東海アマのブログさんのサイトより
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6250084.html
<転載開始>
 私が20年くらいブログを書き続けていて、いつも思うのは、どんなに正しいこと、必要なことを書いても、それを理解して、ちゃんと読んでくれる人は、本当に少ないということだ。
その理由は、私に「権威」がないことだ。たとえ女装する変な人であっても、安富歩のように東大教授という肩書、権威があれば、ちゃんと相手にしてもらえる。
 https://www.youtube.com/watch?v=4fdXrAhukic

 適当に権威をでっちげて、高市早苗のように「アメリカ議会立法調査官フェローでごさいます」と、誰も知らない肩書を吹聴すれば、少しは聞いてもらえるのかもしれないが、あいにく私の職歴といえば、社会の最底辺の労働者、タクシー運転手くらいでしかない。嘘を書いても、すぐにバレるだろう。
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2026070600711&g=pol

 高市も、当時を知る人達から、「お茶くみインターンにすぎなかった」と暴露されたが、早苗は、必死になって、「自分は米国議会フェローだ。近代経済学部教授だった」と言い張っているいるのだが、その近代教授時代の査読論文を探しても、不思議なことに、ひとつも出てこない。
 https://cir.nii.ac.jp/crid/1980304959793260706
 近畿大学というところは、査読論文がなくても教授を名乗れるのだろうか?

 高市教授の講義を聞いたという人もいないし、それどころか、橿原市のなかで高市早苗の幼少期の思い出を語っている人も皆無だ。こんなこと、ありうるのか?
 まあ、高市早苗は、安倍晋三と同じで、何もかも嘘で固めた人物であり、統一教会員は、文鮮明の指示によって、適当に嘘をつくように命令されているらしい。

 私のことを、もう少し書くと、私の人生は社会の最底辺であり、権威の反対側にあって、ホームレスや犯罪者のカテゴリーのなかに入るのかもしれない。
 だから、権威を信奉する人たちからは蛇蝎のように嫌われ、ムカデのように殺虫剤をかけられて排除される対象である。

 まあ、決して勉強が嫌いではなく、学歴の代わりに、いろいろな資格を20くらい取得したし、若い頃から、民俗学者に憧れて、全国を調査し歩いたりしたので、決して無学ではないと自分で信じているのだが、社会は、最底辺の運転手風情という目から一歩も離れない。
 権威を売り物にしている人ほど、ひどいファンタジーに浸かり込んで、権威のない我々を嘲笑する傾向にあるようだ。

 私の経験から、出版関係と接待産業従事者がとくにひどい。
 権威のない私が、どんなに、たくさんの資格を持っていて、正しい洞察力、精密な知識を持っていたって、「無知な庶民の勝手な見解」を超えるものではない。
 だから、私のブログは、どんなに中味があっても、社会的評価を受けることはないと諦観している。まあ、ごく一部の読者が、私の見解を支持していてくれるので、とりあえず、ネット料金を支払える余裕のあるうちは書き続けたい。
 「底辺ジジーのブツブツ独り言」と思っていただければ十分だ。

 半世紀以上も人類学や民俗学とつきあってきた私の目から見ると、皇紀2650年という嘘の、とてつもない無内容でほころびだらけのファンタジーを信奉している人たちが、堂々と歴史学者を名乗っていることに驚愕し、なるほど、これなら、どんな嘘でも堂々としてさえいれば、まかり通る社会なのだと感嘆させられた。

 https://www.youtube.com/watch?v=PW_F_Yeg8aE
 私は、小名木善行の動画を見て大笑いした。これは東大史学部教授、平泉澄による皇国史観をそのまま無批判・無分別に引き継いだもので、歴史、文化人類学の検証に何一つ耐えない建国妄想を、そのまま史実であるかのようにデマを流している。
 それに、騎馬民族の祖先が奥州藤原氏という説にはぶったまげさせられた。

 日本史学最高権威だった平泉史学こそ、皇紀2600年説の原点なのだが、それ以前にも、それ以降にも、史学人類学から学問的にこれを検証した査読は皆無であり、韓国の檀君伝説と何一つ変わらない。皇紀2600年説を吹聴するファンタジストたちは、韓国人の「おらが世界一ウリナラファンタジー」を批判できる資格は1ミリも存在しない。

 平泉自身は、勝山平泉寺の世襲神主家系で、ここは、新羅泰澄の子孫で有名であって、騎馬民族渡来人を代表する家系である。それが神武王朝を起源としたのには笑えた。平泉寺を少し下れば、朝鮮渡来人の故郷である三国湊がある。
 ここは、継体が百済から来たことを隠蔽するため、意図的に隠されてきた町だが、実は、日本史にとって、もっとも重大な史実を含む大切な史跡であり、いずれ、三国湊が日本歴史の焦点に復活する日がくると信じている。

 九州王朝が中華王朝によって公式に記録されたのは、3世紀後半、陳寿による『三国志』の魏書東夷伝=『魏志倭人伝』である。
 それ以前、BC600年ころの記録といえば、呉越戦争の私的記録である、『春秋左氏伝』『史記』くらいだ。
 そこで、中国史学の記録から、2600年前に、起きた、呉越戦争こそ、九州王朝の成立と関係があると推理する史家が多い。

 つまり、呉越戦争で敗北した水郷地帯である蘇州呉国の人々が、当時の敗戦慣習だった、「坑刑=民族生き埋め皆殺し」を逃れて、一斉に、船で逃げ出した。
 行きついた先が、①台湾 ②山東半島 ③済州島・朝鮮南岸 ④北九州 だった。
一部は、たぶんマリアナ諸島のような離島にもたどり着いたはずだ。
 移住後、多くは、筑後川のような河川干潟環境を選んだと考えている。稲作適地だたからだ。
 彼らが「弥生人」の祖となった。そして「倭」という民族は、これらの沿岸住民を総称したものだった。

 私が、日中友好教会正統と関係があった若い頃、当時、名古屋にいた史学者である郭沫若も、九州王朝、蘇州呉国発祥説を唱えていた。これは、中国史学会の常識でもあった。時間的整合性から、神武は太白(虞仲)の子であると考えられた。
 それは、魏志倭人伝』『魏略』にも、倭人は、自分たちの先祖を「呉の太伯の子孫」であると主張したと書かれていたことからだ。
 ただ、太白の呉国建国と、九州王朝建国では100年くらいの時間差があるので、まだ詳しいことはわからない。

 問題は、文化人類学・民俗学的視点から、蘇州は「東亜半月弧」ヒマラヤ雲南~長江・台湾の照葉樹林帯文化圏であり、その民俗の多くが、母系氏族社会だったことだ。
 雲南のモソ族、台湾高地族の多くが、現代まで母系制を伝えていた。
 邪馬台国の王が、卑弥呼やトヨのような女王だったことは、邪馬台国が照葉樹林帯文化圏であったことを意味している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%91%89%E6%A8%B9%E6%9E%97%E6%96%87%E5%8C%96%E8%AB%96

 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827543.html

 ちなみに、私は半世紀以上前から、邪馬台国は筑後川沿いの大川市・柳川市にあったと確信し、卑弥呼墳墓の位置を柳川市役所付近と考え、いくつかの史学雑誌に投稿したが、まるで相手にされなかった。当時は邪馬台国、畿内説が主流だったのだ。
 しかし、吉野ケ里遺跡の発見により、佐賀平野の河川流域にあったと、ほぼ証明されたと考えている。

 最大の理由は、日本最大級の巨大な有明干潟こそ、世界有数の食料宝庫だったからで、昭和初期でさえ、干潟を100m歩けば、数日分の食料が手に入ったほど生物密度が高かったからだ。また、大陸から持ち込まれた稲作の証拠もあった。佐賀平野は稲作の楽園といってもいい。
 この豊富な食料源こそ、邪馬台国、九州王朝の存立基盤だった。

 照葉樹林帯文化圏の母系氏族王国であるにもかかわらず、「男系男子継承説」を主張する、小林鷹之など統一教会系の歴史知ったかぶり連中にも笑ってしまう。
 統一教会が男系天皇を主張する理由は、ただ一つしかない。それは「男尊女卑」思想であり、文鮮明の朝鮮儒教である。

 私は、神武天皇がもし実在するとしても、たぶん女性だったと考えている。
 弥生人たちは、女性を差別しない。むしろ、「すべてを生み出す母」として尊敬するのだ。
 例えば、原口一博は、佐賀平野の生み出した典型的な弥生人だが、彼の思想には、男尊女卑思想は存在しない。ところが梶栗正義や自民党議員の大半が、おそらく朝鮮儒教の影響を受けた男尊女卑思想にどっぷりと洗脳されている。

 先の衆院選挙で、統一教会は、男尊女卑議員を当選させ、女性尊重議員を落選させたことが、くっきりと見えている。
 愛子ちゃんを追放することの意味は、朝鮮儒教の序列主義=封建家父長制度しかありえないのだ。

 なお、私は、先天的な身分差別はナンセンスであり、天皇制は必要ないと考えていることは何度も書いている。
 しかし、それでも明仁氏や徳仁、愛子ちゃんを支持している理由は、明仁夫妻が、とても誠実な人間性だったからだ。徳仁君も明仁氏を引き継いでいる。

 天皇という虚構の身分で、上から目線で被災地を訪問し、慰問したという印象はなかった。明仁夫妻は、被災地に作業衣で乗り込み、被災者と直接対面して言葉を交わした。
 「天皇なんて虚構身分なんかに慰問されて、ちっとも嬉しくないわ」と思った人もいたかもしれないが、たぶん、大半の人たちが感動し、慰問として十分過ぎる役割があったと思う。

 天皇制は虚構にすぎない。しかし明仁夫妻の誠意は十分に伝わった。被災者がそれに感動することで、その感動こそが、虚構ではなく実在性=実存なのだと私は思う。
 だから、人々が天皇制を支持する限り、それは虚構であっても、やむをえない実存である。

 権威の存在しない私のブログを読んでくれている人が、わずかでもいるなら、私の底辺ジジーのつぶやきも意味を持っている。
 誰も読んでくれなくなったなら、もちろん書くのを辞める。

 天皇をありがたく思う人がいるかぎり、天皇制は虚構ではなく実存である。
 しかし、愛子ちゃんを追放することの意味は、その代わりに天皇に就任する予定の悠仁くんの人間性を見る限り、逆に、実存であっても虚構にすぎなくなる。誰も彼を支持しなくなることが目に見えていて、まさに正真正銘の天皇制の崩壊がやってくる。
 高市早苗は、それを狙っているのかもしれない。
 「天皇制を廃止させよ」という文鮮明の遺志を実現する目的だ。

 神武天皇というのは、古事記に出てくるのだが、その古事記こそ、騎馬民族の藤原不比等や天武天皇が勝手に作り出した虚構の物語であり、プロパガンダ文書である。
 自分たちが渡来人=騎馬民族(百済末裔)であることを隠し、あたかも九州王朝の末裔であるかのようにすり替えたのだ。

 日本書紀には真実の記録が含まれているのだが、古事記は創作物語にすぎない。
 真実の天皇制は、天武が作り出した「北斗の帝」という呼称から始まっている。
 これは、中華王朝をビビらせるために、天武が編み出したコケオドシである。聖武の奈良大仏も同じ意味であり、遣唐使に日本の大天才を送り出したのも同じ意味だ。

 実は、私はアマテラスの史跡が、私の住む中津川市の近所にあることから調べているうちに、アマテラスの物語と、推古天皇の物語「天岩戸伝説」が酷似していることに気づいた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E5%8F%A4%E5%A4%A9%E7%9A%87

 そこで、アマテラスの正体が推古天皇だろうと思った。というのも、アマテラスが東山道を北上する記録は、律令制以降でなければありえないからだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E

 ちょっと話は逸れるが、私は、愛子ちゃんを見ていて、もしかしたら彼女こそアマテラスではないかと思ったことがある。
 何度も書くが、私は、特定の人間に、特別の権威があるとは思っていないのだが、愛子ちゃんに感じたものは、普通の感覚ではなかった。特別な人間などいるはずがないのに、彼女だけは、もしかしたら特別なのではないかと思ってしまった。

 それは、高市早苗と統一教会によって、めでたく平民に貶されることで、その真の実力を日本人が知ることになるような予感を抱いている。

<転載終了>