マスコミに載らない海外記事さんのサイトより
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-edbdce.html
<転載開始>
9.11同時多発テロから25年経った今、その最も深い遺産は、アメリカ覇権の終焉を早めた戦争と監視活動と戦略的な行き過ぎにある。
公開日:2026年9月11日 00:07
RT
筆者:フョードル・ルキヤノフは『ロシア・イン・グローバル・アフェアーズ』編集長、外交・防衛政策評議会幹部会議長、ヴァルダイ国際討論クラブ研究部長。

2001年9月11日のニューヨークとワシントンへのテロ攻撃以来、多くの出来事が起き、今となっては、あの事件は遠い昔の出来事のように感じられると同時に、当時ほど重大なものではなかったように思えるかもしれない。だが、どちらの印象も誤解を招く。
25年という歳月は人間の人生では相当な期間だが、歴史では、ほんの一瞬に過ぎない。そして、この四半世紀がどれほど激動の時代だったにせよ、9月11日事件の本当の意味は今まさに完全に明らかになりつつある。
振り返ってみて、当時の感情はさておき、あの攻撃は国際体制にとって実際どのような意味を持っていたのか?
何よりも、これは世界情勢における事実上揺るぎないアメリカ覇権という10年間の時代に終止符を打った。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2026/09/post-edbdce.html
<転載開始>
9.11同時多発テロから25年経った今、その最も深い遺産は、アメリカ覇権の終焉を早めた戦争と監視活動と戦略的な行き過ぎにある。
公開日:2026年9月11日 00:07
RT
筆者:フョードル・ルキヤノフは『ロシア・イン・グローバル・アフェアーズ』編集長、外交・防衛政策評議会幹部会議長、ヴァルダイ国際討論クラブ研究部長。

2001年9月11日のニューヨークとワシントンへのテロ攻撃以来、多くの出来事が起き、今となっては、あの事件は遠い昔の出来事のように感じられると同時に、当時ほど重大なものではなかったように思えるかもしれない。だが、どちらの印象も誤解を招く。
25年という歳月は人間の人生では相当な期間だが、歴史では、ほんの一瞬に過ぎない。そして、この四半世紀がどれほど激動の時代だったにせよ、9月11日事件の本当の意味は今まさに完全に明らかになりつつある。
振り返ってみて、当時の感情はさておき、あの攻撃は国際体制にとって実際どのような意味を持っていたのか?
何よりも、これは世界情勢における事実上揺るぎないアメリカ覇権という10年間の時代に終止符を打った。
その意義は、攻撃者がアメリカ権力の最も明白な二つの中心地、すなわち世界貿易センタービルと国防総省(ペンタゴン)を標的とした点で象徴的なものでもあった。冷戦終結後、アメリカは自国の安全保障や国益に対する根本的脅威はもはや存在しないと信じていた時代は、ついに終わったのだ。
ワシントンの視点から見ると、この10年は主要地政学的敵国のソ連が奇跡的に消滅したことで始まったが、危険はほぼどこからでも突然現れる可能性があるという認識で終わった。
ほとんどのアメリカ人が自分たちを攻撃した人物について、これまでほとんど何も知らなかった事実は、衝撃を更に深め、衝動的反応につながった。
冷戦終結時にフランシス・フクヤマが宣言した「歴史の終焉」から僅か10年後、歴史は激動と暴力に満ちた形で再び動き出した。
ワシントンの対応は世界的勢力図の再編を引き起こし、その結果は今や、より明確に見て取れる。オサマ・ビンラディンがアメリカの国力を弱体化させるための巧妙な長期戦略を持っていたかどうかは知る由もないが、結果は明白だった。アメリカは国際情勢を管理する能力を徐々に弱める道を歩み始めたのだ。
ジョージ・W・ブッシュ政権はネオコン思想の影響を強く受けており、9月11日の同時多発テロに不意を突かれたため、その対応は大きく分けて二つの前提に基づいていた。
第一に、アメリカに対する脅威は、敵対的国家だけでなく、新たに甚大な被害をもたらす能力を持つようになった非国家主体からも発生する可能性があり、従って、そのような脅威は発生場所を問わず、主にアメリカが持つ圧倒的軍事力に対処しなければならないことだ。
2つ目の前提はイデオロギー的なもので、自由主義理論では、民主主義国家同士は戦争をしないと考えられていたため、もしそれが真実なら、民主主義国家が増えれば増えるほど、アメリカ合衆国はより安全になるという考え方だった。
こうした流れから、海外における民主主義推進が益々強硬になり、時には公然と攻撃的な姿勢をとるようになった。
その手法は、アフガニスタンやイラクへの軍事介入から、旧ソ連における民主化運動への政治的・財政的支援、中東全域における自由主義的政治改革への圧力まで多岐に亘り、後にリビアは欧米諸国の軍事介入が当初予想を遙かに超える結果をもたらすもう一つの例になった。
その時期の出来事の中には、今では半ば忘れ去られているものもある。例えば、ワシントンが地域諸国の警告にもかかわらず、パレスチナ自治区での選挙を強く奨励したことなどが挙げられる。当然ながら、ハマスはその後2006年のパレスチナ議会選挙で勝利し、パレスチナの政治情勢は劇的に変化した。
中東全域で既存政治のバランスが覆され、それに代わる安定した体制がしばしば出現しない中、アラブの春に対するアメリカの対応も政治変革への同様自信に基づいていた。
2003年のイラク侵攻がもたらした影響は更に甚大だった。サダム・フセイン政権の崩壊は、20世紀を通じて築かれてきた地域バランスの重要な要素を破壊し、極めて制御困難な勢力を解き放ったのだ。
アメリカは政治家たちが最終的に「終わりのない戦争」と呼ぶことになる事態に陥り、これら紛争はアメリカ国内の分断を助長する一方、民主主義を輸出しようとする試みは、民主主義自体の評判を損なう結果になった。
イラクにおいて、石油を含むアメリカの戦略的・経済的利益が介入と切り離せないという広く浸透した認識が、この問題をさらに悪化させた。
より広範な影響は顕著で、長期にわたる戦争、中東の不安定化や過激派イスラム主義運動の拡大が見られた。西側諸国とイスラム世界の多数の国々との関係が悪化していたことを考えると、9月11日攻撃を計画した連中は、これ以上の結果を期待することはほとんどできなかっただろう。
ブッシュ大統領が就任当初テロとの戦いに言及したのは意図的な挑発というより、おそらく不適切な言葉遣いだっただろう。だがイスラム主義運動は、これを欧米諸国のイスラム世界に対する敵意は、十字軍時代からほとんど変わっていないという彼らの主張を裏付けるものとして利用した。
その後、ワシントンは関係修復を試みたが、既に方向性は決まっていた。
イラクの複雑な国内と地域バランスの崩壊は、過激派運動に機会を与え、同時にアメリカを中東情勢において極めて強力ながら予測不可能な勢力として印象づけることにつながった。その結果、この地域の各国政府にとって、ワシントンと一定の距離を保つことが益々賢明な策に映るようになった。
9月11日は、アメリカ合衆国自体をも変容させた。
対テロ戦争は、アメリカの国家安全保障を守るための世界的作戦として構想されたが、監視と国家による統制が個人の通信や金融取り引きで劇的に拡大したことで、国内への影響は甚大だった。
当初の正当化理由はテロだったが、その後四半世紀にわたり、技術の変化や政治的優先事項の変化に伴い、これらの仕組みを拡大する新たな理由が現れた。だが監視と統制の強化という全体的な方向性は変わらなかった。
テロに対するゼロトレランス宣言にもかかわらず、一方のテロリストと、他方の自由の戦士というおなじみの区別が依然存在するため、二重基準という長年の問題は解消されなかった。この曖昧さは、アメリカ、ロシア、中国といった主要国の利害が衝突する際、特に顕著になる。
9月11日から四半世紀が経ち、世界はあの前夜とは驚くほど様変わりしたが、もちろん、その後に起こったことの多くは、いずれにせよ起こっていたであろう。国際システムは、いかなる単一の出来事よりもはるかに大きな力によって変化する。中国の台頭、ロシアの国益の再主張、技術革新、そして西側諸国の経済的優位性の相対的な低下は、2001年の攻撃だけに起因するものではない。
だが9月11日攻撃は、冷戦終結後の異例の期間、すなわちアメリカの優位性がほぼ揺るぎないものと思われていた時代に終止符を打ち、更に重要なことに、ワシントンの対応により、その時代を終焉へ導く過程が加速された点で紛れもなく転換点になった。
一極支配体制からの脱却は一夜にして起きたのではなく、徐々に始まり、戦争や危機や、新たな権力中枢の出現を通して勢いを増し、今日まで続いているのだ。
新たな安定した国際秩序の形成には何年もかかる可能性があり、その体制が20世紀後半の二極対立や、それに続く短期間のアメリカ覇権よりも望ましいものとなるかどうかは、依然不明だ。
だが2001年9月11日当時より今の方がより明確になっていることが一つある。あの攻撃が冷戦後の秩序を単に中断させただけでなく、終焉の始まりを告げるものだったことだ。
記事原文のurl:https://www.rt.com/news/645409-september-11-end-of-american-hegemony/
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耕助のブログ
<転載終了>
ワシントンの視点から見ると、この10年は主要地政学的敵国のソ連が奇跡的に消滅したことで始まったが、危険はほぼどこからでも突然現れる可能性があるという認識で終わった。
ほとんどのアメリカ人が自分たちを攻撃した人物について、これまでほとんど何も知らなかった事実は、衝撃を更に深め、衝動的反応につながった。
冷戦終結時にフランシス・フクヤマが宣言した「歴史の終焉」から僅か10年後、歴史は激動と暴力に満ちた形で再び動き出した。
ワシントンの対応は世界的勢力図の再編を引き起こし、その結果は今や、より明確に見て取れる。オサマ・ビンラディンがアメリカの国力を弱体化させるための巧妙な長期戦略を持っていたかどうかは知る由もないが、結果は明白だった。アメリカは国際情勢を管理する能力を徐々に弱める道を歩み始めたのだ。
ジョージ・W・ブッシュ政権はネオコン思想の影響を強く受けており、9月11日の同時多発テロに不意を突かれたため、その対応は大きく分けて二つの前提に基づいていた。
第一に、アメリカに対する脅威は、敵対的国家だけでなく、新たに甚大な被害をもたらす能力を持つようになった非国家主体からも発生する可能性があり、従って、そのような脅威は発生場所を問わず、主にアメリカが持つ圧倒的軍事力に対処しなければならないことだ。
2つ目の前提はイデオロギー的なもので、自由主義理論では、民主主義国家同士は戦争をしないと考えられていたため、もしそれが真実なら、民主主義国家が増えれば増えるほど、アメリカ合衆国はより安全になるという考え方だった。
こうした流れから、海外における民主主義推進が益々強硬になり、時には公然と攻撃的な姿勢をとるようになった。
その手法は、アフガニスタンやイラクへの軍事介入から、旧ソ連における民主化運動への政治的・財政的支援、中東全域における自由主義的政治改革への圧力まで多岐に亘り、後にリビアは欧米諸国の軍事介入が当初予想を遙かに超える結果をもたらすもう一つの例になった。
その時期の出来事の中には、今では半ば忘れ去られているものもある。例えば、ワシントンが地域諸国の警告にもかかわらず、パレスチナ自治区での選挙を強く奨励したことなどが挙げられる。当然ながら、ハマスはその後2006年のパレスチナ議会選挙で勝利し、パレスチナの政治情勢は劇的に変化した。
中東全域で既存政治のバランスが覆され、それに代わる安定した体制がしばしば出現しない中、アラブの春に対するアメリカの対応も政治変革への同様自信に基づいていた。
2003年のイラク侵攻がもたらした影響は更に甚大だった。サダム・フセイン政権の崩壊は、20世紀を通じて築かれてきた地域バランスの重要な要素を破壊し、極めて制御困難な勢力を解き放ったのだ。
アメリカは政治家たちが最終的に「終わりのない戦争」と呼ぶことになる事態に陥り、これら紛争はアメリカ国内の分断を助長する一方、民主主義を輸出しようとする試みは、民主主義自体の評判を損なう結果になった。
イラクにおいて、石油を含むアメリカの戦略的・経済的利益が介入と切り離せないという広く浸透した認識が、この問題をさらに悪化させた。
より広範な影響は顕著で、長期にわたる戦争、中東の不安定化や過激派イスラム主義運動の拡大が見られた。西側諸国とイスラム世界の多数の国々との関係が悪化していたことを考えると、9月11日攻撃を計画した連中は、これ以上の結果を期待することはほとんどできなかっただろう。
ブッシュ大統領が就任当初テロとの戦いに言及したのは意図的な挑発というより、おそらく不適切な言葉遣いだっただろう。だがイスラム主義運動は、これを欧米諸国のイスラム世界に対する敵意は、十字軍時代からほとんど変わっていないという彼らの主張を裏付けるものとして利用した。
その後、ワシントンは関係修復を試みたが、既に方向性は決まっていた。
イラクの複雑な国内と地域バランスの崩壊は、過激派運動に機会を与え、同時にアメリカを中東情勢において極めて強力ながら予測不可能な勢力として印象づけることにつながった。その結果、この地域の各国政府にとって、ワシントンと一定の距離を保つことが益々賢明な策に映るようになった。
9月11日は、アメリカ合衆国自体をも変容させた。
対テロ戦争は、アメリカの国家安全保障を守るための世界的作戦として構想されたが、監視と国家による統制が個人の通信や金融取り引きで劇的に拡大したことで、国内への影響は甚大だった。
当初の正当化理由はテロだったが、その後四半世紀にわたり、技術の変化や政治的優先事項の変化に伴い、これらの仕組みを拡大する新たな理由が現れた。だが監視と統制の強化という全体的な方向性は変わらなかった。
テロに対するゼロトレランス宣言にもかかわらず、一方のテロリストと、他方の自由の戦士というおなじみの区別が依然存在するため、二重基準という長年の問題は解消されなかった。この曖昧さは、アメリカ、ロシア、中国といった主要国の利害が衝突する際、特に顕著になる。
9月11日から四半世紀が経ち、世界はあの前夜とは驚くほど様変わりしたが、もちろん、その後に起こったことの多くは、いずれにせよ起こっていたであろう。国際システムは、いかなる単一の出来事よりもはるかに大きな力によって変化する。中国の台頭、ロシアの国益の再主張、技術革新、そして西側諸国の経済的優位性の相対的な低下は、2001年の攻撃だけに起因するものではない。
だが9月11日攻撃は、冷戦終結後の異例の期間、すなわちアメリカの優位性がほぼ揺るぎないものと思われていた時代に終止符を打ち、更に重要なことに、ワシントンの対応により、その時代を終焉へ導く過程が加速された点で紛れもなく転換点になった。
一極支配体制からの脱却は一夜にして起きたのではなく、徐々に始まり、戦争や危機や、新たな権力中枢の出現を通して勢いを増し、今日まで続いているのだ。
新たな安定した国際秩序の形成には何年もかかる可能性があり、その体制が20世紀後半の二極対立や、それに続く短期間のアメリカ覇権よりも望ましいものとなるかどうかは、依然不明だ。
だが2001年9月11日当時より今の方がより明確になっていることが一つある。あの攻撃が冷戦後の秩序を単に中断させただけでなく、終焉の始まりを告げるものだったことだ。
記事原文のurl:https://www.rt.com/news/645409-september-11-end-of-american-hegemony/
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No. 3027 米国の空母はここまで錆びた
<転載終了>
https://www.nicovideo.jp/watch/sm45488490
genkimaru1
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