東海アマのブログさんのサイトより
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6252377.html
<転載開始>
今から半世紀前のことを考えると、「人間社会はこうあるべき」という義務感、責任感を心に秘めた人が極端に少なくなったと思う。
昔は、「やってよいこと、悪いこと」の区別を心の底にある正義感で判別できる人が、大半を占めていた印象がある。人々は「倫理観」を守ることを誇りにして生きてきた。
それは、たぶん太平洋戦争で、爆撃から逃げ惑い、血まみれの人々や、散乱する遺体を目にして、この上ない絶望感のなかで、それでも生き抜くために必要な最期の心の拠り所が、「人間としてあるべき姿」の倫理観であることを思い知らされてきたからではないだろうか?
ちょうど、戦争と同じことが、東北三陸海岸や能登、熊本などに住む人々にも起きていて、何もかも失ってなお、身一つで生き抜くために本当に必要なものが、「人としてあるべき姿」を守る誇りであることを思い知らされているということだと思う。
何もかも失っても、人には守るべき誇りが残っていて、それが人生を支えてくれているのだ。
金もない、財産もない、家族も失った、家も失ったということになれば、何を支えに生きていったらよいのか?
それは自分に対する誇りしか残っていない。だから、最後に残った大切なものを見失うことはなかった。
とまあ、偉そうなことを書いているのだが、実は、自分を振り返ってみると、私は、人に自慢できるような正義感の持ち主ではなかった。
母親が正直で誠実な女性だったので、基本は母の価値観を受け継いでいるはずなのだが、私は、家庭で軍隊帰りの父親から理不尽な扱いを受けたり、小中学校で在日暴力団子弟にひどくいじめられたりしたので、性格がネジ曲がった。おまけに鬱病体質になり、たえず妄想の世界に閉じこもる性癖を持ってしまった。
気が小さいので、暴力に訴えることもできず、今から思えば、ひどく姑息な人間だったと思う。どうしてこんな偉そうなことを書けるのか、自分にも不信を抱くほどだ。
そんな私でさえ、半世紀前の日本人には、強い倫理観と優しさがあったのだが、今の日本人、とりわけ政治家や警察官、役人たちに人情や責任感が見えなくなっていて、「こんなことではいけない」と思うしかないのだ。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6252377.html
<転載開始>
今から半世紀前のことを考えると、「人間社会はこうあるべき」という義務感、責任感を心に秘めた人が極端に少なくなったと思う。
昔は、「やってよいこと、悪いこと」の区別を心の底にある正義感で判別できる人が、大半を占めていた印象がある。人々は「倫理観」を守ることを誇りにして生きてきた。
それは、たぶん太平洋戦争で、爆撃から逃げ惑い、血まみれの人々や、散乱する遺体を目にして、この上ない絶望感のなかで、それでも生き抜くために必要な最期の心の拠り所が、「人間としてあるべき姿」の倫理観であることを思い知らされてきたからではないだろうか?
ちょうど、戦争と同じことが、東北三陸海岸や能登、熊本などに住む人々にも起きていて、何もかも失ってなお、身一つで生き抜くために本当に必要なものが、「人としてあるべき姿」を守る誇りであることを思い知らされているということだと思う。
何もかも失っても、人には守るべき誇りが残っていて、それが人生を支えてくれているのだ。
金もない、財産もない、家族も失った、家も失ったということになれば、何を支えに生きていったらよいのか?
それは自分に対する誇りしか残っていない。だから、最後に残った大切なものを見失うことはなかった。
とまあ、偉そうなことを書いているのだが、実は、自分を振り返ってみると、私は、人に自慢できるような正義感の持ち主ではなかった。
母親が正直で誠実な女性だったので、基本は母の価値観を受け継いでいるはずなのだが、私は、家庭で軍隊帰りの父親から理不尽な扱いを受けたり、小中学校で在日暴力団子弟にひどくいじめられたりしたので、性格がネジ曲がった。おまけに鬱病体質になり、たえず妄想の世界に閉じこもる性癖を持ってしまった。
気が小さいので、暴力に訴えることもできず、今から思えば、ひどく姑息な人間だったと思う。どうしてこんな偉そうなことを書けるのか、自分にも不信を抱くほどだ。
そんな私でさえ、半世紀前の日本人には、強い倫理観と優しさがあったのだが、今の日本人、とりわけ政治家や警察官、役人たちに人情や責任感が見えなくなっていて、「こんなことではいけない」と思うしかないのだ。
私は、自分がひどい目に遭うと、それを正すことよりも、自分も同じように人の道を外してやると、悪に対して悪で心のバランスをとるという姑息な発想もあった。
私は、1970年前後、ベトナム戦争でのアメリカの悪事に憤り、当時盛んだったベトナム反戦デモに参加した。
やがて、のめりこんで、戦争の原因が資本主義そのものにあるということを思い知らされ、反体制活動家になることを決意した。
しかし、反戦市民運動は、セクト主義にのめり込んでゆき、包容力を失った。
やがて、社会全体が、バブル経済に浮かれ、新左翼のなかからさえ、新興資本家が続々と誕生した。
中村敦夫や糸井重里なども新左翼党派だった。たぶんだが、柳井正とか、小川賢太郎もそうだ。
だいたい国立大学なんかに入った人は、他人を見下す上昇志向の上に人生を築いているわけだから、左の世界の道が塞がれれば右の世界に行くというのが普通だろう。
私はといえば、学歴もなく、社会の最底辺で汗水を垂らす人生しか選べなかった。
まあ、個人的には、宮本常一に強烈に傾倒し、民俗学や史学に関係した研究者になりたかったのだが、もちろん大学という権威をバックボーンにしていない私には、不可能だった。
代わりに、密かにエロ小説を書いたりしていた。
まあ、1980年代のバブル時代には、完全に自分を見失って、社会全体の強欲主義に迎合するところがあって恥ずかしい思い出だ。
この頃、新自由主義が持ち込まれた日本社会のなかで、もっとも露骨な強欲主義(金儲けへの傾倒)の価値観を共有し、それによって、敗戦後の苦難のなかで、人間として大切なものという価値観の矜持が見失われた時代だと思う。
ただ、1980年代~2025年くらいまでの投機・投資ブームのなかで、「豊かなものを得た」という話を私は聞いたことがない。
金儲けに走った人たちは、その後、オレオレ詐欺や、投資詐欺に遭って有り金を根こそぎ吸い上げられた人が少なくないと思う。
そもそも、振り込め詐欺に遭うような心の持ち方は、自分だけがぼろ儲けして他人を見下したいという優越志向から生まれるもので、詐欺の温床を自分で作ったようなものだ。
もしも、自分は最低限の生き方で満足し、余った金を被災者や困っている人たちのために使うという価値観を持っている人が、詐欺に遭ったという話は聞いたことがない。
例えばココイチの創業者、宗次徳二さんのように、全財産を恵まれない子どもたちのために捧げる意思を持っている人が、投資詐欺にひっかかるはずがない。
投資に回すカネがあれば、子ども食堂を支援するだろう。
今、投資・投機(FXのような)に夢中になっている人たちは、まず全員が、他人のためにカネを使う意思などカケラもないだろう。
天は、そんな人達に詐欺被害に遭わせることで、真実を見抜くカルマを与えるのだ。
昔の人達、少なくとも半世紀前まで多くいた、戦争の災禍を体験させられた人たち。何もかも失っても、最後に自分を支えてくれるものが、人間としてのプライドだったことを体感的に理解していた人たちが、人生の価値が金儲けや見せかけの贅沢ではなく、誰からも評価されなくとも、自分の良心を裏切らない行動であることを密かに示すことで、「良き日本」が成立していたと思う。
今は、自分のトクにならないことには価値を見いだせないとして、倫理観を崩壊させている若者たちが激増してしまった。
江別や旭川の惨事は、若者たちの価値観の問題なのだ。18歳の主犯が無期懲役(事実上の終身刑)になったが、厳罰を与えれば解決する問題ではない。
命を大切にし、利益だけが人生ではない。人の笑顔のなかこそ人生最高の価値があるという思想を、若者たちが共有してゆくためには、何が必要かというと、私は、命に癒される体験を重ねることだと思う。
例えば、子どもたちには鶏やヤギなどの動物を世話させる体験をさせれば、それが自然に人生を潤すことになると思う。
前回も書いたが、今や世界の指導者、トランプ・プーチン・習近平・高市早苗・金正恩らは、人の笑顔や喜びには何一つ関心を持たず、自分の利権を拡大することにしか興味がない。
このままで、人類の滅亡しか見えないと書いた。滅亡しないためには、若者たちに理性と良心が金儲けよりも大切な価値として認識される時代を作らねばならない。
統一教会が、日本を支配して、悪魔のような朝鮮儒教に洗脳された人たちが激増しているなかで、人の優しさや笑顔が人生最大の価値であることを理解する若者たちを、どうやって作ってゆくのか?
その鍵は、地方の過疎の山村にあると私は考える。子どもたちが山村で動物と触れ合う条件を作り出すことで、良心とは何か? を学ぶことができると思う。
<転載終了>
私は、1970年前後、ベトナム戦争でのアメリカの悪事に憤り、当時盛んだったベトナム反戦デモに参加した。
やがて、のめりこんで、戦争の原因が資本主義そのものにあるということを思い知らされ、反体制活動家になることを決意した。
しかし、反戦市民運動は、セクト主義にのめり込んでゆき、包容力を失った。
やがて、社会全体が、バブル経済に浮かれ、新左翼のなかからさえ、新興資本家が続々と誕生した。
中村敦夫や糸井重里なども新左翼党派だった。たぶんだが、柳井正とか、小川賢太郎もそうだ。
だいたい国立大学なんかに入った人は、他人を見下す上昇志向の上に人生を築いているわけだから、左の世界の道が塞がれれば右の世界に行くというのが普通だろう。
私はといえば、学歴もなく、社会の最底辺で汗水を垂らす人生しか選べなかった。
まあ、個人的には、宮本常一に強烈に傾倒し、民俗学や史学に関係した研究者になりたかったのだが、もちろん大学という権威をバックボーンにしていない私には、不可能だった。
代わりに、密かにエロ小説を書いたりしていた。
まあ、1980年代のバブル時代には、完全に自分を見失って、社会全体の強欲主義に迎合するところがあって恥ずかしい思い出だ。
この頃、新自由主義が持ち込まれた日本社会のなかで、もっとも露骨な強欲主義(金儲けへの傾倒)の価値観を共有し、それによって、敗戦後の苦難のなかで、人間として大切なものという価値観の矜持が見失われた時代だと思う。
ただ、1980年代~2025年くらいまでの投機・投資ブームのなかで、「豊かなものを得た」という話を私は聞いたことがない。
金儲けに走った人たちは、その後、オレオレ詐欺や、投資詐欺に遭って有り金を根こそぎ吸い上げられた人が少なくないと思う。
そもそも、振り込め詐欺に遭うような心の持ち方は、自分だけがぼろ儲けして他人を見下したいという優越志向から生まれるもので、詐欺の温床を自分で作ったようなものだ。
もしも、自分は最低限の生き方で満足し、余った金を被災者や困っている人たちのために使うという価値観を持っている人が、詐欺に遭ったという話は聞いたことがない。
例えばココイチの創業者、宗次徳二さんのように、全財産を恵まれない子どもたちのために捧げる意思を持っている人が、投資詐欺にひっかかるはずがない。
投資に回すカネがあれば、子ども食堂を支援するだろう。
今、投資・投機(FXのような)に夢中になっている人たちは、まず全員が、他人のためにカネを使う意思などカケラもないだろう。
天は、そんな人達に詐欺被害に遭わせることで、真実を見抜くカルマを与えるのだ。
昔の人達、少なくとも半世紀前まで多くいた、戦争の災禍を体験させられた人たち。何もかも失っても、最後に自分を支えてくれるものが、人間としてのプライドだったことを体感的に理解していた人たちが、人生の価値が金儲けや見せかけの贅沢ではなく、誰からも評価されなくとも、自分の良心を裏切らない行動であることを密かに示すことで、「良き日本」が成立していたと思う。
今は、自分のトクにならないことには価値を見いだせないとして、倫理観を崩壊させている若者たちが激増してしまった。
江別や旭川の惨事は、若者たちの価値観の問題なのだ。18歳の主犯が無期懲役(事実上の終身刑)になったが、厳罰を与えれば解決する問題ではない。
命を大切にし、利益だけが人生ではない。人の笑顔のなかこそ人生最高の価値があるという思想を、若者たちが共有してゆくためには、何が必要かというと、私は、命に癒される体験を重ねることだと思う。
例えば、子どもたちには鶏やヤギなどの動物を世話させる体験をさせれば、それが自然に人生を潤すことになると思う。
前回も書いたが、今や世界の指導者、トランプ・プーチン・習近平・高市早苗・金正恩らは、人の笑顔や喜びには何一つ関心を持たず、自分の利権を拡大することにしか興味がない。
このままで、人類の滅亡しか見えないと書いた。滅亡しないためには、若者たちに理性と良心が金儲けよりも大切な価値として認識される時代を作らねばならない。
統一教会が、日本を支配して、悪魔のような朝鮮儒教に洗脳された人たちが激増しているなかで、人の優しさや笑顔が人生最大の価値であることを理解する若者たちを、どうやって作ってゆくのか?
その鍵は、地方の過疎の山村にあると私は考える。子どもたちが山村で動物と触れ合う条件を作り出すことで、良心とは何か? を学ぶことができると思う。
<転載終了>
カルト新興宗教だろうが!
genkimaru1
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