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<転載開始>
すべての根源は男性性であり女性性である
昨年、ドイツの精神的指導者ボー・イン・ラーの著書『あの世についての書』を8回にわけてご紹介したことがあります。
その後、以下の記事でも、『自由の亡霊』という書や、『邪悪な個人』などの一部を取りあげています。
ドイツの精神的指導者ボー・イン・ラーの著作『自由の亡霊』 で語られる自由の真実
ボー・イン・ラー氏のエッセイ『邪悪な個人』で語られる、見えない領域の世界から「悪」を呼び込まない方法
In Deep 2025年10月8日
もともとドイツ語であるこれらの書を英語に訳して長く掲載しているのは、アメリカの元連邦アナリストであるリチャード・C・クック氏という方で、最近も『人間についての書』というのを連載しています。
その中で
「男と女の謎」
という概念について語っているものがありましたので、ご紹介させていただこうと思います。
このボー・イン・ラーという人に関しては、リチャード・C・クック氏の記載をそのまま書きますと、以下のようになります。
ボー・イン・ラーは、1876年にドイツのアシャッフェンブルクで生まれ、1943年にスイスのルガーノで亡くなったジョセフ・アントン・シュナイダーフランケンの霊名である。
ボー・イン・ラーは、霊的な現実とその内なる道についての説明の中で、イエス・キリスト自身も属していた「最初の光のルミナリー(uminaries of the First Light)」という集団の一員であることを公然と表明した。ルミナリーとは、地球上の全人類の精神的な運命に究極的な責任を負う人間たちで構成される。
そんなわけで、ボー・イン・ラー氏の「男と女の謎」をご紹介させていただきますが、途中から次第に何だかよくわからなくなってくるのですが、
「すべての霊的根源は(神という概念も)男であり女である」
というようなことを言っているようです。
また、この人にありがちな、やや説教くさい語り口なども健在ですが、わりと長いですので、早速、記させていただきます。
『人間についての書』第二部「謎:男と女」
THE BOOK ON MAN by Bô Yin Râ -- Part Two: “The Mystery: Man and Woman"
Bô Yin Râ
存在の永遠の根源、すなわち、自らを増殖させ、また自らの中に存在するすべてのものの根源である永遠の精神の中に、すべての存在と啓示の源泉の奥深くに、「男と女」の神秘が宿っている…。
地上の知識が渡るための橋を架けるために、「純粋な精神」を「絶対的存在」と呼ぶことがある。しかし、そのような「絶対的存在」は、永遠に静止しており、それ自体の中にのみ存在するため、これまで存在したこともなく、現在も存在せず、また存在し得ない。
そのような概念を現実と同一視する者は、自身の思考を過信しすぎており、思考による啓示は、思考が従わなければならない法則に従属する概念の境界を決して超えることはないという知識からかけ離れている。
しかし、純粋な精神の現実は、それ自体にのみ律せられる法則であり、あらゆる論理的結論の及ばないところに存在する。
純粋霊は、自らを内包し、永遠から永遠まで自己創造の中に含まれ、自らを増殖させ、生み出す。なぜなら、純粋霊とは「男と女」だからである。
しかし、最初の自己顕現以来、霊における「男と女」は、始まりも終わりもなく、純粋な霊の人間を増殖し、生み出し続けている。そして、彼らは、双極性の存在の根源的な統一性において一体となった「男と女」として、自分たちの「姿と形」に似せて、彼を増殖し、生み出しているのである。
現象となったものすべて、すなわち、霊的宇宙に属するすべての太陽と世界、そして物理的に感覚的に知覚可能な宇宙に属するすべての太陽と世界、あらゆるもの、実にあらゆるものは、「現象」である限り、この純粋に霊的な「人間」の「創造物」であり、霊から伝播されたものである。そして、この創造物は、永遠の霊における「男と女」の証でもある。
限りなく変化する数で、限りなく変化する個性で、この純粋な霊の最初の「人」は霊の中の男と女から増殖され、生み出され、それぞれが永遠に創造し続けている。すなわち、永遠に自分自身の中で増殖し、生み出し続けている。なぜなら、彼は「男と女」として、すなわち男性と女性の二極性の力として、永遠の増殖と生み出しにおいて自らを顕現する限りにおいてのみ「存在する」からである。
彼が広め、生み出すものは「彼自身」であり、彼の存在から生じる存在である。ただし、いわば「より堅固な」、光を欠いた形態で、最終的には、元の与えられた存在からすでに遠く離れた継続的な伝播によって、彼はある種の精神的な「堅固さ」を持つ「現象」として自身を伝播し、現象として現れるすべての世界を自身から生み出す。
永遠の人間が生み出す驚異的な創造物における「現象」もまた、限りなく多様だ。彼から発せられる個々の驚異的な顕現は、さらに次の、より下位の種類の現象を伝播させ、生み出すのである。
霊的な宇宙、そして現象の物理的な世界の宇宙にも、「人間」には段階があり、もしそのような知覚能力があれば、この地上の現象的な人間には、それは神聖なものを超えたものとして映るだろう…。
「人間」という現象の最も低いレベルの一つは、地上の人間自身によって表される。彼の中では、本来純粋な精神を持つ人間が、自らの創造した現象の中で最も自由度の低い存在の一つである動物という現象に結びついている。
この地球上の動物の中にいる霊的な人間は、自己意識を失い、より洗練された動物の意識の中で起こる細胞の地上的な動きによって引き起こされる振動を通してのみ自己を認識するようになった。
この意識は、真の霊的人間性からの微弱な放射を通してのみ、地上における人間の自己認識を他の地上の動物の意識よりも高める啓示を受け取る。もし、原初の繁殖から受け継いだものが地上に持ち込まれていなければ、「人間」は動物の中に埋没してしまうだろう。
そうして初めて、光だけで構成された純粋な霊の輝かしい結晶を吸収する力を再び受け取ることができ、それを自分自身の中に「神」として見出すことができるのである。
井戸を掘る人が、地上に戻るためのロープをしっかりと確保せずに井戸の奥深くまで降りていかないのと同じように、霊的な人間も、純粋な霊性における最初の伝播から、輝かしい力の「銀の糸」を通して継続的に伝播していくという永続的な保証なしに、驚異的な創造物へと降りていくことはなかった。
この繋がりによって、高みから地上にまで及ぶ力によってのみ、地上の人間は自らの内なる神と一体となり、暗闇と夜から光と啓示へと内なる高みへと向かうことができるのである。
この崇高な保証を自覚し、一度神が彼の内に「誕生」すれば、彼は危険から解放され、地上の運命が彼をどんな深淵へと導こうとも、果敢に踏み出すことができるのだ。
しかし、ほとんどの地上の人々は、たとえ自分自身の想像上の超自然的な神を崇拝していたとしても、神なしに人間という地上の動物として生き続けている。
彼らはこの地球で原始の祖先を探し続け、宇宙全体が人間のものであることを知らない。地球上に痕跡が残る「原始人」は、彼らの「母方」の地上の祖先に過ぎず、彼らの「父方」の祖先、すなわち受精の源は、霊的な領域にしか存在しないことを彼らは知らないのだ。
霊的な人間が、地上の人間として自らを縛り付けてきた束縛から解放されるのは、彼が最終的に、自分が千差万別の「人間」の表現の一つに過ぎないことを再び認識し、この小さな地球上で自らが見いだす姿こそが真の「人間」であり、唯一の「人間」の表現であるという妄想を捨て去った時のみである。
太古より伝わる聖典の言葉は、それを信じる人々に破滅をもたらすことになる。地上の人間が、それら賢者たちの証言の中で「人間」について語られている事柄をすべて、自分自身にのみ --- すなわち、この地上における人間の現象的な姿にのみ --- 当てはめてしまう限りは。
人は「上方」に目を向けねばならない。しかし、それは雲の彼方、この世界の「外」に想像された神に向かってではない。そうではなく、より高次の現象的な姿としての自分自身に、すなわち自らの「起源」であり、自らの内において「その神」として再び結晶化しようと求めている「純粋な霊」に向かって、「上方」を見つめるべきなのだ。
とはいえ、地上の人間にとって、真の「生ける」神を見出すことは容易ではない。なぜなら、彼は神の中に単なる「男(man)」の姿を思い描くことに慣れきってしまっているからだ。しかし、彼の「生ける」神とは、「男と女」なのだ。
地上の人間が救済を得るのは、彼の神の内なる「女性」が再び彼の意識に語りかける時だけである…。
「永遠の女性性は私たちを上へと引き上げる」
彼が想像する神の中に「男性」しか見出さないことは罪であり、本来意志された存在の力を放棄することである。それは、彼自身の女性的な受容欲求に囚われることであり、彼自身の中にある男性的な能動性を放棄することである。
宇宙において「男性性」と「女性性」が調和して機能しない場所では、必ず不調和が生じる。
「男と女」を他の呼び方で呼んでも構わない。彼らは常に正反対の存在であり、その結合を通して生命を生み出す。
肯定と否定、能動的と受動的、増殖と産出、与えることと受け取ること、拒絶することと受け入れること、動かすことと動かされること…これらすべては永遠の循環の中にあり、地上の女性が男性の母であり、男性が女性の父であるように。
そして、精神的および肉体的感覚的宇宙には、たとえ「純粋な男性性」や「純粋な女性性」に見えるものであっても、「男と女」が同時に見出されない形や存在は存在しない。ただし、それは千ものバリエーションの融合として存在する。
「男と女」が内部で働き、絶えず繁殖し、子孫を残していなければ、すべての「原子」は必然的に「無に帰してしまう」だろう。
探究する人間が「物質」の最小粒子の中に発見する潜在能力にどのような名前をつけようとも、私たちは常に「男と女」という根源的な力の形態を扱っているのだ。
あなたが自分の中に「生ける」神を見出すことができるのは、神が見出される唯一の方法、つまり「男と女」として、あなた自身の中に神を求める時だけだ。
このように感情を通して神を「求める」時のみ、神はあなたの中の男性性と女性性から、光のみからなる「結晶」として自らを創造し、それによって私たちの存在の二つの極を統合し、神自身の双極性の存在へと導くことができるのだ。
あなたがこのようにして求めようと努力するとき、あなたの霊的な故郷から崇高な助けがあなたに与えられるだろう…。
地上には、かつての姿のままの者が目に見えない形で生きている。父方の原初の繁殖から生まれ、純粋な霊において母方の生殖から生まれた者、神聖な霊的生命の永遠の源泉にある至高の存在の純粋な霊的人。霊において「男と女」が「自分たちの姿と形」として繁殖し、子孫を残す者の一人なのだ。
しかし、この地球には他にも目に見えない「人間」が住んでいる。彼らは元々生み出されたものの継続的な増殖であり、目に見えない領域における自分たちの現象的な創造物に「結びついている」にもかかわらず、目に見える現象的な人間のように光と輝きから「堕落」することなく、「崇高な輝き」の中に留まっている。
彼らは、地上の現象的な形態における人間の深刻な危機を認識し、人間が真に救われたいと願う時が来たらすぐに、人間を救おうと努める。彼ら自身は、この惑星上のあらゆる霊的なものを導く、目に見えない、元々は広められた存在の霊的な導きの下で活動している。
この目に見えない霊的な援助者の輪は、最高の霊的な人間の導きの下、幾度となく、地上に生きる新たな人々を見出し、彼らを自らの情熱的な援助の意志の道具として、すなわち、地上における最高の霊的知識の効果的な達人として、そして、地上の肉体に転生する前からそのような援助を自ら申し出ていたかのように、その活動の仲間として完成させてきた。
この「橋」を渡って、この地上で闇の中を手探りしている人々に手を差し伸べるために絶対に不可欠なこの橋を、霊における本来の伝播の永遠の真実の「人」は、光から最も遠い形態、すなわち地上の人間へと堕落した霊的な自己伝播へと、常に歩み続け、光へと導き戻せる人々を探し求めている。
地上の人間には探求者がこれほど多くいるにもかかわらず、見つける者がこれほど少ないのは、探求者のほとんどが間違った方向へ進み、それによってますます深い闇へと迷い込んでしまうからだ。
あらゆる力は、それが送られた方向へと進む。しかし、地上の人間においては、人間を宿す「動物性」が優位に立ち、地上の動物的存在に根ざしたものを自身の本質、すなわち自分自身とみなすほどに、本来自分自身の中に見出すことができるものを、今や外に求めている。
地上の人間における真の「人間性」を、すべての霊的な人類に繋ぎ止めている輝かしい力の「銀の糸」を通して、彼の人間存在のより高次のレベルとの繋がりは、まさにそこに存在しているのである。
さらに、霊的な領域からの援助者も、目に見える地上の領域で霊的な知識の「達人」として生き、永遠の真の「人」のための「橋」を築くことを目的とする者も、真に人間的な存在が見出される内側から以外、地上の人間の意識の核心に到達することはできない。
準備を通してのみ、地上の人間の中にある真の人間性は、いわば目に見えない外側から「働きかけ」られ、内なる教えと啓示に目覚めることができるのである。したがって、発見に至るためには、あらゆる探求は内面へと向けられなければならない。
チベットの僧院でも、インドの聖地でも、いわゆる「秘儀参入者」たちの秘密結社でも、あの「偉大な悟り」や「仏陀になること」は達成されるものではなく、自分自身との最も深い孤独の中で、つまり自分自身の心の中にある真の「人間」との孤独の中でのみ達成されるのだ。
地球上には、同胞を助けるために霊的な知識の達人として完成されたごく少数の人々がいるが、たとえあなたのすぐ隣に立っていたとしても、あなたの意識が目覚め、あなたが人間であるという自覚を持てない限り、誰もあなたに手を差し伸べることはできない。
さて、私がこれまで述べてきたことを自ら進んで受け入れたあなた方に向けて、さらに話したいと思う。
あなたは今、自分の中に秘められた真の人間性を通して、より高次の現象的形態における「人間」に到達しようとしているのだろうか?
あなたは一歩ずつ成長し、純粋な精神で自身の原点へと立ち返りたいだろうか?
あなたは私の言葉を、ただ素晴らしい伝説を聞くようにではなく、私の言葉に従って誠実に、そして全力を尽くして行動したいと思って聞いているだろうか?
それでは、私がこれからお話しすることをよく聞いてほしい。霊から生み出された「人」、つまり霊の中で「男と女」から生み出され生まれた「人」は、すでに聞いたとおり「男と女」なのだ。
地上の人間へと降り立つすべての段階において、永遠の霊的存在は、あなたと「男と女」としてしか出会うことができない。そして、あなたが霊において見いだすことのできる存在として見いだされた時、この双極性の結合においてのみ、あなたは彼を見いだすことができるのだ。
たとえあなたがその人を認識しておらず、その姿を見ることもなく、ただ新たな感覚を通じてその存在を知るだけであったとしても、あなたの霊的な導き手また助け手となるべく遣わされた、最も純粋な霊的叡智の師 --- その本質は「男性であり女性である」ものだ。なぜなら、彼からあなたに届きうるものこそ、彼という地上の人間において墓から立ち上がった「永遠の人間」だからだ。
もしあなたが光を求めるならば、知っておいてほしい。あなたの歩む道は「永遠の日の師たち」によって守護されており、あなたの内にあるあらゆる闇は、彼らの前で屈服せざるを得ないのだ。
しかし、あなたはこれらの師たちが真に誰なのか、そしてどこで彼らに会えるのかを知っておくべきだ。なぜなら、彼らの中に宿る、あなたを助ける力は、外の世界や外部から得られるものではないからだ。
感覚知覚の世界におけるそれらの外的表現は、あなたが必要とする助けを提供することはできない。
それらを無知という暗黒の領域で探し求めてはならない。そこでは、より洗練された動物が、人間を「乗り物」として利用しながら、見かけと現実を混同し、絶望し、疑念に苛まれながら彷徨っているのだ。
これまであなたはここを探し求めてきたが、見つけることができなかった…。
あなたはこれから、まだ知らない場所で、別の道を探さなければならないだろう…。
あなたがこの地球上で地球の肉体をまとって生きている限り、あなた自身の中に根源的で永遠の増殖を司る「人間」を見出すまでは、真の自己理解を得ることは決してできないだろう。
しかし、彼を見つけるには、「ヤコブの梯子」を一段ずつ登らなければならない。その梯子の最下段は地上の人間だが、その人間の中にはすでに純粋な霊的な人間が主であり王として存在している。
あなたは「聖典」(聖書)の中に究極の明晰さを求めようとするだろうが、それは無駄な努力だ。なぜなら、これらの書物は、はるか昔に究極の明晰さを得た人々のために書かれたものであり、彼らの人生の今後の歩みを導くための指針としてのみ意図されていたからだ。
こうした書物の中で、師は弟子に語りかける。弟子はすでに師と心の奥底で結びついており、師は象徴的な意味に満ちた最も親密な言葉で自らを明かすことができるのだ。
しかし、あなたが心の奥底、すなわち永遠の人間性の中に、今日なお探し求めているものを見つけたとき、多くの古代の文献が、理解しやすい明快な言葉であなたに語りかけ始めるだろう。その時初めて、「聖典」はあなたにとって真に役立つものとなる。
しかし今は、ただ自分自身の内面を探求すべきだ。何よりもまず、自分自身に「私」と言うとき、より繊細な動物性だけを呼び起こすのではなく、永遠の「人間」を呼び起こすことから始めなければならない。 --- あなたは、自分の中、そして自分を超えたあらゆるものの中に「男と女」を探し求めなければならないのだ。
あなたが男性であろうと女性であろうと、常に知っておくべきは、あなた自身が永遠に自らの極性を決定しており、この極性の決定は永遠を通じて決して変わることはないということだ。ただし、それは常に自分自身の中に反対の極を求めている。
あなたの精神的な男性性は、あなたの中にある精神的な女性性を抑圧しようとしてはならない。同様に、あなたの精神的な女性性も、あなたの中にある精神的な男性性を否定してはならない。
こうして初めて、あなたはいつの日か、かつてあなたとそれを一つに結びつけていた、あの霊的な結合によって、本来の対極と霊的に結びつくことができるだろう。それは、高次の啓示からの「堕落」によって分離が生じる以前の、あの結合だ。
私がここで教える方法で正しく探求すれば、いつの日かあなたは「永遠の人」となるだろう。
彼において --- そしてあなたにおいて --- あなたは、「生ける」神と結ばれ、あらゆる中間の段階を超え昇って、本来の「生み出された存在」としての根源的な状態へと至るだろう。
その状態は、あなたの意志の選択によってのみ、あなたの意識から見失われていたものだ。すなわち、霊から生み出され、霊において生まれ、「男女から」ありながらも、霊において永遠に生きる存在として!
地上に生きるすべての人が、動物としての肉体に縛られた人生の中で、純粋で実体のある精神の世界における意識に到達するわけではない。
地上での生涯において、地球の霊的な領域で意識に目覚める者はごくわずかしかいない。しかし、誰もがこの世に生きる中で、自分自身の中に永遠の命を見出すことはできる。
たとえこの世を去る時点でまだ永遠の命を見出せていなかったとしても、いつかは誰もが自分自身の内に永遠の命を見出すことを学ばなければならない。
あなた自身の中に永遠の命を生きるまでは、純粋な霊性において意識的になることはできない。
永遠の命においてのみ、あなたは永遠の人間としての自分を体験できるのだ。
したがって、崇高なる師の聖なる言葉は、あなたにも当てはまる。「天におられるあなたの父が完全であるように、あなたも完全でありなさい!」
しかし、あなたの一部であるこの世のいかなるものも、ここで言う「完璧」に到達することは決してできない。
あなたが自分の中に永遠の命を見出し、その中で生きるようになった時、あなたは永遠の命を生み出す子宮の中で永遠の繁殖者として「天」にいる「父」のように「完全」になるだろう。--- 最初の存在の中にある根源的な力 --- それは「男」であり同時に「女」でもある。 ---
ここで可能なことを成し遂げるまでは、少なくともその目標に向かって努力する姿を目にした日を一日たりとも無駄にしてはならない。
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