4つの目で世の中を考えるさんのサイトより
http://310inkyo.jugem.jp/
<転載開始>
ではなぜ米国がキューバに対して、このような嫌がらせ工作ばかりしているのか?
一つには、以下に書くように、自国の支配下に置き金儲けの場にしたいという思いを、カストロらによって打ち砕かれてしまったので、メディア等を使ってウソ情報を流しさんざん悪のイメージを植え付け、再度支配を目指そうということ。
それともう一つは(単に私がそういう気がするというだけですが)、他国で本当に幸せそうに暮らしてる人たちを見るのががまんならないんじゃないだろうか・・・
(つまり米国の支配層は、世界一心の貧しい人間)
キューバ革命と、カストロ、ゲバラ等についてはすでに多くの人たちがご存知だろうとは思うけど、独裁とか悪・テロとかいってメディア報道してる米国発のウソ情報を鵜呑みにしてる人たちのためにはじめに、今一度簡単に書いておきます。
1950年代のキューバは米国の属国同然で、土地、電話、電力、鉄道すべての利権がアメリカ資本の手に渡り、首都ハバナはマフィアが横行する無法の歓楽街となっていた。しかもキューバ政府の要人は独裁者バティスタ将軍を筆頭に米国にゴマをする者ばかり。巨額の黒い金が支配層間で動いていた。
キューバに限らず、ボリビア、ペルー、グアテマラ等当時の中南米の各国では米国による経済的植民地支配が広く行われており、各国の農民たちがそれに抵抗、小規模の革命があちこちで起こっていたけど強大なバックの控えてる相手にはいずれも成功しなかった。
たとえばグアテマラでは、ハコボ・アルベンス首相を中心に農地改革を中心とした社会主義的な革命が進行中だったが、貧富の差をなくそうとする政府の試みは、必然的に米国系企業の植民地支配と対立することになり、ついにはアメリカによる介入を導くことになり、1954年6月、CIAや米国系企業の後押しを受けたカスティージョ・アルマスを中心とした軍部によるクーデターが起き、グアテマラの短い「春」は終わりを告げてしまった。
カストロ、ゲバラらもその例外でなく、逃げ延びていたメキシコで運命の出会いを果たしたのだ。
バティスタ軍事政権を打倒する為に、カストロは武装した同志82人と今まさに祖国に戻らんとしていた。情熱的に巨悪と立ち向かうカストロの生き方に感銘を受けたゲバラは、軍医として彼らに同行することを決意し、1956年12月、キューバへの密航船に同乗した。
ゲバラの闘い方はアメリカ軍や戦前の天皇の軍隊とは全然違ったものだった。農民を尊敬しろと徹底し、自ら山中で出会った農民と握手を交わし、相手の名前を聞き自己紹介をする。人民の財産を盗んだり、レイプするなどはもってのほか。彼ら革命軍は農村で食料や物資を調達する際、必ず農民に代金を支払った。イラクやアフガニスタンの市民を殺しまくり、虐待しているアメリカ軍とは大違いで、ゲバラは不正な行いには味方の兵であっても容赦はせず、脱走した兵が密告しその結果農民が惨殺されたり、女性のレイプには死刑を持って臨んだ。
また、負傷兵は戦場に置き去りにしない。敵兵であっても負傷し捕虜となれば丁重に扱い治療をしてやる。
こうした仁義話はキューバ全土にすぐに広まり、政府軍の中からもゲバラたちの仲間に加わる者が出た。
1959年1月2日、民衆の大歓声に迎えられ革命軍はついに首都ハバナへ入城し新政権を樹立させた。首相に就いたカストロは若干31歳、国銀総裁のゲバラは30歳という、若者たちの政府が誕生した。
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ではなぜ米国がキューバに対して、このような嫌がらせ工作ばかりしているのか?
一つには、以下に書くように、自国の支配下に置き金儲けの場にしたいという思いを、カストロらによって打ち砕かれてしまったので、メディア等を使ってウソ情報を流しさんざん悪のイメージを植え付け、再度支配を目指そうということ。
それともう一つは(単に私がそういう気がするというだけですが)、他国で本当に幸せそうに暮らしてる人たちを見るのががまんならないんじゃないだろうか・・・
(つまり米国の支配層は、世界一心の貧しい人間)
キューバ革命と、カストロ、ゲバラ等についてはすでに多くの人たちがご存知だろうとは思うけど、独裁とか悪・テロとかいってメディア報道してる米国発のウソ情報を鵜呑みにしてる人たちのためにはじめに、今一度簡単に書いておきます。
1950年代のキューバは米国の属国同然で、土地、電話、電力、鉄道すべての利権がアメリカ資本の手に渡り、首都ハバナはマフィアが横行する無法の歓楽街となっていた。しかもキューバ政府の要人は独裁者バティスタ将軍を筆頭に米国にゴマをする者ばかり。巨額の黒い金が支配層間で動いていた。
キューバに限らず、ボリビア、ペルー、グアテマラ等当時の中南米の各国では米国による経済的植民地支配が広く行われており、各国の農民たちがそれに抵抗、小規模の革命があちこちで起こっていたけど強大なバックの控えてる相手にはいずれも成功しなかった。
たとえばグアテマラでは、ハコボ・アルベンス首相を中心に農地改革を中心とした社会主義的な革命が進行中だったが、貧富の差をなくそうとする政府の試みは、必然的に米国系企業の植民地支配と対立することになり、ついにはアメリカによる介入を導くことになり、1954年6月、CIAや米国系企業の後押しを受けたカスティージョ・アルマスを中心とした軍部によるクーデターが起き、グアテマラの短い「春」は終わりを告げてしまった。
カストロ、ゲバラらもその例外でなく、逃げ延びていたメキシコで運命の出会いを果たしたのだ。
バティスタ軍事政権を打倒する為に、カストロは武装した同志82人と今まさに祖国に戻らんとしていた。情熱的に巨悪と立ち向かうカストロの生き方に感銘を受けたゲバラは、軍医として彼らに同行することを決意し、1956年12月、キューバへの密航船に同乗した。
ゲバラの闘い方はアメリカ軍や戦前の天皇の軍隊とは全然違ったものだった。農民を尊敬しろと徹底し、自ら山中で出会った農民と握手を交わし、相手の名前を聞き自己紹介をする。人民の財産を盗んだり、レイプするなどはもってのほか。彼ら革命軍は農村で食料や物資を調達する際、必ず農民に代金を支払った。イラクやアフガニスタンの市民を殺しまくり、虐待しているアメリカ軍とは大違いで、ゲバラは不正な行いには味方の兵であっても容赦はせず、脱走した兵が密告しその結果農民が惨殺されたり、女性のレイプには死刑を持って臨んだ。
また、負傷兵は戦場に置き去りにしない。敵兵であっても負傷し捕虜となれば丁重に扱い治療をしてやる。
こうした仁義話はキューバ全土にすぐに広まり、政府軍の中からもゲバラたちの仲間に加わる者が出た。
1959年1月2日、民衆の大歓声に迎えられ革命軍はついに首都ハバナへ入城し新政権を樹立させた。首相に就いたカストロは若干31歳、国銀総裁のゲバラは30歳という、若者たちの政府が誕生した。
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