エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/cain2.htm
<転載開始>
B.伊勢志摩と伊予の語源
a.伊勢の語源
アテネ五輪の女子マラソンで、伊勢神宮のお守りを付けた野口選手が金メダルを取ったことで、伊勢はマスコミ受けして注目された。しかし、聖書学的には伊勢神宮と野口選手でなくてはならなかったのである。なぜならば、昨年から今年はヨセフの年であり、ヨセフに関する夥しい真相が公開される旬であるが、ヨセフの妻アセナテが伊勢の語源、ヨセフ達の住んだテーベの別名がノ(野)と言われたからである。高橋選手が仮に出ていても、しるしを持たないので優勝はできなかったのである。
アセナテは、焦るの語源のアセ(意味は「早い」)
asと、女性形の所有形容詞ナテ
ntの合成である。ナテには女性を表す以上の意味がないので、アセが重要となる。アがヒエログリフで表記される場合、アメン神
のようにイと読まれる一本葦
で書かれる事がある。ここから、アセも
と書かれたことが考えられ、アセのヒエログリフはイセと読まれる。さらに、アセナテは女神イシスのモデルとなったので、イシスから派生した女神の一つアマテラスの名前になったのである。これが、伊勢の名前の真相である。
アセナテがイシスのモデルだとする根拠は、イシスのヒエログリフ
astにある。最後の文字は女神を表す決定詞で読まないので、読みはアセトかアシタなどになる。このように、イシスが本来アセトと読まれたのなら、ヒエログリフは子音表記なのでアセナテと3文字まで同一となる。前出のようにナテには女性を表す程度の意味しかないので、事実上は同一と考えられるのである。ちなみに、アセトのトも人を指す人称代名詞のようなもので、それで日本語で人をトと読むのである。また、アシタの読みは葦田と書くことができるから、アシ
で表記されるイと読むことができる。ここからも、アセはイセになるのである。
アセナテがイシスのモデルだったとしたら、イシスの極めて不可解な特徴が理解される。それは、玉座である石椅子を頭に乗っけていることである。こんな奇妙な神は他になく、石椅子は余程大事なシンボルであると想像できる。では、どうして石椅子なのか?その答えは明白である。それは、石で象徴されるイスラエルの神を表しているのである。それで、イスラエルのイスから同音の椅子をシンボルとしたのである。石で象徴されるイスラエルだから、石・イスとなり、石椅子がシンボルとされた。さらに、石椅子を頭に乗っけたことから椅子・頭(ズ)となり、イシスを祭った伊勢に流れる五十鈴川の名前イスズになったのである。だからイソスズと読まないでイスズと読むのであるが、五十の鈴という当て字はカッバーラの生命の樹のセフィロトである。鈴木は、生命の樹そのものを指す。このように、伊勢はアセナテだったので、アセナテとヨセフが住んだテーベの元の名ノを持つ野口選手が祝福された。なお、野の字は、予が預言者であったヨセフを指すので、偏の里と相まって、ヨセフの里となる。
なお余談であるが、昔のいすゞ自動車にはベレルという中型車があった。セドリックやクラウンと同じ車格で、売り上げの大半はディーゼル車が占めていた。webCGというサイトに「これっきりですカー」というコラムがあり、大半は一代で姿を消した車を面白く紹介している。この中で、ベレルはベルエルが縮まったもので、鈴を意味するベルと五十を意味するel(エル)の合成語と説明している。しかし、エルが五十である根拠は示されていないので、この場合のエルが何語であるか分からない。エルはミカエルなどの神様を指すが、アルファベットのEは五番目だから符合する。だが、Lは12番目だから十の方とは符合しない。日本古語で五十はイソと読み、十はイエスの蘇りを象徴する。五十鈴川はある地点で45度の角度に流れているが、45度(Degree)は直角を百分割した単位法では50グラード(Grade)なので、角度で五十を暗示させていたことになる。
さて、伊勢と呼ばれたアセナテに伊の字が使われる理由であるが、伊の字はヨノ人と書くから、ヨセフの妻アセナテを指す。これがイタリアの日本語表記である伊太利亜に使われることから、アセナテはイタリア出身と考えられるのである。あるいは、イタリアの地名は、アセナテから来ているのかもしれないが。また、伊勢の勢はアセナテの純粋で激しい気性を暗示するから、ヨセフは絶対に尻に敷かれていた。なお、星、正、聖、世、西、清、など、セイと読まれる文字は、アセナテに関する文字と考えられる。アセナテの父ポテペラのポテは星(ポティが語源)を意味するし、祭司に必要な聖と清と正、三十代で出世したヨセフを指す世の字、ナイルの西にあったテーベなど、どれもアセナテに符合するからである。
世の字が三十代で出世したヨセフを意味するというのは、字を分解すると廿(数字の20)が出てくるが、隣の三本目の線が長くて右に折れ曲がっているので分かるのである。ベニヤミンのミンはヘブライ語で右を意味するが、右は幸福の象徴であるから三十歳で宰相に抜擢されたヨセフにふさわしく、それで右に曲がっているのである。ちなみに、ミンの反対は不幸を意味するオニであり、これが鬼の語源。不幸な人の形相が鬼の顔になったのである。
b.伊予の語源
ヨセフはアセナテから星のシンボルをもらい、それでスペイン語でヨセフがホセとなったと考えられる。ヨセフ、英語のジョセフ、スペイン語のホセは同一だが、スペイン語だけがYからHという特別な転訛が成された背景を説明する。バイト先で変になついてきたペルーのマニエルは、名前がホセだったから縁があったのである。
アセナテとヨセフは常にセットで登場するが、それが端的なのは愛媛の旧名の伊予である。伊がアセナテで予はヨセフであるが、ヨセフはオンのお姫様アセナテを愛していたので、アセナテ媛を愛するという意味の愛媛になったのである。これが、古事記の国造り神話において、伊予の神が愛媛とされる理由である。仲の良い男女を冷やかすときに、「イヨー、そこのお二人さん」などと昔は言ったが、このイヨーがアセナテとヨセフのカップルから来ているのは明白である。それにしてもまあヌケヌケと、愛する媛などとのろけられたものである。あー、アホラシ!
このような、アセナテとヨセフのセットを地名としたものに伊勢志摩がある。シマというのは、テーベの別名の一つ
shima・wである(注、ヒヨコのwはヤコブを指す決定詞として読まない)。また、テーベを表すヒエログリフの決定詞
であるが、ギリシャ語のノモスとして一般化している。しかし、本来の読みであるセパトはセフの土地を意味するから、ヨセフに関する名前であることが分かる。
セパトは行政区域を意味するが、ここに宰相ヨセフの名前が付けられていることから、ヨセフが持ち込んだ地域管理システムなのである。テーベの別名シマから、シマはヨセフの別名ともなった。それで、伊勢と呼ばれたアセナテと、シマと呼ばれたヨセフをセットとして、伊勢志摩という地名が付けられたのである。明日香も、イシスのヒエログリフの別の読み方のアシタ(明日の語源)から、最後の人称代名詞を女性を表すカに換えただけである。だから明日香もアセナテの別名となり、シマを持つ島ノ庄とセットになる。また、明日という字をアスとアシタの二通りに読む理由も理解されるのである。
検索で訪れた方へ。このページは、平御幸(Taira.Miyuki)のエフライム工房より、日本語のルーツを明らかにする『続・カインをぶら下げている日本人』です。トップページから入り直して下さい。
<転載終了>
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/cain2.htm
<転載開始>
B.伊勢志摩と伊予の語源
a.伊勢の語源
アテネ五輪の女子マラソンで、伊勢神宮のお守りを付けた野口選手が金メダルを取ったことで、伊勢はマスコミ受けして注目された。しかし、聖書学的には伊勢神宮と野口選手でなくてはならなかったのである。なぜならば、昨年から今年はヨセフの年であり、ヨセフに関する夥しい真相が公開される旬であるが、ヨセフの妻アセナテが伊勢の語源、ヨセフ達の住んだテーベの別名がノ(野)と言われたからである。高橋選手が仮に出ていても、しるしを持たないので優勝はできなかったのである。
アセナテは、焦るの語源のアセ(意味は「早い」)






アセナテがイシスのモデルだとする根拠は、イシスのヒエログリフ


アセナテがイシスのモデルだったとしたら、イシスの極めて不可解な特徴が理解される。それは、玉座である石椅子を頭に乗っけていることである。こんな奇妙な神は他になく、石椅子は余程大事なシンボルであると想像できる。では、どうして石椅子なのか?その答えは明白である。それは、石で象徴されるイスラエルの神を表しているのである。それで、イスラエルのイスから同音の椅子をシンボルとしたのである。石で象徴されるイスラエルだから、石・イスとなり、石椅子がシンボルとされた。さらに、石椅子を頭に乗っけたことから椅子・頭(ズ)となり、イシスを祭った伊勢に流れる五十鈴川の名前イスズになったのである。だからイソスズと読まないでイスズと読むのであるが、五十の鈴という当て字はカッバーラの生命の樹のセフィロトである。鈴木は、生命の樹そのものを指す。このように、伊勢はアセナテだったので、アセナテとヨセフが住んだテーベの元の名ノを持つ野口選手が祝福された。なお、野の字は、予が預言者であったヨセフを指すので、偏の里と相まって、ヨセフの里となる。
なお余談であるが、昔のいすゞ自動車にはベレルという中型車があった。セドリックやクラウンと同じ車格で、売り上げの大半はディーゼル車が占めていた。webCGというサイトに「これっきりですカー」というコラムがあり、大半は一代で姿を消した車を面白く紹介している。この中で、ベレルはベルエルが縮まったもので、鈴を意味するベルと五十を意味するel(エル)の合成語と説明している。しかし、エルが五十である根拠は示されていないので、この場合のエルが何語であるか分からない。エルはミカエルなどの神様を指すが、アルファベットのEは五番目だから符合する。だが、Lは12番目だから十の方とは符合しない。日本古語で五十はイソと読み、十はイエスの蘇りを象徴する。五十鈴川はある地点で45度の角度に流れているが、45度(Degree)は直角を百分割した単位法では50グラード(Grade)なので、角度で五十を暗示させていたことになる。
さて、伊勢と呼ばれたアセナテに伊の字が使われる理由であるが、伊の字はヨノ人と書くから、ヨセフの妻アセナテを指す。これがイタリアの日本語表記である伊太利亜に使われることから、アセナテはイタリア出身と考えられるのである。あるいは、イタリアの地名は、アセナテから来ているのかもしれないが。また、伊勢の勢はアセナテの純粋で激しい気性を暗示するから、ヨセフは絶対に尻に敷かれていた。なお、星、正、聖、世、西、清、など、セイと読まれる文字は、アセナテに関する文字と考えられる。アセナテの父ポテペラのポテは星(ポティが語源)を意味するし、祭司に必要な聖と清と正、三十代で出世したヨセフを指す世の字、ナイルの西にあったテーベなど、どれもアセナテに符合するからである。
世の字が三十代で出世したヨセフを意味するというのは、字を分解すると廿(数字の20)が出てくるが、隣の三本目の線が長くて右に折れ曲がっているので分かるのである。ベニヤミンのミンはヘブライ語で右を意味するが、右は幸福の象徴であるから三十歳で宰相に抜擢されたヨセフにふさわしく、それで右に曲がっているのである。ちなみに、ミンの反対は不幸を意味するオニであり、これが鬼の語源。不幸な人の形相が鬼の顔になったのである。
b.伊予の語源
ヨセフはアセナテから星のシンボルをもらい、それでスペイン語でヨセフがホセとなったと考えられる。ヨセフ、英語のジョセフ、スペイン語のホセは同一だが、スペイン語だけがYからHという特別な転訛が成された背景を説明する。バイト先で変になついてきたペルーのマニエルは、名前がホセだったから縁があったのである。
アセナテとヨセフは常にセットで登場するが、それが端的なのは愛媛の旧名の伊予である。伊がアセナテで予はヨセフであるが、ヨセフはオンのお姫様アセナテを愛していたので、アセナテ媛を愛するという意味の愛媛になったのである。これが、古事記の国造り神話において、伊予の神が愛媛とされる理由である。仲の良い男女を冷やかすときに、「イヨー、そこのお二人さん」などと昔は言ったが、このイヨーがアセナテとヨセフのカップルから来ているのは明白である。それにしてもまあヌケヌケと、愛する媛などとのろけられたものである。あー、アホラシ!
このような、アセナテとヨセフのセットを地名としたものに伊勢志摩がある。シマというのは、テーベの別名の一つ


セパトは行政区域を意味するが、ここに宰相ヨセフの名前が付けられていることから、ヨセフが持ち込んだ地域管理システムなのである。テーベの別名シマから、シマはヨセフの別名ともなった。それで、伊勢と呼ばれたアセナテと、シマと呼ばれたヨセフをセットとして、伊勢志摩という地名が付けられたのである。明日香も、イシスのヒエログリフの別の読み方のアシタ(明日の語源)から、最後の人称代名詞を女性を表すカに換えただけである。だから明日香もアセナテの別名となり、シマを持つ島ノ庄とセットになる。また、明日という字をアスとアシタの二通りに読む理由も理解されるのである。
検索で訪れた方へ。このページは、平御幸(Taira.Miyuki)のエフライム工房より、日本語のルーツを明らかにする『続・カインをぶら下げている日本人』です。トップページから入り直して下さい。
<転載終了>