https://ameblo.jp/nijiokun/entry-12898144439.html?frm=theme
<転載開始>
黄金の簒奪者たち:その1
「歴史認識」とは、歴史に関する認識や理解、つまり歴史観のことである。狭義では、ある特定の歴史観を持つ人が、過去の出来事をその歴史観に基づいて理解・解釈することを指し、広義では歴史そのものに対する認識を指す、とされている。だが、そもそもわれわれが知っていると思い込まされている「歴史」なるものがインチキだったら、狭義だろうが広義だろうが「歴史認識」なるものを偉そうに語る歴史学者たちは、全て単なる嘘つきとなる。

「歴史認識」とタイトルについた本は山のようにある。なぜかといえば、「歴史認識」なるものがビジネスだからだ。やれ「正しい歴史認識を持て」だとか、「日韓・日中では歴史認識が異なる」だとか、「歴史の真実」だとか、大壮なことが語られているが、こうした「歴史認識」なるものを語る人間が多いということは、「歴史認識」なるものが定まっていない、つまり本当の歴史=史実は隠されている、ということである。
「Yahoo!知恵袋」に、面白いやり取りがある。2013年のものだ。まず、質問者はこう語っている。
何故、学校の授業で、近代史(史実)を教えないのしょう?日本人は戦争の事を教えられてないので、新聞やテレビ等のメディアの偏向報道を鵜呑みにし、日本はアジアに対して悪い事をしたと認識て いると思います。戦争の歴史を知らないから韓国人や中国人に妄言を言われても、言い返せないのかなと感じます。全ては間違った教育にあると思う。
この質問に対して、実際の教育現場に携わっているとする「らまいむぅさん」なる人物は、以下のように回答。ベストアンサーに選ばれている。
その教育現場にある者です。 現場の教師は教えたいのです。 社会科の教師は全員そうです。 教えない理由を列挙します。
①受験に出ない 中学、高校であれば他の方のいわれているように、受験に出ないからです。逆に、それを時間をかけてしっかり教えていると受験生や保護者からクレームがきます。
②時間がない 教える時間がありません。数年前の総合的な学習などの導入で、小中学校では、社会科の時間は大きく削られています。受験のこともありますが、子どもたちに社会科を楽しく学んでもらおうとすると、戦国期や幕末などの方が取り上げやすいからそっちに時間をかけてしまいます。
③世間の無言の圧力 意外にこれが大きいのです。変に断固たる主張をしてると「あの人は右翼だ。」言われます。また、その中韓の妄言を授業でたたいたとしますよ。保護者にその関係者がいたらどうなると思います?職員室や校長室で大暴れされでもしたら授業どころじゃなくなるんですよ。そこまでして教えたいと思う先生はいるでしょうか?
なんて弱腰と思うかもしれませんが、無理をして近現代史を教える必要性は、優先順位を考えたら後になります。私の専門は日本史です。近現代史が戦争の悲惨さばかりを伝える内容なのを疑問に感じています。はっきり言うと、「現場には教えたくてたまらない」のに、「教えさせてもらえない」現状があることを知って欲しくて書きました。
その原因としては、これまでの政権は、基本「臭いものにはふた」「ことなかれ」だったのが挙げられます。教科書を見てください。一番大切な「戦争にいたった理由」については全く触れられず、「戦争はよくない」の一点張りです。それが悪いというのではないんですが、考えることを放棄させるような記述です。「何が何でも戦争はダメだ」と言った様に。勝っていたら勝った方の言い分が真実として歴史に残るんですがね。 教える側も、教科書が文科省に準じた内容である以上、公務員である以上、深く触れるのは難しいのです。
非常に的を得た回答だ。これこそが「真実」である。日本の歴史の中でも「近代史」とされる部分はほとんど学校の授業ではスルーする。「時間がない」だとか「受験に出ない」などといった理由で教えてくれない。だが、本当の理由は違う。
「真実から国民の目をそらせ」
それこそが文部省(現:文科省)の方針だったのである。徹底的に「臭いものに蓋をする」というのが、この国が明治維新以降にとってきた基本政策なのである。「近代国家日本は、明治で西洋化して以来、度重なる戦争を乗り越え、国民一丸として頑張ってきてからこそ平和な国家を築けたのだ」というのが、日本人が求めている歴史感である。「多くの日本人が命を落とし、悲しみや苦しみを乗り越えて、今の平和があるのだ」と、そう日本人はそう信じたいのである。
だが、それこそが与えられた大いなる「幻想」というものである。この近代国家としての大日本帝國を作ってきた人間たちはうす汚れた人間たちである。それは日本国になった今も平然と続いており、彼らは利益を享受し続けている。それが日本の国民にバレてはいけない。だからこそ「臭いものには蓋」をしないといけないのである。
「正しい歴史認識」を持つために、もう一度、用語の整理をしてみよう。
「歴史観」
歴史認識は、ある特定の価値観や歴史の解釈に基づいています。例えば、ナショナリズム的な歴史観では、自国の歴史を肯定的に評価し、他国との歴史的な対立を強調する傾向がある。
「歴史の解釈」
歴史認識は、過去の出来事をどのように解釈するかに関わるため、政治的な論争や国際関係にも影響を与えます。例えば、第二次世界大戦に関する歴史認識は、日韓関係や日中関係に大きな影響を与えている。
「社会への影響」
歴史認識は、教育やメディアを通じて社会に浸透し、国民の意識や価値観に影響を与えます。また、歴史認識をめぐる紛争は、社会的な対立や国際的な緊張を招く可能性がある。
日中両国の「歴史認識」の違いは、表向き歴史問題の根源的な原因の一つとされている。これは日韓も同じで、日本政府は、戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話なるものを発表し、その中で歴史認識を表明してきた。これが日本政府としての「歴史認識」である、と。そして、文科省はこう言うのだ。歴史認識は、過去の出来事から学び、未来を創造するために欠かせない要素であり、歴史認識を正しく理解することで、社会の進歩や平和に貢献できます、と。これこそがウソなのである。
「河野談話」や「村山談話」などの”歴史認識談話”
この国はペテンの国なのである。歴史の教科書に書かれた「近代史」というのは、全て「ペテン」がバレないようにするための「幻想」を与える内容だけが書かれているのである。「そんなバカな」という人は、ぜひ、外務省のホームページをご覧になっていただきたい。外務省の「アジア」の項に「歴史問題Q&A」というページがあり、そこに日本政府の正式な回答が書かれているからだ。
問1 先の大戦に対して、日本政府はどのような歴史認識を持っていますか。
日本政府の歴史認識については、これまで戦後50年にはいわゆる「村山談話」、戦後60年にはいわゆる「小泉談話」が出されていますが、それに加え、2015年8月14日、戦後70年目の節目に内閣総理大臣談話が閣議決定されました。談話の内容については、次のリンクを御覧ください。
(参考1)2015年8月14日の内閣総理大臣談話
(参考2)2005年8月15日の内閣総理大臣談話(小泉内閣)
(参考3)1995年8月15日の内閣総理大臣談話(村山内閣)
問2 日本は戦争で被害を受けたアジア諸国に対して公式に謝罪していないのではありませんか。
先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、その反省とお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。こうした歴代内閣が表明した反省とお詫びの気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日の内閣総理大臣談話の中で明確にしました。他方、戦争とは何ら関わりのない、将来の世代が、謝罪を続けねばならないような状況を作ってはなりません。これは、今を生きる、現在の世代の責任であると考えています。
この後にもまだ質問が6つ続く。それは以下のような項目である。
問3 日本は先の戦争で被害を受けた国や人々に対し、どのように賠償したのですか。
問4 政府間における請求権の問題は解決済みでも、個人の請求権問題は未解決なのではないですか。
問5 慰安婦問題に対して、日本政府はどのように考えていますか。
問6 「南京事件」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
問7 極東国際軍事裁判に対して、日本政府はどのように考えていますか。
問8 ドイツに比べて、日本は過去の問題への取り組みが不十分なのではないですか。
これらの質問に対する回答をよく読むと、如何に日本国政府なる存在が大嘘つきなのかがよく分かる。それは中国や韓国・北朝鮮に対してだけでなく、アジア諸国全般に対する嘘であり、300万人以上もの人を殺した日本国民に対してもである。彼らはこう言っているのである。「悪いという認識はあり、反省してお詫びをするが、謝罪はしない」、と。だが、なぜ彼らは「謝罪しない」のか? それは「戦後賠償は済んだ」ことになっているからである。もう金は払ったんだからいいじゃないですか、と言っているのである。しかし、実際は何も済んではいない。そして、それは現在も続いているのである。
<つづく>
<転載終了>




genkimaru1
が
しました