GTOこと後藤正成さんのサイトより
https://ameblo.jp/nijiokun/entry-12951812968.html
<転載開始>

黄金の簒奪者たち:最終回

 

 昭和天皇は終戦後も日本を代表していた。これは憲法の解釈とは別のレベルの話である。日本国憲法上では天皇は「象徴」であり、実質的な権力は削ぎ落とされたと考えられたからである。しかし、前述した通り、実際には天皇は権力を行使していた。但し、天皇は憲法上の地位が変わった後は、「民間人」として外交に携わったのである。この場合の「民間」とは、日本政府の外交を担当する外務省などの官庁ではなく、「プライベート」であるということだ。あくまでもプライベートの立場から、天皇は外交および国政に影響を与え続けたのである。

 

 これは非常に重要な話しである。通常、民間といえば官庁より格下の存在であって、いわゆる民間人同士での交流というレベルの民間外交はできるが、国政に影響を与えるようなことはできない。だが、民間人の天皇が行う交流は、現実にはむしろ逆で官庁より圧倒的に格上なのである。だが、天皇は「象徴」であり、”日本人ではない”のだ。なにせ天皇家の人間は戸籍が抹消される。つまり、名前もあって日本人の代表なのだが、地球上のどこの国にも属さないのである。よって、日本国の法律上では裁けない存在であり、地球上のどの国も裁けない超法規的存在なのだ!!

 

 天皇陛下は世界中の国家元首と”民間外交”を行う。どこの国に行っても国王や大統領、首相といった存在が相手をする。一方で、世界の国家元首が日本に来た時には、必ず天皇陛下が面会する。そして、たとえ世界一の権力者であるアメリカ大統領であっても、皇居に足を運び、天皇陛下の前でお辞儀をする。みな頭を下げるのである。地球上のどんな権力者が来ようとも、天皇陛下の権威の方が上位にあるのだ。日本では「象徴」なのに、首相の任命も天皇陛下が行うのである。お分かりだろうか。これが「答え」なのだ。

 

上:バラク・オバマとミシェル夫人

 

 マッカーサー率いる占領軍は、日本を「民主化」しようとしていた。つまり財閥による寡頭政治から、財閥を解体させて真に民主的な政府を創ろうとしていた。しかし、この目論見はアメリカの「財界」からの圧力によって、また折からの朝鮮戦争によって、アメリカは日本の民主化よりも、戦前からの財閥を復活させる道を選んだ。昭和天皇と国務省顧問のダレスとの会見が行われたのは、アメリカ政府が望んだのではなくて、アメリカの財界が望んだことだったのである。

 

 昭和天皇とダレスの会見をセッティングしたのは、『ニューズウィーク』の外信部長だったハリー・カーンと東京支局長パケナムの2人である。彼らは純然たる「民間人」である。では、なぜ彼らが昭和天皇とアメリカ政府の高官の間を取り持つことができたのだろうか。パケナムとハリー・カーンは「ACJ」と称される「アメリカ対日協議会(American Council of Japan)」というロビー団体のメンバーだったのである。

 ロビー団体とは、民間企業から資金援助を受けて、クライアントである企業の利益になるように政治的な働きかけを行う団体である。敗戦後の日本には、工業力を残した「財閥」たちがいた。彼らを今のうちに取り込み、アメリカ企業のために役立つようにすることが彼らの目的であった。アメリカ対日協議会の重要なメンバーにはジェームズ・リー・カウフマンという人物がいる。カウフマンは戦前に異本で法律事務所の共同経営者を務め、日本にあったゼネラル・エレクトリック、スタンダード・オイルなどの総代理人の立場として活動した。

 

 

 アメリカのビジネス団体ロビーであるACJが、日本の財閥とアメリカの財閥を結びつけようとしていたのである。その意味で、昭和天皇とダレスの会見は象徴的なものであった。ダレスは来日時にはアメリカ国務省顧問の肩書きであったが、本当は「民間」の、それもロックフェラー財団理事長として、アメリカの財界を代表して来日していたのである!! そして、ダレスはこの青、1952年よりアイゼンハワー政権で国務長官を務めることになる。「民間」である財界の実力者が、時と場合に応じて政府代表となることがあるのは、今も変わらない。

 

 財務長官になる人物は、共和党政権だろうが民衆党政権だろうが、たいていゴールドマン・サックスの社長や会長だった人物である。その逆ではない。「民間」の方が圧倒的に力を持っているのである。日本の敗戦処理で最も重要な米軍の基地駐屯が、憲法上権限のない天皇と、民間の財界代表であるダレスの間で決定されていたのである。つまり、その後で開催されたサンフランシスコ講和条約というのは、単なるレモニーに過ぎなかったのだ。本当の決定は、既に日米を代表する「天皇財閥」と「ロックフェラー財閥」のトップの間で行われていたのである!!

 

 昭和天皇も明仁上皇も、アメリカに行った際には必ずロックフェラー邸を訪問する。それはまるで首都ワシントンよりニューヨーク郊外のロックフェラー邸の方が重要なのだといわんがばかりに。筆者の場合、長年ロスチャイルドとその傍系のロックフェラーの悪事について書いてきたこともあって、なんで天皇陛下がわざわざロックフェラーの家まで行くのが謎だったが、それは表向きは「アメリカ合衆国」とはしていても、本当はロックフェラーが所有する「株式会社アメリカ合衆国」だということであり、日本国のオーナーとアメリカのオーナーの会見なのである。

 

左上下:昭和天皇とネルソン・ロックフェラー

右下:デイヴィッド・ロックフェラー

 

 第38代アメリカ合衆国大統領ジェラルド・ルドルフ・フォード・ジュニアは、昭和49年(1974年)8月にリチャード・ニクソンの大統領のウォーターゲート事件を原因とした辞任によって大統領に昇格した。大統領選挙に勝利せずに大統領職に就任した米国史上唯一の人物である。そしてフォードは史上初めて訪日したアメリカ大統領である。安政5年(1858年)に「日米修好通商条約」が締結されてから116年もの間、アメリカ大統領の訪日は一度も実現したことがなかったのである。

 しかもフォードは大統領に就任した初日に日本の駐米大使と会談、初めての外国訪問地に日本を選んでいる。その2年前に沖縄返還が実現し、日本企業の米国進出も盛んになって来た時期だったこともあり、両国の政治だけでなく経済的結びつきも強固になった現れでもあった。フォードが大統領に就任して3カ月後の11月18日。遂にその日がやって来た。羽田空港に到着したフォードは、すぐに歓迎式典のために迎賓館赤坂離宮へ向かっている。そして、今では考えられないが、迎賓館の庭で植樹まで行っているのだ。


 迎賓館は「東宮御所」として明治42年(1909年)に建設されたものだが、戦後皇室から政府に移管され、その後、国立国会図書館、裁判官弾劾裁判所、内閣憲法調査会、東京オリンピック組織委員会の事務所として使用された後、再度改修されて迎賓館となった歴史がある。その迎賓館での歓迎式典を終え、フォードは皇居宮殿へと向かい、昭和天皇への謁見に臨んだ。この時、フォードは緊張で足が震えたと言う。「人生でこれ以上の緊張をこれまで体験したことはない」と後日述べたフォードは宮中晩餐会が終わったのち、緊張をほぐすために迎賓館で遅い時間まで酒を飲んでいたのだという。

 

フォード大統領と昭和天皇

 

 翌日、帝国ホテルで行われた日本記者クラブでの演説でフォードは「昨日は天皇陛下をご訪問申し上げた際、私は陛下の米国ご訪問を改めて招請した。米国のこれまでの偉大な英雄たちの記念塔の背景をなしている優美な日本の桜、その他米国の国家的な聖地や秘宝を陛下にお見せする最初の米国大統領となることはこの上ない喜びである」と述べ、緊張しつつも昭和天皇の人柄に触れて魅了され、再会を早くも望んでいる様子が感じ取れる演説だったが、実際は違う。昭和天皇の訪米を望んだのはアメリカ財閥のオーナー、ロックフェラー一族だったのである。

 その要望はすぐに現実のものとなる。昭和天皇の米国訪問の日程が決定したのだ。翌昭和50年(1975年)9月30日。昭和天皇は米国東海岸バージニア州のウィリアムズバーグに到着する。それまで米国内のメディアは昭和天皇の訪問に大して触れず、また戦前に散々”ヒロヒト”の悪口を書きててて戦意を高揚させたため、米国民の関心はさほど高いものではなかった。なにせ、戦争中に家族が犠牲になった人々や負傷した軍人たちにとって、昭和天皇は「最も憎むべき相手」だったのである。だが、天皇の到着以降それが一転する。連日、山のような報道で埋め尽くされ、そのフィーバーぶりは訪問中の2週間ずっと続くことになったのである。

 昭和天皇はウィリアムズバーグに続いてワシントンD.Cのアンドリュース空軍基地に降り立たった。雨天が続いていたワシントンだったが雨も上がり、フォードと再会を果たした後での屋外会見では晴れ間がさっと射したのだ。すると群衆からどよめきが上がったのである。ABCの記者は
「さすが陛下。太陽を呼び戻しました」と中継した。現在の徳仁陛下は今年2025年にモンゴルを訪問した際、戦後にソ連軍に抑留され帰らぬ人となった兵隊たちを慰霊した。その時も最初は雨が降っていたが、途中で雨が上ったのである。それは世界から賓客が集まった7年前の即位式の時も同じだった。

 



 上のの写真はホワイトハウスでの昭和天皇夫妻とフォード夫妻である。下の写真は晩餐会に向かう両陛下とフォード大統領夫妻だが、少々フォード大統領の顔が緊張の面持ちなのが分かる。なにせ右手と右足が同時に出る歩きかたをしているのだ。世界最大の権力者であるはずのアメリカ大統領であっても、第2次世界大戦のスポンサーには緊張するのである。大統領は長くて8年しかその地位を確保できないが、天皇は死ぬまで世界権力の上に位置するのである。その昭和天皇が晩餐会で発せられた言葉は、アメリカ国民の心を鷲掴みにしてしまう。


 「私は多年、貴国訪問を念願にしておりましたが、もしそのことがかなえられた時には、次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国がわが国の再建のために、温かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、永く語り継がれていくものと信じます」

 会場に大きな拍手が湧き、晩餐会は予定より大幅にずれ込んで遅い時間まで続くことになった。異例の出来事だった。この昭和天皇の言葉はもちろん戦後の混乱期の食糧援助などを指したものだが、受けた恩を忘れずアメリカ国民に向けて謝意を率直に示したことで、昭和天皇に対する称賛の声は報道に乗って全米に広がったのである。さらに天皇陛下はアーリントン国立墓地に眠る無名戦士の墓への供花も行っている。この模様は一般のアメリカ人にとっては衝撃的だった。



 なにせアメリカ国民は昭和天皇の声など聞いたこともなく、ましてや一般のアメリカ人にとっては憎きイエロージャップの総帥なのであり、ヒトラー以上の憎むべき相手だったのだ。それがアメリカ人と戦死者に感謝と謝罪を表したのである。まさかそんなことを国家元首がするとは思ってもいなかったのである。そこから昭和天皇に関する報道は連日続き、遂にニューヨークでのロックフェラー邸訪問も大々的にメディアを賑わせた。

 この時、デイヴィッド・ロックフェラー・シニア(ロックフェラー2世)は
「弊グループの銀行の支店が皇居に近いので(シティコープ東京支店、後のシティバンク銀行大手町支店)、ご利用ください」と昭和天皇に冗談をもちかけ、それに対して「預ける方か、借りる方か」と返した昭和天皇に「どちらでも結構です」と答えたという逸話が残っている。世界のトップは必ずジョークをかますが、この時は第2次世界大戦のスポンサーであり、なおかつ第2次世界大戦後の世界経済を回すための原資(天皇の金塊)を持っていた昭和天皇と、そのゴールドを原資に戦後の世界経済を石油とドルで支配することになったロックフェラーとの高度なやり取りだったのである。

 これは皮肉ではない。戦前と戦後の世界経済の覇者が初めて向き合ったのである。さらにこの時、昭和天皇は戦後にアメリカで研究者となった長男にも面会しているはずである。本来なら次の天皇になるべき人物はアメリカに渡っていたのである。捉え方によっては「人質」である。そうした意味も含めて、昭和天皇がアメリカを訪問したというのは、その後の世界の黄金の行方が決定された瞬間だったのであり、昭和天皇の大戦はここで完結したのである。

 

 

NY郊外のロックフェラー邸とデイヴィッド・ロックフェラー2世

 

 ここで一つ疑問が湧く。昭和天皇はロックフェラーとは面談しているものの、ロスチャイルドとは会ってはいない。イギリスを訪問した際にはエリザベス女王には会ってはいるが、ロスチャイルド邸を訪問したという記録は残ってはいない。もしかしたら晩餐会で会っていたかもしれないが、その記録は日本では開示されていない。ここに大きな違和感を感じざるを得ないのだ。いくら戦後の世界経済の支配者がロックフェラーであっても、ロスチャイルドの傍系に過ぎない。本当の世界皇帝ともいうべき「黄金の簒奪者」はロスチャイルドである。昭和天皇が向き合うべき相手はロスチャイルドのはずである。

 

 「結社」は“ある目的”を持って集まった人々の集合体である。それが単に地縁、血縁、職縁などによって作られた結社なら良いが、世界征服を目的に国家を超えて結びついた結社は「闇の秘密結社」である。彼らは200年の時をかけて計画を実行してきた。世の終わりの日に向けて。それを「イルミナティ」と呼ぶ。イルミナティは、イエズス会の修道士でフリーメーソンでもあったインゴルシュタット大学教授のアダム・ヴァイスハウプトが、アメリカ建国の年1776年に創設した秘密結社である。

 

 もともとは王族と教会支配から脱するための啓蒙結社だったが、後期イルミナティはロスチャイルド家の祖マイヤー・アムシェル・ロートシルトに乗っ取られる。そこからロスチャイルドはイルミナティの結社員だったフリーメーソン会員を次々に籠絡する。だが、そのことを知っていたアメリカを建国したフリーメーソンたちは、ドイツ移民に注意を払い、ロスチャイルドを入国させなかった。

 

アダム・ヴァイスハウプトとマイヤー・アムシェル・ロートシルト

 

 問題はそこにキリスト教徒になりすました偽のユダヤ人が入り込んだことである。それがロックフェラーである。ウォール街を支配したモルガン家も日露戦争の莫大な戦費を日本に貸し付けたヤコブ・シフもユダヤ人であることは隠さなかったが、ロックフェラーだけは「WASP:ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント」になりすました。ロスチャイルドの傍系のジョン・D・ロックフェラーをアメリカに送り込んだのはイギリスとヨーロッパを金融で支配したロスチャイルドであり、ロスチャイルドとヨーロッパの銀行はアメリカ独立戦争の資金も貸していたが、アメリカは建国以来、カトリック、ロスチャイルド、悪の秘密結社イルミナティの入国を排除した。

 

 そこでロスチャイルドは傍系のロックフェラーをアメリカに送り込み、莫大な資金を援助してスタンダードオイルに石油業界を独占支配させるとともに、石油の産物である薬品でもアメリカを支配するため、議会に圧力をかけて自然療法をやめさせ、医薬品業界を作り上げる。さらに巨大な利益でアメリカの金融支配=通貨発行権を握らせるため、関係者をタイタニックとともに海に沈めてFRB(連邦準備銀行)を設立させることに成功する。それが1913年のことである。日本銀行は1882年に設立済みで、これでロスチャイルドはイギリス、ヨーロッパ、アジア、アメリカの通貨発行権を握ったのである!!

 

 ロスチャイルドの強さは世界各地の通貨発行権を握っていることにある。紙幣などいくらでも刷ればいいのだ。そして、アメリカ政府はFRBの株を1株も持っていないのである。ロスチャイルドら通貨発行権者たちは、国際決済通貨を使う全ての人々から金利を取り、紙幣という紙切れを刷る毎に莫大な利益を手にできるのである。1ドル札1枚の原価は2.8セント(約4.5円)、100ドル札の原価が14.2セント(14.2円)で、原価が20円以下の紙きれが「1万円札」になるボロ儲けの商売なのだ!! 

 

ジョン・D・ロックフェラー1世とJ.P.モルガン

 

 彼らは「通貨発行権の獲得」と「通貨発行権の行使」の為に戦争を起こさせるのであり、 21世紀の現在においても、戦争の目的は変わらない。薩長の田舎サムライたちは明治維新の時から彼らと組んで戦争を起こしてきた。だからアジア12カ国から黄金を奪ったのである。その黄金こそが原価20円以下の紙きれが「1万円札」になるビジネスを裏付けているからだ。そして、今も世界最大の黄金の保有者は天皇家なのである。フィリピンのサイトに隠させれた京単位の黄金もさることながら、この日本という地震大国は今も地底で毎日黄金を生み出しているのである。

 

 つまり、日本列島こそが世界最大のゴールドファクトリーなのであり、その持ち主は地球のどこにも属さない天皇なのである。だからこそ、宮内庁の職員は朝鮮系の創価学会員だらけなのであり、薩長閥の意向を汲んだ者が宮内庁長官として送り込まれるのである。雅子妃をいじめ抜いた理由も、GHQが李氏朝鮮の末裔である秋篠宮を天皇家にねじ込んだのも、全ては黄金を支配するためなのである。その戦いは今も続いている。

 

 世界は「天皇の黄金」と「黄金列島」の秘密を知っているが故に、”民間の”天皇家を国賓として招くのである。世界の国家元首たちが天皇に頭を下げにやって来るのも、全ては黄金の分け前にありつく為なのである。

 

<終わり>


<転載終了>