【 (千成記)】102
ゴミ夢と判断した場合、いかなる夢の内容であっても気にしないこと。 楽しい夢だったら 「ああ楽しかった」 と忘れる。 苦しい、気持ち悪い夢の場合は 「あれはゴミ夢と分析できたので、一切気にしない」 と思えばいい。 ゴミ夢でなぜそのような恐ろしい夢を見たか、自問すれば容易に気づくはずである。 借金苦、病気への恐れ、テストへの不安、会社でのストレスなど、必ず自問すれば、自分の心のひだが自覚できるはずである。 わたしは昔、プロのパイロットであった。 ある夜の夢で滑走路上空を低空で背面飛行をしていた。 ところが操縦を誤り、背面飛行のまま滑走路に激突したのである。 恐怖のあまり「ギャーーーー」と大声を発し飛び起きた。 妻もその大声と悲鳴で飛び起きた。 体中、汗でビッショリ。 恐怖は強烈で心臓は飛び出しそうな鼓動を打っていた。 予知夢をよく見ていたわたしだったし、また現役のパイロットであったのでそのまま眠ることもできす、夢を分析するためにストーリーを思い出そうとした。 すぐにその画面に背面飛行をしていた飛行機の客観的な映像が一部含まれていたこと、落下重力感があったことを思い出した。 「あ~、よかった」 「予知夢ではない」 と判定できたので、安心して翌日のフライトに臨むことができたのである。 予知夢はゴミ夢とまったく異なり、現実の実際の場を今と同じ視点で、そのままを見る。 間接的な自分の操縦する飛行機の姿は絶対見ることはない。 万一、滑走路に激突する直前まで、すべてコックピットからのいつもの視点のままの姿だったらわたしも容易く分析はできなかっただろう。 ところが夢に客観的な飛行機の姿が一部あったことから、夢の時間の流れまで思い出す必要がなく、すんなりゴミ夢として片づけられたのである。 わたしの場合肉体や自我の作り出す残自我意識の夢、つまりゴミ夢と判断した場合一切その原因を考えないことにしている。 考えれば自己暗示となり、悪い夢ほど悪い結果を招くからである。 予知夢のシーンと未来に見るシーンとはあなたの目線、視点は一片の相違もない。 |
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