大摩邇(おおまに)

日常の気になる記事を転載させていただきます。

ひふみ神示考察関係

終末のいま生命の浄化が急がれる

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki20120202.html
<転載開始>
  本日は『運命の法則』(原田豊實・著/三笠書房)の中から、終末の時代に求められている「生命の浄化」に関する内容を抜粋してご紹介します。既に当サイトで繰り返し述べてきたことですが、おさらいの意味でご一読ください。の下線の文章については後段で私の解説をつけています。

生命を浄化する

  古来神道では「
明き、直き、清き心」を鼓吹してきた。また、膜(みそぎ)、祓(はらい)、精進潔斎(飲食を慎み、身体をきよめ、けがれを避ける)など六根清浄(眼、耳、鼻、舌、身、意の六根から起こる欲望を断ち切って清らかにする)の生命の浄化の行法が伝えられて現代に至っている。ところで、生命の浄化とは、われわれにとって、いかなる意義があるのだろうか。山蔭神道(古神道の一派)に、つぎのような教えが今も伝えられている。

  「如何なる時にあっても、心を乱すな、心を濁すな、心を汚すな、
善かったことも、悪かったことも、その場限りで忘れよ。随処に主となって超然たれ」

  しかるに、われわれの現実の生活はこれとはまったく逆に、さまざまの環境汚染や精神公害によって、ズタズタにさいなまれようとしている。この悲惨な状態から脱出するには、われわれ自らが「生命の浄化」に意識的な努力をすることが先決である。泥沼のなかの蓮華ではないが、ほんとうにわれわれの生命が浄化されていれば、いかなる外的な条件にも安易に汚染されたり、自己喪失の憂き目をみたりすることから逃れることができよう。
  いまや、健康法花ざかりの時勢だが、
血液の浄化をはかることと、体内にたまった宿便を排除することが、病気にならないための基本的な原理とされ、食事療法や積極的健康法が開発されている。宿便とは、水道管の内側に付着したカスのように長年にわたり腸壁などに排泄されないままこびりついた便のことで、これがガンをはじめ各種の近代病を発生させる元凶だといわれる。
  そこで、われわれにとって生命の器である肉体の健康管理が要請されるのであるが、その前に声を大にして強調したいことは、われわれの
「生命そのもの」の浄化こそ基本だということである。明大の市川浩教授の表現を借りれば「精神としての身体」そのものの清浄化が不可欠なのである。
  それには、我欲(欲望)や我執(執着)といったわれわれの心身にまといつき、心をかき乱す一切の妄念や欲望(仏教でいう煩悩)から、われわれ自身が解放されることが大前提となる。法華経(観普賢菩薩行法経)にもズバリと、「
一切の業障海(自らの悪業の報いである業苦によって救われ難い世界)は、皆妄想より生ず」ととかれているが、この「妄想」こそわれわれの生命を自分自身で不浄にし、不幸にせしめる見えざる真因だと指摘するのだ。
  「煩悩」とはそもそも煩い悩むことで、われわれは限りない欲求不満や怒り、腹立ち、そねみねたみ、憎しみ恨みといった感情によって、常に身をわずらわし、心を悩ましている。そして、この煩い悩む心の状態が、さらに欲と怒り、愛と憎しみの悲劇となって、自作自演を繰り返す始末になりかねない。
  この積み重ねを、仏教では「業」(いわば身についた性)といって、とくに「悪業」を積むと地獄におちるぞと戒めてきた。また「身口意の三業」といって、意識(こころ)→口(ことば)→行為(おこない)の浄化こそが、自分をも他人をも真に幸福にする鉄則で、なかんずく
「自浄其意(じじょうごい)」、つまり自らの心を自ら浄化する努力がスタート・ポイントだと説いている。
  「
腹を立てることと、物事を苦にすることの二つは、汚れの中の最大のものなり」これは黒住教の開祖・宗忠師(1780~1850年)の不朽の名言である。われわれにとって、この内なる公害をまず排除することが、身心を軽やかにし、丸やかにして平らな心となる極意だといえる。

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具合の悪い時にふと感じたことです

http://www51.tok2.com/home/slicer93190/10-7988.html

ポムポムさんのメール

千成さん こんにちは、ポムポムです。

日々、貴重な情報をお伝えくださりありがとうございます。

今日こちら関東地方では久々の雨が降っています。

草木や風邪引きさんには恵みの雨です。

私も年が明けてすぐに風邪を引いてしまいました。

8日の夜から一気に具合が悪くなり、まぶたを閉じたり明けたりするだけで頭がズキズキして起きている事が出来なくなりました。

その頃、IEHOSHUAさん易診断の10日子の刻に大地震が起こるといわれていた時です。

なるべく気にしないようにしようと思っていましたが、「辛酉の日と年はこわい日でよき日」が今年1月1日というIEHOSHUAさんの説はまさにその通りと思い、 元旦に地震もあったりしてかなり不安になってしまったのです。

それは9日~10日の朝にかけて娘がウォーターフロント地域で仕事をしていたからなのです。

娘が仕事に行く時には地震については話をしないで出勤させることができましたが、だんだんその時刻が近づいてくると余計なことをメールにして娘に送ってしまいそうでした。

刻々と近づいてくるその時刻直前、娘とは太陽(ミロク)原理について話した時、自分が死に直面した時どういう気持ちでいたらよいのかという事も話し合ったことを思い出しました。

そして必ず娘は私の元に戻ってきてくれる、私との会話を思い出してくれる、彼女の魂が私からの想いを受けていてくれると思えるようになり余計なメールはしなくて済みました。

(目も開けていられないくらいだったのでメールを打つ気力も余りありませんでしたが…)。

ただ、その時ふと感じたことがありました。

びっくり箱と呼ばれている出来事のことなのですが3月、4月、5月頃なのではないか、そのなかでもゴールデンウィークの頃なのではないのかなと感じました。 下の神示に書かれている


「三月三日、五月五日はよき日ぞ。

恐ろしい日ざぞ。 」

の三月三日は三月十一日です(日のほうを組み立てると11になります)。

五月五日は日を組み立てると五の他に二十、二十一、24、二九などとも見ることが出来るのかなと思いました。

ただ無駄に日付が書かれているとも思えなかったのです。

日月の巻 第10帖 (183)

ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。

辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。

九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。

何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。

遅し早しはあるのざぞ。

この度は幕の一ぞ。

日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。

九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。

三月三日、五月五日はよき日ぞ。

恐ろしい日ざぞ。

今は型であるぞ。

改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。

猫に気付けよ、犬来るぞ。

臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。

神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。

と神との戦でもあると申してあろがな。

戦のまねであるぞ。

神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。

手も足も動かすこと出来んぞ。

たとへではないのざぞ。

くどう気付けておくぞ。

これからがいよいよの戦となるのざぞ、

鉄砲の戦はかりでないぞ。

その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。

十月二十五日、ひつ九のか三。

コテ造さんやIEHOSHUAさんのように予言・告知などが絶えずでてくるのは、縁あり感じる方に心や装備の準備を早くするように促しているように感じます。

そしてやはり私の感じたことは本当は大したことではないのかもしれません、

ただ無駄に人心を惑わせてしまうとしたら申し訳ありません。

でも、ひどく具合の悪い時に感じたことは気にかけたことがよい時が多いのです。

実は昔、自分の過ちで死にかけました。

身体がどんどん冷たくなってきて死がそこまで迫っていました。

子供たちに遺書ではないけれど手紙を書こうとしても子供達の漢字の名前さえ解らなくなっていました。

手紙を書き終えてもう死を待つだけとなった時、子供たちが私のことを思い出したときに苦しい顔をして泣いている私しか思い出さないのではないか?

子供たちに楽しい思い出を作ってあげることが出来なかった自分が情けなくなり、心から神様に祈りました。

「助けてください、子供たちと楽しい思い出を作っていきたい!」と願いました。

誰も信じてくれませんが、女性の方の綺麗な声が左上から聞こえてきました。

(なので、不思議な声は女性の方と男性の方と2回聞いています)

「どうしてそのようなことをしたのですか?」


「私は身体が弱いのでちょっとのことで寝込んでしまって働けないので、身体を丈夫にしたかったのです。 主人を助けて働きに出たかったのです。 」


「わかりました、助けてあげましょう。

でも、これからが大変です。

元気になるまで時間がかかります。

がんばってください。 」

このような会話をしました。

そして、頭の天辺から気?オーラのようなものが出てきて自分の身体を包み込み繭のような状態になって治療のようなものがされました。

その後は脳梗塞の状態になり、右半身の神経がしびれていましたが手足は動かせました。

もちろん病院にもかかって薬も飲んでいました。

17~8年かかって今元気にしています。

なぜこのようなことを書いたかというのは、神示に書かれている 「そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。 」ということがなんとなくわかるような気がしてきたのです。

多分私は奥の奥の魂の一番上の衣なのでしょう。

そしていつも奥の方たちが見守ってもいてくれているのだと思えたのです。

ですから、余計なメールを送れないように風邪を引き症状がひどくなって目も開けられない状態になったのではないのかなと思えるのです。

そして今、終末と太陽の検証サイトで3回目の神示を読んでいます。

そこで1回目、2回目には気付かなかったことや記憶に残らなかったことなどが新たに見つけられたような気がします。

長くなってしまいましたが、また何かふと感じたことがありましたらメールさせていただきます。

失礼いたします。


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カタカムナに学ぶ~食や性の本来性は宇宙の輻射エネルギーとのバランス

日本を守るのに右も左もないさんのサイトより
http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002176.html
<転載開始>

カタカムナに学ぶ~食や性の本来性は宇宙の輻射エネルギーとのバランス

3549638.jpg
画像はこちらからお借りしました。


「カタカムナに学ぶ ~節約から本能の抑制(食抑)へ~」では、次のことを提起しました。


【1】近代社会では、食欲や性欲が生物の根源的な本能であると思い込み、その本能に従うことが生物の自然さであるかのように、人間に都合のよい解釈がまかり通っている。それが近代市場社会を拡大させてきた原動力ですが、現代文明が崩壊の危機にしていることから考えて、それは間違っていたと考えざるを得ない。


【2】現在、大衆の意識が「もったいない」という節約意識を超えて、食欲をはじめとする本能の抑制に向かい始めている。そして、崩壊の危機に貧する近代社会がルネサンスの本能の開放から始まって欲望の刺激によって拡大してきたことと考え合わせると、それは正しい方向だと考えられる。
 

では、カタカムナ人が観た本能の背後にある本来のナリ(本性)とは一体何なのか?
それに迫ってゆきます。


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●第二十七句
カムナガラ アサヒツキシロ
ヨリツモリ イブキチクヌネ
チグリクミ アマナカネミチ
ヲスヒナリ 
この句の概要の意味は、『カムナガラ、「食」と「性」の機能には、太陽や月の放出する幅射勢力(アナヒ ツキ シロ)が、凝集され(コリツモリ)、イブキ(生気)のチクヌネ(蓄積された、目に見えぬ根元)として、長く潜在する(チグリ)ように、しくまれて(クミ)居る。それは、アマナによる、潜象と現象の兼ね合はされたオコナヒ(ミチ)であり、「食」と「性」の本来のナリである。』

この示しは、アサヒ(太陽等の諸恒星をさす)や月の放出する輻射勢力(モロカゲ)が、蓄積され(コリツモリ)、宇宙の生気が持続的に組合されて(チグリクミ)、地球の輻射勢力となり、その大地や大気のエネルギーが、生物の生気(食と性)の根元となって居る、といふ直観が基になって居る。

カタカムナ人は、「輻射」といふ現象の本質をサトリ、太陽エネルギーのみでなく、諸天体の放出するモロカゲ(主として輻射勢力)を吸収した地球や月は、又、そのエネルギーを放出し、地球上の生物は、それらの、強弱さまぎまの輻射エネルギーをうけて、生育して居ることを直観したのである。

月の放出する電磁波は、強いものが濾過されてエネルギー密度が低く、生物の中には、そのような弱い月の光でなければダメなものがある。月の役割を、潮の干満ばかりでなく、「モロカゲ」のうちに観して居たのである。
 
<チクヌネ>とは、「男女の性器」をさす古語でもある。要するに、輻射現象の本質的役割は、サヌキ アワの電気粒子によって演じられるものである事をサトリ、それが、「食」と「性」の現象としてあらわれる、生気の根元である、といふ直観を示す言葉である

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たつ年は新しき御代の始まり(ひふみ神示)

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki20120102.html
<転載開始>
たつ年は新しき御代の始まり(ひふみ神示)  2012年1月2日(月
  明けましておめでとうございます。
  新しい年の初めには、私は家の近くにある高取山という小高い山に登って、山頂から神戸の海を見下ろし、初日の出を拝むのが習わしになっております。 今年は妻を誘って、暗いうちに高取山頂に登り着きました。
  今年の天気予報では神戸は朝方は曇りということになっていましたので、御来光を拝むのは難しいかと思っておりましたが、下の写真のように、山と雲の間のかすかなすき間から真っ赤な太陽が素顔を見せてくれました。おかげで、今年も神聖な気持ちで新しい年の始まりを実感することができました。

2012年元旦7時23分、神戸・高取山頂から撮影。
  新しき御代のはじめのたつの年
  現れ出でましぬ隠れゐし神

    (ひふみ神示・紫金の巻第9帖)


  世界の大晦日(おおみそか)
  晦日は闇に決まっているであろうがな

    (ひふみ神示・地つ巻第35帖)


  ここにご紹介しました「ひふみ神示(日月神示)」の内容は、私が今年の年賀状に書き添えたものです。
  最初の神示は次のように解釈されます。

  立て替え立て直しによって新しい世界が始まるのは辰年である。
  この年に、隠れておられた艮の金神(うしとらのこんじん)様が世に出てこられるのだ。


  そして2つ目の神示は次のように解釈できます。

  立て替えの前には世界は暗闇に覆われるのだ。それは新しい年が始まる前の大晦日が闇夜であるのと同じ事である。

  さまざまな予言にもありますが、終末の大峠においてこの地球は3日間にわたって暗闇に覆われると言われています。この神示はそのことを述べているものと思われます。12月22日が立て替え完了の日であるならば、その前の3日間、地球は暗闇に覆われるということでしょう。そのことを知っていれば、土壇場で取り乱すことなく、新しい時代の到来を予感しながら冷静に対応できると思います。

  さて、新しい年のはじめにあたり、私が年賀状で、日頃このようなことに関心のない人たちがびっくりするようなメッセージを届けましたのは、2012年が終末の年であることを確信しているからです。
  私の長年の研究によれば、今年の12月には現文明の破局を伴う地球の一大イベントが起こることになっています。私はそのことを世に問うために、当ホームページと同じタイトルで2004年に拙著『2012年の黙示録』(たま出版)を出版したのです。その本は私が予想した以上に大きな反響がありました。
  紀伊國屋やジュンク堂といった大手の書店でベストセラーにランキングされたり、テレビの「2012年番組」の中でキャスターの方が手に持ち、画面一杯のアップで紹介されたり、出版社に一人で千冊の注文をする人があったり‥‥、なにしろ異色のデビューを果たしたのでした。その後も引き続き読まれているようで、出版7年目の昨年には初版のまま(発行時の内容を一切訂正することなく)8回目の増刷(9刷)をしていただきました。
  実は、私は今ではあの本を自分が書いたとは思っていません。不思議な力によって導かれ、文章にする役割を担わされたではないかと考えている次第です。もちろん、霊界の存在に突き動かされて自動書記のように強制的に書かされたわけではなく、自分の考えで執筆したのは確かですが‥‥。
  出版後8年が経過した今読み返してみましても、内容を書き直す必要性を感じることはありません。この8年間の世の中の動きを観察する中で、さらに確信を深めている次第です。世の中は、私があの本に書き記した通りの展開になっているように思われます。
 しかしながら、ほとんどの人は、まだ自分たちが銃口に首を突っ込んでいることに気づくことなく、へらへらと笑っている状態です。つまり、2012年に「終末の大峠(現文明の立て替え立て直し)」が訪れることを信じるどころか考えもしない状態の人が圧倒的に多いということです。このことも聖書やわが国の神示(「大本神諭」「日月神示」など)に予言されている通りです。
  決して危機を煽りたいわけではありませんが、(そもそも私自身は終末を危機とは認識しておりません)、「大本神諭」や「ひふみ神示(日月神示)」の中に、「土壇場になって改心してももう遅い(救うことができない)」という表現があることから見て何らかの備えが必要なのではないかと考え、そのことについて、当サイトを通じて警鐘を鳴らし続けてきたつもりです。
  そしていよいよ私が終末の年と考える2012年を迎えましたので、これから一段とボルテージを上げて警鐘乱打を続けるつもりです。長らく休眠状態にありました当「つぶや記」の執筆の頻度を上げると同時に、「twitter」や「Facebook」、「mixi」」「ブログ」などをフルに活用して、オオカミ少年(実はオオカミ老人)の役割を果たして行きたいと思います。世の中の動きを捉えて私なりの解説を加えながら、終末の大峠が近づいていることを検証し、終末への備えを提案していくつもりです。どうぞご期待ください。
  ということで、当サイトにいつもお立ち寄りいただいている皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

<転載終了>

99算表の見方その1

えんとつさんの大作です。
http://6715.teacup.com/genkimaru/bbs/766
<転載開始>

99算表の見方その1

投稿者:えんとつsun(010203) 投稿日:2011年11月27日(日)21時29分27秒
  通報返信・引用
ひふみ99算表の数字の特性を考える

ひとまず000から099までの100種類の数字の表れを調べてみる。

3つの数字の和を求める。(ひふみ99算より0=9として計算する)

000 →0 031 →4 062 →8 093 →3
001 →1 032 →5 063 →0 094 →4
002 →2 033 →6 064 →1 095 →5
003 →3 034 →7 065 →2 096 →6
004 →4 035 →8 066 →3 097 →7
005 →5 036 →0 067 →4 098 →8
006 →6 037 →1 068 →5 099 →0
007 →7 038 →2 069 →6
008 →8 039 →3 070 →7
009 →0 040 →4 071 →8
010 →1 041 →5 072 →0
011 →2 042 →6 073 →1
012 →3 043 →7 074 →2
013 →4 044 →8 075 →3
014 →5 045 →0 076 →4
015 →6 046 →1 077 →5
016 →7 047 →2 078 →6
017 →8 048 →3 079 →7
018 →0 049 →4 080 →8
019 →1 050 →5 081 →0
020 →2 051 →6 082 →1
021 →3 052 →7 083 →2
022 →4 053 →8 084 →3
023 →5 054 →0 085 →4
024 →6 055 →1 086 →5
025 →7 056 →2 087 →6
026 →8 057 →3 088 →7
027 →0 058 →4 089 →8
028 →1 059 →5 090 →0
029 →2 060 →6 091 →1
030 →3 061 →7 092 →2

結果、0は100種類の数字のなかに12個あった。
   1は100種類の数字のなかに11個あった。
   2は100種類の数字のなかに11個あった。
   3は100種類の数字のなかに11個あった。
   4は100種類の数字のなかに11個あった。
   5は100種類の数字のなかに11個あった。
   6は100種類の数字のなかに11個あった。
   7は100種類の数字のなかに11個あった。
   8は100種類の数字のなかに11個あった。
   (9は0なので0があった12個へ戻る。)

12個+11個×8種類=100で100種類すべての数字の内訳が出た。


次に100から199までの100種類の数字の表れを調べる。

先の数字表では000→0というように0から数え始めている理由で他の数字よりひとつ多く12個となっていた。
100から199では100→1というように1から数え始めることになり、今度は1が12個になることがわかる。

つまり
結果、1は100種類の数字のなかに12個あった。
   2は100種類の数字のなかに11個あった。
   3は100種類の数字のなかに11個あった。
   4は100種類の数字のなかに11個あった。
   5は100種類の数字のなかに11個あった。
   6は100種類の数字のなかに11個あった。
   7は100種類の数字のなかに11個あった。
   8は100種類の数字のなかに11個あった。
   0は100種類の数字のなかに11個あった。

となります。

そしてこのようにして200以降999までの数字の表れを見ていくことに。

000から099まで100種類
100から199まで100種類
200から299まで100種類
300から399まで100種類
400から499まで100種類
500から599まで100種類
600から699まで100種類
700から799まで100種類
800から899まで100種類
900から999まで100種類

合計1000種類の数字を調べることになります。


       000~099 100~199 200~299 300~399 400~499 500~599 600~699 700~799 800~899 900~999

和の数字0   12個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   12個

和の数字1   11個   12個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個

和の数字2   11個   11個   12個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個

和の数字3   11個   11個   11個   12個   11個   11個   11個   11個   11個   11個

和の数字4   11個   11個   11個   11個   12個   11個   11個   11個   11個   11個

和の数字5   11個   11個   11個   11個   11個   12個   11個   11個   11個   11個

和の数字6   11個   11個   11個   11個   11個   11個   12個   11個   11個   11個

和の数字7   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   12個   11個   11個

和の数字8   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   12個   11個



では和の数字1から見てみましょう。
  和の数字1   11個   12個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個   11個
から見てもわかるように000から999までの1000個の数字のなかに合計12個+11個×9=111個の和の数字1が隠れていました。

同じようにして他の数字も見ます。

和の数字2は111個
和の数字3は111個
和の数字4は111個
和の数字5は111個
和の数字6は111個
和の数字7は111個
和の数字8は111個

がわかりました。和の数字1から8までの合計は111×8=888個になりました。

そして和の数字0だけは特別に9が0になってしまうので、一個だけ多くなります。
900から999までの100種類の数字を調べてみると、000から099を調べた時と同じになってしまいました。
またしても、他の和の数字に比べて0になる個数がひとつ分多くなりました。このために全体でひとつだけ合計個数が増え、
12個×2+11個×9=112個となります。

以上で
000から999までの1000種類の数字はすべて振り分けられました。


同じようにして
0000から9999までの1万種類の数字については

和の数字1は1111個
和の数字2は1111個
和の数字3は1111個
和の数字4は1111個
和の数字5は1111個
和の数字6は1111個
和の数字7は1111個
和の数字8は1111個
和の数字0は1112個

00000から99999までの10万種類の数字については

和の数字1は11111個
和の数字2は11111個
和の数字3は11111個
和の数字4は11111個
和の数字5は11111個
和の数字6は11111個
和の数字7は11111個
和の数字8は11111個
和の数字0は11112個

になるようです。


ひふみ神示でいう三千世界とは000から999までのひふみ算の基礎固めの時代を迎える
という意味に思えてきました。

1000種類の数字の特性から、和の数字1から8までは各111個になっている。
つまり、どの数字においても3(三)の波動を併せ持っていることがわかる。
和の数字0については112個になっている。0の波動は4ということに。
ひふみ算99の表でみると、数字の0が4つ出てくる。

表から630630630の流れは

123 345 567 789 912 234 456 678 891
(6) (3) (0) (6) (3) (0) (6) (3) (0)

360360360の流れは

111 222 333 444 555 666 777 888 999
(3) (6) (0) (3) (6) (0) (3) (6) (0)



ひふみ算10×10の表

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 1 2 3 4 5 6 7 8 0
0 2 4 6 8 1 3 5 7 0
0 3 6 0 3 6 0 3 6 0
0 4 8 3 7 2 6 1 5 0
0 5 1 6 2 7 3 8 4 0
0 6 3 0 6 3 0 6 3 0
0 7 5 3 1 8 6 4 2 0
0 8 7 6 5 4 3 2 1 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0


ひふみ算10×10の元の図

  0 0 0 0 0 0 0 0 0 0


0 1 2 3 4 5 6 7 8 0


0 2 22 222 2222 22222 222222 2222222 22222222 0
(4) (6) (8) (1) (3) (5) (7)

0 3 33 333 3333 33333 333333 3333333 33333333 0
(6) (0) (3) (6) (0) (3) (6)

0 4 44 444 4444 44444 444444 4444444 44444444 0
(8) (3) (7) (2) (6) (1) (5)

0 5 55 555 5555 55555 555555 5555555 55555555 0
(1) (6) (2) (7) (3) (8) (4)

0 6 66 666 6666 66666 666666 6666666 66666666 0
(3) (0) (6) (3) (0) (6) (3)

0 7 77 777 7777 77777 777777 7777777 77777777 0
(5) (3) (1) (8) (6) (4) (2)

0 8 88 888 8888 88888 888888 8888888 88888888 0
(7) (6) (5) (4) (3) (2) (1)


勝手な妄想になりますが、

0000から9999までの1万種類の数字については

1から8までの和の数字それぞれが1111個ずつになりますので数字の波動は4ということに。
和の数字0は1112個なので波動5ということになります。
この場合、三千世界にならうと四万世界ということに。

また00000から99999までの10万種類の数字については

五十万世界ということに。


実際は、
ひふみ神示では
二一六は天、
一四四は地、
と説明していますので、3桁数字での表記により1000種類の中での解釈で間違いないと思います。


『世界の民の会』も参照お願いいたします。
http://www51.tok2.com/home/slicer93190/10-7581.html
<転載終了>

時節概論(中編)

すめらみちさんのサイトより(追加記事分を)
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-02_5
以前の記事は
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1560318.html
<転載開始>

ミロクの大神 (二) : 構図

 前項でも少し触れましたが、神経綸の中心軸に位置するほど重要な存在でありながら、実態が明らかとは言い難い神様が【ミロクの大神】です。これはミロクを重視する新興神道系の諸派の大本(ルーツ)である大本神示において、ミロクの大神や撞の大神と称される神様が一定していないからです。

 以上のような()()がある理由については、出口王仁三郎が一つの見解を述べています。

「ミロクの大神様と()へば至仁至愛の神、世界万民を平安無事に安楽に暮さして下さる神様の総称であつて、第一に宇宙の主宰に()します天之御中主大神の別称であり、(この)神の全霊徳の完全に発揮されたる(あま)(てらす)(ゝめ)(おほ)()(かみ)(すなは)ちミロクの大神様である。天下万民の為に()(くら)(おき)()を負ふて、世界に一旦流浪された(かん)()(さの)()(のみこと)もミロクの御霊性であつて、(いわ)(ゆる) (つき)(よみ)(のみこと)である。(これ)は地のミロク様であつて、天照皇大神様は天のミロク様で、(つき)(さか)()(いづ)()()(たま)(あま)(さかる)(むか)()(ひめ)(のみこと)と曰ふ別称の大神である。此の御神命を教祖の神諭には総合的に(かしら)の字一字を取つて(つき)(おほ)(かみ)と仰せられたのであつて、決して月界守護の(つき)(おほ)(かみ)様の事ではありませぬ。又 五六七と書いて大本ではミロクと読んで居る理由は、(これ)も別に深遠な意義が在るのでは無い。只 仏典に五十六億七千万年の後に()(ろく)が出現されると()ふ文句の数字を(こと)(さら)に略して応用したに過ぎぬのであります。要するにミロクと云ふ言霊は仁愛と云ふ事になるのであつて、天地万物の根元は 皆 天の御祖神の仁愛と、地の(せん)()の仁愛との大精神より創成されて居るのである」 『神霊界』 大正九年一月十五日号

(たか)(あま)(はら)の総統神すなはち大主宰神は、大国常立尊である。またの御名は、天之御中主大神と(とな)(たてまつ)り、その霊徳の完全に発揮したまふ御状態を称して、(あま)(てらす)(すめ)(おほ)(かみ)と称へ奉るのである。そしてこの大神様は、(いづの)(みたま)と申し奉る。厳といふ意義は、至厳 至貴 至尊にして過去、現在、未来に一貫し、無限絶対 無始無終に()します神の意義である。さうして、愛と信との源泉と()れます至聖 至高の御神格である。さうして ある時には、(みづ)(みたま)と現はれ、現界、幽界、神界の三方面に出没して、一切万有に永遠の生命を与へ、歓喜悦楽を下したまふ神様である。瑞といふ意義は、水々しといふことであつて、至善 至美 至愛 至真に坐しまし、かつ円満具足の大光明といふことになる。また 霊 力 体 の(さん)(だい)(げん)(かん)(れん)して守護したまふゆゑに、(みつ)()(たま)と称へ奉り、あるひは現界、幽界(地獄界)、神界の三界を守りたまふがゆゑに、三の御魂とも称へ奉るのである。要するに、神は宇宙にただ一柱 坐しますのみなれども、その御神格の情動によつて、(ばん)(しん)()(げん)したまふものである。さうして(いづの)(みたま)は、(たて)()(たま)と申し上げ、神格の本体とならせたまひ、(みづの)(みたま)は、実地の活動力に(おは)しまして御神格の目的すなはち用を為したまふべく現はれたまうたのである。ゆゑに言霊学上、これを(とよ)(くに)(ぬし)(のみこと)(まを)し奉り、また(かむ)()(さの)()(みこと)とも称へ奉るのである。さうして厳霊は、高天原の太陽と現はれたまひ、瑞霊は、高天原の月と現はれたまふ。ゆゑにミロクの大神を月の大神と申し上ぐるのである。ミロクといふ意味は、至仁至愛の意である。さうして、その仁愛と(しん)(しん)によつて、宇宙の改造に直接 当らせたまふゆゑに、()(ろく)と漢字に書いて、「(いよ)(いよ)(あらた)むる(ちから)」とあるのをみても、この神の御神業の、()()なるかを知ることを得らるるのである」 『霊界物語』 第四十八巻 第十二章

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天は二一六、地は一四四と申してあろうが

http://www51.tok2.com/home/slicer93190/10-7581.html


yuru63さんのメール


千成さん、おつかれさまです。

yuru63です。

「神の数字」解説編のメール41において「天津金木の法」に従って『5次元表』を計算しました。
結果『5次元表』の各枠の数のΣは、「16、48、80」であった。

そこで『5次元表』の全体のΣを求めると、
16+48+80=「144」となります。

 「天は二一六、地は一四四と申してあろうが」
【至恩の巻 第09帖 (107)】

「七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、天の数二百十六地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう」
【扶桑の巻 第01帖 (001)】

「神の法陣」5次元表

12345
67801
23456
78012
34567


この世で人が感知できるものは一般の学問では4次元であると云っているようです。
ですが「ひふみ」によると「四の活物から五の活物になった」と云っています。

これは「人の感知できる世界が、四次元から五次元になっている」ということを云いたいのかもしれません。

「七とはモノのなることぞ」も、この『5次元表』を見ると「1(モノ)」から順に並べた数の最後にある数字は「7(七)」です(@_@;)。

  • 次に『5次元表』の各枠のセル数は、内側から、「4、12、20」であったので、
    全体のセル数のΣは、
    4+12+20=「36」です。

    ここで全てのセル場に、見えるもの(1)と見えないもの(0)を含めたもの=「1+0=10」をあてはめると、全体のΣは、
    36×10=「360
    となり、この「360」から、上記の感知できる数字である「144」を引くと、
    360-144=「216」となるのです。

    よって「天」の二一六(216)は五次元の世界における、人の五感で感知できないものを意味していて、「地」の一四四は人の感知できる五次元世界を伝えているのかもしれません。

  • 関連の帖

    扶桑の巻 第14帖 (014)から

    今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。

    意訳

    今迄は見える世界を説明するため四の活物(かつぶつ)と知らせてありましたが、岩戸がひらけて、見えない世界を含めて五の活物となったのです。五が天の光なのです。白、、黒、の色なのです。

    この四の活物から五の活物に至る原因として何が一つ加わったのかということは、このサイトの読者であれば自ずと推察できるものと思います。
    (それは、見えないものであり、地上には無い情報であったもの。そして岩戸開きの情報・・・。)

追伸

以前お送りしたMail.3343の「ひふみ九九算表02」は、少し間違いがありました。
改めて作った表はこちらです。


千成のメール

yuru63さん、考察ありがとうございます。

yuru63さんが研究されている 「天津金木の法」と神示がぴったり一致したようですね。

これからもっともっとすごい真理が出てくる可能性がでてきました。

なんだかすごいことになってきましたね。



大峠の越え方シリーズ まとめ1

玉蔵さんのサイトより
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1038.html
<転載開始>
さて、この大峠の超え方シリーズ。
あれやこれや書いてきたのですが。
いつも良いところで途中になってしまう。
ハープとかフレアとか。
つぁぁぁ。地震最大限注意!などと書いているうちに

あら?何かいてたっけ??
何が書きたかったかすっかり忘れてしまうのですた。
というわけで続きを書く前に、途中のまとめを書いておきましょう。

さて、今まで書いてきたことは単純です。
この世は自分が映し出している。
あなたが映写機であり、現実は映画でありバーチャルリアリティなんだ。

だってどう科学的に調べてもこの世に実体があるなどという証拠はどこにも出てこないのです。
それどころか、むしろ世界は、あなたが見た時だけ実体化するなどというスカポンチンなものだった。

ぇえ?

最新の科学がそう言っているのです。
世界中のノーベル賞だとかフィールズ賞だとか果てはイグノーベル賞級の数学者や科学者が研究してもそうなってしまったのです。
原子や電子、もっとミクロな世界まで見ると

あらぁ?
実体は何にもないじゃないか。これって、ただの幻想じゃないか。
そうなってしまったという話ですた。

へー。
幻想なんだ。
だったら幻想なら幻想で、やりようがあるよね。

いつも。何が起きても

くほほほ
くほほ
平常心、ストレスフリー、スーパーフリー。とにかく楽しむ。

良いじゃないですか。
別の面を見る。プラスの面を見る。

あなたが街を歩いていたら、後ろから誰かに金玉を蹴っ飛ばされたとしましょう。
ぎゃふん!
つぁぁぁ
金玉がぁぁ。そうやって、あなたはうずくまるとします。

この野郎!
だ、誰だこんな酷いことをするのは。
死んでしまうではないですか。
そうやって怒りにかられても良い。

しかし、こ、これはもしかしたら善意の誰かがこれから起こる危険をワタスに知らしめてくれたに違いない。
このまま歩いていたら上から鉄骨が降ってきて死んでしまうのを助けてくれたに違いない。
もしくは、くほほほほ。
こんなスカポンチンな出来事ももあるのですね。
まんがみたいで楽しい話です。
股間を抑えて涙をこらえながらそう思っても良い。

つぁぁぁ
隕石が落ちてきてあなたの家がすべてぶっ壊れてしまいますた。
何で自分ばっかりこんな目に合うんだ。
そうやって悲しみにあけくれても良い。
続きを読む

もとはこちら

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse0911-1.html#12
<転載開始>
もとはこちら
平井謙次・著  致知出版社
  もと こちら
  そのまま ぜんぶ
  あたりまえ
  ただ ありがたく
  すみません

  以上五行の言葉は「あるがまま そのまま ぜんぶ もとはこちら あるがまま そのまま ぜんぶ あたりまえ ただ ありがたく ただ すみません」の略です。
  この「もと」とは原因という意味で「こちら」とは自分という意味です。ですから「もとこちら」とは、「原因は自分にある」という意味です。すべての現象は、原因と縁によって生じ、また滅します。その生滅し、見え隠れする現象の姿のことを「結果」というのです。これは因果律をわかりやすく表したものです。すべては因縁によってのみ生じ、因縁によってのみ滅する、という意味です。
  自分の身の上、または身の周りや運命上に現れてきたこと(結果)は、自分自身が内在に持っていた原因となるものに、縁が重なって出てきたことばかりです。この摂理、すなわち因果の法則によらない結果は絶対に起こってきません。そしてどのような縁でどのような結果を出したかということで、もともと自分が内在に持っていた内容(原因)を、おぼろげながらにも垣間見ることができます。
  ところで、自分が体験したその結果は、好むことであろうが好まざることであろうが、また予測できることであろうが不測のことであろうが、そういうことには一切関係なく、因果の法則から見れば、すべては当然のことばかりのはずです。どれもがみなあたりまえのことのはずです。一つの例外もなく「そのまま全部あたりまえ」なのです。

受動的、他動的な事も「もとはこちら」
  自分が能動的にしたことであっても、反対に他からされた受動的なことであっても、それらも全部自分自身が招いたことです。
  受動的、他動的にされたことまで「自分がした」とは考えにくいでしょうが、これもよく考えれば「されたことをした」のであり、また「されるようなことを自分がした」と考えればおわかりいただけると思います。自分から意識して能動的にした場合は、原因者は自分であるということを納得しやすいのに比べ、無意識的、受動的なケースではなかなか納得しにくいものですが、本当はそういうものこそ、すなわち予測もできず、また無意識のうちに起きてきて体験した事ほど、その因縁の根も意味も深いと解釈せざるを得ないわけです。
  要は、意識的であろうがなかろうが、自分が体験したこと(結果)は、もともと自分の内在にあった原因となるものに縁が重なり、現れてきたことばかりです。原因は自分自身にあるのです。自分に何の原因も理由もない無関係のことの結果だけを、自分が受け取るなどということは決してありません。結果を受け取るのは必ず原因者なのです。自分が種をまき、それを自分が育て、自分が刈り取るのです。
  結局のところ、自分の人生の主人公、支配者、そして自分の人生の創造主は、他ならぬこの自分自身です。ですから、この地球上を選んだのも、「今」という時代を選んだのも、父母を両親として選んだのも、またその両親からその子供として選ばれるようなことをしたのも、わが子を選んだのも、またその子から親として選ばれたのも、兄弟姉妹や配偶者を選び選ばれたのも、また今の職業や社会的地位等、とにかく今の人生のすべてを選び選ばれたのは、この自分に他なりません。そして将来的に死ぬ時期を選び選ばれるのも、何もかもが結局は自分のすることなのです。
  そしてまた、それらの結果を招くような縁を呼んだのも、結局は自分です。それらはすべて自分の内在智の働きであり、内在智のなす技です。内在智とは、潜在的自分、または自分と直結する神仏、と広義の意味で解釈することができます。
  ともかく、もとはすべてこちらなのです。私は私の人生の主人公です。だれかのせいで、あるいは何かのせいでこうなった、ということは絶対にないのです。


こちらも参考になります → 原因と結果の法則(蝶になる日)
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シベリアマンモスは「ノアの大洪水」で氷漬けにされたのか?

http://www51.tok2.com/home/slicer93190/10-7518.html

千成記

ポール・ワンダリング(地殻移動)...2011年1月7日に以下の内容があります。

 ・・・<『謎多き惑星地球(下)』、p140~p147から抜粋開始>・・・

■マンモスの氷漬けと「シベリア温帯説」

 シベリアとアラスカを襲った急激な寒冷化現象を語るには、当時その地に生息していたマンモスの絶滅の状況を調べてみるのが手っ取り早い。

 広大なユーラシア大陸の北の果て、北部シベリアの凍てつく平原で、厚い体毛に覆われた新生代の巨大哺乳類・マンモスの冷凍遺体が最初に発見されたのは、1692年のことである。

その後もシベリアやアラスカ北部の永久凍土の下から、多数の氷漬け遺体が発見されている。

 なかでも有名なのが、ほぼ原形のまま発見された次の二頭だ。

一頭は、1900年にベレゾフカで発見された「ベレゾフカ・マンモス」で、他の一頭は1977年に運転手ディマによって発見された「ディマ・マンモス」である。

 マンモスが寒冷地に住む動物だと信じていた学者たちは、冷凍死体が極寒の地で発見されたと聞かされても、さして驚きはしなかったようだ。

しかし、その後の研究で、マンモスが決して寒冷地に生息する生物でないことが明らかになるにつれ、その発見は衝撃的なものとして、脚光を浴びる。

 我々は、子供の頃から厳寒の猛吹雪の中を、威風堂々と群をなして歩くマンモスの姿を、図鑑や絵本の中で目にしている。

全身が太く長い体毛で覆われている外観から受ける印象は、まさに極寒の地に生きる生物そのものだ。

それゆえ一般の人々は、マンモスは寒冷地に生きる象の一種と思っていたし、ほとんどの動物学者までもが、そう考えていた。

  しかし、見た目の印象とは違って、マンモスは氷点下を下回る寒冷地では生きられない体の構造をしていることが、冷凍死体の研究から明らかになったのである。

 多くの動物には、「皮脂腺(ひしせん)」と呼ばれる半流動体の脂肪性物質を出す腺がある。

寒冷地では、これがないと冷気が皮膚の水分を奪い、細胞が瞬く間に脱水症状を起こして、死に至ると言われている。

つまり、寒冷地で生きる動物にとっては、「皮脂腺」はなくてはならない体の組織なのである。

 冷凍されたマンモスの皮下組織を調べたところ、そこには、この「皮脂腺」が見当たらなかった。

つまり、マンモスはもともと寒帯性の生き物ではないということだ。

マンモスを極寒の地に棲む動物と信じていた学者たちは、その毛深い外観に長い間だまされてきたのである。

  考えてみれば、体毛の長い動物ならオランウータン、ナマケモノ、アンゴラウサギからペルシャネコに至るまで、さまざまな動物が温帯から熱帯にかけて生息しているわけで、体毛が長いという外観だけから寒帯性の生き物と判断したのは愚かなことであった。

凍てつく寒さから身を守るためのものと思われていた10センチメートルほどもあるマンモスの皮下脂肪は、耐寒用の組織というより、むしろ当時の北シベリアに、餌となる植物が十分にあったことの証と見るべきだったのである。

 またマンモス温帯性動物説を裏付けるものも、冷凍遺体の胃や食道、口内から発見されている。

体内のこれらの器官の中に残され未消化の食べ物の中に、細かいスゲ科の植物やイネ科の植物、さらに柔らかいキンポウゲなどの温帯性植物が含まれていたのである。

 イネやスゲが温帯性の植物であることはよく知られている。

キンポウゲもまた、摂氏4度以上の気候でないと、絶対に生育しない植物で、日照時間が長く、さらに晴れや雨の日が交互に繰り返すことが、生育の絶対条件である。

  このことは、数十万頭のマンモスが生息していたシベリア北部は、温帯性気候に属し、彼らに突然の死と冷凍化が起きる直前までは、たくさんの温帯性植物が繁茂していたことを示している。

つまり、一年のうちほんの数ヶ月の間、蘇類(せんるい)と菌類が生えるだけの不毛の地である現在のシベリアは、驚くことに、ある時代までは穏やかで温暖な地であったということである。

 現に、マンモスが発見されたのと同じ黒泥土(マック)から、虎、ライオン、ピューマ、野牛、オオカミなどの動物の骨や、サーベルタイガー、マストドンなどの絶滅動物の骨が大量に出土しているが、これらもみな温帯性気候に生息する動物である。

 また、マンモスの牙や骨が最も多く発見されているニュー・シベリア諸島が、当時は温暖な気候であったという点について、生物学者のアイヴァン・サンダーソンは、次のように述べている。

 ニュー・シベリア諸島には、あらゆる種類の樹木が生えていた。

スモモと同じ仲間の木もあり、実も葉もついていた。

発見者であるバロン・トールによると、その実は熟していたということである。

そして、木の根も氷結土の中で原形を保っていたそうである。

しかし現在では、ニュー・シベリア諸島から2000マイル(約3200キロメート)以内の地域に、そのような闊葉樹は全く育たない。

したがって、当時の気候は現在とは大幅に異なっていたにちがいない。

 それに、当時の地面が石のように固い氷結土であったとすれば、木は埋まることはできなかったであろうし、 あるいはそれらの木がもっと暖かい地方から流れついたものだとしたら、葉はとれてしまっていただろう。

それらの木は、その地に生えて育ったものにちがいない。

そして気候は、ただ暖かいだけではなく、葉を茂らせ、実をつけることができるほど夏が長かったということになる。

  したがって現在の北極地方は、当時はオレゴン州ほどの気候であったか、あるいはその地域がもっと別の位置にあったかのどちらかである。

地球物理学者が、北緯72度の地点が暖かかったからといって、地球全体の温度が高かったと言うわけではない。

そんなことになったら、熱帯地方は煮えたぎってしまう!

  このように検討を進めてくると、最終的に、地球全体の地殻が動いたか、あるいはその一部が移動したという考え方が有力になってくる。

■温暖な地シベリアは一瞬にして極寒の地となった!

  さらに学者を混乱に陥れたのは、発見されたマンモスの遺体のうちの数頭は、立ったままの状態で冷凍されていて、それらのマンモスの胃や口の中から消化途中の大量の食物が見つかったことである。  さらに・マンモスを一瞬にして死に至らしめ、冷凍化した未曾有の大寒波がいかに急激だったか、次のような事実が裏付けている。

この事実は、シベリアの地に生息していたマンモスに訪れた死が、極めて急激なものであったこと、死後冷凍が短時間のうちに起きたことを物語っていた。

 そうでなければ、遺体は横たわった状態で発見されたはずだし、胃や口内の食物も腐敗して、原形を留めていることなどありえない。


 その一つは、発見されたマンモスの遺体の肉は鮮度が高く、犬ぞりを曳(ひ)く犬やオオカミだけでなく人間ですら食することができるほどであったという点である。

事実、かつてアラスカ州のフェアバンクスのレストランでは、マンモスステーキをメニューに載せていて、「繊維が多く、霜ふりのようだ」とか「馬か牛の冷凍肉のようである」と書かれた報告書も残されている。

  冷凍マンモスの研究のために、自ら冷凍食品技術者にまでなった生物学者のサンダーソンは、「味を損なわずに肉類を冷凍するには、氷点下摂氏30度以下で、しかも非常に急速に冷凍しなければならない」  と述べている。

 肉が凍るときには、細胞に含まれている水分やその他の液体が結晶となるが、冷却の速度が急速であればあるほどその結晶は小さく、鮮度が保たれるからである。

  マンモスのように全身を厚く体毛で覆われた巨大動物を、瞬間フリーザーで凍らせるには、零下100度以下の凄まじい寒気が必要である。

また、マンモスの体の内部、特に胃は死後もしばらく暖かいので、そのくらいの温度で急速冷凍されない限り、食べ物と一緒に、胃そのものが腐敗してしまう。

 サンダーソンの考えを裏付けるように、ジョン・ホワイトも次のように述べ、シベリアで見つかった牙の状態が、短期間での気候の激変の証明であるとしている。

 ランゲルという旅行者は、シベリアの北部の象牙は「アフリカの象牙と同じくらい白くて新しい」と報告したということである。

確かに、牙が腐って使い物にならないようであれば、象牙業者は見向きもしなかったに違いない。

 ランゲルの言うように、牙が十分役に立つ状態であるということは、急速に凍り付いた証拠である。

またリチャード・リデッカー教授が1899年、スミソニアン研究所に報告したように、もし普通の状態で野ざらしになっていたら、象牙の質はすぐに低下したに違いない。

  また、冷凍マンモスのペニスが勃起状態であった点に着目したのは、超古代世界やUFOなどについて独自の考えを展開し、数多くの著書を持つ超常現象研究家の飛鳥昭雄氏である。

彼は著書『アスカ・ファイル』の中で、驚異的な大寒気が、信じがたいほどの速さでシベリアの地を襲ったはずだという見解を示し、その根拠を次のように述べている。

 マンモスは寒さで凍え死んだのではない。

摂氏マイナス100度以下の殺人的な超寒気を肺に吸い込み、何呼吸かする暇もなく、最初の一呼吸直後に絶命したのである!

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