櫻井ジャーナルさんのサイトより
https://note.com/light_coot554/n/n9c57a11fb2d8
<転載開始>

 ウクライナにおける戦争でロシア軍に勝てないNATO軍はロシア深奥部にあるエネルギー関連施設を攻撃しているが、それに対してロシア軍はキエフを含む都市を激しく攻撃し開始、それに対してウクライナ軍の迎撃システムは機能しなかった。NATOの軍人や情報機関員にも犠牲者が出ていると伝えられている。

 7月6日にもキエフ周辺はミサイルとドローンで攻撃され、その激しい攻撃の様子はソーシャルメディアで伝えられた。この攻撃はウクライナ軍がモスクワやサンクトペテルブルクに対して行った攻撃への報復だとされている。

 こうした攻撃がロシア国民の間に厭戦気分を広めるとNATOは考えているようだが、厳しい報復を求める声が強まっている。イラン人と同じように、ロシア人は脅されても屈しない。これまで戦争がエスカレートすることを避けようとしてきたウラジミル・プーチン露大統領も厳しい姿勢を見せざるをえなくなった。

 NATO側は2014年から8年かけ、キエフのクーデター体制の戦力を増強するため、兵器の供与や兵士を育成するだけでなく、マリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルの地下要塞を結ぶ要塞線をドンバスに築いたが、マリウポリとソレダルは2022年、マリーインカとアブディフカは23年までにロシア軍が制圧、ウクライナ/NATO軍の劣勢は決定的になった。そして現在、残された要塞線の要であり、戦略的に重要な工業都市のコスティアンティニフカを制圧、掃討を完了した。


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NATOの要塞線

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、ドンバス(ドネツクとルガンスク)を含む東部やクリミアを含む南部はロシア語を話し、ロシア正教を信仰、住民の多くはロシア文化の中で生活、ロシア領内に親戚がいて、自分たちをロシア人だと考えている。だからこそロシア軍は住民の犠牲を極力少なくしようとしているが、逆にキエフのクーデター体制は東部や南部で住民を虐殺してきた。ロシア軍にとってウクライナの東部や南部はホームである。コスティアンティニフカの陥落でドンバスの全域をロシア軍が制圧するのは時間の問題になった。

 それに対し、キエフ/NATO軍は長距離を飛行できるドローンやミサイルでロシアの深奥部を攻撃、ロシア軍と対等に戦っているかのように見せようとしているが、戦況をウォッチしている人にとってロシア軍が戦場で圧倒していることは明白だ。

 長距離を飛行できるミサイルやドローンを飛ばすためには衛星や地上で収集される軍事情報、そうした飛翔体を誘導するシステムが必要なわけで、どこから離陸したかに関係なく、NATO軍がロシア領内の目標を攻撃していることになる。

 ロシア領空へ侵入する飛翔体の中にはエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国から飛来するものも少なくないようだ。E3、つまりイギリス、ドイツ、フランスがロシア領への攻撃で中心になっているようだ。ロシア政府は自国領への攻撃に関連する意思決定センター、ドローン発射基地、生産施設などを追跡しているとしたうえでバルト三国も侵略者とみなしていると警告、バルト三国に対する攻撃が迫っていると考える人は少なくない。

 ロシアへの攻撃に自国領土や領空を使用することをウクライナに許可していないとリトアニア、ラトビア、エストニアは主張しているが、状況証拠はバルト三国の関与を示している。勿論、実際に攻撃しているのはE3とアメリカだ。アメリカはともかく、イギリス、ドイツ、フランスの都市が攻撃されても不思議ではない。

 ウクライナ/NATO側が劣勢なるにつれ、当初は同じ反ロシア国として親密な関係にあったポーランドと対立し始めている。ウクライナの体制派データベースのミロトボレツはポーランドのズビグニェフ・ボグツキ大統領府長官を「反ウクライナのプロパガンダ工作員」としてブラックリストに登録、これに対してボグツキ長官は自分自身を「バンデラ主義」やキエフによる「歴史的虚偽」の敵だと表現している。この対立が高まる切っ掛けは、5月にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーがある特殊部隊に対して「ウクライナ反乱軍(UPA)」にちなんだ名誉称号を授与したことにある。

 UPAは1943年春にOUN-B(ウクライナ民族主義者組織-ステパン・バンデラ派)から誕生、ユダヤ人やポーランド人を虐殺し始めた。その殺害方法は残虐で、妊婦の腹を引き裂いて胎児や内蔵を取り出し、脅しのために灌木に引っかけるといったことさえしたという。1943年から45年の間にOUN-BとUPAが殺したポーランド人は7万人から10万人と言われている。1943年11月には「反ボルシェビキ戦線」になった。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)へ名称を変更、1966年にABNはAPACL(アジア人民反共連盟、後のアジア太平洋反共連盟)と合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になった。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986)

 APACLは1954年、台湾の蒋介石政権や韓国の情報機関によって創設されたが、その背後にはアメリカの情報機関が存在していた。日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加している。日本支部を設置する際には岸信介が推進役になった。1954年には統一教会が設立されている。

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<転載終了>