https://note.com/light_coot554/n/n9d58510b013d
<転載開始>
西アジアとウクライナで攻撃の応酬があった。西アジアではアメリカ軍とイランのイスラム革命防衛隊(IRGC)、ウクライナではウクライナ/NATO軍とロシア軍だ。
西アジアではイランの「ペルシャ湾海峡管理当局(PGSA)」がイスラマバード覚書(MoU)の規定に従って正規の手順を踏まずに航行したタンカー3隻を攻撃した。MoUに定められたイラン側のルートではなく、アメリカ軍が管理しているオマーン寄りのコースを航行していたようだ。オマーン寄りの航路は国際海事機関(IMO)が調整していたものだが、IRGCは6月25日、このルートについて警告を発していた。
この攻撃を受け、アメリカ中央軍(CENTCOM)はイランの防空システム、指揮所、ミサイル発射拠点、60隻以上の小型ボートを含む80以上の標的を攻撃した。「60隻以上の小型ボート」は民間の漁船だが、アメリカはIRGCの高速艇だとしている。
その報復としてIRGCはサウジアラビアのサルマン港、バーレーンにある第5艦隊基地、クウェートのアリ・アル・サレム空軍基地を含むアメリカ軍の主要施設85カ所を標的とした報復攻撃を実施したという。
こうした戦闘の後、イランとの停戦や覚書が終わったのかと問われたドナルド・トランプ米大統領は終わったと答えた。その発言が何を意味しているのか、彼は理解しているのだろうか?
アメリカとイスラエルによる騙し討ち攻撃で殺された最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイ師の葬儀に参加するため、テヘランの通りには市民数百万人が集まっている。イラクでも葬儀のために200万人以上が参加した。イランとイラクの連帯を象徴する光景を作り出しているのだ。そうした中でアメリカ軍はイランを攻撃したのだが、また逆効果になりそうだ。


トルコのアンカラではNATOの首脳会合が7月7日から8日にかけて開催されているが、その直前、ウクライナ/NATO軍はモスクワやクリミアを含む都市を固定翼ドローンやミサイル500機以上で攻撃、ロシア国防省によると、その大半を撃墜した。
それに対し、ロシア軍は7月6日にキエフ周辺やハリコフをミサイルとドローンで攻撃、その激しい攻撃の様子はソーシャルメディアで伝えられているのだが、その中には巨大なキノコ雲も映っている。劣化ウラン(DU)弾やクラスター弾が保管されている倉庫が爆撃され、大規模な二次爆発が発生したとウクライナの元国会議員、イゴール・モシチュクは主張している。
ウクライナ/NATO軍がロシアの市民をターゲットにした「映え」の良いターゲットを攻撃する中、ロシア軍は戦略的に重要な場所を着実に制圧しつつある。最近では、戦略的に重要な都市のコスティアンティニフカをロシア軍は制圧、掃討を完了したようだ。この都市には防衛戦が築かれていて、約150キロメートルに及ぶ塹壕や地雷原があった。
NATO側は2014年から8年かけキエフ体制の戦力を増強するため、キエフのクーデター体制の戦力を増強するため、兵器の供与や兵士を育成するだけでなく、マリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルの地下要塞を結ぶ要塞線をドンバスに築いたが、マリウポリとソレダルは2022年、マリーインカとアブディフカは23年までにロシア軍が制圧、ウクライナ/NATO軍の劣勢は決定的になった。そして現在、残された要塞線の要であり、戦略的に重要な工業都市のコスティアンティニフカを制圧、掃討を完了した。
NATO諸国は2014年2月のクーデター後、キエフ体制の戦力を増強するため、ロシア政府に停戦を持ちかけた。そして締結されたのが2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」だ。その間、兵器を供与して兵士を育成、訓練、要塞線を構築した。
特に重要だったのはドンバス(ドネツクとルガンスク)を取り囲むように地下要塞をマリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルに建設、それを軸に要塞戦を築いたのだ。コスティアンティニフカも要塞として機能していた。
しかし、マリウポリとソレダルは2022年、マリーインカとアブディフカは23年までにロシア軍はそれぞれ制圧、そしてウクライナ/NATO軍に残された最後の砦とも言うべきコスティアンティニフカも押さえたわけだ。
今年第1四半期の時点でウクライナの対外債務総額は2367億ドルを突破している。ウクライナ/NATO軍が勝利すればウクライナやロシアの資産、資源、耕作地を奪うことができ、大儲けできたはずだが、ロシアの勝利は決定的な状況だ。
日本政府は明治維新からイギリスやアメリカに返済できないような多額の借金をしていた。コツコツ真面目に働いて返せるような借金ではないのだが、第2次世界大戦に敗れた後、いつの間にか返済していた。
今から89年前の7月7日に引き起こされた「盧溝橋事件」を切っ掛けにして日本軍は侵略戦争を本格化、同年12月に南京を制圧する。中支那方面軍司令官は松井石根だったが、南京攻略戦を指揮したのは上海派遣軍司令官になったばかりの朝香宮鳩彦王だった。この人物は昭和天皇の叔父にあたる。
この攻撃で日本兵は住民を虐殺するなど残虐行為を働いたと報告されている。当時、南京周辺で活動していた特務機関員も虐殺があったことは間違いないと語っていた。その南京攻略戦の際、日本軍は組織的な財宝の略奪作戦「金の百合」を始めた。指揮したのは秩父宮雍仁、その補佐役は竹田宮恒徳だ。
その後も略奪作戦は続き、財宝はフィリピンに一旦集めた後、日本へ運ばれる仕組みが作られたのだが、途中で戦局が悪化して輸送が困難になり、相当部分がフィリピンに隠された。運び出しに成功した金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)
日本が降伏すると、アメリカ軍のエドワード・ランズデール大尉(当時)は1945年10月中旬、財宝の隠し場所を日本軍の捕虜から聞き出すことに成功する。当時、ランズデールはアメリカ軍のG2(情報部)に所属、その部のトップはチャールズ・ウィロビー少将だった。
そのランズデールの下にいた情報将校のセベリーノ・ガルシア・ディアス・サンタ・ロマーナも日本軍が隠した財宝に関する情報を持っていたが、その愛人がイメルダ・ロムアルデス。ロマーナはこの女性をフェルディナンド・マルコスに紹介、ふたりは結婚した。
回収した金塊をフィリピンから国外の銀行へ移す作業はDNPエンタープライズが中心になって行われ、そのネットワークの中にはウォーレス・グローブスも含まれていた。
グローブスが所有するカジノを経営していたのはユダヤ系ギャングでCIAと手を組んでいたメイヤー・ランスキー。このギャングはイタリア系のラッキー・ルチアーノと少年時代からの友人で、このふたりはユダヤ系ギャングのアーノルド・ロステインの配下に入っていた。
ランズデールは財宝に関する情報を東京のダグラス・マッカーサー元帥、ウィロビー少将、そしてGS(民政局)のコートニー・ホイットニー准将に報告、さらにワシントンDCへ行き、ジョン・マグルーダー准将に説明している。ランズデールをフィリピンへ行かせたのはこのマグルーダーにほかならない。
マグルーダー准将はウィリアム・ドノバンOSS長官の部下。マグルーダー准将の指示で、ランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当していたスタッフにも会っている。
金の百合の回収が進められていた頃、ヨーロッパでは「ナチ・ゴールド」が回収されていた。ジョン・ロフタスとマーク・アーロンズによると、ナチがヨーロッパで略奪した資金はドノバンのWCC(世界通商)でロンダリングされ、戦後にタイへ運ばれたという証言もある。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War against the Jews”, St. Martin’s Press, 1994)
米英金融機関からの借金を返済するため、日本政府がこうした略奪財宝を使った可能性はある。キエフ政権はロシア軍に負けたとしても、資産、資源、耕作地などを奪うことができれば「任務完了」ということになる。すでにマネーロンダリングや生物化学兵器の研究開発という役割も果たした。
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<転載終了>
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