昭和時代
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/cc16c8a4fbeadde0046f776be4cbe2d6
<転載開始>
フォロー⑥英国MAUD(ウラン爆発の軍事応用)委員会の会期中1940年4月10日ー1941年7月15日、天皇裕仁は英国の名誉職ではない正規軍のフィールドマーシャル(管理人注:英国陸軍元帥)
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/09f47d9b392ae21d2e8c9d1e60822909
原子爆弾の実験!2023年8月5日!
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/40291244798a6395aa7d387d20522cc3
<転載開始>
一番上は今まで見たこともなかった映像です。字幕が読みにくいので大画面で............
33分45秒から.........人間が登りつく最高の行為
https://twitter.com/N4er5BANKPkQFQe/status/1652498185108217857
事実の 動画です
— 369不動 (@N4er5BANKPkQFQe) April 30, 2023
ハリウッド 映画 などは 人類を
欺き 洗脳する 目的が 有る
報道も 然り
pic.twitter.com/Py7oXrl45D
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<転載開始>
http://www.ibaraisikai.or.jp/information/iitaihoudai/houdai22.html | |
【昭和日本のおバカなテロと戦争(昭和元年から敗戦まで)】 | |
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★犬養毅内閣(昭和6年12月)は発足と同時に金輸出再禁止(大蔵大臣高橋
是清)を行った。浜口雄幸と井上準之助の二年半にわたる苦労は水の泡と
消えた。そしてこれ以後の日本経済は果てしないインフレへと転げ込んで
いった。
犬養毅内閣はまた、戦前最後の政党内閣となってしまった。「憲政の
神様」が幕引役とは、まことに歴史の皮肉としかいいようがない。
●第一次上海事変(昭和7年1月28日)
日本軍の謀略で田中隆吉中佐と愛人川島芳子が組んで仕掛け
た事変。(半藤一利氏著『昭和史 1926->1945』平凡社、p92)
この軍事衝突は日中関係において必然だった。中国側の抗日
意識・ナショナリズムは、遅かれ早かれ、日本と対決せざるを
えないものだったし、日本側もまた、大陸から手を引く意思が
ない以上、それをさけることができなかったのである。投入戦
力約5万人、戦死者3000人余りに達したが、日本側が得たものは
何もなかった。英国は徐々に中国支援へと傾いていった。
(福田和也氏著『地ひらく』文藝春秋)
※ 『肉弾三勇士』(昭和7年2月22日)
江下武二、北川丞、作江伊之助はの3名の一等兵は、爆薬
を詰めた長さ3mの竹製の破壊筒を持って上海近郊の中国防護
線の鉄条網に突っ込み、このため陸軍の進軍が可能となった。
(大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』岩波書店)これは後に
「散華」とか「軍神」という歪められた実質のないまやかし
の美辞麗句と共に、日本人全員が見習うべき国への犠牲の最
高の模範という美談・武勇談として軍に大いに利用され、日
本人の心に刻み込まれた。(ただし、彼らの命は導火線の長
さをわざと短くしたことで、意図的に犠牲にされていた)。
注釈:「散華」(さんげ)とは四箇法要という複雑な仏教
法義の一部として、仏を賞賛する意味で華をまき散
らす事を指す。軍はこの語の意味を本来の意味とは
全く懸け離れたものに変え、戦死を「(桜の)花の
ように散る」ことであると美化するために利用した
のである。
(大貫恵美子氏著『ねじ曲げられた桜』岩波書店)
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「天皇機関説」
国家を法人とみなしたときに、その最高機関を天皇と
考えること。法人企業の最高機関を社長と考えることと
同じ。こののち、昭和10年3月国会で「国体明徴決議」
なるものが通り、天皇絶対主権説が日本の本当の国体と
され、天皇機関説は公式に国家異端の学説として排除さ
れた。
※天皇機関説は高度に抽象的な法学概念がかかわる問題
で、あまり一般人の関心をよぶ問題ではなかったのに、
浜口内閣時代、ロンドン軍縮条約が結ばれたとき、政
府が軍部の反対を押しきってそのような条約を結ぶ権
利があるかどうか(そういう権利は天皇大権=統帥権
に属するから、政府が勝手に軍備にかかわる条約を結
ぶと統帥権干犯になるのかどうか)の議論がおきたと
き、美濃部が天皇機関説をもとに政府の行動を支持し
たところから、天皇機関説はにわかに政治的な意味を
帯び、ロンドン条約に反対する軍部や国家主義者たち
から激しく攻撃されるようになった。(立花隆氏「日
本中を右傾化させた五・一五事件と神兵隊事件」文藝
春秋 2002;9月特別号:439ページより引用)
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<陸軍内部の派閥抗争(昭和7年頃より激化)>
○統制派:天皇機関説を奉じ、合法的に軍部が権力を
手に入れ、そして国家総動員体制(高度国
防体制)をつくってゆこうと主張するグル
ープで陸軍上層部に多かった。
エリート中心の近代化された国防国家を
目指し、官僚的だった。
(渡辺錠太郎教育総監(S11.2暗殺)、永田
鉄山陸軍省軍務局長(S10.8に暗殺)、林銑
十郎ら)
○皇道派:国体明徴運動(今の腐敗した国家は日本の
天皇の意に沿う国家ではないから、理想的
な国家をつくろう)に熱心で非合法によっ
てでも権力を握ろうとし、そして天皇親政
による国家を目指すグループで青年将校に
多かった。農民・労働者の窮状に深い同情
をもっていた。
(小畑敏四郎、荒木貞夫、真崎甚三郎ら)
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https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/b01d4f9f4ef8ac01100a89df3ea7aeaf
<転載開始>
●南京事件(昭和12年12月13日)
奥宮正武氏著「大東亜戦争」、89~93ページが真実に近いだろう。
杉山陸相、松井大将、朝香宮・柳川・中島中将など破廉恥
で獰猛な軍人のなせるわざであった。米内海相、広田外相の
外交上の苦労は推して知るべしであろう。(なお外相広田
弘毅は和平に熱心ではなかったという説もある。最近の文献
では文藝春秋 2003(10)、p272-274も参照)
※ 11月20日勅令により大本営が設置され、呼称は事変のま
まで、宣戦布告もないままに、本格的戦時体制が樹立された。
第一回の大本営での御前会議で、下村定(戦線拡大派)
は、その上司多田駿(戦線拡大反対派)を無視して「南京
其ノ他ヲ攻撃セシムルコトヲモ考慮シテ居リマス」という
説明文を加筆した。参謀本部の秩序は酷く紊乱していた。
当時は、統帥権の独立によって、議会の掣肘を受けない軍
にとって、天皇に対する忠誠と畏敬の念こそが最大にして
最後の倫理の基盤であったはずだ。それがかような形で侵
されるとすれば、いかなる抑止が可能であるか、暗然とせ
ざるをえない事態であった。
南京を陥落させることによって、支那事変の収拾の目途
がまったく立たなくなるということさえ予見できない無知
無能連中が参謀本部を支配していた。
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