大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

エフライム工房 平御幸

『続・カインをぶら下げている日本人』~日本語編

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/cain2.htm
<転載開始>
 B.伊勢志摩と伊予の語源


 a.伊勢の語源


 アテネ五輪の女子マラソンで、伊勢神宮のお守りを付けた野口選手が金メダルを取ったことで、伊勢はマスコミ受けして注目された。しかし、聖書学的には伊勢神宮と野口選手でなくてはならなかったのである。なぜならば、昨年から今年はヨセフの年であり、ヨセフに関する夥しい真相が公開される旬であるが、ヨセフの妻アセナテが伊勢の語源、ヨセフ達の住んだテーベの別名がノ(野)と言われたからである。高橋選手が仮に出ていても、しるしを持たないので優勝はできなかったのである。

 アセナテは、焦るの語源のアセ(意味は「早い」)asと、女性形の所有形容詞ナテntの合成である。ナテには女性を表す以上の意味がないので、アセが重要となる。アがヒエログリフで表記される場合、アメン神のようにイと読まれる一本葦で書かれる事がある。ここから、アセもと書かれたことが考えられ、アセのヒエログリフはイセと読まれる。さらに、アセナテは女神イシスのモデルとなったので、イシスから派生した女神の一つアマテラスの名前になったのである。これが、伊勢の名前の真相である。

 アセナテが
イシスのモデルだとする根拠は、イシスのヒエログリフastにある。最後の文字は女神を表す決定詞で読まないので、読みはアセトかアシタなどになる。このように、イシスが本来アセトと読まれたのなら、ヒエログリフは子音表記なのでアセナテと3文字まで同一となる。前出のようにナテには女性を表す程度の意味しかないので、事実上は同一と考えられるのである。ちなみに、アセトのトも人を指す人称代名詞のようなもので、それで日本語で人をトと読むのである。また、アシタの読みは葦田と書くことができるから、アシで表記されるイと読むことができる。ここからも、アセはイセになるのである。

 アセナテがイシスのモデルだったとしたら、イシスの極めて不可解な特徴が理解される。それは、玉座である石椅子を頭に乗っけていることである。こんな奇妙な神は他になく、石椅子は余程大事なシンボルであると想像できる。では、どうして石椅子なのか?その答えは明白である。それは、石で象徴されるイスラエルの神を表しているのである。それで、イスラエルのイスから同音の椅子をシンボルとしたのである。石で象徴されるイスラエルだから、石・イスとなり、石椅子がシンボルとされた。さらに、石椅子を頭に乗っけたことから椅子・頭(ズ)となり、イシスを祭った伊勢に流れる五十鈴川の名前イスズになったのである。だからイソスズと読まないでイスズと読むのであるが、五十の鈴という当て字はカッバーラの生命の樹のセフィロトである。鈴木は、生命の樹そのものを指す。このように、伊勢はアセナテだったので、アセナテとヨセフが住んだテーベの元の名ノを持つ野口選手が祝福された。なお、野の字は、予が預言者であったヨセフを指すので、偏の里と相まって、ヨセフの里となる。

 なお余談であるが、昔のいすゞ自動車にはベレルという中型車があった。セドリックやクラウンと同じ車格で、売り上げの大半はディーゼル車が占めていた。
webCGというサイトに「これっきりですカー」というコラムがあり、大半は一代で姿を消した車を面白く紹介している。この中で、ベレルはベルエルが縮まったもので、鈴を意味するベルと五十を意味するel(エル)の合成語と説明している。しかし、エルが五十である根拠は示されていないので、この場合のエルが何語であるか分からない。エルはミカエルなどの神様を指すが、アルファベットのEは五番目だから符合する。だが、Lは12番目だから十の方とは符合しない。日本古語で五十はイソと読み、十はイエスの蘇りを象徴する。五十鈴川はある地点で45度の角度に流れているが、45度(Degree)は直角を百分割した単位法では50グラード(Grade)なので、角度で五十を暗示させていたことになる。

 さて、伊勢と呼ばれたアセナテに伊の字が使われる理由であるが、伊の字はヨノ人と書くから、ヨセフの妻アセナテを指す。これがイタリアの日本語表記である伊太利亜に使われることから、アセナテはイタリア出身と考えられるのである。あるいは、イタリアの地名は、アセナテから来ているのかもしれないが。また、伊勢の勢はアセナテの純粋で激しい気性を暗示するから、ヨセフは絶対に尻に敷かれていた。なお、星、正、聖、世、西、清、など、セイと読まれる文字は、アセナテに関する文字と考えられる。アセナテの父ポテペラのポテは星(ポティが語源)を意味するし、祭司に必要な聖と清と正、三十代で出世したヨセフを指す世の字、ナイルの西にあったテーベなど、どれもアセナテに符合するからである。

 世の字が三十代で出世したヨセフを意味するというのは、字を分解すると廿(数字の20)が出てくるが、隣の三本目の線が長くて右に折れ曲がっているので分かるのである。ベニヤミンのミンはヘブライ語で右を意味するが、右は幸福の象徴であるから三十歳で宰相に抜擢されたヨセフにふさわしく、それで右に曲がっているのである。ちなみに、ミンの反対は不幸を意味するオニであり、これが鬼の語源。不幸な人の形相が鬼の顔になったのである。



 b.伊予の語源


 ヨセフはアセナテから星のシンボルをもらい、それでスペイン語でヨセフがホセとなったと考えられる。ヨセフ、英語のジョセフ、スペイン語のホセは同一だが、スペイン語だけがYからHという特別な転訛が成された背景を説明する。バイト先で変になついてきたペルーのマニエルは、名前がホセだったから縁があったのである。

 アセナテとヨセフは常にセットで登場するが、それが端的なのは愛媛の旧名の伊予である。伊がアセナテで予はヨセフであるが、ヨセフはオンのお姫様アセナテを愛していたので、アセナテ媛を愛するという意味の愛媛になったのである。これが、古事記の国造り神話において、伊予の神が愛媛とされる理由である。仲の良い男女を冷やかすときに、「イヨー、そこのお二人さん」などと昔は言ったが、このイヨーがアセナテとヨセフのカップルから来ているのは明白である。それにしてもまあヌケヌケと、愛する媛などとのろけられたものである。あー、アホラシ!


 このような、アセナテとヨセフのセットを地名としたものに伊勢志摩がある。シマというのは、テーベの別名の一つshima・wである(注、ヒヨコのwはヤコブを指す決定詞として読まない)。また、テーベを表すヒエログリフの決定詞であるが、ギリシャ語のノモスとして一般化している。しかし、本来の読みであるセパトはセフの土地を意味するから、ヨセフに関する名前であることが分かる。

 セパトは行政区域を意味するが、ここに宰相ヨセフの名前が付けられていることから、ヨセフが持ち込んだ地域管理システムなのである。テーベの別名シマから、シマはヨセフの別名ともなった。それで、伊勢と呼ばれたアセナテと、シマと呼ばれたヨセフをセットとして、伊勢志摩という地名が付けられたのである。明日香も、イシスのヒエログリフの別の読み方のアシタ(明日の語源)から、最後の人称代名詞を女性を表すカに換えただけである。だから明日香もアセナテの別名となり、シマを持つ島ノ庄とセットになる。また、明日という字をアスとアシタの二通りに読む理由も理解されるのである。



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<転載終了>

『続・カインをぶら下げている日本人』~日本語編

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/cain1.htm
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 『カインをぶら下げている日本人』では、聖書のエピソードと日本語との関係を説明した。しかし、日本人の大多数が知りたいのはもっと身近な日本語である。例えば、神社の名前の意味とか、郷土の地名とかである。それで、続編として聖書に出典のない日本語を取り上げることにした。ただし、聖書のエピソードに日本語解明の鍵があるので、前回同様に聖書の記述は登場する。サイトでの公開を目的とするため、項の番号を今回はA、B~などとし、前回の数字とは差別している。



 A.ヒエログリフの音読みと訓読み


 a.恩人のルーツ


 漢字には音読みと訓読みがあるが、漢字の中国読みは音読みではない。中には似ているものもあるが、基本的に別である。古代に漢文が教養とされた頃は、遣隋使や遣唐使によって本場の読み方が移入されたが、それでも日本独自の音読みは無くならなかったのである。それは何故か?

 実は、音読みと訓読みのルーツは、漢字ではなくヒエログリフにある。前18世紀頃、日本人の祖先イスラエル12部族はエジプトに住んでいたが、ヒエログリフに対するイスラエルの読み方が訓読みで、エジプトの読み方が音読みだったのである。音読みのオンとは、エジプトの宰相だったヨセフの義理の父、オン(ヘリオポリス)の祭司ポテペラのオンだったのである。


 イスラエルの別名を持つヤコブが最も愛したヨセフは、兄弟の妬みからエジプトへ売られてしまう。だが、ヨセフの悲劇はまだまだ続く。今度は、仕えた家の妻からセクハラの偽証で訴えられ、獄中に13年間も繋がれてしまうのである。普通の人間ならこういう場合に絶望するが、ヨセフは獄中でも獄卒に気に入られて特別扱いをされた。そして、この獄中時代に、ヨセフはエジプト語とヒエログリフの構造研究を成したと思われるのである。

 やがて、王の見た夢を判じるために獄から出されると、ヨセフは一躍、宰相に任命されることになる。だが、13年間の獄中を無為に過ごした人間に宰相は無理なのである。ここから、ヨセフが獄中に黙々と自分を磨いていたことが理解されるのである。

 ヨセフは、王の命令でオンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻とするが、ポテペラとアセナテはヨセフを愛して篤くもてなした。それで、ヨセフが感激したので、彼らは恩人となったのである。もうお分かりのように、恩、御、温、穏、音、遠、など、オンと読む言葉はヨセフの外戚であるポテペラを指していたのである。ヨセフ達が住んだテーベから見てオンは遠く、穏やかで温かな恩人の住む、美しい音楽の満ちる有り難い土地だったのである。そして、ヒエログリフに対するポテペラ達の読み方が音読みとなり、ヘブル人ヨセフ達の読み方が訓読みとなったのであるが、訓読みについては説明が必要である。




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『カインをぶら下げている日本人』 16.イエスが話した日本語

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain16.htm
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 今までは、主に旧約聖書のエピソードを解説してきた。だが、イスラエルの民が古代エジプト時代に話していた言葉は旧約の世界に留まらない。その良い例としてイエスの有名な言葉を取り上げたい。

 イエスが十字架に掛けられ、最後に発した言葉が「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」である。この意味は、「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」マタイによる福音書27章-46「父よ、私の霊を御手に委ねます」ルカによる福音書23章-46
、と分かれている。果たしてどちらが正しいのだろうか?

 この疑問に対する回答は、やはり古代エジプト語と古代イスラエルの言葉である日本語によって成される。先ず、最初のエリであるが、これは日本で昔から行われてきた魞(エリ)漁にヒントがある。魞漁は定置網の一つだが、網の張り方が衣服の襟(エリ)の形をしている。ここには神の名前の本質が隠されている。要するに、神様が両腕を輪にして人を救う形がエリなのである。だから、エリと付く物は全て同じ形となる。

 神がエリと呼ばれたのは、旧約時代のヤハウェは人々を魞漁のように囲う形で救済したからである。だが、新約のイエスは異質である。それは、投網による漁のように、積極的に人々を救済する姿勢に表れている。イエスの弟子が漁師というのは、実はこの積極的な救済の象徴なのである。旧約のヤハウェは網に入るのを待ちの姿勢。対して新約のイエスは網を投げて捕まえに行く姿勢。この姿勢の違いが、旧約と新約の神が異なって見える理由なのである。

 ところで、網というのはネット・ワークという言葉のように、組織の象徴ともなる。この場合の組織とは教会である。従って、教会に属さない人は漁師としてふさわしくない事になり、イエスの教えに連なる事は出来ないのである。だから、既存の教会に属すか、あるいは自分で教会を構築するか、いずれかが求められる事になる。さらに、投網を投げるように、積極的な活動が求められるのである。この活動が出来ない者はクリスチャンとして失格である。


 さて、肝心のイエスの言葉だが、レマというのはエジプト語rmaで「腕に」という意味である。rは前置詞で「~に」、maは「腕尺のマ(=間)」。最後のサダクタニは「裁く手(タ)に」だから、全体では「神よ、裁きの御手に委ねます」が正しい事になる。ルカの方が圧倒的に近いが、それでも「私の霊を」は余計。本当は、十字架に掛けたユダヤ人達を自らは裁くことなく、御父の裁きの御手に委ねるという意味なのである。イエスは裁かない人なのだから、至極当然である。それにしても、どうしてマタイのような解釈になったのか?イエスの時代にはアラム語が公用語で、ギリシャ語やラテン語も使われていた。さらに、復元されたヘブライ語が聖職者の間で用いられていたために、多分に混乱が生じたのだと思う。イスラエルの民が古代エジプト時代に話していた日本語にこそ、聖書の奥義を理解する鍵が隠されていたのである。日本語は本当に尊いのですよ。


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『カインをぶら下げている日本人』 15.グラッと来たジッグラト

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain15.htm
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 ジッグラトがバベルの塔ではないかと考えられているが、ここではその説に従って様々な考察を展開する。

 まず、ジッグラトには、角(つの)や角度を意味するG音が含まれているから、尖塔であったことが分かる。次に、ガラスのスペルglassから、尖塔がガラスで覆われていた可能性が浮かび上がる。ジッグラトの最初のGが尖塔、次のgrがで静寂を意味するから、圧倒的な存在感で静かにそびえ立っていた様子がうかがわれる。最後のtは、先端を意味するから塔のことである。ジッグラトは、静かにたたずむ塔という意味になる。そして、この塔の持つ属性から様々な言葉が生まれた。例えば、先のガラスは、sが光を意味するから、バベルの塔の輝きを指す言葉となる。もちろん板ガラスが嵌められていたのではなく、釉薬のガラス分が輝いたタイルであるが。また、壮大な建造物であることから、壮大さを表す言葉としてgrandやgreatが生まれた。スペルについては、昔はgla=graだったのである。

 しかし、バベルの塔は石ではなく煉瓦(レンガ)で造られていたため、その質量で自己崩壊に至った。あるいは、地震があったのかもしれない。人々が見守る中で、ジッグラトはグラグラと揺れだしたのである。そう、揺れることを表すグラグラやグラリは、ジッグラトの揺れる様から生まれた言葉なのである。その反対は、ジッグラトの最初の部分のジッであって、動かない様をジッとするというのはここからである。

 何か駄洒落に聞こえるかも知れないが、根拠はある。ブリューゲルの有名な絵画バベルの塔は、螺旋状に構築されている。だが、螺旋と言えばグルグル巻きのグルである。日本語ではグルグルは説明できないので、そのルーツを求めるとやはり聖書となる。従って、バベルの塔の古い呼び方であるジッグラトから、ジッ、グラッ、グルグル、などの言葉が生まれたと考えられるのである。それとも、ジッグラトの言葉が、バベルの塔から作られたのだろうか。なお、バベルはバビロンの語源である。


 さて、話はエジプトへ飛ぶ。エジプトといえばピラミッドだが、崩壊しているピラミッドの大半が日干し煉瓦で造られている。日干し煉瓦構造といっても、コアの部分は石材である。なぜこのような設計になったのだろうか。

 僕は、エジプトのピラミッドの大半はノアの洪水の前に建てられたと考えている。飛鳥氏は、大ピラミッド(クフのピラミッド)などの三大ピラミッドを洪水前としながらも、その他のものは洪水後のものと考えている。しかし僕は、日干し煉瓦ピラミッドの基礎も洪水前のものと考えるに至っている。その理由を述べると、聖書には「石の代わりにレンガを得、漆喰の代わりにアスファルトを得た(創世記11章)」
とあるからで、洪水以前の建築は石が主であったと理解できる。石造りは技術がいるが、洪水直後の人々にはまだ技術がなかった。それに、洪水によってレンガに最適な土質が得られたのではないか。以上から、古代エジプトで石造りのピラミッドを建てるのは、技術や労働人口の関係で出来なかったと推理できる。


 最初の石造りのピラミッドはジェセル王の宰相イムヘテプによる階段ピラミッドと言われているが、イムヘテプはヨセフの息子エフライムのエジプト名に他ならず、ノアの洪水以降、イスラエルがエジプトへ来た前18世紀までは石造りのピラミッドは無理だったことになる。では、石のコアを持つ日干し煉瓦のピラミッドはどうなんだと思われるかもしれないが、これらは洪水前のピラミッドのコアを使ったにすぎないのである。エジプトの文明を築くに当たり、ハムの子孫ミツライム族は、洪水で破損したピラミッドの石材を建築資材にし、祭殿や宮殿を建てたのである。一度崩れたピラミッドは、コア以外を取り除かないと修復すら出来なかったから、これはピラミッド修復と一石二鳥となる。そうして、残ったコアに日干し煉瓦で新たなピラミッド構築を考えたが、耐久性がなかったので、バベルの塔と同じく、ほとんど崩壊してしまったのである。スネフェルの三大ピラミッドなど現存している石材のピラミッドは、洪水前の設計だから残っているのであって、農業以外に何の取り柄もなかった古代エジプトの民には絶対に造ることが出来なかったはずである。

 このような大胆な仮説から、僕は今、ヒエログリフすらイスラエルの民が発展させた文字であると考えつつある。それは、言語学的体系を持つ文字というものは、すべてセム系の発明だからである。エジプトにおいて、ツタンカーメンの時代にも、パレスティナ諸国との書簡は楔形文字で書かれている。ヒエログリフの構造を説明するのに日本語が適していることからも、ヒエログリフの体系を整えたのはイスラエルの民と考えられるのである。このテーマについては、もう少し考察が必要だが。



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『カインをぶら下げている日本人』 14.ウル・サイと叱ったアブラハム

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain14.htm
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 イスラエルとアラブ民族は同族で、共にアブラハムの子孫である。異なるのは、アラブ民族がエジプトの女ハガルを母に持つのに対して、イスラエルは母がアブラハムの妹でもあったサラである。アブラハムの最初の子供は、ハガルを母に持つイシマエルである。ハガルは妊娠すると主人のサラを見下したので、サラはアブラハムの了解を取ってハガルに辛く当たった。それでハガルはサラから顔を隠した。アラブという名は、イシマエルの子孫の一人の部族名である。

 サラは子がなかったが、神と使いの3人が現れて来年には子供が生まれると告げた。ところがサラは信じないで心の中で笑った。サラは89歳、アブラハムは99歳だったので神を侮ったのも無理はない。しかし、笑ったことを神に指摘されると畏れて打ち消した。それで、笑うことをw-araと言うようになった。saraから光を意味する接頭語が取れて、疑問の接頭語wが付いたのである。wが疑問の接頭語だというのは、what,when,whyなどを見れば分かる。サラの疑いが、笑いの語源だったのである。さらに(駄洒落ではない?)、同様にサラの名前からsを取って苦しみの字をつけると、k-araになり、ハガル対する辛さの別の読み方、カラが出てくる。辛いもサラにルーツがあるのかもしれない。

 ところで、サラは元々はサライと呼ばれていた。アブラハムもアブラムだったが、ある時に主が現れて改名させられた。この改名には深い意味がある。ここでそれを明らかにするのだが、順番は逆だが先にサラの名前の意味を探ろう。サラの元の名前はサライ。これは、saraiだから、s+araiに分解できる。sは光または帯を意味するが、意味が通るのは「洗い帯」よりも「素洗い」の方である。素洗いとは、洗剤を使わないで布を晒して白くすることで、サラシ木綿のように白く輝く。だから、光を意味するsが使われるのである。また、洗うと新品のようになるので「新(アラ)」という言葉に繋がる。ここから、晒した木綿のように新しいことをサラという。このように、サライからサラへの変化は、素洗いという労働の名前から、新しくなるという現象を表す言葉への変化となる。ここにおいて、サラは新しさのシンボルとなった。また、サラが新しく再生されたことを意味するので、老齢でも子供に恵まれたのである。

 サラが再生を象徴する言葉だったので、「更に」などとして使われ、晒し木綿の感触からはサラットなどとして定着した。春の小川がサラサラなのは、木綿を晒すのによい季節だからである。我々は、知らずのうちに先祖である母サラの名前を呼び慣わしているのである。


 では次に、夫のアブラハムの名前であるが、最初はアブラムで解読を行う。アブラムは、覆うを意味するアブルと、飲むを意味するアムの組み合わせで、「覆う物を飲む?」である。これは変な名前である。でも、少し捻れば変ではなくなる。それは、アブルを素直に油と解釈するのである。なぜならば、油は一滴で水面を覆い尽くすことから、覆い尽くす物としてアブラと呼ばれたからである。または、魚を火で覆う(アブル)と、溶けた油がにじみ出てくる。アブルと出てくる物だから、これをアブラと言ったのである。この二つの説は、卵と鶏の関係に似て、どうも結論を出しにくい。ここでは一応、後者を取る。


 それで、アブラムはアブラを飲む(なめる)という行為を指す名前であった。それが改名させられてアブラハムになった背景には、神との契約がある。それは、神はアブラハムに、天の星の数を数えられないように、アブラハムの子孫も数え切れないほど増やすと告げたものである。

 神の言葉の天の星という表現からは、ただ数の多さしか理解されない。しかし、改名されたアブラハムの名前からは別の意味が見えてくる。それは、アブラハムを、アブル・ア・ハムと分解するのである。すると、真ん中のアは「大きい」を意味すると分かる。では、ハムは何だろう?この謎解きの鍵は東洋にある。ハムに一番近い言葉はハン、カンである。チンギスハーンがジンギスカンと呼ばれるように、ハンとカンは元々は同じ言葉である。漢字では「漢、汗」などと書かれるが、元々はノアの子供のハムから来た言葉なので、汎という文字が表す広大さや、繁という文字の表す繁栄などを意味する。しかし、反、犯、などのように、ノアに対して犯した罪を表す言葉ともなる。以上のように、カンあるいはハンの音を持つ言葉は多いが、この中で、天の星に関する言葉は天の川を意味する漢という文字しかない。そう、アブラハムの名前の意味は、「天を覆い尽くす大いなる天の川」だったのである。こんな壮大な名前は滅多に見られるものではない。さすがに神自らが付けた名前である。僕が神ならば自画自賛しているところである。

 ところで、アブラハムはダマスコが出身地らしいが、カルデアのウルに父テラと共に住んでいた。ウルは当時の大都市であり、その賑やかさをアブラハムはよく覚えていた。それで、息子が言葉を覚えて盛んにやかましくしたとき、こう言った。まったく、お前のやかましさと来たらウルの騒(サイ)のようだ。ここから、やかましいことをウルサイと言うようになったのである。なお、この謎解きのヒントは『潮騒(シオサイ)』にあった。五月蠅はただの当て字、念のため。




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『カインをぶら下げている日本人』 13.ぬばたまの闇にモーセもタマゲたる…

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain13.htm
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 僕は、飛鳥の名前がどうしてトブトリノアスカなのかを考えていて、結局はアナグラムで失われた十支族を意味していることに気がついた。それで、万葉集などに出てくる枕詞なるものが、古代朝鮮語ではなくオリエントの言葉に解読の手掛かりを持つと仮説を立てた。「青丹よし奈良の都」はヨセフとエフライムの都。「アシヒキの畝傍の山」は大ピラミッドなどである。これらの解き明かしは独立した構成で書きたいが、ここではもっとも不可解な枕詞であるヌバタマを取り上げたい。

 ヌバタマは、黒、髪、夜、月、夢、などにかかる言葉であるが、万葉仮名では夜干玉、射干玉、野干玉、烏玉、などと表記する。一般的には、ある植物の実か、沼に関する言葉と考えられているが、ここでは全く異なるアプローチで解読を進める。

 まず、タマであるが、これは玉ではなくタマゲルの方を採る。タマゲルはヘブライ語の「驚く、不思議に思う」を意味するtamahが語源で、魂がゲル事を指す。ではゲルとは何かとなるが、実はモーセの息子の名前にヒントがある。モーセの息子はゲルションというが、それはモーセが外国人で寄留者だったことから付けられた名前である。ションの部分は子供を指すと思われる(小便の小をションと言う)が、ゲルは「外(ゲ)る」である。従って、タマゲルのゲルは、タマが外に出ることを意味する。要するに、魂が飛び出すほどの驚きがタマゲルなのである。


 ヌバタマのタマが玉ではなく驚くを意味するのなら、前半のヌバの意味が重要になる。驚くほどの黒、あるいは驚くほどの夜とは何か?その答えには、やはりモーセが関わっている。

 モーセは、エジプト王にイスラエルの民を去らせるようにとの神の言葉を伝えた。いや、モーセなのだから申し上げたのである。なぜならば、モーセが話したことが「申す」の語源なので、モーセ五書の一つを申命記と呼ぶからである。決して、猿(サル=申)の命の書ではない。しかしエジプト王は頑なに拒み、それでエジプトに恐ろしい10の災いが下った。その9番目に、光が全く無い闇という災いがあった。焚いている火も見えない闇がエジプト全土を襲ったのである。飛鳥氏はこれを暗黒プラズマと考えているが、同じような闇はイエスの磔刑の場面にも登場する。

 完全な暗黒は現代では経験しがたいが、信貴山には地下の闇を体験する設備がある。堂の地下の階段を下りると、右手を壁に当てて手探りで一周するようになっている。不安の中ほどで蝋燭の火に照らされた小さな仏様に出会うが、前に人がいても分からない闇は恐怖である。この恐怖の闇が3日間エジプト全土を覆い、神の側のモーセたちイスラエルもタマゲタ。正確に言うと、タマー!と声を発したのである。だが幸いに、イスラエルの所には神の光があった。


 ところで、ヒエログリフで星はsbaと書いてシバやスバと読む。は星を表す決定詞で読まないとされるが、ここに謎解きのヒントがある。sbaが星を意味するのは、sが瞬く(シバタク、シバタタク)の言葉のようなマタタキを表すからで、星そのもの本体はbaの方である。このように、星の光の瞬き(マタタキ)を特にシバタタクと言うのである。そして、rで表される口の形に連なった星がsbaruと呼ばれ、宮廷ではB音とM音の転化がなされ、上品にスマルと角を取って呼ばれた。これがスバル(昴)の語源である。丸く連なるからスマルが先で、それが後にスバルと呼ばれるようになったとする説は逆である。

 さて、エジプト語で星がスバあるいはシバなら、星が見えない状態はどのように表現されるか?常套的には否定の接頭語nが付き、瞬くを意味するsが取り去られる。すると、sbaはnbaになる。そう、これがヌバタマのヌバの正体なのである。星が見えない漆黒の闇をヌバと言い、そのような闇が昼日中に襲ったのでモーセたちは心底タマゲ、思わずヌバ・タマーと発したのである。こうして、ヌバタマは漆黒の闇を表す言葉となり、後に黒とか夜に関する言葉の枕詞となったのである。

 なお補足すると、万葉仮名は、夜干玉、射干玉、野干玉、などと「干し」という字を用いて原意が星にあることを暗示している。それならば直接に星の字を用いればよさそうだが、ここにはもう一つ掘り下げなくては見え来ないものが隠されている。それは、「干」という字には「竿(さお)」という意味が託され、モーセが青銅の蛇を掲げた旗竿を暗示するからである。さらに、この旗竿はイエスの十字架の雛型であり、そのためにイエスの磔刑の場面でも漆黒の闇が襲ったのである。だから、射干玉の射の字は、イエスを貫いたロンギヌスの槍を指す。こんな話にタマー!?




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『カインをぶら下げている日本人』 12.ツタンカーメンよケッパレ

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain12.htm
<転載開始>
 イスラエルの民がエジプトで生活していた頃、エジプトの民との間に言葉の交流があった。これは、イスラエルが一方的にエジプト語を移入したのではなく、エジプト語にも影響を与えたと考えられる。例えば、神を表す言葉に「岩」というものがある。ヘブライ語ではケパである。エジプト語に同じような意味と音を探すと、フンコロガシを太陽神の化身としたケペルという言葉がある。ツタンカーメンのホルス名である(ネブ・ケペル・ラー)の、真中のヒエログリフがそれである。

 ここで、日本語の頑張るという言葉を検証してみよう。この言葉の方言に、ケッパルというものがある。確か?北海道の方言だったと思うが、ここには方言と標準語の間に、ある共通点が見つけられる。それは、ガンバルもケッパルも、共に岩だということである。頑バルではなくて岩バルと書くと分かりやすい。辞書などでは、頑張るの語源が「我に張る」という理解し難い説明でいるが、岩ならば岩に注連縄(シメナワ)を張って神域を確保した姿となる。イスラエルの民は、このようにしてパレスティナで領土を広げたのではないか。この、神のためなら何が何でもという姿勢が、ガンバルという言葉になった、そう考えられないだろうか。そうすると、岩のヘブライ語であるケパが最初で、ケッバルが方言ではなくオリジナルとなる。岩をガンと読むようになって、ケッパルも古くなったのである。ただし、漢字の音読みも訓読みもヘブライ語という事もあるので、漢字の読み以前からガンバルと言っていた可能性もある。

 さて、せっかくツタンカーメンが出てきたので余談。ツタンカーメンのネブ・ケペル・ラーというホルス名は、本当はノブ・ケバル・ラーと読むのではないだろうか。ノブとは信子さんのノブである。一般的な解釈として、の文字は、「主」とか「全て」という意味がある。だから、信仰の信をノブと読んだのである。は姿を意味し、次のの文字と繋がって、太陽神の似姿となる。ところが、フンコロガシは死と再生の象徴なので、それだけでは誤解を招く。ネブ・ケペル・ラーの三文字は全て神という同じもの、すなわち「主、死と再生の象徴、太陽神」というヘブライの神ヤハウェーを指すのである。ツタンカーメンはイスラエルの血を引いている可能性があり、ここからも岩(主)を意味するケパルの方が適当となる。また、日本語の信の読みであるノブにルーツがあるとすれば、ヒエログリフのの読み方以外は考えられない。以上から、ツタンカーメンのホルス名はネブ・ケペル・ラーではなく、ノブ・ケバル・ラーであると考えられるのである。

 ツタンカーメンは暗殺され、その死が隠されたために腐敗が進み、防腐剤の香料を塗り過ぎるほど塗らなくては形を維持できなかった。イスラエルの民は、彼らの希望を失い、ツタンカーメンにケッパレと言う事もできなくなったのである。その後、イスラエルの民は、新たなファラオによってひどい強制労働に就かされることになる。それは、ツタンカーメンの父アクナテンと一緒に育ったモーセが50歳位の年の出来事である。



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『カインをぶら下げている日本人』 11.ダビデの阿波踊り~サムエル記6章より

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain11.htm
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 伝説の王ダビデは、王になって最初の戦でペリシテ人を打ち破り、契約の箱を携えてエルサレムに凱旋した。そのときダビデは喜びのあまり、主の箱の前で力を込めて踊った。ところが、その様子を窓から見た妻のミカルは家に帰って来たダビデを罵った。ミカルは先王サウルの娘だったので気位が高く、次のように言葉を発した。

「きょう、イスラエルの王は何と威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」

 この言葉が呪われて、ミカルは子供に恵まれなかったのであるが、それにしてもミカルが恥としたダビデの踊りとは一体どんなものだったのだろうか?こういうテーマは、普通の聖書研究家は取り上げない。なぜならば、聖書研究家の大半は白人であり、恥を知るほどの踊りには出会う機会がないからである。それに対し、わが日本に住む研究家は、いやでも恥ずかしい踊りに遭遇する。安来節のドジョウすくいや、宴会芸のヘソ踊り、盛岡一高の土人踊りなど、日本は恥ずかしい踊りに満ちているのである。その中でも、徳島は阿波(アワ)の阿波踊りほど恥ずかしいものはない。踊る阿呆(アホウ)に見る阿呆と、阿呆になることが参加の条件なのだから。

 自らが阿呆となることを望むなんて、ミカルでなくてもひんしゅくものである。しかし、ダビデも同じことを言っているのである。

「わたしはまた主の前に踊るであろう。わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう」

 このように、ダビデが進んで卑しめられると表現したことで、イエスが卑しめられて十字架にかかることの雛型となったのである。高慢で、聖書の奥義を何一つ理解しようとしない怠惰な者には、ダビデの心は理解できないのである。また、徳島県は阿波の国と言うが、エジプト語で大きな(ア)波(ワ)と言う意味で、鳴門の渦潮にちなんだ地名。歴代志上7章によると、アワというのはエフライム族が住んだ村に出てくる名前なので、徳島の人はエフライム族が多いのかもしれない。なお、歴代志上7章以下に出てくる日本語は、イムラ(井村)、アラ(荒、新)、ウラ(浦)、オノ(小野)、シマ(島)、キシ(岸)、ウタイ(謡)、サル(猿)、ウジ(宇治)、ミクリ(御庫裏)、ミカ(美香)、トラ(寅)、ヤマイ(山井)、イシワ(石和)、などである。カッコ内の漢字はもちろん当て字であるが。
 また、「舞う」というのはヘブライ語でmahol、これは回るに近い踊り。もうひとつはhulで「振る」の語源。回ると振りは踊りの基本である。ユダヤ系オードリー・ヘプバーンのヘプバーンはヘボン式ローマ字のヘボンである。すると、オードリーの語源は意外に踊りかもしれない。

 ところで踊りというと盆踊りだが、これのルーツもやはりイスラエルにある。士師記20~21章には、ベニヤミン族が罪を犯し、イスラエルの他の11部族を敵に回して戦ったという記述がある。11部族は協定を結び、ベニヤミン族に娘を妻として与えないとした。この結果、ベニヤミン族は存亡の危機に立たされた。このとき、ベニヤミン族を滅ぼしてイスラエルに欠陥があってはならないと哀れむ人々は、ベニヤミンに妻を与える方法を搾り出した。そして、ベテルの北のシロで年々主の祭りがあるので、踊りに出てきた娘をブドウ畑で待ち伏せして妻とするようにベニヤミンの人々に告げたのである。まるで白土三平の漫画のようだが、集団での踊りが持つ風俗的な側面をよく表している話である。秋の収穫祭の踊りから、仏教が広まるにつれてお盆の季節に移ったのである。

 なお、ダビデの時代には、aliyyahと書いて「神の高殿」という意味の掛け声をかけて踊った。これは、佐渡おけさのアリャ、アリャ、アリャ、サーの語源となる。



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『カインをぶら下げている日本人』 10.檀那(ダンナ)さんのルーツ~士師記13章以下より

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain10.htm
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 a.サムソンとデリラ


 旧約聖書はドラマチックな物語に満ちているが、サムソンとデリラのエピソードくらい映画と言うメディアにマッチしたものはない。ノアの洪水や出エジプトは、スケールが大きすぎてリアリティを出すのが困難なのに対し、サムソンとデリラは超人とそれを騙す女と言う、スーパーマンの世界を古代に映し出したものになるからである。

 サムソンは、イスラエル12部族のうちダン族に属すマノアの子として生まれた。マノアには子がなかったが、主の使いが現れて男の子が生まれてペリシテからイスラエルを救い始めると語った。その時に、子供はナジル人であり、頭に剃刀(カミソリ)を当ててはいけないと注意した。従って、サムソンの別名はナジルであり、彼が髪の毛を切ると力が失われるのは、生まれる前から決められていたことだったのである。

 サムソンはペリシテと戦うための口実を作る目的で、ペリシテの女に近付いた。サムソンは、婚礼の席で出した謎の答えを花嫁にばらされ、花嫁を失い、また謎解きの報酬も支払わされた。そして、今度のことでは自分に非はないとして堂々とペリシテ人を殺した。このときに、ペリシテの人を詰(なじ)ったのである。詰るが、サムソンの別名ナジルから来た言葉であるのは明白である。この言葉の印象が強いせいか、英語でもnagと書いて、「うるさく言う」とか「小言を言う」という意味がある。ということは、ナジルは「nag+ir(入る)」の合成語と考えられる。

 こうして、サムソンの復讐は始まったが、デリラという女に篭絡されてペリシテに捕まり、両目をくりぬかれて獄屋で石臼を挽いていた。ペリシテの人々は、サムソンを捕らえた祝いをダゴンの神殿で催し、サムソンを辱めるために神殿の柱の間に立たせた。サムソンは神に祈り、両腕に柱を一本ずつ抱きかかえると、思い切り身を屈めて柱を引き寄せた。その瞬間、ダゴンの神殿は支えの柱を失い、屋上の3千人もろとも崩壊した。サムソンが死ぬときに殺したペリシテの数は、生きているときに殺した数に勝った。ちなみに、韓国語のサムソンはまだ調べていない。



 b.ダンの慣わしダンの村


 サムソンの逸話のすぐ後は、どちらかというと地味なエピソードであるが、意外に重要なことが書かれている。

 エフライムの山地にミカという人があって、母親のお金で刻んだ像と鋳た像を一体ずつ作った。ミカはまた宮を作り、神の像を安置して息子を祭司としていた。当時はイスラエルに王がいなかったので、めいめいが好きなやり方で行っていたのである。そのころ、ユダのベツレヘムから若者がやって来てレビ族だと打ち明けた。レビは神に仕えるために12部族の外に置かれ、祭司として生活が出来る特殊な立場にあった。ミカはレビの息子なので喜んで祭司に迎え、息子同然に扱った。

 この当時はまだ、イスラエルの中でも嗣業(しぎょう)の地を持たない人が多かったので、ダンの人々は土地を求めて探っていた。ダンの中から五人の勇者が選ばれ、土地を捜し求める途中でミカの祭司と出会い祝福を受けた。そこで、シドンに近いライシを偵察し、ライシの町が良い町で、武力も強くないと判断し、ダンの人々に獲るに適した町であると告げた。このとき、ミカと祭司についても報告された。

 ダンの人々は、シドンに向かう途中で600人を集め、ミカの作った像と祭司を奪おうとエフライムの山中にやって来た。そして、像や祭具を強奪し、祭司に付いて来るかどうか尋ねた。祭司は、一つの部族の祭司になった方が収入が増えるので喜び、世話になったミカを見捨てた。ミカは怒ったけれど、武力で脅されて諦めるしかなかった。

 さて、ダンの人々はライシの穏やかに暮らす人たちを殺し、町を奪い、ダン族の伝統に沿い、その町を先祖の名前に従ってダンと名付けた。ライシはシドンに助けを求めるには遠かったのである。こうして、ミカが作った神の像は、国が捕囚に遭うまで存在したとあるから、紀元前8世紀の終わり頃までダンに置かれていたのである。祭司には、後にモーセの孫ヨナタンの子孫が就いた。そして、国が滅びるとダン族はパレスティナを捨てて東へ移り、ネパールにダンの村を作って住み着いた。そこから、ダンの村から出た仏陀の一族を「ダンナ」、すなわち「ダンの」と言うようになったのである。これが、仏教用語のダンナ、檀那、旦那の語源である。古い仏教遺跡が、イスラエルと同じ尺度で作られているのもそのためである。

 また、仏教以前のヒンズー教でも、バラモンが最高位の祭司として君臨したが、バラモンとはユダヤ密教のカッバーラの門を支配した者という意味ではないか。すると、バラモンの血統はモーセ直系ということになり、モーセの青銅の蛇ではないが、最初からある程度の偶像は認める宗教だったことになる。ミカが作った像が偶像として壊されなかったのは、そういう背景があったためかもしれない。なお、団、壇、檀、旦、などの名前を持つ人はダン族の子孫なのである。



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『カインをぶら下げている日本人』 9.コラ、アカンわ!

エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/kain9.htm
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 a.コラの失敗~民数記16章から


 出エジプトから数年後、モーセに率いられたイスラエルの民が荒野に宿営していた頃、レビ族のコラが仲間を集めてモーセと祭司アロンに逆らった。モーセとアロンの兄弟は同じレビ族だったので、同族として面白くなかったのだろう。モーセは神に伺いを立て、次の日に254人全員が火皿を下げ、薫香を焚いて携えて来るように言った。
 次の日、アロンとコラの仲間たちは薫香の盛られた火皿を下げ、会見の幕屋の入り口に立った。モーセが主の言葉を述べ終わると、コラと首謀者たちは家族と共に地に飲み込まれた。そして、コラに従った250人の仲間は天からの火で焼き尽くされた。その翌日、モーセを人殺しと罵った会衆に疫病が発生し、14.700人が死んだ。これがコラとその仲間に下された罰である。この事件は、神に仕えるにふさわしい者の清さと、主の幕屋の神聖さを改めて強調することとなった。以後、イスラエルの人々は、神聖を汚す行為や正しくない行為に対して、反面教師コラの名前をもって怒りを発した。「コラー!」

 ところで、モーセ達が宿営した荒野をアラバと言う。これは、荒場と書くことが出来るからそのままである。そして、アラバに住んでいた者たちの子孫は、荒木、荒城(アラキ)などと名乗り、アラバから来た事を密かに(あるいは堂々と)表現していたのである。だから、本当は荒来と書くのが正しいのだと思う。青森の歴史書である東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)の荒吐(アラバキ)王国も同意である。なお、東日流と書いてツガルと読むが、東に日が流れると書いている事に注意が必要。この当時、東日本は回転して津軽は南の海に面していたのである。


 b.アコギなことしたらアカンえ~ヨシュア記7章から


 関西弁で禁止の言葉にアカンというものがある。「~しはったらあかんえ」などと妙齢の女性に言われようものなら、何も悪いことをしていなくても謝りたい心境に陥ってしまう。と冗談を書いている場合ではなく、実はこの言葉も聖書の中に登場する。それも悲惨な事態を招いた愚かな人物の名前として。

 ヨシュア記の7章には、戦に負けたのは神の前に罪を犯した者がいるからと、くじ引きで犯人探しをするシーンが登場する。最後に残ったのは、金や銀などの奉納物を盗み出したユダ族のアカンであった。アカンは罪を告白し、ヨシュアは彼の家族と財産をアコルの谷に引き据え、イスラエルの民に石を投げさせ火で焼いた。そして、アカンの上に大きな石塚を置き、罪への警鐘の碑とした。そして、アコルの谷はアカンの罪とともにイスラエルに記憶され、やがてアコギと混同されるようになった。アコギは地名の阿漕だが、その説明をブックシェルフから引用しよう。

 阿漕 〔歌、伝説に出た三重県津市の地名から〕 非常にずうずうしいやり方で、ぼろいもうけをねらう様子。Meikai Kokugo Dictionary

 説明のように、アカンのやり方そのままではないか。石塚が尖っていたものならば、それは角度を表すG音で説明がつくので、アコルの碑はアコルギと呼ばれた可能性が出てくる。それが縮まるとアコギになる。日本へ移り住んだイスラエルの民は、聖書の地名を各地に付ける慣わしがあり、アコギもその一つである。日本の聖書の地名で有名なのはエビスで、エルサレムの先住民エブスになぞらえて東北はエビスと呼ばれた。また、九州はアフリカに見立てられてクマと呼ばれた。クマとは黒いという意味である。エジプトの名称の一つはクマタであり、これは黒い土地を指す。おそらくは、黒土と黒人の二重の意味をそなえて。



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