みのり先生の診察室さんのサイトより
https://ameblo.jp/drminori/entry-12951030966.html
中国軍という軍隊はなく
毛沢東率いる共産党軍
蒋介石率いる国民党軍
日本軍は国民党軍と戦っていて、共産党軍は山奥に逃げていたと聞いています。
日本軍との戦いで消耗したところに共産党軍が攻めてきて
国民党軍は台湾に逃げて行った。

<転載開始>

政治的な話題は色々と批判も多く、人それぞれ支持政党も違いますし意見が対立することもあるためブログでは避けてきましたが、どうしてもシェアしたい記事があります。

 

すごいな・・・

こんな記事、よく書いたな。

 

正直、私には書く勇気はありませんでした。

 

この方、本当にすごいと思います。

勇気ある発信に拍手を送りたい。

 

マリンさんのブログは私も読者登録して愛読しています。

 

最初の頃からのファンです。

 

いつもいつもきわどい記事を書いておられてリブログをさせて頂くことも多いのですが、本当に頭が下がります。

 

是非お読み頂きたい↓

 

 

 

その通りだ・・・と言いたい。

 

私の祖父は軍人でした。

日本陸軍中尉として満州国に赴任、そこで終戦を迎えシベリア抑留に。

 

壮絶な抑留生活を息抜き奇跡的に帰ってきました。

 

家族や一族は皆、死んだものと思っていたようです。

 

 

私は祖父母と同居で育ったため、私の話し相手は祖父でした。

 

祖父から戦争の話をいっぱい聞かされて小学校6年まで過ごしました。

 

そのあと脳卒中で倒れて入院し、そのまま亡くなったのが私が中1の時。

 

最も長い時間を一緒に過ごした祖父の存在は私にとっては大きく、今でも祖父の魂を感じることが多々あります。

 

 

戦争に関する史実は一つのはずなのに、事実は事実であって、それも一つのはずなのに、私が祖父から聞かされた戦争の話と、日本で教育されている歴史の話が食い違うのです。

 

私はお勉強が出来なかったので社会科の内容はほぼ覚えていません。

 

白痴状態と言ってもいいでしょう。

 

だから私の頭に刻み込まれている日本の歴史は祖父から教えられたもの。

 

 

それが今、まるで亡霊のようにありありとよみがえってくるのです。

 

 

あの戦争は何だったのか?

誰と戦っていたのか?

日本兵はどうしていたのか?

 

私は祖父から聞かされて日本兵には感謝と尊敬の念しかなく、誇りに思っています。

 

靖国には一緒に行けんかった・・・

 

と言っていた祖父。

 

今もきっと魂は靖国神社にあるのでしょうか。

 

 

天皇のことも大事にしていました。

 

天皇バンザイで育った世代。

それを当たり前のように受け継いだ私たち。

 

何の疑いもなく

何の迷いもなく

 

日本人であることを誇りに思い

先人に感謝をする。

 

 

歴史は史実であり後の世で書き換えられることはあってはなりません。

 

だから戦争を語る人たちが必要なのでしょう。

 

 

祖父から聞いた戦争の話を少しずつでも書いていこうかなと思えた記事でした。

 

マリンさんの記事には私が祖父から聞いたことがそのまま書いてあったので、思わず胸にグッときてしまい、しばし心の中で収めていましたがあえてシェアしたいと思いました。

 

 

こういったことを語って下さる方がおられるだけで、まだまだ日本は捨てたもんじゃないと思えます。

 

 

勇気を出して私も記憶を辿りながら書きたいと思います。

 

田舎の実家に戻り、祖父の写真や戦争の時の資料を手に入れようかと思っています。

 

江戸時代から続く古い家系。

 

本家は国の重要文化財にされるほどの家屋。

 

そこには先祖代々受け継がれてきたものがたくさん眠っています。

 

 

それを後世に伝えるのも私たちの役目なのかもしれません。



<リンク先より>

中国では、今現在、
反日ムードが盛り上がっている

ところです。
日本渡航を控えるようにと、

政府から言われているとの事で、

最近、街から中国語が
聞こえなくなりました。

このスピード感ある変化が

ある意味怖く感じます。

実際に体験をしていませんが、

もう二度と戦争は

起きて欲しくありません。

どうしたら良いか?

相手の事を良く知る事。

当時の事を良く知る事が、

第一歩だと思います。

民族も違えば日本人と感覚も

全く違います。

日本人が正直だから、

相手も正直とは限らないのです。

前回の記事でも、

見つけた資料などを記事にUP

させて頂きましたが、

あちら側が証拠として出している写真は、

捏造だったり、他の事故などの写真を

証拠として挙げている。そのインチキを検証

している写真集を紹介しています。

下矢印

 

今回は、

当時の新聞記事を掘り下げて

いきたいと思います。

SNS上で、

南京陥落当時のアメリカの新聞

掲載されていました。

英語を機械翻訳してみました。

下矢印

南京での犯罪を

日本人に罪を

なすりつけた。

ネットで拡散されていた

このニューヨークタイムズの記事は、

誰がどこから引っ張って来たのか?

分かりませんが、

日本の昔の新聞を検索で

呼び出す事が出来ます。

こちらの記事には、

その中の1つを取り上げました。

下矢印

 

★ここから検索できます★

「神戸新聞 検索」

下矢印

その中の当時の混沌とした

日中関係が分かる新聞の一部を

紹介します。

びっくりマークびっくりマーク

【要約】

【記事】

【内容】

奉天軍の一部が、

満鉄本線柳条子の

鉄道爆発を

企画したため、

遂に日支両軍の衝突を見るに

至ったことは、

支那のためにも、

また東洋平和のためにも、

われわれは、悲しまざるを

得ないものがある。

 

支那軍隊は、何が故に、乱暴にも、

夜陰に乗じて鉄橋の爆破

計画したか

満鉄は、わが国が、

日露戦争という大犠牲を払って

継承した権益であって、

それは支那側は勿論のこと、

世界各国も斉しく認むるところで

なければならぬ。

 

しかも日本は、

その後国際信義を重んじ、

且つ東洋永遠の平和を希念し、

満蒙の経済的開発に依って、

日支両国の経済的関係の連繋及び

互いの進運を計ろうとして、

その後二十余年、

孜々営々として努めて来たもので

それがため、支那及び支那人は、

どれ丈け利益を蒙ったかは、

全く計り知られざるものあり、

若しも支那にして、

静かに過去二十年間の推移を

振り返ったならば、

むしろ日本に対して

感謝すべきものがなければならぬ。

 

 然るに、最近に至り、

支那側はややもすれば、

排日行動を連続し、

好んで日支関係を悪化せしめんとさえ

したことは幾度か。

日本は常に隠忍自重を続け、

支那の暴圧的行為にも

出来得るかぎり

堪え忍んで来た。

殊に現内閣に至っては、

所謂幣原外交として

政府与党の一部に於てさえ

非難の声を挙ぐるものがあった位いで、

余りにも不甲斐ない迄に退嬰的態度を

示したものであったが、

支那側はこれがため却って図に乗り、

万宝山事件の如き、

また中村大尉虐殺事件の如き、

傍若無人の行為を敢えてなした。

 

唯ださすがに中村大尉の

虐殺事件に就いては、

その非行を蔽うこと能わず、

奉天側の首脳部は、

虐殺事実を認むるに

至ったのであるが、

血迷える青年将校は却って、

それに不満を抱き進んで

鉄橋爆破を企つるに

至ったことは、種々の情報に依って

明かにされたが、

われわれは、彼等の意図が

那辺に在るかを

察するに苦しむものである。

 

しかも、

わが軍隊は、正当防衛として、

一時止むなく守勢の剣を取ったが、

それ以上は一歩も進まず、

帝国政府としても、

また特に慎重な態度を持し、

十九日の臨時閣議に於ても

同事件に就いては、

事態を拡大せしめざるよう

極力努むる方針に決し、

今少し事件の成行きに注意し、

朝鮮旅団の移動さえ見合せ、

只管外交交渉に依って事件の解決を

図ろうとして居る。

 

(中略)

 

殊に、支那側は、

ややもすればわが満蒙政策を曲解し、

帝国の真意を無視しようとする

傾きがあるが、

満蒙の天地は、日本の資本が投下され、

延いて其処に支那人労力の必要を生じ、

その経済的開発が進むに連れ、

日本としても物資の供給を其処に求め、

支那としても、其れにより

満蒙一帯の住民の生活を向上し、

相互に共同の利益を受くることが

出来る訳である。

 

両国は当然、共同の利益のために、

永遠に一致しなければならぬ筈である。

支那人としては

此際思いを此処に致して

当然わが国の誠意に酬ゆるに

誠意を以てすべきである。

われわれは何処までも

支那側の反省を求めて

やまぬものである。

 

!!!!!!!!!

【要約】

【記事】

【内容】(一部転載)

第一に支那民族の性格には、

近代的意味においての

組織を構成し運営する性能が

窮乏していることが、

先ずここに示されている。

素より事変の混乱に乗じて

史上稀有の火事泥をやった

中共である。

 

 量的拡大にのみ全力を傾倒して

質的用意を並行せしめる

暇の無い事情は認められる。

それにしても量の拡大それ自体が

質的強化を伴うて行く

自然作用も考えられる。

それであって、

かくも明快に質的低下

やってしまったことは、

この民族が近代的な組織に

甚だ適しないものを

持つことを表示している。

このことはすでに労働組合運動

によってもよく示されている。

いわゆるその工人運動が

排日運動などとの

合作によって

熱病的旺盛を告げた

時代においても、

他の国民におけるが如き

近代的労働組合の組織は

遂に生れ得なかった。

形式の上でこそ宣言あり、

綱領あり、規約、機関皆整い、

何部長、何股長とチャンと完成している。

しかし実体は全く

個人的面子や

因縁による顔の配列である。

国民党の中央部が、実は近代的な意味での

組織としては非常に条件の欠けたものである。

 

蒋政権の名称が如実に

その質を示しているというべく、

党組織の外観的整備に反して

実質は蒋一門の

私的結合である。

青幇の親分と子分、

紅槍会の首長と会員、

そこに働く原理によって

党の中央部は

結成せられているのである。

 

そうでなければ如何に

支那のこととはいえ、

蒋の奥さんが、あれほどまでに

国務の表面を乗り切って誰も

不思議な顔をしないという手は

ないのである。

※参考(蒋介石と妻の宋美齢)

 

【文中に出て来る結社について】

なんとなく当時どんな状況

だったのか?

想像できたでしょうか?

ある中国人(知日派)の

書いた本には、

「日本人はこれ以上謝罪するな!」

「当時、中国というブラックホールに

飲みこまれてしまったのが日本だ!」

と言っています。

当時、合法的に日本人が、

住んでいた地域でも、

在住の日本人に対する虐殺、

日本人が作ったインフラを爆破。

ということを現地の中国人が

繰り返し・・・

罪を日本人になすりつけ・・

まぁ、そこからブラックホール

に飲みこまれたという

表現なのでしょう。

もちろん、中国人にも良い人は

いますし、テロ行為に走ったのは、

一部の人だという認識ですが、

こういった民族性の人たちとの

戦争って、どうやって

避けられるでしょう?

 

 
 

 
 

 


<転載終了>