大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

いま蘇る幣立神宮

心が貧しい人

いま蘇る幣立神宮さんのサイトより
http://heitate.blog37.fc2.com/blog-entry-1541.html
<転載開始>
≪ちょっといい言葉≫

皆さんのコメントも、記事の一部になってきました。
なかなか、ためになりますね。
いろいろ考えさせられます。

今日のいい言葉。

 物事を人のせいにして、逃げるタイプの人、こんな人は「心が貧しい人」です。
いつも、しかめっ面をしています。

 誠実にいま与えられている仕事に取り組み、明るく前向きに取り組む人は「心が豊かな人」です。
いつも、笑顔です。

心が貧しい人

若い頃の私は「心が貧しくて弱い」人間でした。
そのキーワードとなる言葉です。

強欲、嫌悪、怒り、虚栄心、慢心、自堕落、利己心、強情
無理して微笑んでいました。
これらは、貧しさであり弱さです。

会社が倒産しすべてのキャリアを無くした時に、「逃げない」と決意しました。
そのおかげで『貧しさ』を捨てることができました。

そしてその時『豊かさ』を得る準備ができたと感じています。
今考えると、あの時が分岐点でした。
あとは幸運を待つだけでした。

結果として、次から次に幸運が舞い込むような人生が始まりました。
そして、現在の自分がいます。

そのキーワード。
慈愛、清らかさ、優しさ、忍耐、同情、寛大さ、思いやり、感謝
これが豊かさでありパワーです。

私は貧しさを捨てたことで豊かさを手に入れることができたのです。

この法則は、シンプルですが絶大な効果があります。

まず、貧しさを捨てるのです。

今の自分を苦しめているものはこの貧しさなのですが、これは捨てることができるはずです。
 「捨てるぞ」と決めればよいのです。

今の自分から、「逃げないぞ」と決めればよいのです。

今決めるのです。

いま在る自分に感謝しています

≪余談≫

ちょっといい言葉。

時間と言うものは、本来、流れるものではなくて、過去から未来に流れるものではなくて、ただ「今」があるだけです。

今という時間があるだけなのです。

だから、過去を嘆いたり未来を憂えたりしているのは、今の自分以外の何者でもないのです。


<転載終了>

大都会のリスク

いま蘇る幣立神宮さんのサイトより
http://heitate.blog37.fc2.com/blog-entry-1303.html
<転載開始>
≪扉が開いた≫

人の神性が目覚め、今までの常識みたいなものが通用しなくなりました。
東京という大都会の在り方も考えなければならないと思います。

≪6月6日、なぜか東京にいます。
ある私的な用事があり、前日に飛行機で来ました。
この下書きは、それ以前に書き始めましたが・・・後日、詳しく。≫


大都会のリスク

大震災の時の大都会は大変でしたね。
600万人の帰宅難民。

当たり前ではない状態を、当たり前のように生活してきた都会の皆さんは、気がつかれたのではないかと思います。
 リスクの中で経済活動をしているという事実を。
そして、一番大切なことは、「とにかく歩いてでも家に帰る」事だということを。

 このリスクに対する覚悟と準備が必要であるという事実。
物理的なリスクだけではなく、経済活動も自然の前には無力であるという事実。

≪安全だと思っていた東電の社債も、目減りしてしまい投資家は大損害です。
今後、回復することはあるのでしょうか。

普通の企業ならとっくに倒産です。≫


ま、お金に縁のない庶民の私には関係ないことですが・・・。

≪震災の時、なぜか地龍も東京だけは避けているような感じがしたのは私だけでしょうか。
御所に居られる鳳凰のエネルギーによって守られているのかと妄想しています。

二年ほど前、二重橋の前で撮った写真があるのですが、確かに感じました。≫


高層のビル群を見ていると、バベルの塔に見えてしまいます。
エレベータが止まれば、階段を歩かねばと考えるだけで気分が悪くなります。

九州の田舎者ですから、なじめません。

こんなところのどこがいいのだろう。
自然もないし、空気も悪いし、人はしかめっ面で歩いているし、こんな場所に住んでいれば、自然に対する畏敬の念を忘れてしまうのは仕方がないかもしれません。

今日は、文章がバラバラでした。
いろいろな思いがあふれ、気持ちが安定しません。

いま在る自分に感謝しています

≪余談≫

用事がバタバタと思い通りに終わり、自分でもびっくりしています。

動き方一つで、流れが良くなり、苦労せずに思った通りの結果が得られる。
嘘みたいな話ですが、今回これを体験しました。

すでに決まっていたことを確認するために動く。
この感覚の不思議さ、わかりますか。

何のことか、具体的に聞かないとわからないと思いますが、感謝のエネルギーの奇跡を実感しました。
<転載終了>

つみ・けがれ

いま蘇る幣立神宮さんのサイトより
http://heitate.blog37.fc2.com/blog-entry-1177.html
「魂について考える」を考察されています。
興味のある方は、訪問されてはいかがでしょうか。
<転載開始>
≪魂について考える≫

いよいよ、本題である「魂」に近づいてきました。

私たちの肉体が生存していく上でどうしても避けられないものが、汚れです。
たとえば、水蒸気が水になり、雨となって、川を流れていくといろいろな汚れがついてきます。
元の水が変化したわけではないのです。
ただ物理的な存在に変化した時から、いろいろな汚れがついてくるのです。

つみ・けがれ

 これを日本の神道では、「つみ・けがれ」といいます。
 罪・穢れと言いますが、「つみ」というのは体を「包む身」という意味です。

「つみ」というのは泥棒をしたとか、そういうことではないのです。
ああいう当て字を書くからわからなくなります。

「つみ」という日本語は、神さまからの体、「霊体」を包んで隠してしまうということです。
「けがれ」というのは、穢れという字を書いていますが、汚いというのではなくて「気枯れ」です。

我々を生かしてくれる神さまの気、「霊体の中心に在る内在神」を枯らしてしまうものが、「けがれ」なのです。

そういうもろもろが体についてしまったために、もともとのすばらしい姿が見えなくなった状態が、病気であると考えるわけです。

どんな泥水でも、水は変わっていません。
泥が混ざっただけだから、泥を取ったらまた澄んだ水が出てくる。
こういう考え方をします。

人間の体も水と同じで、どんな病気が来ようと、もともとは神と同じ、すばらしい体であり、それに罪・穢れという異物がくっついているだけなのだから、それを消せばもとの体が出てくると考える。

私ば、それが正しいと思います。

それで、神道では「祓い」という行為を行います。
その汚れを払うことによって、元のすばらしい体に戻すという考え方です。

この祓いというのはすごいもので、世界で日本人だけが考えたものです。

なぜ、その汚れがついてしまうのでしょうか。

その原因は、すべて「我(が)」です。
罪・穢は全部「我」によっておこってくるのです。

我欲があるから、いわゆる病気になったり、いろいろ悩み、悲しみが出てきます。

だから、我欲を祓いなさいというのが「祓い」ということです。

人生とは、祓いの連続ですね。

いま在る自分に感謝しています

<転載終了>
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