大摩邇(おおまに)

日常の気になる記事を転載させていただきます。

武士道

「情けは味方、仇は敵」:「トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件」の教訓!

井口博士のサイトより
http://quasimoto.exblog.jp/16617934/
<転載開始>
武田節(三橋美智也)


みなさん、こんにちは。

「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」という言葉は、「風林火山」の武田信玄の哲学を歌にして、現代にまで語り継がれている、「武田節」の一説にある言葉である。これは「人間」の世界では、いつでもどこでも通用する真実でもある。しかしながら、私のように、山梨県出身者には常識の1つだろうが、他の地方の人々はもちろん知らないにちがいない。

しばらく前に「ねずきち氏」の
トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件


明治23年(1890年)の出来事です。
トルコ皇帝ハミル二世が日本に派遣した特使一行を乗せたトルコ軍艦エルトゥールル号が、帰路、暴風雨に遭遇してしまいます。

そして、和歌山県串本町沖合で、岩礁に衝突し遭難した。

この遭難事故で、トルコ特使を含む518名が死亡してしまいましたが、死を免れた69名は、地元漁民の手厚い救護により一命を取りとめます。

このとき串本の村人たちは、台風により漁ができず、自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護しました。

貧しい村人たちにとっても、ほんとうに命がけの救助と介護だったのです。
そして遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。

にあったように、当時の日本の田舎の漁民たちが行った親切をトルコ国民は未だに忘れない。いまも教科書で、極東日本人の行ってくれた親切として紹介し、国民全体が骨身に沁みているというのである。

それに対して、どうも日本に住む在日系の人々はそういう人間の機微というものを理解できないらしく、事ある度に、悪さを働いているようですナ。まあ、悪い事をするときは日本人のせいにしろ、いい事をするときは自分たちのおかけだと言え、というメンタリティーが生きているからだと言われている。

わざわざ「言わずと知れた」というのが、古来の日本人の「情緒」の1つであるが、もちろん、世界もそうである。「言わなくては分からない」というのはウソで、それは悪魔主義に毒されたアメリカの一部の人たちの話である。どこの世界の人でも「分かる人には分かる」、「わざわざ言わなくても、その行為から分かる」のである。ここを誤解してはならない。まあ、私個人はそう考えているということですナ。

さて、再びそのトルコの東部で大地震が起きた。今回は、前回の救助のために駆けつけた日本人のうち2人が被災したようである。しかしながら、やはりトルコ人は日本人に親切だった。以下のニュースである。
トルコ余震でホテル倒壊、日本人女性1人救出
 【カイロ=田尾茂樹】米地質調査所(USGS)によると、トルコ東部ワン県で9日午後9時23分(日本時間10日午前4時23分)ごろ、マグニチュード(M)5・7の地震があり、ロイター通信によると少なくとも3人が死亡した。
 ホテル2棟を含む約20棟が倒壊し、100人以上ががれきの下で生き埋めになっている可能性がある。10月に起きた地震の被災者支援のため現地入りしていた日本人2人も巻き込まれた。そのうち1人は救助された。
 在トルコ日本大使館などによると、巻き込まれたのは日本の非営利組織(NPO)「難民を助ける会」メンバーの近内みゆきさん(32)と宮崎淳さん。倒壊した「バイラムホテル」に宿泊していた。
 このうち、近内さんは救助隊に助け出された。病院に搬送された近内さんと大使館員が電話で話したところ、近内さんは頭に重傷を負ったものの、意識はしっかりしているという。近内さんが救助隊の手で担架に乗せられ、救急車に運ばれる様子はトルコ国営テレビで流れた。


 倒壊したホテルの下にいて、地上と会話できる男性がおり、宮崎さんの可能性があるとの情報もある。
 今回の地震は震源の深さが約4・8キロ。被害は県都ワン一帯に集中している模様だ。ワン県では10月23日にM7・2の地震があり、600人以上が死亡した。今回はその余震とみられる。
(2011年11月10日11時12分 読売新聞)


これを見ても、「情けは味方、仇は敵」という事がいまもって真実であるということが分かるだろう。まあ、それはあくまで我々地球人類の中のお話だが、欧州貴族のように、外宇宙からの使者が先祖だということを自慢しているというような特殊な民族にはきっと通用しないのかもしれないですナ。
<転載終了>

ヤーの国

煩悩くん フルスロットルさんのサイトより
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2170.html
<転載開始>
昨日10/16(日)は全国的に夏のような日差しでメチャ暑かっただす。最近のこの暑さに勘違いしてか、全国的に桜が「狂い咲き」したとのこと。

ふと、日月神示の言葉が脳裏を過ぎる。

八のつく日に気つけて呉れよ
だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ
冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。
(下つ巻 第30帖072)


まぁ、今はではないだすが、、、、桜の狂い咲きには要注意なのは同じだす。

前回の記事内容に沿った記事を発見したのか、某VIPの方から緊急コメが来て知ったのですが、あの3.11を緊急来日して警告した雑誌「フォーブス」でも特集され世界最強の予知能力者の誉れ高いロン・バート氏が、再び日本についてツィートで言及し始めているのだそうです。

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tomorrow 11pm giving away one reading first one to tweet 11pm tomorrow night
明日(米国時間10月17日の)午後11時に、ひとつのリーディングをツイートする予定。

Japan this is goin to be some ride, I want to spend more time there to help and warning when needed I love Japan Peace Out !!!!
日本…これは進行している。必要に応じて警告を発して、(日本を)助けるために、そこでより多くの時間を費やしたいと思っています。日本が大好きです!

I am writing a book now about it yes I have strong worries
とてつもない心配ごとがあって、今、それについて本を書こうと思っています。

love you japan forever

love you japan

needs to be prepared for 201?
201?に備えることが必要です。

Japan is in for big earth changes shortly
日本は、間もなく地球規模の変化に飲み込まれそうです。

(※時系列は下から上へです。最初が10月9日発信)

■東京のホットスポットにて (カレイドスコープ)
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-944.html
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地球規模の変化って、、、一体、どんなん(汗)。

で、日本が飲み込まれるって、、、どんなん?(滝汗)
タイの洪水のように国土の大部分が麻痺状態になってしまうのだすか?

最新のロンのツィートでは、米国時間10月17日午後11時(日本時間10月18日2時頃)にあるリーディングをするそうですが、この日は「8」の付く日だす。い、いやいや、そんな発生する当日に警告発したって意味ないだす。「201?」とあることから、もっと先のことかもしれんだす。この書き方からは年始年末という線も濃いだす。しかし、ここはコルマンインデックスの最終日10月28日に発生するとしておこう。心の準備というものもあるし、、、、
※註 あれ以来、エレニン彗星情報なくなってしまっただすなw

では、その時、何が起きるかと予想すれば、、、、、

神戸大の石橋克彦名誉教授(地震学)が13日、静岡市で開催中の日本地震学会で発表した説、、、、つまり、駿河トラフや南海トラフ沿いで巨大地震が発生した場合、新潟、長野、山梨、静岡県にまたがる「糸魚川―静岡構造線(糸静線)断層帯」まで連動する超巨大地震になる可能性があるという。

かつて日本列島は2つの島であったのですが、この巨大連動地震でフォッサマグナの左側境界線である糸魚川-静岡線を境に、また再び元の2つの島に分かれて「八」の字状の列島になってしまうのかもしれない。松代が動くのだから、当然、富士山も噴火するかもしれませんね、、、(汗)

これが九重の正体かもしれん。

でも、これで名実共に「八(ヤー)」の国となる!?

ヤー
(日本列島はダチョウ倶楽部の寺門ジモン・肥後克広・上島竜兵のように3つの部位、西日本・フォッサマグナ・東日本からなる列島だった。)
<転載終了>

僕、殺されてしまうかもしれないから、・・・・-山本太郎氏-

つむじ風さんのサイトより
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/09/post_025f.html
<転載開始>

山本太郎、地上波で吼える!!
蓋し、正論である!!
殺しちゃならぬ、護らにゃならぬ!!
『告発』され、人格攻撃が山本太郎氏にも及ぶ・・・・!?


関西テレビの『たかじん胸いっぱい』に出演して、山本太郎氏は吼えた。おそらく、この動画はあの鵺のような似非右翼の輩が出没して、YouTubeから消される虞が多分にある。

Photo



 だから、拡散する。勿論、動画は確保した。


 氏は、正論を吐いている。勇気ある行動だ。収入も1/10になったという。それでも意気軒昂だ。こういう行動は断固護らなければならない。これが封鎖される国家は、存在理由がない。唯一の方法は、声を上げる事だ。

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 世論が唯一の援護射撃だ。


 利益欲望の精神に狂った人々を覚醒しなけりゃならない。『人の命は、地球よりも重い』と言った、どこかの首相が居たが、あれはどこの国だっけ?

Photo_3



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自分の品格

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1005-2.html#28
<転載開始>
人に「一目置かれる人」が例外なく持っているもの
  人でも、あるいは国家でも、品格というのは大切なことだ。それはその人、その国のトータルな「資質・力・可能性」を表わしているからだ。品格のない人、品格のない国に、これらのものを期待すべくもないのは明らかだろう。
  ところで、この品格は、その人、その国のプライドに大きくかかわっている。いわば、品格はプライドの高さが生み出したものといってもよい。プライドのない人、プライドのない国家に品格がないのは、まわりの人、あるいは世界のいくつかの国を見ればよくわかると思う。
  では、その大事なプライドというのは何かと言うと、二つの意味があって、いい意味では「誇り」であるし、悪い意味では「高慢」である。どんな美徳でも、それがオールマイティにいいものだということはあり得ない。いろいろな側面を持っていると考えなければならないだろう。勇気は人間にとって大切なものだと言うけれども、過ぎれば蛮勇になってしまうし、かといって少なすぎては臆病になる。
  このあたりの兼ね合いは難しいものなのだが、品格がある人、品性の高い人というのは、周囲の人たちに比べて、「卑しいことはやらない」という高いプライドを持っている人のことだ。あるいは、辱めを受けないということを、肝に銘じている人のことだろう。そしてこのプライドを持ってこそ、人は自分の限界を破っていけるのである。
  幕末や明治の初期に日本に来た外国人たちが、「日本人には二種類ある」と言ったのは、当時日本には品格のある人間と、そうではない人間がいたということを、実感として感じて表現した言葉だと思う。つまり、彼らは当時の武士とそうではない人たちの違いを的確に言い当てているのである。
  幕末から明治初期に来た外国人たちの目に映ったのは、ものすごくプライドの高い武士たちと、やたらとペコペコする商人たちだった。当時はすでに落ちぶれ果てていたとはいえ、武士は武士だから、辱められれば相手を殺して自分は腹を切るという覚悟はちゃんとできていた。これはやはり外国人の目にはすさまじいものに映ったと思う。
  ところが一方では、地方から横浜あたりに来て、外国人におべっかを使って、必死にくっついて、何がなんでも儲けてやろうという、商人の名に値しないような人たちもいた。こういう連中とプライドの高い武士の二種類いることに、当初外国人たちはとまどっていたのである。
  だが、日本の場合にはわりと早い時期に、外国と商売するような大きな商業については武士が取り仕切るようになっていった。元来は武士であった人たちが会社をつくったりしたのである。一般に、日本における株式会社の始まりとされている亀山社中をつくったのが坂本龍馬であることを見ても、それはわかると思う。
  けっして商売上手というわけではなかったろうが、こうして武士たちが商業に携わっていったおかげで、イギリスは日本を品格ある国と評した。
  その現われが、明治35年に結ばれた日英同盟である。他の国とは平等の条約など絶対に結ばなかったイギリスが、日本とだけは平等の軍事同盟を結んだのだ。これは、いかに当時の日本に品格があったかを物語っていると言える。
  そのころのイギリスから見れば、東洋人というのはすべからく軽蔑すべきものだった。まともな人間としてはまったく扱っていないのである。それは、イギリスがビルマに対して行なったことを見れば一目瞭然だ。
  イギリスがビルマを併合したのは1886年だから、明治19年頃の話なのだが、イギリスはこのとき、ビルマの国王をつれさって、王女を下っ端のインド兵あたりに与えてしまっている。王女をもらった男には、すでに夫人がいたわけだから、王女とはいえ、彼女はこの男の妾のようなものだ。こんな悪辣なことをイギリスは平気でやっていたのである。ちなみにこの王女の子孫はまだ生きていて、顔だけはかつての王族の気品が残っているが、学問も受けられず無学なまま生活している、というような記事を読んだことがある。
  それはともかく、ビルマの例を見るまでもなく、要するにイギリス人から見れば、東洋人はインド人だろうがシナ人だろうが何だろうが、ひっくるめて獣のごときものにすぎなかった。だからこそ、人間以下に扱っても平気だったのである。これは本当なのか嘘なのかわからないけれども、上海あたりの公園には「シナ人と犬は入るべからず」というような立て札があったと言われている。犬がこの立て札を読めるかどうかは別として、それほど東洋人は見下されていたのだ。


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日本人の本能

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1005-1.html#07
<転載開始>
歴史の「刷り込み」について
渡部昇一・著  PHP研究所  1997年刊
祖国への誇りから生じる品格
  さて、個人個人が自助の人であり、立派な人であれば、そのまま国家として見た場合にも「品格」があるといえるのかという疑問が一方で湧いてくる。やはり国家として見た場合には、個人とは別に、「ナショナル・キャラクター」(国民性)を特徴づける何かが存在するのではなかろうか。それでは、自助の精神に裏打ちされた個人個人は、いかにして国レベルでの品格をも備えることができるのだろうか。
  これを解く鍵として、私は再度スマイルズの『品性論』を繙(ひもと)いてみた。彼は次のような趣旨のことをいっている。
  「国としての品格は、自分たちは偉大なる民族に属するという感情から、その支持と力を得るものである。先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖の遂げた光栄を永続させるべきだという風土がその国にできあがったときに、国家としての品格が高まる」(渡部訳)
  スマイルズのこの主張をもとにして、わが国日本という国家、日本人についての検討をしていくことにする。
  (中略)
  日本人としての新たなる指針を打ち出すためにも、黒船が来た辺りからの日本人に焦点をあてて、その特徴や特性を抽出していくことにしよう。すると、かつて日本人は案外と西洋人の尊敬を得ていたことに気がつくのである。

畏怖感を与えた日本の武士
  たとえば、19世紀頃のシナや朝鮮にいた西洋人というのは、シナ人や朝鮮人を軽蔑することしか知らなかった。なぜなら、李朝末期の朝鮮の汚さは、まさに言語に絶したものだったからである。このことについては西洋人による研究も数多くあり、それについては『日本の驕慢 韓国の傲慢』(渡部昇一・呉善花共著、徳間書店)にもいくつか引用している。一方、同時期の日本はといえば、全く軽蔑されることはなかった。というのは、目に見えるところでは清潔であったというのである。玉川上水などの上水道がいたるところで整備され、都市の庶民でも24時間きれいな水を飲むことができたのである。
  そして、西洋人をもっと驚かせたことは、日本人は決して卑しくなかったことである。日本に来た宣教師は、日本という国においては、お金は万能ではないのだということに気がつき、非常に感心している。日本には武士という人たちがいて、それは必ずしも金持ちではない。一方で、商人というのはたいそう金持ちである。にもかかわらず、金持ち必ずしも貧乏な武士に威張ることはできない。こうした富よりも強い道徳があるようなこの国は、なんとも神に近い存在であるという趣旨のことをいって褒め讃えている。
  また別のエピソードとして次のようなものがある。万延元年(1860年)の春、数名の大名が使節としてアメリカに送られた。その中の正使新見豊前守正興などの評判がすこぶる良いのである。生まれつきの大名というのは、子供のころから善意の人間しかいないところで育ってきているためか、ずるいなどという感覚を全く持っていない。それが異国の地にいる人々にも伝わるのである。
  評判がいいのは大名だけではない。彼に同行した武士についても同じである。武士というのは、辱められたらいつでも死ぬ覚悟ができている集団である。だからこそ、どこへ行っても決して辱められるようなことにはならなかったのである。
  さらに一層、西洋人が感心したというエピソードがある。幕末期、薩長と江戸が戦争を起こしたときであった。フランスは当時、鉄工所などを作る手助けをしていた縁で、幕府側すなわち江戸を助けたがった。一方、イギリスは薩長の方を助けたいと願い出た。
  さぞかし薩長も江戸も喜んだだろうと思いきや、両者とも「結構です」といってせっかくの申し出を断ったのである。けんかをするのに外国の助けはいらない、何がなんでも勝てばいいという問題ではない、下手に助けられでもしたら、その後どんな落とし前をつけさせられるか分からないと考えたからである。
  これを聞いて、英国公使ヘンリー・スミス・パークスはそれまでの態度を一変した。なんと立派な国民なのか、と。パークスは長い間シナ人を相手にしており、そこから得ていた教訓とは、シナ人には怒鳴らなければならないということであった。きっと同じ東洋人なのだから日本人だって怒鳴りさえすればいいだろうと思っていた。ところが日本人には利かなかった。下手に怒鳴ると逆に殺されかねない。無礼なことをすれば殺される。そして責任をとらせると、日本人は皆、堂々と腹を切る。事実、パークスは腹を切るところを見せられたのである。
  これを見れば日本人に畏怖を感じずにはいられない。これまで他のどの有色人種に対しても決して持ち得なかった畏れを初めて起こさせたのである。ここに、日本人の「品格」と呼ぶべきものを感じることはできないだろうか。

ひとくちコメント ―― ここに紹介されているような日本の「品格」は、いまやアメリカ(を裏から支配する勢力)によって完膚無きまでに打ち砕かれてしまいました。この本を読みますと、かつて西洋人を畏怖させた日本国民の品格の源流には、やはり「武士道」の精神があったことがわかります。今はもう国としてそのような日本人の品格を取り戻すことはできないと思われますが、私たちの偉大な祖先が築いてきた日本の品格を誇りに思うと同時に、自分の足下からでも守る努力をしていきたいものです。(なわ・ふみひと)
<転載終了>

現代語で読む最高の名著 武士道

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1004-1.html#09
<転載開始>

現代語で読む最高の名著 武士道

なぜ「武士に二言はない」のか?

新渡戸稲造  奈良本辰也/訳・解説  三笠書房

武士道は損得勘定をとらない
  軍事教練において、当然あるべきものとされていながら武士道の訓育に欠けているものに算術がある。しかしこれは封建時代の戦闘は必ずしも科学的正確さを伴うものではなかった、という事実により一応は説明がつく。だがそのことのみならず、サムライの訓育全体から見て、数の観念を育てるということは都合が悪かったのである。
  武士道は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。武士道にあっては、ヴェンティディウスがいったように「武人の徳とされている功名心は汚れをまとった利益よりも、むしろ損失を選ぶ」とさえいう。
  ドン・キホーテは黄金や領地よりも、彼の錆びついた槍や骨と皮ばかりのロバに誇りをもっている。そしてわがサムライはこのラ・マンチャの誇大妄想にとりつかれた同志に満腔の敬意を払っている。彼は金銭そのものを忌み嫌う。金儲けや蓄財の術にたけることを嫌う。
  彼にとってはそれは紛れもない不正利得であった。
  時代の頽廃を述べるときの常套句は「文臣銭を愛し、武臣命を惜しむ」というものであった。黄金を惜しみ、生命を失うことを恐れる風潮はそれらを無駄に費やすことと同じく、非難の的となった。
  よく知られている格言は、「なかんずく金銀の欲を思うべからず、富めるは智に害あり」といっている。したがって、武士の子弟は経済のことをまったく眼中に入れないように育てられた。
  経済のことを口にすることは、むしろはしたないこととされた。そしてさまざまな通貨の交換価値を知らないことが育ちのよさのあかしとさえされた。
  数の知識は、出陣や陣立や恩賞、知行の際に欠くことができなかった。だが金銭の計算は身分の低い者に任された。
  多くの藩で藩財政は小身の武士かあるいは僧侶に任されていた。もちろん思慮のある武士は誰でも軍資金の意義を認めていた。しかし金銭の価値を徳にまで引きあげることは考えもしなかった。武士道が節倹を説いたのは事実である。だがそれは理財のためではなく節制の訓練のためであった。
  奢侈は人格に影響を及ぼす最大の脅威と考えられた。もっとも厳格かつ質素な生活が武士階級に要求された。多くの藩では倹約令が実行された。
  書物で知るところによると、古代ローマでは収税吏や財政をとり扱う官僚がしだいに武人の階級に昇進し、その結果、国家は彼らの職務や金銭そのものの重要さに対して重い配慮を払うようになった。このことからローマ人の贅沢と強欲が引きだされたと考えることもできよう。
  だが武士道にあってはそのようなことはありえなかった。わが武士道は一貫して理財の道を卑しいもの、すなわち道徳的な職務や知的な職業とくらべて卑賤なものとみなしつづけてきた。
  このように金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、武士道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から免れてきた。
  このことがわが国の公務に携わる人びとが長い間堕落を免れていた事実を説明するに足る十分な理由である。だが惜しいかな。現代においては、なんと急速に金権政治がはびこってきたことか。


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マハトマ・ガンジーの言葉:「明日死ぬと思って 生きなさい。 永遠に生きると思って 学びなさい。」

井口博士のサイトより
http://quasimoto.exblog.jp/14398080/
文字化して戴きありがたいことです<m(__)m>
<転載開始>
みなさん、こんにちは。

昨日メモしておいた、「マハトマ・ガンジー名言集」



というYouTube番組にある言葉の数々。実に印象的で良い言葉である。本当に心に響く。思わず涙さえ浮かぶ。そこで、その言葉もまたここにメモしておこう。

マハトマ・ガンジー名言集

すべての人の目から
あらゆる涙をぬぐい去ることが
私の願いである。


私には世界に教えることは
何もありません。
真実や非暴力はあの丘と
同じくらい昔からあるのです。


束縛があるからこそ
私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ
高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ
私は走れるのだ。


自分が行動したこと
すべては取るに足らないこと
かもしれない。
しかし、行動したという
そのことが重要なのである。


暴力によって得られた勝利は
敗北に等しい。
一瞬でしかないのだから。


弱いものほど
相手を許すことができない。

許すということは
強さの証だ。


もし、ただ一人の人間が
最高の愛を成就するならば

それは数百万の人々の
憎しみを打ち消すに
十分である。


「目には目を
という考え方では
世界中の目を
つぶしてしまうことになる。


世界の不幸や
誤解の四分の三は
敵の懐に入り
彼らの立場を理解したら
消え去るであろう。


握り拳と握手はできない。


明日死ぬと思って
生きなさい。
永遠に生きると思って
学びなさい。


あなたの夢は何か
あなたの
目的とするものは何か

それさえしっかり
持っているならば
必ずや道は開かれるだろう

唯一私がやっているものも入っていた。それは「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」である。私はまさにそうやって生きているつもりである。日々「生きているうちに生命の原理を見つける。古今東西世界中のすべてを知り尽くすのだ」と思って学んでいるからですナ。言い方を変えれば、「世界のエントロピー増大(混乱)を防ぐには、情報エントロピーを自分の頭に無限に大きくしなくてならない」という変な妄想に取り付かれているからである。


参考:
マハトマ・ガンジー


おまけ:
21世紀への伝言1/5【非暴力・不服従】ガンジーとキング牧師


デモも基本は、非暴力・不服従。右の頬を打たれたら左の頬を差し出す。
<転載終了>

日本の一大事

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1003-1.html#01
<転載開始>
日本の一大事
佐藤愛子・著  集英社文庫
親教育の必要
  この頃しみじみと思い出すことがあります。十年くらい前のことだけど、カンボジアでボランティア活動中に射殺された中田厚仁さんという青年の事件がありました。その時、中田厚仁さんのお父上がテレビでいわれた。
  「こういう事態が起こるかもしれないことは覚悟していました。希望していた国際貢献が全うできて本人も思い残すことはないでしょう」
  そう語る中田氏の口辺には微かな笑みさえ湛えられていたのです。
  その姿、言葉に対して私は、「ついに滅び去ったかと思っていたかつての『日本の父、日本の男子』がまだ存在していたという驚きと感動を覚えずにはいられなかった――」と当時のエッセイに書いています。
  ところがその夜、テレビでその記者会見のビデオフィルムが流された後、キャスターの久米宏が、こういったんです。
  「こういう時にあんなふうにニコニコ笑えるもんですかねえ」
  そういって、ちょっと小首をかしげる素ぶりをした――ということは、「こんな時にニコニコ笑えるなんて、たいした人物だ」と褒めているのではなく、さりげなく皮肉をいってみた、というイヤミな感じを出そうとしてるようで、私は思わずむっとした。
  その後、朝のワイドショウなどでも「少しカッコをつけすぎる」というような中田氏への疑問や批判があったということで、ビートたけしも「こういう立派なことをいわせる(いわねばならぬと思わせる)社会の方に問題がある」といっていたとか。不愉快というよりも、私はもうほとほとこの国がいやになりましたよ。
  日本人は変質した。価値観ばかりか、感受性が根こそぎなくなった。人の心の襞(ひだ)を汲みとるデリカシイをかつての日本人はみな持ってましたよ。しかし今は心の陰翳(いんえい)を感じ取る前に、自分勝手な独断的分析をし批評をする。
  人の言葉の蔭にあるものがわからない、わかろうとしない高慢な不感症になり果てた。
  確かにかつての日本には心にもない建前をいわねばならないという社会風潮がありました。
  「お国のため、天皇陛下のおん為に立派に死んできます」
  と戦地へ赴く兵士が挨拶したことなんかそうです。海軍では戦死者の遺族には涙を隠して、「お国のために役立って本人も本望でございましょう」
  と弔問客に挨拶しなければならなかった。
  それを国家権力に支配されていた哀れな人間の姿であると決めつけるのは簡単です。しかし、そういう言葉を口にすること――こういうのを痩我慢というのでしょうが――痩我慢をして歯をくいしばって悲しみを耐えることが、かつて我が国では美徳だったのです。日本人はそういう歴史の中を生きてきた。泣き崩れるよりも我慢している姿を美しいと、誰もが感じた。そして実際にそうすることで悲しみを越えたのです。泣き喚いて越える場合もあるが、耐えて微笑して越えるということもある。それは権力によるものというよりは、日本の国民性、文化だったと私は思うのね。
  少なくとも私などの年代までは悲歎を押し殺して、建前をいう姿に心打たれました。そうしてそこに「惻隠(そくいん)の情」というものが生れ、「口には出さないがわかり合っている」という、しみじみとした優しい人間関係が出来たのです。そういうデリカシイを日本人は愛したのです。それは陰翳を尊ぶ日本の文化の源です。
  テレビの若いタレントが中田氏にこう質問しました。
  「中田さんはずいぶんご立派なことをいっていらっしゃいますけど、本当の気持ちはどうなんですか?」
  開いたロが塞がらないとはこういうことをいう。もう「惻隠」なんてことはいわない。せめて礼儀を弁(わきまえ)えよといいたい。だがこういっても何が、どんなに礼儀に外れているかがこのバカにはわからないだろう。
  昔はバカは後ろに引っ込んでいたものだ。昔のバカはえらかった。自分がバカであることをちゃんと知っていた。お前はバカだから引っ込んでいろと教える人がいた。今はそれを教える人がいないばかりか、テレビメディアではバカを出せばそれなりに(面白がられて)反響が起きると浅はかに考えるものだから、バカはテレビに出られるのはエライからだとカン違いして平気でしたり顔してしゃべる。
  こういうことをいうと、バカバカとそういう差別語はやめなさい、などとしゃしゃり出てくる手合いがいるけれど、そんなことをいっているからバカが大手をふって減らずロを叩く。今に日本はバカ大国になるだろう――。
  つい興奮してしまいましたが、つまりそれほど(激昂するほど)中田さんは立派な人物だと崇敬しているのです。
  テレビタレントのバカアマッチョに、
  「本当の気持ちはどうなんですか?」
  としたり顔に訊かれた時、中田さんは怒らず慌てず騒がずこういわれた。
  「心の中では慟哭しています」
  ああ、何たる立派な返答か――そう感歎した折しも、アマッチョはこういった。
  「慟哭とはどういうことですか?」
  私はテレビ画面のアマッチョに向かってそばにあった土瓶を投げつけたくなったわよ!
  しかし中田氏は静かに、
  「心の中では泣いています」
  と説明なされたのです。


★ひとくちコメント―― 佐藤さんが憤っておられる気持ちは私にもよくわかりますが、日本人がここまで劣化したのは“バカたち”の責任ではないのです。過去、あまりにも骨太だったこの国の国民を、操作しやすい“家畜”とするための大がかりで息の長い策謀がなされた結果、世代が交代するなかでついに社会の中枢を“バカたち”が闊歩する国におとしめられてしまったということです。そういう意味では、国民の多くが劣化してしまった責任は“バカたち”にあるわけではなく、その裏で舌なめずりして笑っている(に違いない)世界支配層にあるのです。しかしながら、その彼らの力はあまりにも大きいため、かつて彼らの策謀に気づき、抵抗しようとした“まともな日本人たち”は、敗戦と同時に一網打尽にされてしまいました。
  これが私の言う「サタンのシナリオ」の筋書きなのです。いま、それに抵抗するために私たちに残されているささやかな手段としては、まずはテレビ付け人間にならないことでしょう。“バカたち”と呼ぶべきテレビのキャスターやコメンテーターに洗脳されることを避け、かといって彼らを憎んだり、哀れんだりして彼らに心の波長を合わせてしまうこともせず(それをしていると自分も“バカ”の仲間入りをしてしまう恐れがあります)、日々黙々と身魂磨きに専念するしかありません。

このテーマの参考文献はやはりこちらです。→ 混迷日本にとどめを刺せ
<転載終了>

三島由紀夫『檄』全文 

http://slicer93.real-sound.net/0-jb-space-6342.html

太陽のコメント

三島由紀夫の割腹自刃は 衝撃的な出来事でした。

その時、「檄文」が出されたのですが、それを当時広く流しませんでした。

下記は 檄文ですが、今日の日本の一側面の予言の性格も持っていますし、その時、将来を憂い予想した内容が現実となっているものもあります。

三島由紀夫の割腹自刃の出来事を知らない世代も増えた今日、何かの参考になるのではと思います。 




三島由紀夫『檄』全文

http://www.asyura2.com/0601/idletalk18/msg/314.html

  投稿者 でしゃばりゾンビ 日時 2006 年 6 月 13 日 10:26:00: H4JOlqM.vNeBg

「諫死」という言葉は御存知ですか?

http://www.kokubou.com/document_room/rance/
rekishi/seiji/mishima_geki.htm

森田・三島事件の際、まかれた(?)「檄」の全文です。

できるだけ原文に添うよう編集してありますので、読みづらい部分があるかもしれません。(*敬称略)



楯の会隊長 三島由紀夫

われわれ楯の会は自衛隊によって育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、またわれわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかった男の涙を知った。

ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。

われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。

しかもなほ敢えてこの挙に出たのは何故であるか。

たとえ強弁と言はれようとも自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささげられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった。

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢見た。

しかも法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。

もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。

自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけてきた。

自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。

自衛隊が目覚める時こそ日本が目覚める時だと信じた。

自衛隊が自ら目覚めることなしに、この眠れる日本が目覚めることはないのを信じた。

憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。

楯の会の根本理念はひとへに自衛隊が目覚める時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために命を捨てようといふ決心にあった。

憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。

国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以て守りきれない段階に来てはじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。

日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。

国のねじ曲がった大本を正すといふ使命のためわれわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。

総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終わった。

その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起こったか、政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不要になった。

政府は政体護持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。

これで左派勢力には憲法護持のアメ玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて実をとる!

政治家にとってはそれでよからう。しかし自衛隊にとっては致命傷であることに政治家は気づかない筈はない。

そこで、ふたたび前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

銘記せよ!

実はこの昭和四十五年(注、四十四年の誤りか)十月二十一日といふ日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。

創立以来二十年に亘って憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。

論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。

これ以上のパラドックスがあらうか。

われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。

われわれが夢みていたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。

自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。

男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。

我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば決然起ち上がるのが男であり武士である。

われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する男子の声はきこえてはこなかった。

かくなる上は自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤやうに黙ったままだった。

われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。


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