東海アマのブログさんのサイトより
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6249150.html
<転載開始>
 デジタル化が本当に便利であり、進化なのか? 大きな結果が見え始めている。

  デジタル教育「先進国」ノルウェーの教育相、日本への助言「私たちが犯した過ちを繰り返さないように」7/12(日) 読売新聞オンライン [再考デジタル教育]関連法成立<上>
 https://news.yahoo.co.jp/articles/1f6d613666db5eab79246a1d7326eab1d05bb8dd

 デジタル教科書を正式な教科書とする関連法が6月、国会で成立した。紙の教科書による教育からの大転換が、教育の質や子どもたちの健康、学力などに大きな影響を与えかねない。
 文部科学省が新たな教科書の具体像の検討を進めるのにあわせ、教育のデジタル化を検証する。

 「デジタルが学校の授業時間を支配すべきではない」ノルトゥン教育相(ノルウェー政府提供)

 今年1月、ロンドンで開かれた国際的なデジタル教育のイベント。講演会場で聴衆約150人を前にスピーチしたノルウェーのカーリ・ネッサ・ノルトゥン教育相(40)は、教育のデジタル化への不信感をあらわにした。

 6月には、ヨーナス・ガール・ストーレ首相(65)が記者会見で「生成AI(人工知能)は小学校では原則、使えないようにする」と表明するなど、デジタル教育の先進国として知られるノルウェーで、軌道修正する動きが出ている。

 2015年以降、同国の学校ではデジタル端末を使った授業が急増した。その一方で、OECD(経済協力開発機構)のPISA(国際学習到達度調査)では18年から22年にかけ、読解力や数学的応用力、科学的応用力の成績が12~33点下がり、過去最低となった。

 6月末に読売新聞の書面インタビューに答えたノルトゥン氏は「我々はデジタル化による学習成果や意欲の低下、いじめや不登校の増加を目の当たりにしている」と危機感を隠さない。

 要因の一つにあげるのがデジタル画面を見る「スクリーンタイム」の急増だ。デジタル画面を使った授業を週4時間以上受ける小学7年生は、13年の14・5%から19年には46・4%に増えた。
 PISAの数学の授業に関するアンケートでは「デジタル機器でよく注意散漫になる」と答えた生徒はOECD平均で30・4%。ノルウェーは31・2%で平均を超えた。

 ノルウェーは、過度なデジタル化の修正に向け、小学1~4年でのデジタル機器の利用を「特に慎重にする」方向でカリキュラムを変更した。ストーレ首相は6月の記者会見で「自治体に紙の教科書をより優先すべきだという明確なメッセージを送るつもりだ」と強調した。
〈紙の教科書をベースに必要な時にデジタルを使う。深い思考に紙は有用だ〉

 関連法案が閣議決定された4月、東京都千代田区の樋口高顕区長(43)はSNSにこう投稿した。「紙の教科書がなくなってしまう」などと相次ぐ保護者らの不安の声を知ったからだ。樋口区長は「紙にはデジタルで代替できない価値がある。千代田区は紙を中心とすることをはっきりと言うべきだと考えた」と説明する。

 区立番町小の4年生のクラスで6月中旬、紙を中心とした国語授業が行われていた。紙の教科書を指さしながらノートに書き写し、考えをまとめた。デジタル端末も配備され、活用されているが、授業を受けた男子児童(9)は「紙の教科書に線を引き、疑問に思ったことや考えたことをノートにメモすると、授業も分かりやすくなる」と話す。

 松本文部科学相は小学1~4年での完全デジタルの教科書の使用を認めない考えだが、デジタル教科書の具体的な姿はまだ決まっていない。文科省は今秋にも、「大臣指針」で導入学年や教科書作り、採択の判断基準を示す。

 ノルトゥン氏は、日本が進める教育のデジタル化についてこう訴える。「デジタルの機器や教材に過度に重点を置けば、学習上の大きな問題が発生する恐れがある。日本には、私たちが犯した過ちを繰り返さないように、と助言したい」

デジタル教科書、無償配布の対象に
 現在のデジタル教科書は、紙の教科書と同じ内容で、学習用端末などで見る「代替教材」の位置づけだ。関連法改正で、検定や無償配布の対象となる。

 新たな教科書は「紙のみ」「紙とデジタルのハイブリッド」「完全デジタル」――の3形態となり、次の学習指導要領が始まる2030年度以降、小学校から順次、導入される予定。

 今秋の大臣指針を踏まえ、新たな教科書は27年度に教科書会社による制作が本格化する。28年度に国の検定、29年度に教育委員会などによる採択が行われる。
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 引用以上
 今回の記事は、これまで資本主義の利権を翼賛してきた、「原子力の父=正力松太郎」が作った読売新聞から出ている記事だ。私は「ゴミ売新聞」と軽蔑してきた。
 読売も産経も日経も、無条件に新自由主義を翼賛するメディアだったので、この記事は反逆といっていい。

 最近、若い娘が強盗殺人を行ったとして、二人が終身刑にも匹敵する重刑を受けた。(刑期の三分の一を経過した優良服役者は早期釈放権が成立するが、実際の運用は、アメリカよりもはるかに厳しい。)
 旭川女子高生殺害事件、江別大学生暴行殺人事件と、いずれも、北海道で凶悪殺人事件が続いている傾向に驚かされた。
 極論といわれるかもしれないが、札幌周辺でも、悪質な殺人事件が異常に多い気がする。

 実は、明治の開拓時代、北海道に向かったのは、本土で悪事を働き、地域社会の視線に耐えられなくなって逃亡先として選んだ犯罪者が多かった。
 だから、北海道、とりわけ札幌周辺では、開拓子孫の深刻な犯罪が多い。
 網走監獄が全国最悪の犯罪者施設として君臨したのは偶然ではない。今でも、ものすごい霊障が存在している。ほとんどの人は信じないだろうが…。

 以下は、写真を撮影するとオーブが写ってしまう体質の人にしかわからないのだが、いわゆる「悪霊」による憑依犯罪も多い。私は内田君や川村君の顔を見ていて、瞬時にわかった。たくさんの人が彼女たちの写真を見た瞬間にわかったと思うが、言えば周囲から奇異な目で見られるので、ほとんどの人は言わない。

 実は私自身が霊憑依体質で、簡単に憑依されるから、人相を見ただけで憑依の有無が分かる。まあ9割の人は信じないだろうが…、撮影する写真にオーブが映り込み、アルファー波になると未来のビジョンが見えてしまう人だけには分かるはずだ。
 人生の価値が愛であると信じている人は、憑依されない。

 これが、新潟や岩手などでは、逆に、犯罪者は少ない。理由は、助け合わなければ生きて行けない地域だからともいわれる。愛に満ちている地域なのだ。北海道は、自然の恵みが豊かだったので、孤立しても生きて行けたことが、霊的に浄化されない結果を招いた。

 私は、現在、若者たちに悪質な殺人犯罪が増加している本当の理由が、学校教育にあると感じていた。いわゆる教育のデジタル化によって、生身の人間よりも結果だけで判断し評価するシステムのことだ。
 人はアナログに生まれ、アナログの属性である。これを無理やりデジタル化すれば、人間の正しい姿が意識に反映されなくなる。人が人ではなくモノにされてしまうのだ。
 こうして、人を生きて呼吸する生き物ではなく、利用対象のモノとしか思わない感性を刷り込むのがデジタル化教育である。

 デジタル化というのは、新自由主義の属性であり、竹中平蔵がもたらした世界だ。それは無条件の進化への信仰にすぎない。
 デジタル化の行き着く先が、ホリエモンやイーロン・マスクの発想だ。優越感、特権意識に満ちた彼らは、地球が環境汚染で住めなくなれば、汚染をやめて清浄に戻そうとする発想ではなく、宇宙に逃げればよいと思い、火星逃亡計画を発表したりした。

 私には「アホか!」の一語しか浮かばない。バシャールが言っていたように、二分化して乖離した優越主義者たちは、やがて宇宙の彼方に消え去ってしまうのだ。二度と邂逅することもできない。
 人が愛に依存してのみ生きて行けることを理解している人が、人間の外側に虚構の価値を見出すこと、地球外に希望を見出すことなどありえないのである。

 人間は地球の属性であり、地球上でしか生きられない無数の理由がある。人間はアナログの属性でもあり、デジタルの世界などで生きられないのだ。
 我々は、母なる地球に生まれ、その環境を大切にして子孫に伝える義務があるのだが、新自由主義者たちは、目先の金を蓄財することだけが人間の価値(フリードマン)と思い込み、環境を取り返しのつかないほど破壊しても、未来に委ね、今の自分さえよければいいと考える。
 何か便利になれば、それが無条件の進化であり、めざすべき価値だと勘違いしている。

 だから、コンピュータやスマホなどを開発し、蓄財競争=投資ゲームのアイテムとして普及させた。人間の価値、人生の価値をデジタルの尺度でのみ評価しはじめた。金だけが人間にとって唯一の価値であると、子どもたちを洗脳しはじめた。
 その結果、人間にとって、もっとも必要な、もっとも大切な価値が見失われ、冷酷に切り捨てられ、デジタル的成果だけがもてはやされる社会がやってきた。
 最初に紹介したように、子どもたちの人間的能力を逆に退化させているのだ。

 その端的な結果が、狛江や茨城のような闇バイト強殺事件激増であり、旭川女子高生殺人であり、江別大学生殺人のような、人間性のカケラも見えない残酷な殺人の激増である。
 我々の時代も、ひどいイジメがあり、私も被害者であり、生涯トラウマに苦しんだのだが、まだ、私の時代は、「人間」を見る価値観が残っていたから救いがあったと思う。

 「人間の真実の価値」とは何か? それは金の有無ではなく、権力や地位の有無ではなく、周囲の人々をどれだけ幸せにできるかという能力である。
 周囲の人々に笑顔をもたらすことのできる人間性こそ、人間最大の価値であり、それは人間の内側にしかないものだ。
 それはデジタルではない。コンピュータでプログラムできるものでもない。スマホで伝えられるものでもない。学校の成績でもなく、蓄財の多寡でもない。

 私が人間の「外側の価値」と呼んでいるものが、地位や権力、高級車や豪邸、見栄やプライドのような物質的価値だ。そして「内側の価値」とするのが、眼の前にいる人を幸せにできる能力である。
 本当に大切なものは、必ず人間の内側にある価値であって、すなわち人間性である。

 デジタル教育は、そんな内側の価値を破壊するものだ。
 人間の真の価値は、外側にある見せかけだけの価値ではない。地位や蓄財などコケオドシ以外のものではない。努力や執着が前提だとはいっても、人を幸せにすることのできないものは価値ではない。
 
 デジタル教育は、若者たちを闇バイトに駆り立てるような、外側の価値に対する幻想を作り出すものでしかない。
 若者たちにとって、本当に必要な価値とは何か?
 それはアナログの価値であり、計量や比較の対象ではない。人を幸せにする価値は評価したり計量したりすることはできない。ただ、結果として、人を幸せにするものだ。

 私は、現在行われているデジタル教育は、内田君や川村君を再生産するものでしかないと思う。それは心の交流をもたらさないからだ。
 今の、新自由主義のためのデジタル教育体制が続くなら、冒頭に掲げたノルウェーで起きている問題が、そのまま日本で再現されるだけだと思う。

 それでは、人間性を高める、すなわち内側の価値を高める教育とは何か?
 それは自然のなかで汗水垂らす生産活動であり、動物や大地との対話である。
 例えば、学校で鶏をたくさん飼育することだ。生徒一人が数話の鶏を責任を持って世話をすることで、生徒は、宇宙の無数の真理を学ぶことができる。
 鶏を飼育すれば、旭川や江別の残酷なイジメは生まれないと思う。私は、自分の体験から確信を持っている。

 「命の世話をする」ことが、命を大切にし、自然との調和の人生をもたらしてくれる。少なくとも、学校で、鶏とヤギと豚や牛の飼育をするべきだ。これで子どもたちはアナログとデジタルの意味を学ぶことができる。
 人生にもっとも必要なものを学ぶことができる。

 私は、呼吸トレーニングのために週五回くらい山歩きをしているが、カモシカや鹿がしょっちゅう出てくる。5年も同じコースを歩いていると、カモシカも私を認識してくれて、逃げなくなる。私が通ってもカモシカは逃げずに草を食べている。私は必ず、優しい声で「かもちゃーん」と呼びかけている。
 こんな交流が、宇宙の本質を見せてくれているのだ。だから、子どもたちが学校で動物を飼育することが、人間の内側の価値を大きくしてゆく。宇宙に迫ってゆける。

 そこでは、旭川や江別のような残酷なイジメ事件は起きない。
 私は、子供時代、在日暴力団子弟にひどいイジメを受けて鬱病体質になってしまったが、あのとき、もしも鶏やヤギを飼育できていたなら、トラウマに苦しむこともなかったと思う。
 もっと、他人に思いやりのある内側の価値の高い人間になることができたと思う。
 それが今の後悔だ。

<転載終了>