大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

八咫烏

なぜ八咫烏を頭に置くのか

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/980
<転載開始>
関連URL..........聖書ものがたり・列王記

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/135.html


Gorge of THE CHERITH(ケリト渓谷)。エリヤ(ELIJAH)が大カラスにエサを与えられた聖書的な場所として知られる。近くにはエルサレムからエリコに通じる旧道がある。.......主の言葉がエリヤに臨んだ。「ここを去り,東に向かい,ヨルダン川の東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その水を飲むがよい。わたしはカラスに命じて,そこであなたを養わせる。」エリヤは主が言われたように直ちに行動し,ヨルダン川の東にあるケリトの川のほとりに行き,そこにとどまった。数羽のカラスが彼に,朝,パンと肉を,また夕べにも,パンと肉を運んできた。水はその河から飲んだ。しばらくたって,その川も涸れてしまった。雨がこの地方に降らなかったからだ。(列王記Ⅰ大17章2~7節)

http://intec-j.seesaa.net/article/18894973.html

「八咫烏/ヤタガラス」の「咫」はヘンな字ですね。「尺」に
「只」という字をつけます。1尺は「寸」の約10倍でセンチに
直すと約30センチです。
 「1咫」は、手のひらの下端から先端までの長さで4寸――約
18センチ、「8咫」ですからこれを8倍すると144センチ、
ほぼ1.5メートルですから、ヤタガラスはかなり大きなカラス
ということになります。
 カラスは全身が黒、イメージは闇です。何となくうさんくさい
イメージです。しかし、神話の世界では光、太陽のイメージなの
です。ギリシャ神話でのカラスは太陽神アポロンの使いであり、
英国のワタリガラスは王家の紋章です。
 昨日のEJで、神武天皇の東征の神話の話をしましたが、実は
これとそっくりの話があるのです。それは『ブルターク英雄伝』
に書かれているアレキサンダー大王にまつわるカラスの伝説なの
です。アレキサンダーは紀元前4世紀にマケドニアの王子として
生まれ、25歳にして世界帝国の王として君臨した人です。
 アレキサンダー大王も東方遠征をしているのです。紀元前33
4年、イッソスの戦いに勝利したアレキサンダー大王は、そのま
ま地中沿いに南下し、エジプトに侵入し、プトレマイオス朝を征
服して自らファラオになることを決意します。ファラオは太陽神
アモンの子供であることを意味します。
 しかし、ファラオになるには、シバのアモンの神殿で託宣を受
けなければならないのです。そこで、アレキサンダーは、リビア
砂漠のオアシスにあるシバに向けて出発します。
 しかし、アレキサンダーの一行は、すさまじい砂嵐に巻き込ま
れて、道を見失ってしまうのです。このあたりの砂嵐は有名で、
1965年にアレキサンダー大王の行程をたどろうとしたドイツ
の探検家5人が死亡しているのです。
 もはやだめかと思われたとき、天空から一羽のカラスが現れて
先頭を飛び始めるのです。アレキサンダーは、藁をも掴む思いで
カラスの飛んでいく方向に進んでいくと、目指すシバのオアシス
にたどりつき、託宣を受けて、ファラオに即位したのです。
 これは、神武天皇の神話とそっくりです。天照大神とアモンは
ともに太陽神ですし、神武天皇とアレキサンダーはともに大王で
あり、ともに東方遠征をして道に迷い、カラスに救われる――本
当にそっくりです。
 これだけではないのです。神武天皇の神話とアレキサンダーの
伝説は驚くほど酷似しているのです。神武天皇が宇陀にやってき
たときのことです。敵地の土でお神酒を入れる瓶を作って神々を
祀れば、敵が降伏するという夢を見たというのです。神武天皇は
これにしたがい、配下に敵地の土を持ってこさせ、その土で瓶を
作ってお神酒を入れて神々を祀ったところ、敵が降伏してきたと
いうのです。
 これとそっくりな話がアルメニアの伝説にあります。アレキサ
ンダー大王は、ペルシャとの戦いの前日、神武天皇と同様の夢を
見るのです。アレキサンダー大王自身が敵地に侵入し、土を持っ
てきて酒杯を作ったところ、ペルシャ軍に勝ったというのです。
 これはもちろんアレキサンダーの話が先にあって、その話がペ
ルシャからインド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に入
ってきていると考えられます。
 今やカラスといえば、とくに都会では人間の敵というべき存在
ですが、カラスは太陽神の化身であり、神道においては祭祀氏族
のシンボルとなっています。また、カラスは聖霊の象徴としての
存在にもなっていたらしいのです。その証拠というべきものが、
日本の伝統的な「烏帽子」と「丁髷」(ちょんまげ)です。
 「烏帽子」は、「カラスの帽子」と書きますが、なぜ、カラス
なのでしょうか。かつて神道祭祀の者はもとより、日本人は正式
な場では、この烏帽子をかぶっていたのです。烏帽子には、身分
によって、次の3つに分かれています。
-----------------------------
     1.烏帽子 ・・・・・・・ 貴族
     2.侍烏帽子 ・・・・・・ 武士
     3.梨子烏帽子 ・・・・・ 庶民
-----------------------------
 これらの色はすべて黒ですが、これは黒い帽子だからカラスな
のではなくて、もともとカラスをかたどった帽子であるがゆえに
「烏帽子」なのです。この烏帽子のカラスは、天から舞い降りた
カラス、すなわち八咫烏(ヤタガラス)なのです。
 それでは「丁髷」はどうでしょうか。
 まず、「丁髷」は「髪」であり、これは、上、神、守、皇、頭
に通じますが、いずれも自分よりも上位の存在を意味します。髪
にしても人体の一番上の頭部にあるので、「カミ」と呼ばれるの
です。神道では、頭部は神の宿る場所とされているのです。
 それに日本人の髪の色は黒です。これはカラスの黒に結びつき
ます。女性の長い黒髪は「烏の濡れ羽根」というように頭に生え
た髪はカラスに結びつくのです。それをあえてもっとカラスに見
えるようにしたものが「丁髷」なのです。
 丁髷を想像して見てください。左右の耳際の「びん」はカラス
の両翼、はね上げの「たば」はカラスの尾、頭頂の「まげ」がカ
ラスの頭部をあらわしているのです。
 このように烏帽子と丁髷は、ともに人間の頭に宿る神、すなわ
ち、八咫烏を意味しているのです。頭に神の霊が宿っているので
す。この考え方は、カラスを太陽神の使いとみなす古代エジプト
でも同じです。古代エジプトのカフラー王の座像に翼で頭を抱え
るようにしている隼(はやぶさ)がいます。
 しかし、なぜ、八咫烏を頭に置いているのでしょうか。何か特
別な意味があるのでしょうか。      ---[八咫烏02]


<転載終了>

JFAシンボルマークと八咫烏の関係

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/979
<転載開始>
http://intec-j.seesaa.net/article/18850345.html

サッカーワールドカップ2006ドイツ大会は、いよいよ6月
9日からはじまります。F組に出場の日本は、6月12日にオー
ストラリアと対戦します。
 ところで、日本サッカー協会(JFA)が採用しているシンボ
ルマークをご存知ですか。日本代表選手のユニフォームには燦然
と輝く黄色いワッペンに何が描かれているのです。
 そこには、三本足のカラスがデザインされているのです。三本
足のカラスが二本足で立ち、もう一本の足でサッカーボールを押
さえている図柄です。(添付ファイル)
 このカラスの本当の名前は「八咫烏(ヤタガラス)」というの
です。ヤタガラスは、記紀神話に登場するカラスです。その神話
とは、神武天皇が東征するときの話なのですが、これについては
2001年4月2日のEJ587号でご紹介しています。しかし
ヤタガラスについては説明を省略したのです。
 九州を出発し、一路東に向かった神武天皇は、今の大坂のあた
りに上陸したのです。そこで先住民のナガスネヒコの軍と争いに
なり、それが全面戦争に発展します。しかし、このナガスネヒコ
の軍は強く、神武天皇の軍は退却を余儀なくされます。
 敗因を占った結果、天照大神の子孫でありながら太陽に向かっ
て軍を進め、戦をしたのが敗因であると出たのです。そこで、神
武天皇は、改めて戦略を練り直し、今度は太陽をつねに背負う形
になる南から攻め入ることにしたのです。具体的にいうと、難波
から紀伊半島を迂回し、熊野に上陸。そこから紀伊山脈を越えて
大和地方に入ることにしたのです。
 しかし、紀伊の山は道が険しく、神武天皇の軍は道に迷ってし
まいます。周囲には敵も潜んでおり、再び神武天皇の軍は窮地に
陥ってしまいます。そこに、どことなくあらわれたのが巨大なヤ
タガラスなのです。このカラスは、天照大神によって、神武天皇
を先導するよう使命を帯びていたのです。
 神武天皇はヤタガラスを神の使いと見抜き、それについていく
と、森を抜けることができ、吉野から大和に入れたのです。そし
て再びナガスネヒコと戦うのです。しかし、今回は太陽を背負っ
ての戦いであり、戦況は有利に運んで、ナガスネヒコの退治に成
功します。こういう経過から、ヤタガラスは勝利に導くシンボル
とされているのです。
 この再度の神武天皇とナガスネヒコの戦いにもうひとつ有名な
話が伝えられています。戦争が始まったとき一羽の金色の鳶(と
び)が飛来して、神武天皇の弓の先に止まり、あたり一面に金色
の光を撒き散らしたのです。ナガスネヒコ軍はこれによって戦意
を喪失したといわれているのです。そういう意味で、金色の鳶も
勝利のシンボルとされています。
 道を先導して勝利に導くヤタガラスと敵の戦意を喪失させて勝
利を決める金色の鳶――どちらも鳥が神武天皇を助けているので
す。このうち、金色の鳶については、のちに金鵄勲章にデザイン
されて一躍有名になります。
 それでは、日本サッカー協会はなぜヤタガラスをシンボルマー
クに採用したのでしょうか。
 それは、ヤタガラスが単に勝利に導くシンボルであること――
それはもちろんあります。しかし、それだけではないのです。そ
れは、明治時代に近代サッカーを日本に紹介した中村覚之助氏と
いう人物に関連があるのです。
 中村覚之助氏は、和歌山師範学校(現和歌山大学)を卒業後、
宇久井高等小学校の教師から東京高等師範学校に入学し、4年生
のときに米国の「アソシエーション・フットボール」という本を
翻訳して、そのうえで蹴球部を創設するのです。本は鐘美堂とい
う書店から、東京高等師範蹴球部の名前で出版されています。
 この本は当時、東京高等師範学校の運動部長であった坪井玄道
教授が海外視察のときに原書を手に入れ、帰国後、それを中村覚
之助氏に翻訳するよう託した結果、できあがったものなのです。
 当時、サッカーに似た競技はあったのですが、フットボールと
呼ばれており、ラクビーと渾然一体のスポーツだったのです。中
村覚之助氏は、正しいルールを記述した「アソシエーション・フ
ットボール」という本によって、日本で初めて「蹴球」というこ
とばを使ったのです。それ以後、現在のサッカー・スタイルの蹴
球は「ア式フットボール」または「ア式蹴球」と呼ばれるように
なったのです。
 中村覚之助氏は、和歌山県那智町(現那智勝浦町)浜ノ宮で生
まれています。ここには、ヤタガラスを祀る神社があるのです。
ちなみに神武天皇東征軍が上陸したのは那智勝浦海岸です。ここ
は熊野であり、ヤタガラスは、熊野三山――本宮大社、那智大社
速玉大社――では、霊鳥として祀られています。
 また、平安時代に「蹴鞠」の名人といわれた藤原成道は、その
技能向上を祈願するため、何度も熊野詣をしたと伝えられていま
す。つまり、熊野から日本サッカーの歴史が始まったといっても
過言ではないのです。そういう経過から、日本サッカー協会は、
その旗章にヤタガラスを使ったと考えられます。
 しかし、不思議なことに日本サッカー協会は、そのホームペー
ジにおいても、シンボルマークの三足烏は、中国の故事に基づく
ものとしか認めていないのです。日本サッカー協会は、昭和6年
にシンボルマークをデザインしており、図案の発案者は、当時の
東京高等師範学校の内野台巌教授を中心とする人々であるとされ
ています。
 内野台教授は、明治39年当時の蹴球部員であり、中村覚之助
氏をよく知る人の一人です。中村覚之助氏は、1906年7月に
中国から船で帰国する途中発病し、神戸で緊急入院したのですが
亡くなっています。まだ27歳の若さだったといいます。
 ヤタガラスについては、まだまだ述べることがあります。これ
を機会にもう少し古代史の世界をのぞいてみましょう。
                   ----[八咫烏01]


<転載終了>

八咫烏

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
<転載開始>
http://intec-j.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%94%AA%9A%40%89G&vs=http%3A%2F%2Fintec-j.seesaa.net%2F&tid=seesaa_hotspot&hid=167&c=12&search=1&ic=shift-jis

なぜ天皇家は伊勢神宮へは行かないのか(行けないのか)はくどいほど記事にしてきました。

八咫烏に鍵がありそうです。

八咫烏で検索すると二件出てきます。

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%94%AA%9A%40%89G&x=0&y=0&inside=1

八鏡文字で検索すると4件出てきます。

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%94%AA%8B%BE%95%B6%8E%9A&x=0&y=0&inside=1

八咫鏡の裏にはヘブライ語が!!!!!

http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/zatsugaku/yatanokagami.html


<リンク先より>注)画像をはめ込んでいたら全体のバランスが崩れてしまいましたので
            興味のある方は元サイトさんを訪問願います。

日本の天皇家に伝わる神宝「八咫鏡」
- 天照大神が皇孫に賜ったもの -


「青龍三年銘 方格規矩四神鏡」の絵八咫鏡(やたの かがみ)

これは,古代から日本の天皇家に伝わる神宝(しんぽう)である。

西暦九世紀に記された歴史書

古語拾遺(こごしゅうい)

には,

「天照大神・・・,皇孫に八咫鏡及草薙剣二種の神宝を授賜して,永く天爾(てんじ)となさしむ」

と記されている。(脚注1

(右上の図は,「歴史館~時のふしあな~」というサイトからいただいてきたもので,「青龍三年銘 方格規矩四神鏡」だそうである。おそらく,「八咫鏡」も,このような古代の鏡であろうと思われる。)


八咫鏡(やたのかがみ)」に関する最も古い記録は,「記紀(きき)」すなわち,日本最古の歴史書である

古事記(こじき)』(和銅5年(712年)成立

と,日本最初の勅撰(ちょくせん)の歴史書である

日本書紀(にほんしょき)』(養老4年(720年)成立

の中の,天照大神(あまてらす おおみかみ)(天照大御神)が「天の岩屋戸(あまのいわやと)」に隠れた,という非常に有名な話のところに出てくる。(脚注2

(次田真幸「古事記 (上) 全訳注 講談社学術文庫 207」講談社,1977年。86-91ページ。 宇治谷 孟「日本書紀〈上〉 全現代語訳 (講談社学術文庫)」講談社,1988年。39-44ページ。 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注「日本書紀〈1〉 (岩波文庫)」岩波書店,1994年。74-90; 441-446ページ。 「神を探求する人類の歩み」ものみの塔聖書冊子協会,1990年。191ページ参照。)


続きを読む

カラスの勝手でしょと八咫烏は鳴く

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
<転載開始>
闇の組織総合スレ

882 : 忍法帖【Lv=2,xxxPT】 : 2011/06/01(水) 11:39:56.55 ID:N22PrGQB0 [1回発言]
民主党の前原を始めて知ったのは、オカルト板のメイソンスレだった。
京都で神戸のユダヤ教シナゴーグの主席ラビ・ガオン氏が参加した秘密会がありそれに出席したのが、民主党の前原と自民党の谷垣って報告があった。
その後、前原が民主党の代表になって驚いたよ。

376 :憂國の輩 :04/06/13 21:51 ID:aPfPn9Kc
昨日、京都・下鴨神社において「蛍石の茶会」というのが開かれたそうです。
茶席の主人は千玄室・前裏千家家元。客人は下鴨神社宮司を上席にして、宮沢
喜一・元首相、白井丈二・神社本庁元総長・鶴岡八幡宮宮司、広瀬祐也(当時20代で32位階)、西高辻・太宰府天満宮宮司、ゴアンという名の外人(正体は調査中)、前原誠司…以上 だったようです。
その中には谷垣禎一財務相や京都市長もふくまれていたそうです。

『.........そこへ板垣退助が東海愛知美濃に遊説にきて、岐阜で暴漢に刺されるという事件が勃発した。暴漢をすぐさま取り押さえたのは内藤魯一であった。板垣総理襲撃事件はこれでとりあえず収まったのだが、刺客が誰だったかということがあとで問題になる。そしてやっとわかってきたのが、刺客は知多郡の小学校教員であったこと、父親が熱田神宮の神官であること、そして愛国交親社の社員らしいということだった。』(博徒と自由民権より)

http://ameblo.jp/amezisto0214/entry-11185133493.html

★八咫烏を知ってますか?日本最古の秘密結社★
2012-03-07 16:28:31
テーマ:ブログ

関連URL........http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%94%AA%9A%40%89G&x=0&y=0&inside=1

天皇家のことを語る上で、八咫烏(やたがらす)というのは、避けて通れませんね。


八咫烏のことを詳しく知りたいと思って調べてたのだけれど、かなりの最高機密事項にあたるのか

なかなか良い記事が無かったのです。


ところが、いよいよ時代が動き始めたのでしょうか。

この八咫烏も動き出したらしい・・・

ということで、いいよいよ一般庶民も知ることの出来る最後の詰めの段階にやってきたのかもしれません。


とても分かりやすくまとめている記事に昨日出会ったので、今日掲載します。


情報てんこ盛りで長いので、必要なところだけ、じっくりと読んでみてくださいね。


日本神道と天皇制の奥深さ、そのルーツについて、益々、得心を深めることができると思います。ひらめき電球



続きを読む

八咫烏に導かれしサツカーに據る神國日本の磐戸開き

不動明さんより
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/303.html
<転載開始>

(回答先: 金光教が仕掛けた韓流ゴリ押し・文化窃盗に據る日本の磐戸開き 投稿者 不動明 日時 2011 年 10 月 31 日 22:41:47)

 
 
 
 
   其の者碧き衣を纏いて金色の野に降りたつべし
   失はれた大地との絆を結び
   ついに人々を清淨の地へと導かん

   古き言ひ傳へはまことであつた・・・
 
 
   

   
 
 
   

   

   

   
 
 
   

   

   

   
 
 
 
 
 
 
 
 
161 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2011/10/28(金) 13:47:15.62 ID:Teh2aa8a0

子供心に、日の丸は「なんとなく人前で持つのはよくない」という印象を持っていたので
スタジアムで日の丸がいくつもはためく姿をテレビ越しに見た時は、最初「大丈夫なのか?」
とワケのわからん感情になったのを覚えている、
92年の広島アジア杯のこと
93年のこの予選の頃にはもうそんな思いはなかったな。
とにかく頑張れ!日本!だった
 

続きを読む
記事検索
情報拡散のため1回ポチッとクリックお願いします。
人気ブログランキングへ
読者登録
LINE読者登録QRコード
RevolverMaps
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新記事
最新コメント
カテゴリ別アーカイブ