http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03_4
<転載開始>
第一項でも少し触れましたが、日月神示の源流の一つである伊都能売神諭には、ミロクの世という言葉が理想世界のみを意味しておらず、立替え立直しの序盤を含むことが述べられています。そして、日月神示の“天子様の年齢”におけるミロクの世とは【旧九月八日の仕組】の開始を告げており、これらと全く同じ意味で使われているのが【終わりの始まり】という表現です。
第二章の第七節の第七項『岩戸開き/岩戸明け』でも考察しましたが、旧九月八日から始まる神経綸九の期間は、八方的世界が十方的世界に
「死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の
悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ」 『至恩の巻』 第十三帖 [960]
立替え立直しの真っ最中であり、“最大の難所”を意味する“
「世の
終いの世の 初りがミロクの世であるぞよ」 『伊都能売神諭』 大正七年十二月二十三日
基本的に旧九月八日で八方的世界は終わります。しかし、神経綸九の期間は個別的な区分では十方的世界になっていません。故に、あくまでも“終わりの始まり”なのであり、新しき世界が
そして、「終わりの始まり」という表現は日月神示にも出て来ます。
「
神 示に出したら直ぐに出て来るぞ、終りの始めの神示ざぞ、夢々おろそかするでないぞ、キの神示ぢゃ」 『風の巻』 第七帖 [358]
この記述からは『日月神示』の意味が判ります。何故なら、終わりの始めとは日の大神と月の大神が結ばれることであり“
また、第一章の第六節でも述べたように、日月神示の予言は旧九月八日の前後と神経綸九の期間に集中しているのですが、これは“終わりの始めの
その上で前項までの