大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

2012年の黙示録より

インディアンの大予言

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-17.html
<転載開始>
インディアンの大予言
   
サン・ベア&ワブン・ウインド・著  加納眞士/三村寛子・訳  扶桑社  1994年刊
聖なる方法で

  かなり昔、1953年ごろ、ハワイから来たカフナ族のメディスンマンのダディ・ブレアは、地球の変化が起こるとき、2つの火山が同時に噴火するだろう、と告げた。そして、1984年にマウナ・ケア火山とキラウェア火山が同時に大噴火を起こしたのである。
  さらに、ヒンズー教の年老いた僧侶が、自分の国にも予言があり、木が死に始めたら地球の変化の始まりであると私に話してくれた。これは、全ヨーロッパで今起こっていることだ。ドイツでは国内の半分以上の森林がすでに死滅したか、死につつある。アメリカやカナダのかなり広い範囲でも、森林がどんどん死んでいるのだ。酸性雨やそのほかの汚染物質で、木の高い部分からどんどん死んでいるのである。
  予言の別の言葉に、空気中の有害物質のために人々が家から出られなくなるときがやってくるというのもあった。私は、旧ソ連で起こったチェルノブイリ原発事故のときドイツにいたが、まさに予言どおり、放射性降下物のために家の外には出ないように警告されたのだ。
  チェルノブイリ災害から2年後の1988年の冬、旧ソ連とヨーロッパで記録的な最低気温が観測された。この2つの出来事は関連している。我々人間が自然と一緒になって地球の変化を起こしているのだ。人類もまた、地球の一連の変化の一部である。
  すべての聖なる教えは、私たちが確実に今の地球の大きな変化のまっただ中に入っていこうとしていることを示している。予言が実現されようとしているのだ。私たちは一つの時代の終わりと新しい時代の始まりの真ん中にいる。地球の変化は予言された経過の一部なのだが、その中で役割を果たす人間によって、それがいっそう速まってきたのだ。このころになると、母なる地球が人間の手による破壊から自らを守るのが難しくなってくる。地球はその歴史の中で大きな変化をいくつも経験してきた。だが、現在起こっている変化との違いは、変化のスピードと苛酷さをエスカレートさせている人間の影響にある。
  私たちインディアンは、この偉大なる変化の時を浄化と前進の時代と見なしている。人類は、自覚と目覚めという大きな難関突破の偉大なチャンスを与えられているのだ。変化から生き残る人々は、私が理解しているところでは、より高いレベルの目覚めと、より聖なる方法で歩きだせる意識に到達した人々である。そして、現在を第四の世界として、私たちが第五の世界と呼んでいる、変化の次の段階に入ったとき、そこに到達できた聖なる方法に従って生きる人たちが、輝ける日々の一員になるだろう。
  第五の世界では、私たちは地球や人間ともっと調和を保って生きられるようになる。これが変化によって、そして今も私たちの中にいる多くの師によって、準備されつつある世界なのだ。第五の世界には、地球や互いを破壊するためだけにあくせくしていた人々はもはや存在しないのである。
  私には、世界の人口の約四分の一の人々が生き残るのが見える。生き残る人々はすべて高尚な意識に目覚めるだろう。私の仲間も偉大なる霊的な指導者たちが現れると信じている。何人かはすでにここにいる。この指導者たちが変化の時代を通して人間の意識を導く手助けをしてくれるだろう。その後、私たちはすべてに対してまったく違う意識を持つようになるだろう。これがあらゆるレベルの浄化の時であり、浄化か完了されたときには、今ある多くのものがもはやこの世に存在しなくなるだろう。

続きを読む

人類の祖先は宇宙人である

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1306-22.html
動画は後付けです。
第3の選択~バランタインsテープ火星映像

<転載開始>
人類の祖先は宇宙人である
ミン・スギヤマ・著  第一企画出版  1993年刊
今米ソ共同の火星移住計画は着々進行
  1977年6月20目、イギリスのアンダリアTVが『第三の選択』という番組を放送した。矢追純一著『戦慄のMARS計画』(二見書房)によれば、それは、米ソ共同の極秘宇宙開発を、科学ドキュメンタリー番組の取材のなかで暴露するというものであり、具体的には、「ごく近い将来、地球は環境破壊のため居住不能になることが科学的に証明された。そこで、せめて人類の種を絶やさないため、選りすぐった1万人の人間をひそかに火星へ移送しようとする計画がたてられ、さらに、火星はすでに米ソの科学者によって、人間が住める環境に改造されている」というものであった。番組内で、ケンブリッジ大学の地球物理学者カール・ガーシュタイン博士は次のように語った。
  「地球観測年にあたる1957年、米アラバマ州ハンツビルで、国際科学者会議が開かれた。その席上、我々人類が石油その他の化石燃料を大量に消費することによって、大気中に放出される炭酸ガスの量が幾何級数的に増えていることが問題になった。このまま放置すれば、“温室効果”によって地球が温暖化し、地球上は猛烈な異常気象に襲われる。その結果、南北両極の氷が溶けはじめて海の水位が上がり、世界の主要都市のほとんどは水没してしまう。また、温室効果がさらに進行すると、地球全体が金星のように熱せられて、人々はあらゆる生物とともに灼熱地獄にあえぎながら死んでいかなくてはならなくなるだろうと警告が発せられた」
  しかもそれは、1960年代から始まりしだいに加速されて、今世紀末には取り返しのつかない事態にいたるだろうとも触れていた。
  そして、ガーシュタイン博士は、この地球温暖化から人類を救う道として、会議では3つの選択案が討議されたと語った。
  「第一の選択案は、大気中に核爆弾を打ちこんで、炭酸ガスの厚い層に穴をあけ、風通しをよくしようというものだった。しかし、これには難題がひかえていた。放射能汚染の問題もさることながら、核爆弾によって地球をとりまくオゾン層にまで穴をあけることになる。もし、オゾン層が破壊されると、それが防いでいた太陽からの有害な紫外線が直接地上に降りそそぎ、地上の生物はみな皮膚ガンに冒されて死滅するにちがいない」
  そこで第一の案は却下された。
  「第二の選択案は、地下に都市を造って移住しようというものだった。だが、海面の水位が上がるにつれて、洪水は地下へも流れこむことになろうし、だいいち、地球が熱くなれば、地下にまでその熱がおよぶのは時間の問題だ」
  この第二の案も却下された。残された選択は1つしかなかった。
  「最後に残った第三の選択案は、絶望的と言えるものだった。このままでは、どうあっても人類滅亡は免れない。となれば、種族保存のため、せめてわずかな人間でもいいから、別の惑星へ逃がしておきたい。そのためには、大がかりな宇宙計画が必要であり、米ソ二大国の緊密かつ極秘の協力が絶対に不可欠だ、というものだった」
  そして、この国際会議の席上、人間を移送する惑星には、火星が最適であろうと提案された。さらに、宇宙航空専門家のチャールズ・ウェルボーン氏が、火星へ人間を移送するための具体的な計画を、次のようにパネラーに示唆したというのである。
  「火星へ大量の物資や人間を送りこむには、引力の小さな月面に前進基地を設けるのが最上の方法であろう。月面に基地を設けるメリットは、月そのものが恒久的な衛星であり、地球に非常に近接しているということだ。また、月面基地は惑星間飛行への中継基地としても使えるし、地球を監視する軍事基地としても使える」
  テレビ番組『第三の選択』の制作を巡って、何人もの関係者が不審な死をとげ、あるいはいまだに行方不明のままとなっている。その中で命がけで一本の特殊なビデオテープとそれを見るための装置を番組スタッフに提供してくれた者達がいた。
  その謎のテープを再生してみると、そこには米ソが共同で極秘裏に打ち上げた火星探査船から送信してきた火星表面の画像が現れたのである。
  画面いっぱいに広がる赤茶けた砂漠のような大地と、青い空が映り、探査機が大きく旋回して着陸しようと下降していくようすがはっきりと捉えられている。
  やがて、英語とロシア語が火星から地上管制センターに送られてきた。ソ連のどこかの宇宙センターとヒューストンが同時中継で探査機の着陸をコントロールし合っているらしい。
  画面には米ソ両国語で次々に火星上のデータが記されていく。
  「南西の風、風速、毎時21キロメートル」
  「気圧、707.7ミリバール……」
  「気温、摂氏4度……」
  そして、探査機が火星表面に軟着陸すると、両国の管制官が興奮して叫ぶ声が入ってくる。「やったぞ! ついに我々は火星に到達したんだ」
  「ここは空気もある。我々は住むところができた。火星に人間が住めるんだ!」
  「今日は1962年5月22日。我々の隠れた歴史に残る記念すべき日になるぞ!」
  信じられないことに、この日付けは、バイキング1号が火星に軟着陸した1976年7月20日より14年も早い。
  さらにその直後に、管制官が突然大きな叫び声を上げた。
  「おい! あれは何だ。何かが動いているぞ!」
  「生物だ! 火星に生物がいるんだ!」
  そして画面には、火星の地面がムクムクと盛り上がり、かなりの大きさの動物が移動し
ていくらしい様子がはっきりと映し出されていく……。
  ここで、このテープは終わっていて、番組のキャスターは視聴者に向かってこう結ぶ。
  「我々スタッフは、取材の結果、米ソ両国の間に秘密の宇宙計画が進行していることを確信しました。そしてそれこそは、ガーシュタイン博士の話していた“第三の選択案”に違いないと考えるのです。今夜、この番組を見た人々の中から、この隠された事実の真相について話してくれる勇気のある人々が出てくることを期待しています。それでは、おやすみなさい」
  以上が事実を報告したものとすれば、いったいケネディ大統領が始めた『アポロ計画』とは何であったのか。米ソの宇宙開発競争は、まったくの茶番劇であったのか。もちろん、極秘の宇宙開発をカモフラージュするためという意味はあったかも知れないが、このような話もある。
  テレビ番組『第三の選択』に、グローディン宇宙飛行士という人物が登場していたが、彼は、月着陸から帰還後、精神不安定になり、酒を浴びるほど飲んで廃人同様になっていた。その彼は、番組スタッフにこう語ったのである。
  「俺たちは月面でまちがったところに降りちまったんだ。俺たちが着陸したとき、もうすでにそこには、俺たちの乗って行った宇宙船よりもはるかに立派な機械と人間が動き回っていたんだ。俺たちは、単なる一般大衆向けのデモンストレーション用に使われたお人形にすぎなかったのさ。連中は、俺たちには何一つ知らさず、ずっと以前から、あそこ(月)へ行って何かをやっていたに違いないんだ」
  彼はこれを喋ったがゆえに、その後、殺されたものと言われている。

関連して読んでみたい方はこちらをどうぞ → 月のUFOとファティマ第3の秘密
                           
 月は異星人の巨大宇宙船だった
<転載終了>

「食べること、やめました」

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1306-05.html
1年前にも載せているのですが、最近の訪問者の方もいらっしゃるので改めて。
<転載開始>
「食べること、やめました」
1日青汁1杯だけで元気に13年
森美智代・著  マキノ出版  2008年刊
光り輝く野菜の「オーラ」が見えた
  甲田医院では、現在は入院患者も新規通院患者も受け入れていませんが、私が入院していた当時は、最大で19人までの入院患者さんがいました。その患者さんたちがとる青泥や青汁の材料にする野菜は、医院の庭にある畑で作っていました。よく作っていたのは、ケール(キャベツの原種)、シロナ(ヒロシマナ)、チンゲンサイ、ツルムラサキなどです。
  私たちが入院しているところの窓や入り□から、青々とした畑が見えます。
  入院中のある晴れた日、何気なくその野菜畑を眺めていると、ケールなどの野菜から、きれいな「オーラ」が出ているのが見えました。実は、私は高校時代の終わりに甲田医院で断食したとき、人や動植物が出すいわゆる「オーラ」が見えるようになったのです。
  オーラとは、人によってさまざまに解釈されていますが、一般には「生命エネルギーが具現化したもの」と考えられています。微弱な電磁波エネルギーともいわれ、何層かになっており、その色や輝き方、広がり具合は、発する人や動植物によって千差万別です。
  このとき、畑の野菜からは、かげろうのように光り輝くオーラが出ていました。もっとも、そのときの私は、自分が見ているのがオーラだとは、まだ気づいていませんでした。
  けれども、野菜の周りに何かきれいなもの、イキイキとした生命力を感じさせる何かがあるのはよくわかりました。「きれいだなあ、イキイキしているなあ」「野菜も生きている。世の中には命がいっぱいあって、いっしょに生きているんだなあ」と感じたのです。
  何か世の中全体が輝いているようで、ただ「いいなあ」と思えたのです。
  その野菜を摘んできて、青泥や青汁にしてとるわけです。すると、自然に「葉っぱの生命力をいただく」という気持ちになります。命を生かすために、ほかの命を「移す」とか「入れる」というような感覚です。
  そんなふうに、「食事」を「ほかの命を移す営み」ととらえるようになると、今まで使っていた「おいしい」とか「楽しい」という形容詞が、自分の中でそぐわなくなってきました。食事は本来おいしいもの、楽しいものだと思っていると、「まずかったら嫌だ、つらい」となりますが、そういう回路があまり働かなくなってきたのです。
  もちろん、食事をおいしく味わい、楽しむことも、人に与えられた大切な喜びだと思います。それを否定するつもりはまったくないのですが、私には、なぜかこういう感覚の変化が訪れました。これをきっかけに、少しずつ、生菜食を自然に受け容れられるようになった気がします。

続きを読む

断食

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1306-04.html
<転載開始>
断食
滝泰三・著  冬樹社  1983年刊
絶大な野菜食の効果
  肉やバターを食べることが健康のためによいと考えている人がある。欧米ではベジタリアン・レストラン(野菜食レストラン)が繁盛している。英国には二千軒もあるというし「健康相談所」の看板をかけている店もある。肉が脳卒中や癌などの原因だとわかってきたのです。
  エスキモーの平均年齢は27~8歳といわれます。肉食のおかげでリュウマチも多く短命です。心臓病と肉は密接な関係があり、動脈硬化の原因となっています。ある学者の研究ですが、知能指数の低い人が肉を好むといっています。力道山など、毎日一貫目(3.75キロ)の肉を食べており、野球のバットで腹をなぐらせて鍛えたが、血液は酸性になり、腸はのび切っていた。短刀で刺されて死んだが、現在の医学ならこの程度の傷は治してしまう。いかんせん、腸がのび切っていて縫合しようにもつながらなかった。直接には短刀による刺傷だが、肉の食べ過ぎによる体質が死を招いたわけだ。
  野菜食にすると力がでないという説をいう人がいるが、メルボルン、ローマのオリンピックで金メダルを3つとったマリー・ローズ(オーストラリア)は、徹底した菜食を通した選手ですよ。お母さんが偉かった。生まれつきひ弱で神経質だったローズを食事で鍛え上げたのです。黒パン、玄米、黒糖、海藻、のり、ピーナツバター、蜂蜜とゴマとヒマワリの種子で作ったバター、野菜サラダなどが食事の中心だった。白砂糖は一切使わず、果物と海藻でつくったゼリーをとった。ビタミン類を自然食からしっかりとり、あの強靱な身体をつくりあげた。
  日本では野鳥愛好家の中西悟道先生は50歳になって軽い脳卒中をおこし、菜食に切り換えて健康になられた。水泳選手でターザン役のワイズミュラーもそう、松永安左衛門、吉川英治、教育大の杉靖三郎教授、谷崎潤一郎、など有名人にも菜食主義者は多いのです。
  菜食をお粗末なものという考えが流行している。客が来るとすぐ肉料理や高級魚の刺身をとる。大まちがいも甚だしい。野菜こそ最高の美食であり、ぜいたく食なのですよ。シミやソバカスは消え、精力は強くなる。スマートになる。頭がスキーッとする。肉こそ粗食なのですよ。肉食を続けると尿酸がふえる。肌が荒れる。血液がアルカリ性なら蚊に食われても腫れない。中和してしまうのです。女性の肌には特にはっきり現われますね。断食をした女性の肌は光っている。肉食をしていると肌が荒れ、胸かくが小さくなり骨盤が狭くなる。腋臭(わきが)が強くなる、気はいらいらし、荒くなる。自分で調理せずインスタント食品ですましてしまう。
  添加物のほとんどは毒性のものだ。不勉強とか非行の原因ともなっている。殺人者や強盗なども食生活に重大な原因がある。食生活のあやまり、美食主義でカロリーのとり過ぎになっている。三千~四千カロリーはとり過ぎですよ。食べ物はその人の一生を決定するといってもいいですね。悪い食生活の習慣を断食でいったんストップし、正食にかえすことですね。家族全体がよくなります。一家そろって健康、これほどありがたいことはありません。

続きを読む

人のからだは、なぜ治る?

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1306-03.html
<転載開始>
人のからだは、なぜ治る?
大塚晃志郎・著  ダイヤモンド社  1993年刊
「食養」を理論化し、提唱した石塚左玄
  それでは、いったいどういうものを食べたらよいのであろうか?
  一言で理想をいってしまえば、その国その風土に古来よりある、昔ながらの伝統食を食べるのが一番よいのである。
  日本の場合、その風土からとれた穀物──米、麦、あわ、きび、ひえといった穀類を主食とし、副食に野菜、海藻、豆類といったものを常食することである。考えてみれば、実に簡単なことである。日本では、古来より「五穀」を神への捧げものとして大切にした。
  そして、四季おりおりの旬のものを大切にとることである。
  さらに、美食をつつしみ、人工的な食品でなくできるだけ自然で生命力に富んだ「生きた食物」を節食せよ、ということである。「腹八分目に病なし」という言葉は、なにげないように思えて、重大な真実である。
  以上のようなことは全国の長寿村、短命村を長年にわたって研究した近藤正二博士の調査からも明らかであるし、山梨県棡原(ゆずりはら)という長寿村の研究をした古守豊甫博士の調査でも、同様な見解が出されている。また、水野南北という、百発百中とさえいわれた江戸時代の観相の大家からも、食がまさに人の運命を左右することが指摘され、五穀を中心とした簡素な食習慣の重大性が説かれている。
  このようなことを、理論的に実に明快な形で整理し、提唱した人物がいた。明治時代、陸軍の薬剤監として活躍した石塚左玄である。彼は、食養会というものを組織し、また自らも「食だけでどんな病気も治す食医」として患者の指導にあたり、大活躍した人物である。彼なくして、今日の日本における「食養」という系譜はありえなかった。
  彼の提唱したポイントをいくつか紹介すると、①身土不二、②穀菜食、③一物全体、④夫婦アルカリ論、の四つになる。
  「身土不二」とは、まさにわれわれの生命ある体というものが、われわれをとりまく自然環境、風土といったものと切り離しのできない一つのものなのだ、という考えである。われわれの体は、その風土その土地の自然からの恵みとしてできた食物をとることにより、その環境に実にうまく適応していけるようになっている。すなわちまた、その自然環境──日光、水、土といったもろもろのものが食物をつくり、われわれはその食物を通じて、その土地の自然環境そのものを間接的にエネルギーとして体内にとり入れていることになる。まさに、われわれの生命はまわりの自然を体内にとり入れることによって成り立っているわけである。ゆえに彼は、「食は命なり」というのである。
  「穀菜食」というのは、人間には、その歯の形状等から考察して、穀物を中心とする菜食がもっとも適しているという考えである。人間の歯の形状は、長い進化の過程で、自然環境からとり入れる食物に適応する形になっているはずである。すると本来、「人間は、穀物動物である」ということが、歯に臼歯が多いことから考えられるというのである。
  「一物全体」というのは、食物になるものは、もともと生きた全体としてあるもので、全体として一つのバランスのとれた栄養となっている、と考えられる。ゆえに、なるべく生きたものまるごと全体を食べよ、栄養のバランスそのものを食べよ、という提唱である。小魚なら頭の先から尻っぽまでの全体を食べよ、ということになる。逆に、一物全体で食べられないものは、なるべく避けたほうがよいということにもなる。一物全体として食べられるものが、ふだん食べるにふさわしいものというわけである。ゆえに、精白された穀物でなく、未精白の穀物──生命をまるごとかかえた玄米のようなもののほうがよいということになる。
  「夫婦アルカリ論」というのは、生体の体液において、おもにナトリウムイオンとカリウムイオンというミネラルが、一見相反するように見えながら、実は補い合うように、うまくバランスを保ちながら、生体の「体質」というものに大きくかかわっている、ということである。すなわち、ナトリウム、カリウムという電解質の化合物が、男女という全くちがう存在でありながらお互いにもちつもたれつである「夫婦関係」に似ていることから、左玄が「夫婦アルカリ論」と名づけたのである。「Na─Kの拮抗性」という言葉で呼ばれることもある。今日、多くのミネラルの生体への重要なはたらきが注目されてきているが、左玄はそのようなミネラルの微妙なはたらきを当時から見抜いていたのである。
  このことは、その後数十年のうちに臨床医学と看護の分野において、「体液と電解質」の重要性が注目されてきていることを考えると実にすぐれた洞察であったと思われる。
  この考えは、のちに世界に玄米菜食と東洋哲学を伝えた桜沢如一氏によって、東洋の「易」を応用した陰陽の実用的な哲学へと発展し、広がっていった。桜沢如一氏が発展させた陰陽による食生活法と思想は、マクロビオティック(Macrobiotics)という名で欧米諸国を中心に広く知られており、むしろ、今日日本にその価値が逆輸入されつつあるくらいである。

ひとくちコメント ―― 石塚左玄の食養論は今日でも高く評価されています。「何を食べるべきか(食べるべきでないか)」を考える上で、是非参考にしていただきたいと思います。その中にある「一物全体」の考え方でいきますと、同じ魚類でも一部分しか食べないマグロなどの大きな魚よりは、丸ごと食べられるちりめんじゃこのような小魚の方が優れた食べ物ということになります。また牛や豚などの肉類は丸ごと食べることはできませんから、人間の食べ物としてはふさわしくないことがわかります。
  かつてアメリカが世界中の権威ある学者を集め、国を挙げて調査・研究してまとめた「マクガバンレポート」というレポートがありますが、その研究も、「元禄時代以前の日本人の食生活が健康のためには最も優れている」という最終的な結論に達しています。「元禄時代以前」とした理由は、それ以後は日本人も精白米を食べるようになっており、精白した米は体に良くない食べ物であることがわかったからです。白米も「一物全体」の考えからすれば、胚芽や糠(ぬか)を取り去った“肉”の部分だけということですから、体にはよくない食べ物であることを知っておきたいと思います。(なわ・ふみひと)

<転載終了>

私の生活流儀

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1306-02.html
<転載開始>
私の生活流儀
本多静六・著  実業之日本社  2005年刊
健康と平凡生活
  私のいままでの健康法は毎日愉快に働いて、三度三度の食事をうまく食うことであった。「空腹は最良の料理番」というが、その有難い空腹を、心身の働きによってもたらすよう、常に忘れず心掛けただけのことである。つまりは、物質的にゼイタクをしない代りに、精神的に大いにゼイタクをすることにあったのである。
  朝起きは私の幼少時代からの習慣である。早晨希望に起き、深夜感謝に眠るというのが一日の生活理想で、夜は比較的宵ッ張りのほうであるが、それでもいつでも朝は早く起きる。とくに私は旅行の機会も多く、この朝起き癖で宿の女中たちをよく驚かせたが、いつ、どこへ行っても朝寝坊などはしない。これがまた絶えず新鮮な空気を吸い、十分日光に浴し、いつも食事をうまく食うという三要点に一致するに至っているらしい。
  酒は若い頃から相当に呑んだほうである。ことにドイツ留学以後は人並み以上にたしなんだ。駒場時代もビール会というのを盛んにやって、同僚間に問題をおこしたほどである。しかし60歳以後は大いに慎み、前記のように酒は一合、晩酌のビールは小瓶1本ということにした。その後さらに節酒を行い、仕舞いにはほとんど禁酒に近いまで呑まなくなった。いまでは、85にして、心の欲する処に従って矩を越えずとしゃれ込み、少しばかり、心持ちのいい程度に呑み始めた。これはお祖父さんを訊ねてきた孫たちに遠慮させぬために、適度にその対手をしてやる必要もあるにはあるが、節度のある飲酒なら、必ずしも健康上排すべからずとも考えたからである。
  煙草は昔からほとんどやらなかった。いまは全くこれを手にしたことがない。酒害より煙害のほうが、健康上によろしくないとは定説のようだ。

「ホルモン漬」の公開
  次に、私の専売特許のようにみられている「ホルモン漬」について一言しておこう。
  これについては、すでにラジオでも放送し、再三ほかにも発表したところ、いまもって各方面からの問い合わせが多く、まるで本多の健康が、「ホルモン漬」そのものから生れ出ているかのように喧伝されているので、ここに改めて概略の講義をしておく。
  さて、ホルモン漬といっても、何も特別な漬物があるわけではない。新鮮な大根その他の葉菜類、それに春先の本の芽または盛んに生育しつつある生食に適した植物の新芽、新葉、新蕾、新茎、新根、およそそういったものを毎日採集して、入念に水洗いをし、これを細かに刻み、食塩を少しふりかけ、しばらく石をのせて押しを利かせておくものに過ぎない。皆さんの家庭でも、作ろうと思えばいつでもすぐできるものである。ホルモン漬とは私の家でこう勝手に命名しておるだけのもので、決して専売特許でも、一手販売品でもない。
  古来、新芽、新葉の健康食物として有効なことは、幾多の学者によっても証明されており、また実際にもなかなかにおいしい。私の家では十数年来すでに試みつづけているが、これは普通刻みたてをそのまま食膳に供するか、塩加減の少ない場合はゴマ塩、醤油、またソースなどをふりかけて食する。とくに、炊きたての熱い飯にまぜたり、蒸しパン、サツマイモ、馬鈴薯などと混食すれば一段とその味が引き立ち、代用食に対する食欲も増進してくる。まず数カ月これを常用すれば、だれしも、なんだか体中に力があふれ、頭がハッキリして、幾年も若返ってきたような気持ちになること請け合いなのである。

続きを読む

幕末名医の食養学

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1306-01.html
<転載開始>
幕末名医の食養学
いま甦る「石塚左玄」の粗食健康法
沼田勇・著  光文社文庫  1994年刊
少食のすすめ
  栄養学者が金科玉条としている「栄養価値の高いものを楽しく食べる」ということの中には、恐るべき落とし穴があります。
  働きて食へばたのしも貧しかる
   夕餉の膳に言うこともなし(新万葉)
  Hunger is the best sauce(空腹にまずいものなし)
  「腹八分医者いらず」は、誰もが知っていることわざです。
  最近、アメリカの栄養学者は、「腹六分にすればガンは十分の一に減る」とさえいっているそうです。
  アメリカ人は日本人より1000キロカロリーも多く食べていますから、アメリカ人の腹六分は日本人の腹八分に相当する、と考えていいでしょう。
  時間がきたから食べ、喉が乾いていないのに飲み、むやみと味や色、匂いをつけたものを好奇心から食べることほど愚かなことはありません。少食が健康上大切なことを示すことわざや言葉は、洋の東西を問わず沢山あります。

  三食の中の二食は自分のため、他の一食は医師のため
  なるべく簡単に、なるべく少なく食べよ               (ソクラテス)

  僧侶、隠者の長寿はみな少食による                (ベーコン)

  私の同僚たちの中で、元気でたくましく、大いに飲み、大いに食べた者の大半は、平均寿命を超えるはるか前に他界しました。彼らの「太く短い人生」が、多食多飲の結果だったことは明らかです。
  ここで石塚左玄の教えを、改めて噛みしめたいものです。左玄が説いた人間主体の栄養論は、東洋的、総合的、哲学的で、それはまさに「食養道」とも名づけられるべきものです。
  事実、左玄は「食養道」という言葉を好んで使いました。もっとも、「過ぎたるは及ばざるが如し」で、『養生訓』で名高い貝原益軒(1630-1714)は、「飲食節に過ぎれば脾胃を損なう」と、いたずらな節食と少食を戒めています。少食については甲田光雄博士の詳しい研究があります。

実例が語ること
  石塚左玄以降の栄養学者で、少食論や少蛋白論を説いた人にチッテンデン(アメリカのエール大学生理学教授)のほか、デンマークのヒンド・ヘーデ教授と日本の二木謙三先生(文化勲章受賞者、東大教授)がいます。デンマークは1909年(明治42年)、ヒンド・ヘーデのために国立栄養研究所を新設しました。
  農村出身のヘーデは医科大学に入ったとき、健康を保つには肉を食べなければならないと教わり、大いに肉食に励みました。しかし、講義の内容と実際との間には大きなギャップがあり、彼は体調を崩し、頭の冴えもなくなったので、肉を減らしたところ体調はよくなりました。そこで肉食をやめたら、さらに体調はよくなったのです。3週間、2カ月、3カ月を過ぎても栄養不良の徴候は出ないどころか、かえって体質は改善され、心身ともに爽快になりました。
  50歳のときヘーデは、体重67キロを保つのに蛋白20グラムあれば足りるとし、蛋白118グラムは必要だとするフォイト教授の標準食とは大きな相違を示しました。第一次世界大戦(1914-1918)中、デンマークはヘーデの学説によって食糧を用意し、終戦まで1人の栄養失調者も出しませんでした。
  一方、ドイツは、フォイトの弟子のルブナーの指導で食糧を用意しましたが、戦争の後半では栄養不良者や餓死者を出し、国土に敵を一歩も入れなかったにもかかわらず戦いに敗れたため、「ドイツを敗北させしめたのはカイゼルではなく、献立を誤ったルブナーである」と、非難されたものです。
  大戦に参加したアメリカも、食糧不安を感じ、作戦上、不都合が生じ、食糧担当の政府顧問だった栄養学者のベネディクトは、チッテンデン教授を非難しました。が、大規模な実験の結果、同教授の説の正しいことを知り、論文をもって陳謝したのでした。二木謙三先生は玄米、菜食の少食論者でした。最初、二食論を唱え、それを実行後、体重は落ちましたが、半年ほどで元に戻り、体調もよくなられたので、一食を試みました。80歳を過ぎてからのことで、とても健康になられたのです。
  私も時折り、二本先生のお供をしましたが、食事になると先生は一人分しか注文せず、その四分の一を皿に取り、残りを私によこされるのです。そのため、随分とひもじい思いをしましたが、それも楽しい思い出になっています。

もっと読んでみたい方はこちらをどうぞ → 幕末名医の食養学
続きを読む

日本をここまで壊したのは誰か

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1305-30.html
<転載開始>
日本をここまで壊したのは誰か
西尾幹二・著  草思社  2010年刊
『逆境に生きた日本人』を読んで
  次のように日本人をきめつける言葉が相次いで並んでいる本を読んだら、読者はまずどんな印象を持つでしょうか。
  「権力者や組織という背景を失うと、多くの日本人はいかに弱い人間になってしまうのか、そして次の権力者に身を摺り寄せて迎合していく、これが日本民族の姿なのです」
  「(ロシアで出されていた)日本新聞の編集長、イワン・コワレンコ中佐は日本人について『集団主義で勤勉な反面、権力に弱い。それが日本人の民族的特性だ。何か命令されて言い争うことがまずない。私は日本人から〈はい、そうですか〉の返事以外、聞いたことがない。そんな特性が収容所の管理や捕虜の政治教育に大変役立ったよ』と語っています」
  「日本人のこの徹底して媚びる性質のため、地球上に人類が存在するかぎり、日本民族は決して滅びることはありません。例えどんな民族に日本人が征服されても、日本人は徹底して媚びることによって生存していくでしょう。そのかわり日本の文化はめちゃくちゃになります。そんなことを気にしないのが日本民族なのです。自国の文化が傷つけられ、あるいは否定されても無頓着であるということは、戦後7年間の占領政策が半世紀以上たってもほとんど何一つ変わらずに続いているのが証明でしょう」
  「『日本人は猿に支配されたら、団結して抵抗するより国民こぞって木登りの練習を始める民族である』これは名言ですね。実を言うと、私が常日頃思っていることを言葉にしただけです」
  「日本人は1.権威、権力に極端に弱い。2.変わり身が実に早い。3.裏切り者や変節者が多く出る。4.団結することができない。5.日本人は日本を愛せない」
  「私たち日本人は、変節、裏切りの遺伝子を持つため、変節者や裏切り者には実に寛大だが、信念を通す人には冷淡なのです」
  あまりに一方的に言われ放しで、一寸待ってくれと反論したくもなる半面、戦後の日本人の生態をつらつら考えると当たっている面も多いと思われるのです。とくに、ここにきての一段と過去の自分を裏切る日本の言論、NHKをはじめとするマスコミ、自民党も民主党も同じ体質を持つと分かった最近のいいかげんさを見ていると、なるほどと思わずにいられない気持ちになる人も少なくないでしょう。

続きを読む

自分の品格

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1305-28.html
<転載開始>
自分の品格
渡部昇一・著  三笠書房  2008年刊
人に「一目置かれる人」が例外なく持っているもの
  人でも、あるいは国家でも、品格というのは大切なことだ。それはその人、その国のトータルな「資質・力・可能性」を表わしているからだ。品格のない人、品格のない国に、これらのものを期待すべくもないのは明らかだろう。
  ところで、この品格は、その人、その国のプライドに大きくかかわっている。いわば、品格はプライドの高さが生み出したものといってもよい。プライドのない人、プライドのない国家に品格がないのは、まわりの人、あるいは世界のいくつかの国を見ればよくわかると思う。
  では、その大事なプライドというのは何かと言うと、二つの意味があって、いい意味では「誇り」であるし、悪い意味では「高慢」である。どんな美徳でも、それがオールマイティにいいものだということはあり得ない。いろいろな側面を持っていると考えなければならないだろう。勇気は人間にとって大切なものだと言うけれども、過ぎれば蛮勇になってしまうし、かといって少なすぎては臆病になる。
  このあたりの兼ね合いは難しいものなのだが、品格がある人、品性の高い人というのは、周囲の人たちに比べて、「卑しいことはやらない」という高いプライドを持っている人のことだ。あるいは、辱めを受けないということを、肝に銘じている人のことだろう。そしてこのプライドを持ってこそ、人は自分の限界を破っていけるのである。
  幕末や明治の初期に日本に来た外国人たちが、「日本人には二種類ある」と言ったのは、当時日本には品格のある人間と、そうではない人間がいたということを、実感として感じて表現した言葉だと思う。つまり、彼らは当時の武士とそうではない人たちの違いを的確に言い当てているのである。
  幕末から明治初期に来た外国人たちの目に映ったのは、ものすごくプライドの高い武士たちと、やたらとペコペコする商人たちだった。当時はすでに落ちぶれ果てていたとはいえ、武士は武士だから、辱められれば相手を殺して自分は腹を切るという覚悟はちゃんとできていた。これはやはり外国人の目にはすさまじいものに映ったと思う。
  ところが一方では、地方から横浜あたりに来て、外国人におべっかを使って、必死にくっついて、何がなんでも儲けてやろうという、商人の名に値しないような人たちもいた。こういう連中とプライドの高い武士の二種類いることに、当初外国人たちはとまどっていたのである。
  だが、日本の場合にはわりと早い時期に、外国と商売するような大きな商業については武士が取り仕切るようになっていった。元来は武士であった人たちが会社をつくったりしたのである。一般に、日本における株式会社の始まりとされている亀山社中をつくったのが坂本龍馬であることを見ても、それはわかると思う。
  けっして商売上手というわけではなかったろうが、こうして武士たちが商業に携わっていったおかげで、イギリスは日本を品格ある国と評した。
  その現われが、明治35年に結ばれた日英同盟である。他の国とは平等の条約など絶対に結ばなかったイギリスが、日本とだけは平等の軍事同盟を結んだのだ。これは、いかに当時の日本に品格があったかを物語っていると言える。
  そのころのイギリスから見れば、東洋人というのはすべからく軽蔑すべきものだった。まともな人間としてはまったく扱っていないのである。それは、イギリスがビルマに対して行なったことを見れば一目瞭然だ。
  イギリスがビルマを併合したのは1886年だから、明治19年頃の話なのだが、イギリスはこのとき、ビルマの国王をつれさって、王女を下っ端のインド兵あたりに与えてしまっている。王女をもらった男には、すでに夫人がいたわけだから、王女とはいえ、彼女はこの男の妾のようなものだ。こんな悪辣なことをイギリスは平気でやっていたのである。ちなみにこの王女の子孫はまだ生きていて、顔だけはかつての王族の気品が残っているが、学問も受けられず無学なまま生活している、というような記事を読んだことがある。
  それはともかく、ビルマの例を見るまでもなく、要するにイギリス人から見れば、東洋人はインド人だろうがシナ人だろうが何だろうが、ひっくるめて獣のごときものにすぎなかった。だからこそ、人間以下に扱っても平気だったのである。これは本当なのか嘘なのかわからないけれども、上海あたりの公園には「シナ人と犬は入るべからず」というような立て札があったと言われている。犬がこの立て札を読めるかどうかは別として、それほど東洋人は見下されていたのだ。

続きを読む

病気にならない生き方

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-enzyme.html
<転載開始>

 病気にならない生き方

新谷弘実・著  サンマーク出版  2005年7月刊
  「病気ではないけれど、健康とは言えない人」のことを、「未病」と言うそうです。「病気予備軍」ということでしょうか。著者は、最近の日本人には未病の人が増えていると述べています。そして、その原因が食べ物にあることを、胃相・腸相という新しい医学的所見に基づいてわかりやすく説明してくれています。
  自分や家族の健康について少しでも不安に感じることがある人はもちろん、健康には大いに自信があるという方も、まずはこの新谷医師の説明に耳を傾けてみて下さい。
  これまで信じていた栄養学がいかに間違ったものであるかがわかります。特に、肉や牛乳が健康によくない食べ物である理由は大変説得力があります。 (なわ・ふみひと)

        ‥‥‥‥‥‥ いまからでも、遅くはありません。 ‥‥‥‥‥‥

 プロローグ


  医師になって45年間、私は一度も病気になったことがありません。私自身が医師の治療を受けたのは、19歳のときにインフルエンザにかかったのが最初で最後です。
  私は現在もアメリカと日本の医療現場で働いています。医者というのは肉体的にも精神的にもハードな職業ですが、健康を保ちつづけていられるのは、ある健康法を日々実践しているからです。
  その健康法の効果を実感してからは、私が治療した患者さんたちにも実践していただいています。その結果はすばらしいものでした。それ以来、私の治療したガン患者のガン再発率はゼロ%といえるほどになったからです。
  いまから約35年前、私は世界で初めて、大腸内視鏡を使うことによって開腹手術することなくポリープを切除することに成功しました。これは当時、画期的なことで、この技術を持つ世界でただ一人の医師として、私は引っ張りだこになったのです。
  そして、まだ30代の若さで米国の大病院の外科胃腸内視鏡部長となり、朝から晩まで治療にあたってきました。
  気がついてみると、胃腸内視鏡外科医として、これまでに約30万例以上の人の胃腸を診てきたことになります。
  その膨大な臨床結果から、私は「健康な人の胃腸は美しく、不健康な人の胃腸は美しくない」ということを教えられました。こうした胃腸内の状態を、私は「人相」になぞらえて「胃相」「腸相」と読んでいます。健康な人の胃相・腸相はよく、不健康な人の胃相・腸相は悪いということです。
  胃相・腸相にもっとも大きな影響を与えるのは、食歴と生活習慣です。
  そこで私は診療の際に、患者さんたちに食歴と生活習慣に関するアンケートを行ないました。すると、よい胃相・腸相をしている人の食事や生活習慣と、悪い胃相・腸相をしている人の食事や生活習慣には、はっきりとした特徴があることがわかったのです。
  本書でご紹介するのは、こうした多くの患者さんたちの協力のうえにたどりついた「健康で長生きする方法」なのです。
  では、どうすれば健康で長生きできるのか――ひとことでいえば「ミラクル・エンザイム」を消耗しない生活を送るということでした。「ミラクル・エンザイム」というのは、かんたんにいうと、人間の生命活動を担っている5000種以上の「ボディ・エンザイム(体内酵素)」の原型となるエンザイムのことです。
 「エンザイム(酵素)」というのは、生物の細胞内に作られるタンパク質性の触媒の総称で、植物でも動物でも、生命があるところには必ずエンザイムが存在しています。
  私たちの健康は、日常何気なく行なっているさまざまな行為に支えられています。食事、水補給、運動、休養、睡眠、精神状態、――こうしたもののどれか一つにでも問題が生じれば、その影響は体全体におよびます。そんな人体の複雑なつながりを担い、健康に生きるために必要な恒常性を保つ役目を果たしているのが、ミラクル・エンザイムであると考えています。
  ところが現代社会は、その大切なミラクル・エンザイムを消費する要因に充ち満ちています。お酒やたばこといった嗜好品、食品添加物、農薬、さらに薬やストレス、環境汚染、電磁波などもミラクル・エンザイムを消耗させる原因となっています。そんな現代社会で健康を維持していくためには、自分の体の仕組みを知り、自分の健康は自分で守るという明確な意志を持って生活することが大切です。

 元気な百歳になる方法

  東洋医学には「未病」という言葉があります。健康とはいえないが、まだ病気になっていないという「病気の一歩手前」の状態を表す言葉です。現在の日本人には、こうした「未病」の人がとても多いのです。
  自分は健康だと思っている人のなかにも、慢性的な便秘や下痢、不眠症や肩こりなどに悩まされている人は少なくないはずです。こうした症状は、未病の体が送っているSOS信号といえます。「いつものことだから」と軽く見ていると、大きな病気に進行してしまう危険性だってあるのです。

  元気に生活している百歳の人と、寝たきりの百歳の人、その違いを生んだのは年齢ではありません。両者の違いは、それまでの百年間をどのように積み重ねてきたのかによって生じるのです。ひとことでいえば、健康でいられるか否かは、その人の食事・生活習慣次第だということです。
  では、どのような生活習慣を身につければ、健康で長生きできるのでしょうか。

続きを読む
記事検索
情報拡散のため1回ポチッとクリックお願いします。
人気ブログランキングへ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新記事
最新コメント
カテゴリ別アーカイブ