eternalturquoiseblue(旧kamakuraboy)さんのサイトより
https://ameblo.jp/ymhkobayasis/entry-12950017544.html
<転載開始>

1993年(平成5年)は、8月4日に宮澤改造内閣の 河野洋平官房長官 が発表した「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話」所謂「河野談話」が発表された年です。

 

また、その前年の92年には日中国交正常化20周年ということで、天安門事件で国際社会から孤立していた中国側からの強い要請で、天皇陛下御夫妻の初の中国ご訪問もありました。

 

 

「過去の歴史から謙虚に学び、平和の尊さを忘れず、平和を守るために必要なことを考え、努力していくことが大切なのではないかと感じます」という雅子様のお言葉はごもっともなお言葉です。

 

ですが、この方のお父上が自虐史観そのものの「ハンディキャップ国家論」を持論とする外務次官で、その路線で多くのことをなさった経歴を考えると、皇室の中に深く深く影響が深く及んでいるという印象がぬぐえません。

 

 

■中国による天皇訪中要請が繰り返された背景

1980年代から、中国政府は日本政府に対して天皇訪中を繰り返し強く要請していたそうですが、これは中国の最高指導部の意向に基づくものだったとされます。

 

特に、89年の天安門事件から国際的に孤立していた中国政府は、当時、事態の打開を図るため、日中国交正常化20周年を機に当時の日本政府に繰り返し要請していたそうです。


1972年9月、日中両国は 公明党の竹入委員長の働きかけから、田中角栄首相と中国の周恩来首相が日中共同声明に調印し、1978年8月には平和友好条約が締結され、1979年から日中の政府間円借款がスタートした。

 

これは日本が中国の経済発展(特に改革開放初期のインフラ整備)を支援するため、低金利・長期で資金を貸し付けた「有償資金協力」のことで、1979年に始まり、2022年3月までに約3.6兆円が供与された。

 

この円借款は北京の地下鉄、上海浦東空港、大秦鉄道などの建設に貢献し、日本の対中ODAの大部分を占めた。これは、中国の戦後賠償放棄の見返りという側面もあり、中国の近代化に不可欠な資金源となった。

■初の天皇訪中が天安門事件の僅か3年後だった理由

1989年の天安門事件で国際的に孤立していた中国政府は、当時、事態の打開を図るため、日中国交正常化20周年を機に日本政府に繰り返し要請した。

 

このタイミングでの天皇陛下の訪中は「天皇は国政に関する権能を持たない」と定められている(憲法第4条第1項)に違反し、「天皇の政治利用に当たる」として、石原慎太郎氏をはじめとする自民党内の保守派や一部有識者は猛反対した。


経団連の日中経済交流を重視する姿勢や、中国側の強い政治的意図を背景として、1992年(平成4年)10月23日から28日にかけ天皇訪中は実現し、このご訪問がその後中国が国際社会に復帰するきっかけとなった。

 

 

■親中派で「ハンディキャップ国家論」の外務次官小和田恒

現皇后陛下雅子様の父で、当時外務次官の小和田恒氏らは天皇陛下の中国初訪問の実現に向け主導したといわれている。小和田恒氏は、尖閣棚上げ論の元凶、「ハンディキャップ国家論」を持論とする人物として有名で、小和田氏が外務事務次官時代に起こった慰安婦問題に関しては法的には解決済みである事実をあえて無視して謝罪と賠償の方針を決め当時の宮沢喜一首相に進言して「河野談話」のきっかけを作ったともいわれている。

 

それまで、日本政府は、慰安婦問題を含む戦後賠償問題は、1951年のサンフランシスコ平和条約や1965年の日韓請求権・経済協力協定などにより「法的には解決済み」という立場を一貫してとっていた。

 

河野談話の経緯

1990年代に入り福島瑞穂弁護士らに活動で、韓国人の元慰安婦による訴訟提起が起こり、国際社会からの関心の高まりを受け、人道的観点から政府としての対応が検討された。

 

宮沢喜一首相(当時)の意向も踏まえ、政府は調査を行い、最終的に1993年8月4日に河野洋平官房長官が「慰安所の設置・管理及び慰安婦の移送について、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」ことを認め、心からのお詫びと反省を表明する談話を発表しました。このとき、外務省は日韓間の外交交渉や調整の事務方を担っており、小和田氏もそのプロセスに関わっていた。

 

2014年に発表された政府の「河野談話作成過程に関する検証報告書」では、談話の文言調整において韓国政府との間で非公式な事前協議やすり合わせが行われていたことが明らかにされている。

 

https://www.mofa.go.jp/files/000042173.pdf

 

政府:慰安婦問題の河野談話、韓国と事前調整-検証結果を国会に報告

政府は20日、いわゆる従軍慰安婦問 題への旧日本軍の関与と強制性を認めた1993年の河野洋平官房長官談話 の作成経緯に関する有識者チームの検証結果に関する報告書を衆院予算 委員会理事会に提出した。

 

政府が有識者チームの報告書を記者団に配布した。報告書は慰安婦 募集の「強制性」をめぐる表現など文言をめぐって韓国側と調整して作 成した事実を認めた。強制されたことを訴えた元慰安婦のヒアリング結 果については「事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかっ た」と指摘している。

 

加藤勝信官房副長官は理事会後、国会内で記者団に対し、河野談話 の今後の取り扱いについて聞かれ、「見直しをしない、ということはこ れまでも申し上げてきた。その姿勢は全く変わりはない」と語った。

 

日本維新の会の山田宏衆院議員は記者団に対し、今回の報告書の根 拠となった資料が提供されていないとして、「国際社会に証拠を示さな いと今までの論争が上塗りされるだけ」と指摘し、予算委員会の審議で 政府を追及していく考えを示した。河野元官房長官の参考人招致につい ても言及し、再検証を求めることについても「内容次第ではあり得る」 と語った。

 

一方、報告書の作成にあたり韓国側と「すりあわせはしていない」 が、事前に通知していたと政府から説明があったことも明らかにした。

 

 

■創価学会との繋がり便宜供与で追及され・・

また、昭和62年(1988年)、当時の創価学会事務総長原田稔氏(現会長)から、当時の外務省官房長小和田恒氏宛てに、「池田大作氏、夫人、長男の博正氏や幹部連中の総勢8人が2週間以上に亘り、香港、タイ、マレーシア、シンガポールを旅行するので宜しく頼む」との便宜供与の依頼があり、外務省が特別の便宜を図ったことが、平成7年(1995年)の参議院の「宗教法人等に関する特別委員会」で追及されたこともあった。

 

 


小和田外務次官主導で実現した天皇陛下御夫妻の初の中国ご訪問のすぐ翌年の1993年(平成5年)の1月19日、小和田氏長女の雅子さんが皇太子妃に内定したことを宮内庁が正式に発表。4月12日、皇太子殿下と雅子さまの結納に当たる「納采の儀」が「水俣病」の責任企業「チッソ」の元社長江頭豊邸に隣接する二世帯住宅小和田邸で執り行われた。

 

 

 

同年6月9日のご成婚パレードでは何故か国旗とは異なる創価学会の三色旗が沿道ではためいていたことを海外のBBCが放送していたそうです。

 

パレードの沿道には、多くの一般市民とともに、創価学会のシンボルである「Soka Gakkai」や「創価学会」と書かれた旗、そして学会の会館や関連施設の名称を掲げた人々が多数集まり、沿道を埋め尽くした。

 

BBCの報道内容(と推測される点)

異例の光景: 一般の祝賀ムードの中に、特定の宗教組織(創価学会)の旗が大規模に掲げられる光景は、海外のメディアにとって非常に珍しく、日本の「宗教と政治の結びつき」を象徴するものとして捉えられた。

組織力のアピール: 創価学会が、その強大な組織力と動員力を公の場で示し、皇室行事にも深く関与しているかのような印象を与えたと報道された。

公明党との関係: 創価学会は、自民党との連立政権の一翼を担う公明党の支持母体でもあり、その政治的影響力も背景にあったと分析されました。 

 


<転載終了>