測るひとつの方法は、これらふたつの出来事が戦略的状況にどのように影響したかを比較する点にあろう。8月6日に広島が爆撃された後でさえも、どちらの選択肢も依然として存在していた。・・・広島への原爆投下は日本の戦略的選択肢のいずれも排除はしなかったのだ。
しかしながら、ソ連の宣戦布告と満州および千島列島への侵攻の影響は全く異なっていた。ソ連が宣戦布告をした時点で、スターリンはもはや仲介者としては行動できず、彼は今や交戦国となった。こうして、外交的選択肢はソ連の動きによって消滅した。同様に、軍事的状況への影響も劇的であった。
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ロシアが満州に侵攻したとき、彼らはかつてはエリート軍であった日本の軍隊を切り裂き、多くのロシア軍部隊は燃料が尽きるまで止まることはなかった。
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ソ連軍の侵攻は日本軍の決定的な戦略を無効にし、同様に外交戦略も無効にした。この一撃で、日本の選択肢はすべてが消えたのである。ソ連軍の侵攻は戦略的に決定的であり、日本のふたつの選択肢を封じ込めたが、広島への原爆投下は(どちらも封じ込めることはなく)そうではなかった。
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戦争の終結を原爆の投下に帰属させることは日本の利益に多くの面で寄与した。しかし、それは米国の利益にも役立った。もしも原爆の投下が戦争を勝たせたのであれば、米国の軍事力の認識が内外で高まり、米国の外交的影響力はアジアや世界中で増加することになるであろう。
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その一方で、もしもソ連の戦争への介入が日本の降伏をもたらしたとするのであれば、ソ連は米国が4年間をかけても成し遂げられなかったことを4日間で成し遂げたと主張することができ、その結果、ソ連の軍事力と外交的影響力の認識が大きく高まることになるであろう。そして、冷戦が始まった後、ソ連の介入が決定的な要因であったと主張することは敵に支援と安心を与えることに等しい。
このようにして、第二次世界大戦が終わる前に米国は名目上の「同盟国」であるソ連に対して、そして、世界中のどこででも社会主義が広がる可能性に対して冷戦を開始した。
米国の諜報機関は元ファシストやナチスの協力者を採用し始めた。米当局はA級戦犯の日本人を刑務所から釈放し、その中には東京政府を率いた者もいた。
これらの人物の多くは、1955年以降、(わずか5年間の野党政権を除いて)日本を事実上の一党制国家として支配した右派の自由民主党(LDP)を設立するために関与した。
その代表的な例が悪名高い戦犯の岸信介であった。彼は日本帝国の傀儡であった満州国の政権を運営し、ナチスと協力して虐殺的な統率をしていた。彼は短期間投獄されたが、その後米当局により恩赦され、ワシントン政府の支援を受けて、1950年代に日本の首相の座にまで上り詰めた。
ファシストとの関連がある岸の家族は、今なお、日本の政治において重要な影響力を持っている。彼の孫である安倍晋三は東アジア諸国の歴史の中で最も長期間にわたって首相を務めた。
今日、この歴史に関して広まっている神話を矯正することは依然として重要であり、それらは大衆文化に深い影響を与えている。
2023年7月、ハリウッドはアカデミー賞受賞監督のクリストファー・ノーランによる大作映画「オッペンハイマー」を公開した。この映画は大ヒットしたが、その政治性は批判された。
この映画は「マンハッタン計画」の「ロスアラモス研究所」を指揮した同名の物理学者J・ロバート・オッペンハイマーを人間的に描写したもの。彼は一般的には「原爆の父」として知られている。
人生の後半、オッペンハイマーは原爆の開発における自らの役割を後悔し、核拡散に反対する政治運動を行った。
皮肉なことには、オッペンハイマーは米国政府によるマッカーシズムの犠牲者になり、左翼グループとの関係を理由に迫害された。
しかし、この映画はオッペンハイマーの複雑な内面的な苦闘を描写したことでは称賛されたが、米国による広島と長崎への原爆投下の残虐性を美化しているとして非難された。
これらのまったく不必要な攻撃で命を落とすことになった日本の民間人は不気味なほどにのである。
20万人を原爆で攻撃することが日本を降伏させる唯一の方法であったという虚偽情報を絶え間なく繰り返すことよって、米国の当局者らは政治的動機による戦争犯罪、つまり、不必要な民間人の抹殺を常態化してきたのである。
この記事の内容:ドワイト・アイゼンハワー、ハリー・トルーマン、広島、歴史、日本、長崎、核兵器、オッペンハイマー、ソ連、第二次世界大戦
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これで全文の仮訳が終了した。
調査報道ジャーナリストである著者のベン・ノートンは多くの歴史的事実を掘り起こし、広島・長崎への原爆の投下は第二次世界大戦を終結する上で必要ではなかったことをあれこれと検証し、米国の政府文書がそのことを示していると主張している。この記事を読むと、今まで喧伝されて来たストーリーが米国政府にとって如何に都合のいいものであったのかが明白に伝わってくる。
アイゼンハワー元大統領の回想内容や米国エネルギー省歴史局のウェブサイトが伝える事実は決して無視できるものではない。これらの情報こそが歴史を真正面から捉え、現実の真の姿を伝えているのだ。言うまでもないが、歴史を学ぶことがいかに重要であるかを教えている。
それに比べると、歴史の一コマを題材にしてドラマとして描くハリウッド映画は、所詮、一般庶民用の娯楽のためでしかなく、厳密に歴史を学ぶにはまったく役立たずだ。この引用記事が言及している2023年の映画「オッペンハイマー」や何十年も前に公開された映画「D-デイ:ノルマンディー上陸」は娯楽映画であって、ドキュメンタリ-ではない。ハリウッドが供給する娯楽映画から歴史を学ぶことは適切ではなく、むしろ有害であることも少なくはない。
参照:
注1:Atomic bombing of Japan was not necessary to end WWII. US gov’t documents admit it: By Ben Norton, Aug/07/2023
<転載終了>

https://plutonium.xxxxxxxx.jp/nuclear/page8.html
ベリリウム・ポロニウム中性子源
「インプロージョン型の場合、ポロニウム210とベリリウムの間に遮蔽材となるものを入れておき、爆縮後に遮蔽材が破れてポロニウム210とベリリウムが直接接触するようにすればその瞬間に中性子が発生し、核分裂連鎖反応が開始されるという仕組みです。」
変調中性子イニシエーター
https://jmedia.wiki/wiki/Modulated_neutron_initiator
「初期の装置で使用された起爆装置は、原爆のプルトニウムピットの中央に位置し、ベリリウムペレットとベリリウムシェルで構成され、その間にポロニウムが挟まれていた。直径0.8cmのペレットはニッケルでコーティングされ、さらに金の層で覆われていた。ベリリウムシェルの外径は2cmで、壁の厚さは0.6cmであった。(中略)。
金とニッケルの層は、ポロニウムから放出されるアルファ粒子からベリリウムを保護する役割を果たした。ウニ全体の重さは約7グラムで、ピットの直径2.5cmの内空洞内の取り付けブラケットに取り付けられていた。」
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