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<転載開始>
PresidentOnlineに麻酔科の先生が書かれた記事が掲載されていたのでシェア。
是非とも読んで考えてみてほしいです。
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なぜ現役世代が7兆円も搾り取られるのか…「延命ファースト」に突き進む日本人が忘れた「幸せな逝き方」
介護施設も高齢者も不幸にする「高額賠償判決」
PRESIDENT Online
筒井 冨美
フリーランス麻酔科医、医学博士
3年前に86歳女性が高齢者施設で寿司を喉に詰まらせて亡くなった件で、裁判所は施設側に「慎重さを欠いた」として約2900万円の賠償を命じた。
医師の筒井冨美さんは「近年、こうした判決が増え、施設は『訴訟対策ファースト』で流動食や液体栄養剤などに移行して、食べる楽しみを失う高齢者も多い。病院も『延命ファースト』で医療費は膨らみ続け、現役世代の社会保障費負担はついに史上最高7兆円に達した」という――。
86歳女性の「寿司窒息死」で施設に約2900万円の賠償
2024年7月、鹿児島県の市立病院で91歳男性のコロナ患者に、呼吸を補助するマスク型の呼吸器を装着していたが、接続部分が外れ、間もなく死亡した。
これを医療事故として、市が遺族側に賠償金300万円を支払う方針であることが、2025年8月26日に報道された。
他にも、2022年に京都市の高齢者施設で86歳女性がにぎり寿司を喉に詰まらせて亡くなった件で、名古屋地裁が2025年1月、施設側に「慎重さを欠いた」として約2900万円の賠償を命じた、との報道もあった。
86歳女性はいつも刻み食を提供されていたが「クリスマス祝い」として施設での回転寿司イベントに参加を認めたことが裏目に出た結果となった。
2人の高齢者のご冥福を祈りつつも、医療介護関係者の中には「またか」と複雑な思いを抱く者もいるようだ。
「CPAP(シーパップ)」と呼ばれるマスク型呼吸補助器は、肥満患者や睡眠時無呼吸症候群などで広く使われるようになったが、圧迫感があり、寝返りなどで自然に外れてしまうことも珍しくはない。
91歳という高齢で軽度認知症もあったと仮定すれば、マスクを自ら外してしまったのかもしれない。
そもそも「91歳がコロナで死亡」とは、「病院側が賠償金を支払うべき医療事故」なのか。
医療者にはそう指摘する人もいる。
そう考えるのは下記のような背景がある。
2025年3月、人気アナウンサーのみのもんた氏が80歳で死去した。
直接の死因は高級焼肉店で牛タンが喉に詰まった、と報道された。
多くの記事では「年を取ると嚥下機能が低下して誤飲など窒息リスクが増す」などと解説しており、焼肉店の不備を糾弾するものは見当たらない。
遺族からの訴訟や賠償金請求もないようだ。
80代高齢者が好物を自ら望んで食べた結果としての誤嚥でも、家庭や焼肉店だと問題なしとなる一方、介護施設の場合は責任追及され高額賠償金を負わされる。
「健常者が飲食店で」と「要介護者が施設で」という環境の違いはあるが、責任の有無の線引きは微妙な判断だ。
「86歳要介護高齢者」への2900万円という賠償額の大きさにも注目したい。
いかなる算出方法かは不明だが、介護施設の大小に関係なく経営へのダメージは避けられないだろう。
食事は味や好みよりも「訴訟回避ファースト」で流動食や液体栄養剤
こうした一連の判決を受け、ただでさえ人材不足している介護業界でさらに働き手が減る可能性があるが、世の中全体としては「賠償金いたしかたなし」という空気が大勢を占めているように見える。
コロナ禍以降、多発する介護訴訟は、高齢者施設をじわじわと締め付けている。
「誤嚥死なら慰謝料3000万円」が相場になった結果、食事は味や好みよりも「訴訟回避ファースト」となった感がある。
ちょっと飲み込みが悪くなると、本人が嫌がっても万が一を考慮し「刻み食」「流動食」「液体栄養剤」「胃瘻」「点滴」となって、高齢者の「食べる楽しみ」が失われる。
「クリスマスイベント寿司の誤嚥で2900万円」判決は、これを加速させてしまうかもしれない。
コロナ禍以降、施設内のイベントである「弁当を持って花見」「カラオケ大会」などを今も復活させないところも少なくない。
結局のところ、「延命ファースト(質は問わない)」介護で「毎日テレビを見るしかやることがない」と嘆く入所者も多いという。
「介護訴訟で施設が負けない」ために「ちょっとでも入居者に異変があれば119番」を鉄則とする施設も増えており、救急車や病院への負荷も無視できない。
介護士「89歳男性、朝食後にずっと咳をしている、熱はないけど救急車出動願います」
救急病院医師「レントゲンで右肺に少し影がありますね、少し誤嚥したかも」
介護士「念のために入院をお願いします(でないと家族に責められる)」
介護士「94歳女性、トイレで転倒して頭を打った、意識はあるけど、救急車お願いします」
医師「CT取りましたが出血はありません、しかし後から出血する事もあります」
介護士「念のために入院をお願いします(でないと家族に責められる)」
こうしたやりとりも日常茶飯事かもしれない。
現在の救急救命病院は認知症高齢者の「念のため」「訴えられないため」検査や入院対応で相当なリソースを割いている。
それにより、21時ごろに「11歳、塾帰りに交通事故で腹部損傷」のような案件の患者の受け入れを断らざるを得なくなってしまう恐れもある。
近年では「直美ちょくび」という「法律で義務付けられている2年間の研修が終わったら直接美容系病院に就職」という若手医師の急増が問題視されているが、その一因は「延命ファースト」「訴訟対策ファースト」の医療介護体制や「認知症高齢者の押し付け合い」に忙殺される先輩医師を目の当たりにして、「それなら美肌や豊胸手術のほうが医療者として人の役に立てるのではないか」と判断した結果でもある。
後期高齢者医療制度で現役世代が担う交付金は過去最高の約7兆円
8月25日、厚生労働省は75歳以上の後期高齢者医療制度の2023年度財政状況を公表した。
後期高齢者医療制度の全体の支出は約18兆円、現役世代が担う交付金が約7兆円と前年度から6.1%増え、3年連続で過去最高を更新した。
団塊の世代が後期高齢者となり、このまま「延命ファースト」「訴訟対策ファースト」介護を放置すれば、現役世代の負担は今後さらに膨らむのは必至だろう。
「野生の熊に餌を与える」ことは、その場では熊によいことのように思えるが、中長期的には熊を人里に近づけて人的被害をもたらし、最終的には熊射殺に至ってしまう。
高齢者を亡くした家族への高額賠償判決も、それに酷似した構図といったら言い過ぎだろうか。
賠償金を認める判決は「弱者に寄り添った」と受け取られるかもしれないが、これは医療者から見て「自然な老衰による機能低下」が原因であっても、「事故」と断定されることになる。
こうした判決は、中長期的には医療介護体制の崩壊や現役世代のさらなる負担増を加速してしまい、要介護高齢者の自由も奪ってしまう。
誰も幸せにできず、お金だけがかかるのである。
2022年、英国エリザベス女王が96歳で死去したが、死因は「Old Age(老衰)」と発表されたのみだった。
死の2日前までは公務をこなし、リズ・トラス新首相が謁見する姿が報道された直後だったため、英国国民は驚きつつも冷静に受け止めており、主治医や救命体制を糾弾する報道はなかった。
2025年、ローマ教皇フランシスコが88歳で死去した。
前日のイースター礼拝でミサを行っていたので、ヴァチカン市民は驚きつつも冷静に受け止めて、こちらも医師や病院を糾弾する報道はなかった。
批判を受けるのを覚悟で言うが、日本人もそろそろこのような「老衰による死」を受け入れるべきだろう。
80歳を超えた人間は、数日前は元気そうだったのに亡くなることは珍しいことではない。
きっかけとして、風邪や誤嚥があったかもしれないが、医師の視点からすればそれらも含めて自然の摂理としての「老衰」の可能性があり、誰かを責めるべきではない。
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高齢になると身体のあらゆる機能が低下します。
排泄もそうですし嚥下も同じです。
入れる方(食べること)も出すほう(排便)も若い頃のようにうまくできなくなります。
どちらも生きていく上で欠かせない行為です。
そこがうまく行かなくなると動物は死にます。
それはすごく自然で当たり前のこと。
ところが人間だけがそれに抗う。
医療という最新の武器でもって。
果たしてそれが本当に幸せなのでしょうか?
ただただ生き長らえることが良いことなのでしょうか?
私の父は特別養護老人ホームに入所しました。
母が頑張って自宅で介護していましたがついに限界を迎えました。
ある意味、家族も納得の入所です。
認知症になる前、父はしきりに言っていました。
「ボケてまで長生きしとうない。よく分からんのに管に繋がれてただ生きてるのもイヤや。もしボケたらサッサと施設に放り込んでくれ。」と。
父の希望に反して頑張りましたが母のために入所させました。
どんどんと身体の機能は年齢と共に落ちていきます。
使わないところは機能低下が速いです。
それも自然な流れ。
誤嚥して肺炎になるのも、嚥下ができなくなって食べ物を喉に詰まらせて窒息死するのも、それも加齢ゆえ仕方ないことと私は受け止めています。
父が施設で誤嚥して肺炎になっても、食べ物を詰まらせて窒息死しても、転倒して骨折しても、それは施設の人が悪いわけじゃない。
施設の人は一生懸命やってくれています。
私たち家族の代わりに父の面倒を見てくれています。
だから感謝しかないです。
入所して本当に生活が楽になったから。
あのまま家でみていたら母が倒れたでしょう。
本来であれば身内がみるべき面倒を、介護施設の人たちがやってくれているのです。
何かあったら・・・を覚悟の上、入所させました。
終の棲家として。
昔の日本人は死を受け入れていたように思います。
施設で高齢者がなくなっても訴訟なんてことはありませんでしたから。
いつから死を受け入れられなくなったのでしょう?
人は必ずいつか死にます。
高齢になるまで生きて、高齢のせいで死ねる人は幸せでしょう。
もっと生きたいのに、もっと生きなければならないのに、病気のせいで亡くなる人も大勢おられます。
無念だっただろうな・・・と思います。
だけど認知症の高齢者は「死に対する恐怖」もなく、父をみていてある意味、認知症って幸せな病気だなぁと感じました。
母とそういう話をよくします。
「ボケたもん勝ちやな。こっちはこんなにしんどくて大変やけど、本人、な〜んも分かってないわ。ほんま、本人は幸せやなぁ。」
と母が愚痴めいたことをこぼしていました。
自分たちの代わりにみて下さる施設の方には本当に感謝しかありません。
そんな感謝の気持ちを忘れてしまった人が多いのでしょうか。
筒井先生が記事の中で書いておられるように「寿司をのどに詰まらせたのが施設の中だった」から責任を追及されたのです。
それが飲食店や家庭での出来事なら追及されません。
つまり病院や施設で起きたことは全て「病院や施設のせい」なのです。
これはおかしい。
医療や介護の現場で萎縮医療が当たり前になると救うべき命が救えなくなります。
高齢による機能低下のせいで高齢者が亡くなるのは自然なこと。
それを受け入れられない人は入所できないということにすれば、このような訴訟も減るでしょうか。
人が死んだら誰かのせいにする社会は健全とは言えません。
施設で働いている人が言ってました。
「入所中、一度もお見舞いに来たことのない親族が、亡くなったら文句を言ってくるのはよくある話。結局、カネが欲しいだけ。お世話をしていた家族は感謝の言葉を述べてくれる。入所者が亡くなる度に訴訟を起こされたらたまったもんじゃない。いつか倒産する。」
訴訟を起こす方もどうかと思いますが、施設に2900万円の賠償を命じた裁判官もおかしいと思います。
この国は政治も司法も教育もおかしくなってしまった。
この3つがおかしくなれば国は滅びます。
おかしさに気付いている日本人だけでも声をあげていかなければなりません。
<転載終了>

genkimaru1
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