https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/37519
<転載開始>
(2026年3月4日付掲載)

大勢の日本人を乗せて博多港に着いた釜山からの引揚げ船(1945年10月)
名古屋市在住の富田祥子氏(83歳)から北朝鮮からの引き揚げ体験を聞いた。当時3歳だが、引き揚げの途中の出来事は鮮明に記憶に残っている(体の中に入っている)という。富田氏はこれからの日本を背負う子どもたちが自分と同じような異常な体験をしなくてもよい平和な世の中になることを願い、長年にわたり子どもたちや学生らに体験を語ることを続けてきた。しかし「今回の衆議院選の結果を見ると小さいことをしていたら間に合わない。このままでは日本は戦争をする国になってしまう」と怖くなってきたという。「それでも一人一人の力は小さくても集まれば大きな力になることを信じ、可能な限り語れることは語る」と思いも新たにしている。富田氏は10年ほど前にみずからの記憶を書き留めておこうと長文のメモ「私が生まれた頃日本は戦争をしていた」を作った。以下、このメモをもとに本紙が聞きとった引き揚げ体験を紹介する。
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富田祥子氏
私は中国との国境近くの北朝鮮の茂山という所で生まれた。父は北朝鮮で発電所関係の仕事をしていた。朝鮮にいる時は社宅住まいで結構いい暮らしをしていたようだ。茂山の冬は氷点下30度近く下がったそうだが、オンドルで家の中は暖かかったそうだ。「そうだ」というのは私は1945年8月15日以前の事は全く記憶がないからで、その日までの私は何も知らない平凡な暮らしをしていた普通の幼児だった。
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