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<転載開始>
連立解消は突然ではない
公明党が自民党との連立を解消した。自民党では高市早苗新総裁が誕生したばかりで、日本史上初の女性首相が生まれると思われたものの、一気にその行方がわからなくなってきた。
大分県の自民党県連、阿部英仁会長は「まさに青天の霹靂です」と語っており、自民党の議員の中には公明党の決定に衝撃を受けた者が少なくないように見受けられる。
しかし、これまでのことを見ていくならば、決してこれが青天の霹靂ではなく、十分に予想できたことがわかるはずだ。
それは2022年に遡る。その年の夏、第26回参議院議員選挙が行われた。首相は岸田文雄で、公明党の代表は山口那津男だった。選挙を半年後に控えた2月の時点で、山口代表は、「お願いした期間は過ぎた。公明党として自力で選挙準備を進めようと踏み切った」とテレビ番組で語った。これは参院選において、「相互推薦」方式による自民党との選挙協力に否定的な考えを示したものだった。
それも、公明党の側から見て、自民党の地方組織が選挙協力の体制を十分に整えていないと判断されたからだ。その後、公明党は、自民党候補者の推薦を小出しにするようになる。結局は、相互推薦が実現したが、連立を解消する予兆はその時点ではっきりと示されていた。公明党が突然、連立の解消に動いたわけではない。自民党の側は、その際に相互推薦が実現したこともあり、連立解消にはならないと勝手に思い込み、高を括っていただけなのだ。
しかも、翌年9月には、当時も自民党の副総裁だった麻生太郎が、安全保障関連3文書の改定をめぐって、公明党の幹部を「がんだった」と批判した。その後、麻生は自民党の最高顧問となったものの、高市は総裁に就任した直後、麻生を再び副総裁に就任させた。しかも、裏金問題ではもっとも批判を受けた一人、萩生田光一を幹事長代理に起用したのである。
公明党は、昨年の衆院選と今年の参院選で自民党の「裏金議員」を推薦し、世間の批判を浴びた。二つの選挙で公明党が大敗を喫したのも、それが大きかったというのが公明党の分析である。高市新総裁の人事のやり方は、そうした公明党の気持ちを逆撫でするものになった。そのことが、最終的に連立の解消に結びついていった。
かつては巨大な影響力だったが
公明党が自民党との連立を初めて組んだのは1999年のことである。それまで両党はずっと対立関係にあった。1993年には、自民党にかわって、非自民・非共産8党派の連立政権である細川内閣が誕生するが、そこで公明党は重要な役割を果たした。その重要性は、細川内閣の閣僚の内、公明党の議員が4名を占めたところに示されていた。
さらに、1994年末に新進党が誕生したときにも、公明党出身の議員が存在感を示した。翌年の衆院選で新進党が議席を倍増させるが、その際には、公明党の背後にある創価学会の貢献が大きかったと言われた。
これは、政権を取り戻した自民党には脅威であり、1995年にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こり、宗教法人法の改正の論議が持ち上がったとき、途中からそれは創価学会対策の様相を呈していった。また、自民党の機関誌である『自由新報』では、創価学会の池田大作名誉会長のスキャンダル記事が掲載されるようになった。
ところが、公明党系の議員が新進党を抜け、新進党が解党に向かうと、次第に、自民党と公明党は和解の方向にむかい、それが連立へと結びついていく。自民党は、スキャンダル記事を掲載したことに対して謝罪さえ行った。
ではなぜ、自民党は公明党と連立を組むことを選択したのだろうか。そこには自民党の支持基盤が弱体化していたことが大きかった。自民党は、農協や医師会、あるいは遺族会といった各種の圧力団体をずっと支持基盤にしてきた。ところが、そうした団体の力は次第に衰えてきており、だからこそ、党の分裂も起こり、細川内閣の誕生を許したのである。
その点で、自民党にとっては創価学会という票田はひどく魅力的なものに映った。その点については、当時東京大学の教授であった政治学者の蒲島郁夫(後に熊本県知事)の分析が明らかにしていた。
蒲島は、自公連立の最初の選挙となった2000年の第42回衆院選について、比例区で公明党に投票した有権者の6割が小選挙区で自民党候補に投票したと仮定すれば、34人が落選を免れており、8割なら44人が落選を免れていると分析した。蒲島は、「民主党と公明党とが共闘していれば、自民党の当選者は激減したことであろう」と述べ、「公明党は選挙過程と政府形成過程において、巨大な影響力をもっている」と結論づけていた(『戦後政治の軌跡』岩波書店)。
この時代、この蒲島の分析は相当の反響を呼んだように記憶している。そのため、危機感を持った自民党の候補者は、選挙区で公明党の協力を得た場合、選挙カーから「比例は公明党へ」と熱心に叫んでいた。
連立は、公明党の側にも大きなメリットをもたらした。自民党と選挙協力を行うことで、票の上積みがあったからである。2000年の衆院選では、比例区で776万票を獲得しているが、前回の選挙と比較して150万票近く増えていた。増加分は、自民党から流れてきたものと考えられた。
宗教的実現のための政治参加!?
それだけではない。政策面でも、公明党には得るものがあった。公明党が結党されたのは1964年のことである。その時点での公明党は「仏法民主主義」の実現を掲げ、宗教政党としての性格を前面に打ち出していたが、一方で、「大衆福祉」の実現を旗印に掲げていた。
仏法民主主義の方は、「国立戒壇」の建立が具体的な目的だった。創価学会の政界進出を最初に推し進めた2代会長の戸田城聖は、国立戒壇の建立だけが政界進出の目的だとさえ述べていた。ただこれは、創価学会・公明党が1969年に「言論出版妨害事件」を起こしたことで目標にはできなくなる。
大衆福祉の実現は、創価学会の会員の属性が深く関係していた。戦後の高度経済成長の時代に、創価学会は爆発的な伸びを示すが、それも、「金の卵」に代表される地方出身で学歴が低い都市下層を取り込むことに成功したからだった。その点は、九州大学の社会学者鈴木広の調査に示されているが、会員たちは、「生活保護世帯に転落する危険」にさらされていた。つまり、彼らは福祉の拡充にもっとも期待する人間たちだったのである(『都市的世界』誠信書房)。
自民党と連立を組んだ当初の段階で、公明党が厚生労働大臣のポストを占めたことがそれに関連する。公明党は、自分たちの福祉政策を自民党に丸のみさせることができたのだ。その後、ポストは国土交通大臣になるが、それも、創価学会の会員に建設業や不動産業が多いことが関連していた。
自民党は議席を確保し、公明党は実利を得る。そうした関係があったからこそ、連立は26年も続いた。途中、民主党への政権交代があっても、その関係は変わらなかったのである。
創価学会も自民も共に弱体化した結果
ただ、その26年の間に、自民党の組織は弱体化した。公明党を支えてきた創価学会も大きく会員数を減らすことになった。それも、高度経済成長の時代に会員が急増して以降、新しい会員が入らず、2世3世以降になると、信仰にも選挙活動にも1世ほどの熱意を注がなくなったからである。
それに、公明党・創価学会の側からすれば、自民党は連立を組んでいることのありがたみを忘れ、選挙協力に熱心ではなくなったと思えるようになったはずだ。自民党の候補者は、創価学会の会員が自分たちを支えてくれる環境を空気のように感じるようになり、公明党が連立解消にむかうとは夢にも思わなくなっていた。だからこそ、青天の霹靂という発言が出るわけである。
自民党は創価学会票を当てにできなくなったことで、これまで以上に票を減らす。当てにしていた時代、自分たちで票を増やす努力を怠っていたことで、立て直しは難しい。
公明党も、国政選挙の選挙区で議席を獲得するのは不可能になった。地方選挙でも、4年後との選挙のたびに2割ほど票が減っており、その傾向がおさまる気配は見えない。ただ、地方選挙では余裕を持って候補者を立てているところも多い。また、無投票というところも少なくないので、公明党の地方議員が急速に激減することはない。だが、増えるということも考えられない。
創価学会の1世は、小卒や中卒の低学歴を特徴としていた。だからこそ、まっとうな職に就けず、収入も低かった。しかし、時代が変化するにつれて、国民全体の学歴が上がり、創価学会がターゲットにできるような人間自体がいなくなった。そこに、今後の創価学会が会員を増やしていけない根本的な原因がある。創価学会は、時代的な役割を終えたとも言える。
宗教団体の場合、一般の信者は宗教活動を行っても、それで金銭的な利益を得られるわけではない。会員が公明党の候補者を支援する活動を行っても、逆に自前で、持ち出しになる。つまり、よほどの熱意がないと、選挙活動に熱心になることはないのだ。
今の段階では、公明党もあえて自民党とは対立しないだろう。今後の選挙で、連立解消がどういう結果を生むのか。その段階にならないと、両党の関係の今後を予想することは難しい。そもそも、どちらの党も、現時点では与党なのか野党なのか、それさえはっきりしていないのである。
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<転載終了>

この記事はとても示唆的である。 どのようにかというと、今後の世界では「宗教」という
ものの意味が過去とは変わるだろうという事を(暗黙の内に)言っていることが示唆的
なのであります。
私の親戚の一人のオバが立正佼成会にのめり込んで家族が苦労していたことがあっ
た。何十年も前の事だが、このオバは望まぬ結婚を親から強いられ、その夫なる男がダ
メ男で子供もほぼ全員がダメだった。 親族の中でこの一家だけがダメだった。幼心な
がら「オバさんは悲しいんだナ」と私は思った。 その後、立正佼成会とは縁が切れたら
しいが、この経験によって「信仰」というものは「辛い現実からの逃げ場」なんだという感
触をはっきり感じた事を覚えている。
宗教国家と言わていたアメリカも最早毎日曜日に教会に行く人は激減している。宗教が
長大な期間をかけた人類への「脅迫」だという事を、今ではバチカンの(バチあたりの)男色
小児性愛者たちがみずから証明した。 宗教は現代の諸産業の一種であり「産業」であ
る。しかも「無税」だ。 この「無税の産業」を利用しない手はない、だから「足の裏を拝む
宗教」とか「焚火をありがたがる宗教」とか...意味フの連中が「宗教です」と言って参入
してくる。 これを利用していたのが「政党」なんだから、今さら創価学会の下っ端「公明
党」をあれこれ評するなど無駄なことである。
ある思想を表現した者と、それを利用して「教団」と称する利権集団を作った者たちとは
まったく別の生き物である。 「利権集団」の意地汚さと執念深さは異常であるが、ま、
今世紀に終わることになっているようですね。
genkimaru1
が
しました