みのり先生の診察室さんのサイトより
https://ameblo.jp/drminori/entry-12953092309.html
<転載開始>

医師サイトでも話題になっていた映画「ヒポクラテスの盲点」。

 

 

ご覧になりましたか?

 

上映している映画館が少ない上、しかも早朝の時間帯しか上映されないなど、なんだか「意地悪」されているように感じることもありましたが、皆さんが観に行って頂くことで再度上映してもらえたり、上映期間が延長されることもあるので、是非とも行って下さい。

 

この映画はコロナワクチン接種が始まったあと、医療の現場でどういうことが起きていたのかという事実に基づくドキュメンタリーです。

 

決して陰謀論や過激な反ワクと思われるような映画ではなく、事実とデータに基づいて制作されているため、ある意味、コロナの振り返りにもなります。

 

是非とも観て頂きたい。

 

ワクチンを推進されていたであろう医師からも良かったというコメントもありました。

 

ある医師が紹介していたブログ↓

 

 

ちょっと長いブログですが、こちらも是非とも読んで頂きたい。

 

非常に冷静に中立的に分析されています。

<リンク先より>

これは興味深い映画だった。なるほど、本作を観ると、コロナワクチンへの見方が大分変わる感じがあるな。

というわけで、まずは、本作の内容云々の前に、僕自身のスタンス等について書いておくことにしよう。

まず、本作を観る前の時点の僕は、コロナワクチンには賛成していた(これは必ずしも、本作を観て考えが変わった、という主張ではない)。僕自身も、何回だったかな、5回ぐらい打ったと思うし、弟から「コロナワクチンを信じてない」的な連絡が来た時も、説得するような返信をした(その後弟は、恐らく僕の説得とは関係なくワクチンを打つことに決めたようだが)。

さて、もう1つ書いておきたいことがある。それは、本作にも何度か登場する「リスクよりベネフィットが上回る」という話に関してである。

それでこの話に関してはまず、コロナワクチンに限定せず、広い視点で話をしたい。

薬でも新技術でも新商品でも何でもいいのだが、どれだけ完璧を喫しても「100%安全」なものは存在しない。使い方や量、あるいは使用状況や体質など様々な要因により、どんなものも「危険」になり得る。「100%安全なものしか流通させない」なんてことにしたら社会は立ち行かないだろう。日本は諸外国と比べたら「安全に対する感覚」が敏感な気がするし、何か問題が発覚した際にメディアや一部の有識者が「100%安全なのか?」みたいな問いを投げかけたりもするが、僕の感触では、一般の人は概ね「『100%安全』なんてことはないよね」という点を受け入れてると考えている。

つまり、「リスクよりもベネフィットが上回るのであれば、社会はそれを受け入れた方が良い」という判断は、基本的に支持を得ているだろう、と考えている。少なくとも僕はそういう風に考えているし、「全体の利益」のために「多少の犠牲」が生じるのは仕方ないと考えている。

で、これは書いておかなければフェアではないと思うが、上述のような発想を基本的に持っていることは大前提として、その上で僕はやはり、「自分がその『多少の犠牲』を被る側になってしまったら、後悔もするし文句も言うだろう」と思っている。それは仕方ないことだと思っている。だから、「『全体の利益』が優先される状況で『多少の犠牲』側に立たざるを得なくなった人が声を上げること」は当然だと思っているし、彼らに「『全体の利益』が優先される状況なんだから、黙って受け入れろよ」なんて感じたりはしない。それとこれとは話は別、ということだ。

そしてその上でさらに、「コロナワクチンによる死や後遺症は『多少の被害』と言えるのか?」という問題が出てくるわけだが、この点に関しては正直、本作を観て分からなくなったというのが正直なところだ。本作を観る前の時点では正直、「避けがたい犠牲だった」みたいな捉え方をしていたと思う。しかし、果たしてそれは正しい認識なのか? 本作にメインで登場する福島雅典医師はこの点に関して、「そんなことあり得ない」と「多少の犠牲」なんて風に捉えられるはずがないと断言していた。

さて、本作は冒頭からしばらく、「コロナワクチン後遺症に苦しむ人々」に焦点が当てられる。正直なところ、本作がそういう話題に終始する内容だったとしたら、僕の考えはあまり変わらなかったかもしれない。僕は「ワクチンには一定の副作用は仕方ない」と思っていたし、また「国民全員が1人何回も打ってるんだから、その総回数を踏まえれば、分母がメチャクチャでかいんだから、分子だって大きくなって当然だ」と考えていたからだ。後遺症に苦しんでいる人たちは本当に大変だと思うし、もしも自分がそちら側だったら今考えているような思考はとてもじゃないが出来なかっただろう。しかし僕は、結果的にはワクチンによって命も落とさなかったし、後遺症にもならなかった。そしてそういう立場の人間からすれば、「どれだけ『後遺症に苦しむ人』の存在を知っても、『全体の利益のためには仕方なかった』みたいな発想から抜けられはしなかった」ように思う。

しかし、自分でも、「今書いた文章は酷いな」と思う。後遺症に苦しんでいる人や、ワクチン接種で大事な人を喪った人からすれば「信じられない」と感じられるかもしれない。でも、先述の「リスクよりもベネフィット」という話を受け入れるのであれば、こういう言い方にならざるを得ないよな、とも感じる。もし僕が、「コロナワクチン後遺症に苦しむ人を取材する立場の人間」だったらまた全然違った感想を抱くだろうが、少なくとも僕の周りにはそのような主張をしている人はいない。だからどうしても「1人の個人」という見方にはならず、「数字」として捉えるような感覚になってしまう。もし、後遺症に苦しんでいる方やワクチン接種で誰かを亡くしたという方がこの文章を読んでくれていたら、恐らく怒りを抱くと思うが、自分の感覚を偽って何かを書いても仕方ない気がするので、この辺りは正直に書いていこうと思う。

そんなわけで話を戻すと、もし本作が「後遺症に苦しむ人に焦点を当てる作品」だとしたら、恐らく僕の考えは変わらなかった気がする。

が、本作ではその後、様々な専門家の話が出てくることになる。そしてそれらの話を色々と総合すると、「どうやらコロナワクチンは、そもそも大した効果がなかったようだぞ」という理解に変わっていくことになる。そしてそうなると、そもそもの大前提が変わってくるので、自分の意見を変えざるを得なくなるな、という感覚になっていったというわけだ。

それで、先に1つ書いておくと、本作には「コロナワクチンの効果や接種に反対する人」ばかりが登場する。しかしそれは、別に偏った取材をしたというわけではない。監督は、ワクチンに賛成する専門家や厚労省に、取材の打診を行ったそうなのだが、その中で唯一取材を受けてくれたのが1人だけだったようなのだ。その1人が森内浩幸医師である。彼はコロナ禍の時に、よくメディア出演をしていたので、僕は「あぁ、あの人か」と感じた。他にもメディア等でワクチンを推奨する話をした医師や専門家はいたはずだが、その多くが本作への出演をしない決断をする中、森内氏は逃げずにちゃんとカメラの前で語る決断をしたわけで、なかなか誠実な人だなと感じた。

まあそんなわけで、本作には反対派の人たち(ちなみに本作を観れば理解できると思うが、この記事内では「反ワク」という言葉は使わないつもりだ)ばかりが出てくるのだが、まあそれ故に「ワクチンには効果がなかった」という主張が印象として強まっている、ということもあり得るかもしれないとは思う。しかし本作では、様々なデータを提示して「ワクチンには効果がなかったかもしれない」という点を示しており、個人的には信憑性があるなと感じた。

また、鑑賞後に公式HPを見て知ったのだが、本作の監督は東京大学大学院を修了した理学博士だそうで、そういう意味でも、よくある「医療系のドキュメンタリー」とはまた少し違うと言えるかもしれない。取材を進めるまさにその本人が科学に精通しているという事実は、本作にとっては大きな意味を持つだろう。

そして、先程僕は「大前提が変わるから意見を変えざるを得ない」と書いたのだが、その辺りの説明もしておこうと思う。

僕がコロナワクチンを受け入れていたのは、「接種したことで感染の拡大の抑止に役立ったはずだ」と考えていたからだ。つまり「とても大きなベネフィットがあった」と考えていたわけで、だからこそ「多少のリスクは仕方ない」と思っていたのである。しかし、もしもその「ベネフィット」が想定よりも遥かに小さなものだとすれば、「多少のリスクは仕方ない」なんて判断も成り立たなくなるはずだ。そして本作では、そのような事実が様々に積み上げられていくのである。

というわけで、個人的にはこの辺りまでが本記事の前置きなのだが(実に長い)、そろそろ本作で示されていた話に触れていこうと思う。ちなみにだが、この記事は、本作で示された様々な情報の中から、僕が主観的に情報を取捨選択して提示するものなので、僕の文章だけから何かを判断しないでほしい、とは書いておくことにしよう。是非、本編を観てほしい。

それではまず、本作に唯一登場した賛成派の立場である森内浩幸医師の主張から見ていこう。

彼は「早くても数年掛かると思っていたワクチンが11ヶ月で出来て驚いた」「感染予防効果が80~90%とのことだったので、であれば、国民の7割が打ってくれればパンデミックを抑えられると考えた」みたいなことを言っていた。しかし僕は、彼がちょくちょく「当初は」という言葉を使っていたのが気になっていた。そしてその理由はしばらくして明らかになる。

彼が「コロナワクチンに効果があった」と考えていたのは、変異株であるオミクロン株が登場する前までだったようだ。彼は「オミクロン株が出てきてから、少なくとも半年以内ぐらいには、コロナワクチンの感染予防効果がなくなったことが分かったと思う」と話していた。だから彼は、「3回目のワクチンを打つ必要はなかった」と言っていたのだ。

さらに、ある免疫学者が「有効なワクチンの条件」についての話をする場面があったのだが(「病気にならない」「数年は防げる」「副作用がほとんどない」「死なない」の4つだったと思う)、それらを踏まえた上で「コロナワクチンはとてもワクチンと言える代物ではない」と断言する場面がある。そしてその話を監督が森内医師にした際に、彼は、「確かに素晴らしいワクチンとは言えないし、理想とは程遠い。ただ、人に勧めるべきではないかというと、そうは思わない」と言っていた。そしてさらに、「パンデミックワクチンとしては、他の有効な手段がない以上今でもベストな選択肢だと思ってる」と口にした上で、「ただ、若くて健康な人は使うべきではない」とも言っていたのだ(この「若くて健康な人は使うべきではない」という主張は、「オミクロン株が出てきて以降は」という話だったと思うが、正確には覚えていない)。

正直なところ、賛成派である森内医師ですらこのスタンスだという事実が、「コロナワクチンの有効性」を如実に物語っているように思う。端的に彼の主張をまとめるなら、「オミクロン株が出てくる前の1・2回目の接種は有効だったけど、3回目以降は概ね意味がなかった」となるはずだからだ。

そしてこのような事実は、反対派の人たちによる様々な調査でデータ的にも裏付けられているようだ。

福島雅典医師が代表を務めるLHS研究所は厚労省に情報開示請求を行い、そのデータを元に色々分析しているようだが、「多くの年齢でワクチン接種後に感染率が上がっている」というデータが明らかになっているという(僕の記憶だと、40代と50代を除いたすべての年齢で、接種後に感染率が上がっていた気がする)。

また、「ワクチンの接種回数が増えると致死率が上がる」みたいな事実も厚労省のデータから分かるようだ。しかしこの点に関しては、かなり早い段階で厚労省がデータにするのを止めてしまったという。だったらと、そのデータの元となる情報が集約された「HER-SYS」の情報を開示してくれと依頼したところ、データ部分が完全な黒塗り(いわゆる「海苔弁状態」)のまま出てきたという。そして結局、「世界に誇るシステム」と福島医師が言っていた(と思う)「HER-SYS」は、2024年3月で運用を停止してしまったそうだ。この話は、コロナワクチンの有効性だけではなく、「厚労省が情報を隠蔽しているのではないか」という疑いを強めるものでもあると言えるだろう。

とこのように、「どうもコロナワクチンにはそもそも有効性がなかったようだぞ」という知見が積み上がりつつある状況のようである。

ただ、この事実を以って「コロナワクチンを国民にほぼ強制的に接種させるべきではなかった」なんて主張はまだ早いと思う。この点に関しては、「政府の政策をチェックしている」みたいな風に紹介されていた人(医師兼翻訳家みたいな肩書きだった気がする)がこんな話をしていた。

【見切りの部分が残った状態で、それでも接種を推し進めようという最初の判断は、決して間違っていなかったと思う。しかし、3回目の接種ぐらいからどうも怪しくなっていった。日本の政治家たちは、「2回やってダメなら3回やればいいだろう」という願望だけで突き進んだように見える】

彼の「最初の判断は間違っていないと思う」という話は、僕もそうだなと思う。「100%の安全性」を確認してから使おうなんて判断は、やはりナンセンスだと思う。危険はあるかもしれないが、ある程度の安全性・有効性が確認されているのであれば、とりあえず使うという決断をして話を前に進めてみる、というのは、少なくともあの時点の国の判断としては正しかったはずだ。

しかし恐らくそこから、「誰も止める人がいなくなった」みたいな状況になってしまったのだと思う。この点に関しても様々な言及があった。

多くの人が口にしていたのが、「誰も責任を取らない仕組みになっている」という点だ。厚労省も、専門家も、製薬会社も、自分のところに責任が来ないように上手く立ち回っている。そしてだとすれば、「始まったものを止める」というのも責任が発生する行為になるわけで、そんな「火中の栗を拾う」みたいなことをやりたがる人は誰もいないのだ。

また、この点に関して数値で分かりやすく示してくれた人もいた。例えば、他のワクチンの場合は、死亡例が1~2例でもあれば「一旦ストップしましょう」という話になるという。ワクチンというのは普通、それぐらい慎重に開発されているのだ。具体的な数値としては、「10万ショットあたり0.5例(0.0005%)」の死亡例があれば一度止めるというのがその世界の常識になっているという。

さて、コロナワクチンは日本で4億ショット打たれているという(1~7回までの合計)。そしてその中で、「コロナワクチンが原因かもしれない死亡」が2000例あるという。割合としては0.0005%であり、通常のワクチン開発であればストップするような基準だという。国の政策に関わる人がこの事実を知らないはずがないのに、誰もストップをかけようとしない、みたいな話がなされていた。

ただ、作中では度々「2000の死亡例」という話が出てくるのだが、この数字が一体何を示しているのか、僕にはよく分からなかった。本作では「コロナワクチンの副反応の報告ルート」として、医師・医療機関からの「副反応疑い報告」と、患者・遺族からの「健康被害救済申請」の2つを挙げていて、それぞれ数値も示されていた。「副反応疑い報告」では、「総数:37555 認定数:9325 死亡認定数:2295」、そして「健康被害救済申請」では「総数:14189 認定数:9290 死亡認定数:1035」だったと思う。そして恐らく、「2000の死亡例」というのは「副反応疑い報告で死亡例と認定された数」である2295のことを指しているのだと理解している。

さてその一方で、別の場面で、「副反応はα、β、γの3つに分けられている」という話も出てくる。「α:否定できない β:関係ない γ:評価できない」となっているそうで、そして「99.99%の事例がγ、つまり『評価できない』とされている」とも説明されていたのだ。

僕が何か捉え間違いをしているのかもしれないが、「99.99%が『評価できない』」なのだとすれば、「2000の死亡例」も「そういう疑いがある」という状態であり、「コロナワクチンが原因だった」とは言えないのではないかという気もする。唯一の賛成派である森内医師も、「日本では毎日3400人が死亡しているわけで、その人たちがワクチンを打って亡くなったみたいなケースもあるだろう。『ワクチンを打つ打たないに関係なく亡くなるはずだった人』がかなりの数紛れているはずだ」と主張していて、まあ確かにそういうこともあり得るだろうなぁ、と感じた。

しかしその一方で、「2021年~2024年にかけての超過死亡数は33万人」というデータも提示される。「超過死亡数」というのは「あらかじめ予測されていた死亡者数を超えた数」という意味だ。本作では、「この超過数はワクチンによるものではないか」と示唆されている。もちろんそれもあるとは思うが、そもそもシンプルに「コロナウイルスのせい」ということもあるだろう。他の場面でもそうだったが、「コロナ禍期間中にこういうデータの変化が起きている」という事象を「ワクチンの影響ではないか」と繋げるものがあったのだが、「いや、そもそもコロナウイルスのせいって可能性もあるんじゃないの?」と感じてしまう部分はあった。

さて同じような話として、「日本人の平均余命」の話もある。日本はこれまで、順調に平均余命を上げてきた国であり、「あとは健康寿命に力をいれればよい」という感じだったそうだが、それが2021年・2022年で一気に下がったそうなのだ。これも「コロナウイルスによる死亡が増えただけでは?」と思ったのだが、データを解析してみると「ガンでの死亡率」も上がっているのだという。この論文は英語の専門誌に提出さえ、査読前の論文が読めるサイトでの注目度は抜群だったそうだが、しかし最終的は「Retracted」、つまり「撤回」されてしまったという。論文は「ワクチン接種との因果関係についてこれからも調査をする必要がある」みたいな結論を提示したのだが、それに対して「ワクチン接種との因果関係が証明されていない」という理由で撤回されてしまったという。そんなことは論文を書いた側も分かっているわけで、だから「より調査が必要」という結論にしているわけで、撤回理由は変だなと感じた。

そしてどうも、「コロナワクチンに対する悪評」は検閲されているようだ、という話が出てくるのだ。ある専門家(何の人だったか忘れた。医師だったかな?)が、「コロナワクチンに関して否定的なことを書いたフェイスブックの投稿がすぐに消されてしまった」と話していた。「そんなことあるか?」と個人的には感じたのだが、その後すぐに、フェイスブックを運営するザッカーバーグが何かの場で証言を行っている映像が流れる。そしてその中で、「コロナワクチンに関しては情報統制が行われている。検閲を強制されたため、『副作用がある』と言った投稿を削除せざるを得なかった」みたいに話していたのだ。ふむ、そうなると話は変わってくる。ザッカーバーグがそう言ってるということは、実際に投稿は削除されていたのだろうし、それはまさに「検閲」でしかない。そしてそれが、何らかの圧力によるものだとするなら、専門誌が「撤回」した理由も同じものだという推測もおかしなものではないだろう。

さて、話を戻すと、「日本人の平均余命が下がった」という件に関して、注目の論文を書いた人物へのインタビューがあった。彼は自身が勤務する病院でのがん患者の治療成績に関して、「医療技術の進歩などで2018年、2019年とどんどん良くなっていったのだが、2020年に停滞し、2021年に下がったので、これは何かおかしいと思った」という話をまずはしていた。そしてそれを踏まえた上でがん患者の治療成績とコロナワクチンとの関連を調べたところ、「ブースター接種(複数回の接種)をした人の方ががんの治療成績が悪くなる確率が1.72倍高い」と分かったのだという。彼はこの事実を、「反復接種が膵臓がんの予後不良因子ではないか?」という主旨の論文としてまとめて発表した。

ブースター接種をした人の場合、「IgG4」という抗体(免疫にブレーキをかける性質を持つ)が増加することが分かっているようで、この医師は「ワクチンを繰り返し打つことが免疫にとって負担になっているのではないか?」という話をしていた。この話はもちろんまだ証明されたものではないが、理屈としてはなるほどと感じさせるものである。

そしてその推測が正しければ、平均余命の低下も説明がつく。「ブースター接種によってIgG4抗体が増え、免疫の働きにブレーキが掛かることで、様々な病気が進行しやすくなっている」と解釈できるからだ。これもまた興味深い話である。

さて、もう1つ興味深かったのは、「mRNAワクチンの接種後の体内分布」に関する話である。ワクチンは当初「注射を打った腕に留まる」と説明されていたのだが、どうやらこれは嘘だったらしく、さらにその事実は、かなり早くから認識されていたようなのである。

具体的な時系列はちょっと忘れてしまったが、ファイザーがワクチンの体内分布に関する調査を行っていて、アメリカのCDCに関わっていた医師はそのデータを2021年の春か夏には見たと証言していたと思う。一方、医薬品などの副作用を調べる日本の機関であるPDMAは、かなり早い段階でファイザーに対して体内分布のデータを開示するよう要求していたことが分かったという。話の流れでは確か、「日本での承認がなされる前の時点でPDMAがそのデータを要求していた」ということだったと思う。

結果的にPDMAの要求をファイザーは断ったようで、そして結局PDMAは体内分布のデータ無しで承認を行ったそうだ。通常、ワクチンの認可の際には「体内分布」や「ガン発生率」などのデータを照らし合わせるようだが、mRNAワクチンではそのデータ無しで承認が行えるようになっているという。福島雅典医師はこの点を問題視して厚労省に提言を行っていた。

さて、もしもPDMAがあらかじめ「ワクチンは腕に留まらないかもしれない」と疑念を抱きながら承認していたとすれば、それは重大な過失ではないか、と本作では指摘されていた。この点に関しては、福島医師がかつて関わったイレッサという抗がん剤の話題の中で興味深い話が出てくる。イレッサに関しては臨床試験中に死亡例があったため、福島医師は「危険性が過小評価されている」と問題視して訴えを起こしたそうだが、結果的には敗訴したそうだ。しかしPDMAはイレッサの危険性を分かっていたはずだ、と言っていた。それに対して監督が、「じゃあどうしてそこまで分かってて誰も止めなかったんですかね?」と聞いたところ、「もし拒否したら、審査課長の首が危うかっただろう」みたいなことを言っていたのだ。製薬会社との繋がりがあるからで、つまり「保身のためにNOと言えなかったのではないか」と推察しているというわけだ。そして同じようなことがコロナワクチンでも起こっていたんじゃないかと考えるのは自然だろう。

ちなみに福島医師は、イレッサの裁判の過程で(だったと思う)、他の医師から「副作用は必ずあるんだから、それを『薬害』だなんて言ったら何も進まない」みたいなことを言われたことがあるそうだ。しかし彼は、この意見を真っ向から否定する。福島医師ももちろん「副作用は必ずある」と考えているが、しかし「それが人間の影響で広まってしまうことはダメ」だと言っているのだ。「甚大な副作用がある薬の使用・流通を止めなかった」という「人災」を「薬害」と呼んでいるというわけだ。この感覚は僕も賛同である。その通りだなと思う。

話は変わるが、僕は「原子力」という技術について「理論や技術は信頼できるが、それを管理する人間がダメだから信頼出来ない」という意見を持っている。「管理する人間」というのは技術者ではなく、技術に明るくない組織の重鎮のことである。福島第一原発事故の話で言えば、いわゆる「本店」と呼ばれていた本社にいる人たちのことを指しているつもりだ。いくら技術者が良い仕事をしても、現場を理解しない管理者がまともでなければ意味がない。そして福島第一原発事故は、「管理者がまともではない」ことを明らかにした事故だと僕は理解している。

コロナワクチンに対しても同じようなことを思う。患者を実際に診察する現場の医師がどれだけ優秀でも、政治家や政策に関わる専門家などの「管理者」がちゃんとしていなければ機能しない。福島医師は、「日本のアカデミアははっきり言って怠慢だ」と断言していたが、まさにそういうことを言っているのだと思う。イレッサに使用に関しても福島医師は、「太平洋戦争と同じ」という言い方で、その決定プロセスを批判していた。

データが示唆していた事実を元に正しい政策を決めるとしたら、「オミクロン株以降はワクチン接種による感染予防効果は低くなったので、若くて健康な人は積極的には打たない方が良い」みたいなメッセージを出すべきだったのだろう。しかし実際にはそうはならなかった。そこに「NOと言えない雰囲気」が関係しているのだとすれば、日本は戦時中から結局何も変わっていないということになるだろう。

というわけで、書きたいことは大体書いた。途中で書いた通り、本作は僕の主観で情報を取捨選択しているので、もちろんここに書いていない情報もある。僕が書いた文章だけで何かを判断せずに、ちゃんと本編を観てほしい。そして自分で判断してほしい。僕個人としては、「運よく後遺症になったりもしなかったこともあり、かつてコロナワクチンを打ったことに対する後悔は別にないが、これからまた打つかと言われたらちょっとなんとも言えない」という感じにはなった。しかしそんな風に判断できるのも、ちゃんとデータを検証し、記録として残してくれる人たちがいるからだ。本作を観て改めて、どんな状況でも同じだが、「過去の検証」の大事さを実感させられた。

あくまでも僕の印象に過ぎないが、本作は科学的な観点からかなりフェアに構成されている感じがして、だからこそ扱われている内容が信頼できるなと感じられる。コロナワクチンに対するスタンスがどうあれ、観た方がいいんじゃないかと思う。そうしたところで、コロナワクチンによって亡くなった人や後遺症に苦しむ人たちの命や時間が取り戻せるわけではないが、未来に起こり得る過ちを回避できる確率は高まるし、それは、「とんでもない薬害だったかもしれない」という現実に直面した僕らが関心を持つことで実現すべきだと思う。


<転載終了>