東海アマのブログさんのサイトより
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6251904.html
<転載開始>
私がAIを「究極の悪魔」人類を滅亡させるために登場した「ルシファー」そのものと書いている理由は、それが人間生活と社会の本質を完全に奪い、人類の存在理由と能力を消滅させるからだ。
人間存在、つまり人生の本質は、「困難を克服する=苦労するプロセス」である。別の言い方をすると、「霊魂としての実体が、カルマを解消するための仮に現れた属性=肉体のプロセス」である。
人間から「苦労のプロセス」を奪ったなら、それはすでに人間ではない。ただの呼吸し、排泄する肉塊にすぎない。
人生の本質は困難であると断言してもいい。困難のない人生を想像してほしい。それは、もはや人生と言えるのか?
これは、この宇宙が弁証法原理で動いていることを理解している人なら、誰でも瞬時に分かることだ。
弁証法は示す。「存在の成立は対立の統一である」。この意味は、一つのことが成立するためには、同時に反対側に対立するものを生成するということだ。
簡単にいえば、人々が、もしも「便利」を得たとすれば、その反対側に、同時に「不便」も得るという意味だ。
何度も引き合いにだして申し訳ないが、人々は便利さを求めて、楽ちんを求めて、原動機自動車を世に送り出した。そのおかげで、人々は長時間歩かなくてすむようになり、正真正銘、生活は便利になった。
それは正の側面であるが、同時に負の側面も成立していることに気づく人は少ない。
人々が歩かなくなることで、循環機能が低下し、血流が滞り、ホメオスタシスが正常に作動しなくなった。人々は楽ちんと引き換えにたくさんの病気を得た。
もしも便利な車がなかったなら、病気の9割は消えていた。それは、人間が本来行わなかればならない義務的な肉体活動をサボったことで、与えられた負の結末だ。
私は、老いることで、人生と社会を俯瞰できる高さを得た。しかし、同時に、肉体の自由な性能を失った。今では、数分前に置いたモノの場所さえ忘れてしまって、年がら年中、紛失物を探し回る人生になった。
その代わりに、人類平野を見渡せる高みに立って、何が正しいか、何が間違っているか、どこが火事で騒いでいるのか、どこに雨が降っているのか、人生は何を求めるべきか、瞬時に理解できるようになった。
若い頃に見えなかったものが見えるようになった。たくさんすぎる失敗のおかげだ。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6251904.html
<転載開始>
私がAIを「究極の悪魔」人類を滅亡させるために登場した「ルシファー」そのものと書いている理由は、それが人間生活と社会の本質を完全に奪い、人類の存在理由と能力を消滅させるからだ。
人間存在、つまり人生の本質は、「困難を克服する=苦労するプロセス」である。別の言い方をすると、「霊魂としての実体が、カルマを解消するための仮に現れた属性=肉体のプロセス」である。
人間から「苦労のプロセス」を奪ったなら、それはすでに人間ではない。ただの呼吸し、排泄する肉塊にすぎない。
人生の本質は困難であると断言してもいい。困難のない人生を想像してほしい。それは、もはや人生と言えるのか?
これは、この宇宙が弁証法原理で動いていることを理解している人なら、誰でも瞬時に分かることだ。
弁証法は示す。「存在の成立は対立の統一である」。この意味は、一つのことが成立するためには、同時に反対側に対立するものを生成するということだ。
簡単にいえば、人々が、もしも「便利」を得たとすれば、その反対側に、同時に「不便」も得るという意味だ。
何度も引き合いにだして申し訳ないが、人々は便利さを求めて、楽ちんを求めて、原動機自動車を世に送り出した。そのおかげで、人々は長時間歩かなくてすむようになり、正真正銘、生活は便利になった。
それは正の側面であるが、同時に負の側面も成立していることに気づく人は少ない。
人々が歩かなくなることで、循環機能が低下し、血流が滞り、ホメオスタシスが正常に作動しなくなった。人々は楽ちんと引き換えにたくさんの病気を得た。
もしも便利な車がなかったなら、病気の9割は消えていた。それは、人間が本来行わなかればならない義務的な肉体活動をサボったことで、与えられた負の結末だ。
私は、老いることで、人生と社会を俯瞰できる高さを得た。しかし、同時に、肉体の自由な性能を失った。今では、数分前に置いたモノの場所さえ忘れてしまって、年がら年中、紛失物を探し回る人生になった。
その代わりに、人類平野を見渡せる高みに立って、何が正しいか、何が間違っているか、どこが火事で騒いでいるのか、どこに雨が降っているのか、人生は何を求めるべきか、瞬時に理解できるようになった。
若い頃に見えなかったものが見えるようになった。たくさんすぎる失敗のおかげだ。
さて、原動機自動車がもたらしたものは、便利さだけではない。健康劣化だけでもない。最大の負の側面は、地球の環境秩序に悪影響を与えていることだ。
工場排気、排水、原発温排水、放射能廃棄物とともに、地球環境を汚染している。
今の異常気象温暖化の最大の原因は、私は、化石燃料CO2ではなく、地球気象のクッションだった樹林帯=熱帯雨林を金儲けのために剥ぎ取ってしまったことだと考えている。
これにより、地球は気象の緩衝能力を低下させ、猛暑と極寒の極端気象が現れるようになった。今年の最悪エルニーニョも、その一つだ。
自動車原動機の排熱、エアコンの排熱も環境負荷激増の原因になっている。
これらの、異常気象の原因を簡単にいえば、人々が便利さ、快適さを求めた結果、代わりに地球環境の秩序を失ったということだ。
人は、何かを得れば、その代償として、何かを失う。これが宇宙の本質だからだ。
何かを得ようとするとき、我々は何を失うのかを考えなければならない。
そして、弁証法原理を見るときに、もうひとつ、決して忘れてはならない絶対法則がある。
それは、「生まれたものは必ず滅ぶ」という絶対法則である。
弁証法的にいえば、存在は、滅亡、消失と対立してのみ、成立できるのだ。
人類は発生した以上、必ず滅亡する。地球も同じで、やがて滅亡するときがくる。この宇宙そのものも同じで、いつか宇宙も消えてしまう。
今では、宇宙の生成理由が熱偏在であることが理解されるようになり、完全な熱平衡とともに、時間が消え、宇宙も消えることを理解する人が増えた。
地球上に人類が登場してきたことの意味は、霊的カルマの世界からは、かなり鮮明にわかっている。人は物質世界の秩序を学ぶために肉体を得て、高度な脳を得た。
霊は、たくさんの肉体をとっかえひっかえ、何万年という時間をかけてカルマを学んでゆく。そして最後には絶対精神という「上がり」を目指すのだ。
宇宙が熱平衡を目指すように、人はカルマ平衡を目指すのである。
ここで、今回の本題であるAIについて振り返る。
AIは、人間のすべての能力を合理化し、代行してくれて、人間から「苦労」を取り去ってくれる。
しかし、冒頭に書いたように、人間の存在理由は「苦労」であり、つまり人間から存在理由を取り去るという意味になる。
AIが完成に近づくことの本当の意味は、人間の存在理由をなくすことであり、人類を地球上から追放することである。
だから、私はAIが登場したときから、目の敵にして注意を喚起してきた。しかし、底辺のボケ老人にすぎない私のブログを読んで理解できる人は、非常に少なかった。
人々は、便利さを求め、権威や権力を求めていた。人間の真実が見えない大多数の人々の願いのなかで、高市早苗統一教会政権が登場してきた。
高市早苗が、皇室典範改定で、明仁徳仁天皇家を廃絶させ、愛子天皇を永久追放させることになり、これで、逆に、天皇家の真実が明らかになったように思える。
すなわち、人々が天皇制に求めるものは、「象徴」としての誠実さを見て感動することのなかに、実体があった。
天皇制そのものは、無意味な虚構でしかない。皇統2600年というのも真っ赤な嘘だ。実際には、現天皇は、AD500年代に百済武寧王の子である継体から始まっている。天皇の呼称は、天武からだ。ただし、血脈が続いているわけでもない。ただ1500年余の歴史がある。
天皇家の意味は、天皇が国民の安寧を祈るという行為であり、被災地に作業着で赴き、人々を感動させることで、はじめて虚構ではなく実体=実存が成立した。
この意味で、明仁夫妻は、人々を感動させた立派な天皇であり、徳仁夫妻も日本国象徴としての実体を示している。
もしも彼らが随の煬帝や秋篠宮紀子のような暴君だったなら、天皇制は国民から必要とされなくなり、無意味な虚構へと転落したことだろう。
だが、高市早苗統一教会政権は、天皇制を虚構化し、消滅させる政策を行っている。
問題は、天皇を国民が必要とするかということなのだ。必要でないなら消せばいい。天皇と国民のどちらが主役=主人なのかを考えれば明らかだ。
もう一度、AIと自動車に戻る。
私は、自動運転装置や追突防止装置のようなAI自動化システムは逆効果であり、かえって深刻な事故を増やすだけだと考えている。
それは、資本の論理によって、「便利さと安全性を売り物にして儲かる車を作りたい」という自動車メーカーの論理であり、現実の自動車社会と人間能力の安全性を反映したものではない。
人間の能力は、必ず楽ちん節約志向に向かう。だから安全装置などつければ、それに頼り切って、安全装置のカバーできる範囲を超えて事故を多発させることになる。
私はクラッチ時代に運転を覚えた老人たちが、体に染み付いた運転技能と、条件反射機能によって、ふっと自動運転機能を忘れたときに事故が起きると思う。
もしも、彼らが条件反射化されているクラッチ運転を行っていたらな、ブレーキ・アクセル踏み間違え事故がほとんど起きないと確信している。
クラッチを踏んでギア転換をした方が、運転とエンジン駆動の体感関係を深く結びつけ、緊張感を持って脳を働かせ、追突の危機にも対処できると考える。自動化したことで、踏み間違え事故が激増したのだ。追突防止装置をつけたことで、危機意識が弱まり、追突が多発しているのだ。
AIは、人間をアホにすることしかできない。基本能力を奪うのだ。生活を便利にしてはならない。人間から緊張感と訓練を奪ってはならない。人間の能力は「苦労」とともにあり、苦労が消えることは、人間の存在理由も消えることを意味しているのである。
ある研究者が「AIによって人類が破滅する確率は99.9%」と考える理由
<転載終了>
工場排気、排水、原発温排水、放射能廃棄物とともに、地球環境を汚染している。
今の異常気象温暖化の最大の原因は、私は、化石燃料CO2ではなく、地球気象のクッションだった樹林帯=熱帯雨林を金儲けのために剥ぎ取ってしまったことだと考えている。
これにより、地球は気象の緩衝能力を低下させ、猛暑と極寒の極端気象が現れるようになった。今年の最悪エルニーニョも、その一つだ。
自動車原動機の排熱、エアコンの排熱も環境負荷激増の原因になっている。
これらの、異常気象の原因を簡単にいえば、人々が便利さ、快適さを求めた結果、代わりに地球環境の秩序を失ったということだ。
人は、何かを得れば、その代償として、何かを失う。これが宇宙の本質だからだ。
何かを得ようとするとき、我々は何を失うのかを考えなければならない。
そして、弁証法原理を見るときに、もうひとつ、決して忘れてはならない絶対法則がある。
それは、「生まれたものは必ず滅ぶ」という絶対法則である。
弁証法的にいえば、存在は、滅亡、消失と対立してのみ、成立できるのだ。
人類は発生した以上、必ず滅亡する。地球も同じで、やがて滅亡するときがくる。この宇宙そのものも同じで、いつか宇宙も消えてしまう。
今では、宇宙の生成理由が熱偏在であることが理解されるようになり、完全な熱平衡とともに、時間が消え、宇宙も消えることを理解する人が増えた。
地球上に人類が登場してきたことの意味は、霊的カルマの世界からは、かなり鮮明にわかっている。人は物質世界の秩序を学ぶために肉体を得て、高度な脳を得た。
霊は、たくさんの肉体をとっかえひっかえ、何万年という時間をかけてカルマを学んでゆく。そして最後には絶対精神という「上がり」を目指すのだ。
宇宙が熱平衡を目指すように、人はカルマ平衡を目指すのである。
ここで、今回の本題であるAIについて振り返る。
AIは、人間のすべての能力を合理化し、代行してくれて、人間から「苦労」を取り去ってくれる。
しかし、冒頭に書いたように、人間の存在理由は「苦労」であり、つまり人間から存在理由を取り去るという意味になる。
AIが完成に近づくことの本当の意味は、人間の存在理由をなくすことであり、人類を地球上から追放することである。
だから、私はAIが登場したときから、目の敵にして注意を喚起してきた。しかし、底辺のボケ老人にすぎない私のブログを読んで理解できる人は、非常に少なかった。
人々は、便利さを求め、権威や権力を求めていた。人間の真実が見えない大多数の人々の願いのなかで、高市早苗統一教会政権が登場してきた。
高市早苗が、皇室典範改定で、明仁徳仁天皇家を廃絶させ、愛子天皇を永久追放させることになり、これで、逆に、天皇家の真実が明らかになったように思える。
すなわち、人々が天皇制に求めるものは、「象徴」としての誠実さを見て感動することのなかに、実体があった。
天皇制そのものは、無意味な虚構でしかない。皇統2600年というのも真っ赤な嘘だ。実際には、現天皇は、AD500年代に百済武寧王の子である継体から始まっている。天皇の呼称は、天武からだ。ただし、血脈が続いているわけでもない。ただ1500年余の歴史がある。
天皇家の意味は、天皇が国民の安寧を祈るという行為であり、被災地に作業着で赴き、人々を感動させることで、はじめて虚構ではなく実体=実存が成立した。
この意味で、明仁夫妻は、人々を感動させた立派な天皇であり、徳仁夫妻も日本国象徴としての実体を示している。
もしも彼らが随の煬帝や秋篠宮紀子のような暴君だったなら、天皇制は国民から必要とされなくなり、無意味な虚構へと転落したことだろう。
だが、高市早苗統一教会政権は、天皇制を虚構化し、消滅させる政策を行っている。
問題は、天皇を国民が必要とするかということなのだ。必要でないなら消せばいい。天皇と国民のどちらが主役=主人なのかを考えれば明らかだ。
もう一度、AIと自動車に戻る。
私は、自動運転装置や追突防止装置のようなAI自動化システムは逆効果であり、かえって深刻な事故を増やすだけだと考えている。
それは、資本の論理によって、「便利さと安全性を売り物にして儲かる車を作りたい」という自動車メーカーの論理であり、現実の自動車社会と人間能力の安全性を反映したものではない。
人間の能力は、必ず楽ちん節約志向に向かう。だから安全装置などつければ、それに頼り切って、安全装置のカバーできる範囲を超えて事故を多発させることになる。
私はクラッチ時代に運転を覚えた老人たちが、体に染み付いた運転技能と、条件反射機能によって、ふっと自動運転機能を忘れたときに事故が起きると思う。
もしも、彼らが条件反射化されているクラッチ運転を行っていたらな、ブレーキ・アクセル踏み間違え事故がほとんど起きないと確信している。
クラッチを踏んでギア転換をした方が、運転とエンジン駆動の体感関係を深く結びつけ、緊張感を持って脳を働かせ、追突の危機にも対処できると考える。自動化したことで、踏み間違え事故が激増したのだ。追突防止装置をつけたことで、危機意識が弱まり、追突が多発しているのだ。
AIは、人間をアホにすることしかできない。基本能力を奪うのだ。生活を便利にしてはならない。人間から緊張感と訓練を奪ってはならない。人間の能力は「苦労」とともにあり、苦労が消えることは、人間の存在理由も消えることを意味しているのである。
ある研究者が「AIによって人類が破滅する確率は99.9%」と考える理由
<転載終了>
自ら積極的に世界や社会と関わり、視野と広げ視座を高めて知識や経験に貪欲であるか否か
いつだってそういう格差でしかない
まぁ、人ひとりの人生の格差なんて小さな格差でしかないし、まして良し悪しなんて地球からすれば些末も些末
気にしすぎるくらいならノー天気に生きたほうがストレスもないし幸せだと思うけどね
genkimaru1
が
しました