なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library516.html
<転載開始>
エドガー・ケイシー日本人への最後の警告 |
誰も正視できないこの国の終末 |
五十嵐康彦・著 廣済堂 1990年刊 |
リーディングで明らかにされた転生の法則 「カルマ」とは仏教でいう「業」にほかならない。長く仏教的な考え方をベースにして生活してきた私たち日本人の多くは、日常的に意識しているかいないかの違いはあるにせよ、この“業(カルマ)”を信じている。 霊魂の転生――つまり「生まれ変わり」は、この業=カルマと密接に関連しており、このことは著名な丹波哲郎氏の霊界にまつわる話で、もはや私たち日本人の間では常識化しつつある。一方、キリスト教を信じる西洋人にとっては、「生まれ変わり」は異端の考え方なのだ。 ところで、エドガー・ケイシーの場合はどうか……。 1923年8月10日の午後、オハイオ州デイトンのホテルの一室でエドガー・ケイシーのリーディングが行なわれた。いつもと同じように、催眠状態に入った彼が妻ガートルードの質問に答え、秘書のグラディス・デービスが速記をした。その形には何の変化もなかった。しかしその内容は、目覚めた彼自身が大きなショックを受けるものであった。 いつものように、グラディス・デービスが速記録を読み返すのを聞きながら、彼はしばし呆然とし、それが過ぎると強い恐怖感に襲われた。 敬虔なプロテスタントで、年に一度は聖書を読み通すほど神を至上のものと信じてきた彼は、自分が気がつかないうちに悪魔の手先にされてしまったのではないかと疑ったのである。 催眠中の彼は、至って冷静に、当然のことであるかのように「生まれ変わり」の事実を語っている。人間が地球上に生まれる前に“別の生”を持っていたこと、地球上に生を得てからも、人間は何度も生まれ変わりながら現在に至っていること――そんな荒唐無稽なことを考える人間は、当時のキリスト教徒には異端者としか考えられなかったはずだ。 クリスチャンなら誰でも、父なる神が人の住むべき家を用意してくれるというキリストの約束を信じている。もちろんケイシーも、それを固く信じてきたのである。その自分が無意識の中で語っていることは、神に背き、悪魔に魂を売り渡したとしか言いようのないことだった。 彼の混乱をよそに、このリーディングを依頼したアーサー・ラマーズは喜びで興奮していた。アーサーは印刷業を営む傍ら、心霊現象とか東洋の宗教を熱心に研究していた人物である。このリーディングをするために、わざわざケイシーをアラバマ州セルマから呼び寄せたのだ。 自分の考えが間違っていなかったことを保証してくれたこのリーディングに、ついはしゃぎたくなる気持ちもわかろうというものだった。 エドガー・ケイシーは、この時、生涯で最も大きな転回点にいたと言ってよいだろう。彼は何よりも、この場に背を向けて帰ってしまいたいという気持ちでいっぱいになったが、自分の知らないことは一切受け入れないというほど頑迷ではなかった。 そんなことを言えば、そもそもフィジカル・リーディングでさえ、彼の確認しようのない分野のことであった。リーディングができるようになったのは“神の意志”によると考える以上、それぞれの時点ではどんなに“常識”に反するように感じられたとしても、謙虚な気持ちで受け止めるべきであるという結論を、彼は出していたのであった。 このエドガー・ケイシーの大決心によって、われわれは、人類誕生の謎も、現代の人類が抱える危機をも知ることができたわけである。 ところで、自分の前世を知ると何の役に立つのだろうか? 前世がどんなに良いものにせよ、逆にどんなに悪いものにせよ、もはや手の付けようがない以上、今さら知っても意味がないと思われて当然である。にもかかわらず2,500人以上の人々がリーディングを依頼し、ほとんどの人がそこから何ものかを得、その後の人生をより良いものにしようとしたのであった。 リーディングによれば、すべての人間は、利己的な心を捨て、自分より不幸な人を助けたいという気持ちを持ち続けることによってのみ、自分の可能性をフルに開花させることかできるというのである。 |