大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

西岡京治

「ブータン農業の父・西岡京治」国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか?①

るいネットさんのサイトより
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=314079
<転載開始>
世界一幸福な国と言われるブータン。そんな国の民たちの「幸せ」に大きく貢献した日本人がいたのをご存知でしょうか。

mag2newsより引用です
国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか?
リンク 
◇人物探訪:「ブータン農業の父」、西岡京治

1992(平成4)年3月26日、ブータンで1人の日本人が国葬に付された。30年近くも同国の農業振興に尽くして、「ブータン農業の父」と呼ばれた西岡京治(けいじ)である。葬儀委員長は農業大臣のレキ・ドルジ氏。ブータン西部のパロ盆地を見渡せる丘につくられた葬儀場で、なきがらは荼毘(だび)に付された。

おおぜいのラマ教の坊さんたちによる読経が果てることなく続いた。葬儀には5,000人もの人々が弔問に訪れ、西岡の妻・里子と娘の洋子は、和服に似た民族衣装キラに身を包んで、人々のお悔やみの言葉を受けた。

葬儀の後、里子がパロ農場の西岡の事務室に入ると、国王の伯父で厚生大臣のナムゲル・ウォンチュックからの電報が机の上にあった。大臣が視察先のシェムガン県パンバン村から打った電報だった。ブータン南部の僻村である。

パンバン村の人たちは、あなたのことを尊敬の気持ちをもって覚えており、あなたがふたたび村を訪れてくれることを、心からお待ちしております。
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ブータン農業の父 西岡京治

ブータン農業の父 西岡京治
https://www.youtube.com/watch?v=yG92I6toRCc

LOVE JAPAN
2013/06/13 に公開

ブータンを幸せの国にした日本人

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ブータンとダショー西岡

ねずさんのひとりごとさんのサイトより
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1755.html
<転載開始>

ブータン王国
20090901180650b64


元旦のテレビ番組で、ダショー西岡のことをやってました。
そこで今日は2010年の過去記事をリニューアルして、この西岡京治のお話をしてみたいと思います。

昭和33(1958)年といえば、日清食品が世界初のインスタントラーメンの「チキンラーメン」を発売した年です。

この年、大阪府立大学農学部に、ある依頼がありました。
「ブータンに、日本の農業専門家を派遣してほしい」というのです。

ブータンは、インドと中国にはさまれたチベット仏教国です。
国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念や、さまざまな環境政策、伝統文化保持のための民族衣装着用など、非常に特色のある国でもあります。

国旗のデザインが、これまた難しい。



ブータンの国旗
20090901180724a76


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再掲載 国旗の重み ~西岡京治物語


国旗の重み ~西岡京治物語・前編


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国旗の重み ~西岡京治物語

nhagemay さんのUPされている動画です。

国旗の重み ~西岡京治物語・前編



国旗の重み ~西岡京治物語・中編



国旗の重み ~西岡京治物語・シェムガン開発編



国旗の重み ~西岡京治物語・後編
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