http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1534008.html#comments
<転載開始>
ミタマ磨き について掲載されていました。
かなり興味を引くと思いますよ。
以下のアドレスです。
http://blogs.yahoo.co.jp/martingood0323/36630127.html
<リンク先より>
まず日月神示に書かれた、ある一文をご覧頂きたい。
『外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分る身魂授けてあるぞ、それで身魂みがいてくれと申してあるのぞ。』
何か分かったようで分からない文章である。
神の臣民には説かいでも分る身魂授けてあるのに、『それで身魂みがいてくれ』とは、どう言うことだろうか?
この一文を理解するには身魂の正体を知らない限りは無理だろう。
では「ミタマ」の正体とは、どのようなモノなのだろうか?
このブログのメインテーマは『良心』である。
私はこのブログで『良心』と『心』は別モノであると定義した。
またこの定義を分かりやすく、多くの人が知っているもので説明した。
『良心』を一言で表現すれば全国津々浦々に存在する『神社』のようなモノではないかと。
そして神社を囲む木々の全てが『心』であると説明した。
これを端的に表現するなら、心の中心には良心が存在すると言うことである。
どうだろうか、これで「ミタマ」の正体が見えてこないだろうか?
つまり、先程の一文を解釈するなら、
日本人には、外国人にはない『良心』を授けてあるのだから、
その『良心』で『心』を磨いてくれと、言っているのではないだろうか。
『良心』と『心』の関係については、このブログで詳しく説明しているので省くが、
ただ一つ重要なことは、心が曇っていては良心は機能しないと言うことである。
ちょと簡単に説明する。
よく、『もう一人の自分が心の中に居る。』、こんな経験をされた方はいるだろう。
つまり自分で考えた結果に対して、まったく反対の声がするのだ。
声と言っても耳で聞こえる声ではなく、自分の頭に閃くのである。
その声こそが、『良心』の声なのである。
だが、もし心が完全に曇っていたなら、もはや良心の声は聞こえない。
聞こえてくるのは、悪神の甘い誘惑の声だけである。
だから日月神示の文中で、何度も何度も『身魂みがいて呉れ』と言っているのである。
神が日本人に与えた良心(お守り)をどうか大切して頂きたい。
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