大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

高橋信次先生講演

高橋信次先生講演 人生の使命と目的1

インターネット正法 さんのサイトより
http://island.geocities.yahoo.co.jp/gl/ccop68cop/view/201108
<転載開始>
高橋信次先生の講演はどのようなものか、一部ご紹介させていただきたいと思います。

演題『人生の目的と使命』-高橋信次-

本日は、「私たちがこの地球上に何の目的を持ち、どのような使命をもって生まれて来たのであろうか」という事について説明してみたいと思います。
多くの人々の中には、両親が、自分たちの都合によって、好き勝手に私たちを生んだのだと思っている人たちがいます。
もう一つは、この地上界に肉体をもち、親、師、先輩より受ける教育、あるいは先祖や国が培って来た歴史的な環境の中において、自分なりに、悲しみや苦しみ、喜びなど、苦楽の人生を体験して一寸先が闇の人生を計りかねている人たちです。
いづれにしても、私たちがこの地球上に出て来た以上は、安閑として無為無作の人生をすごしてよいのだろうか、という人生に対する矛盾、その解決を求めたはずの信仰、その信仰に対する矛盾などを皆さまは痛感しているはずです。
それは私たちが、肉体的な五官を通してとらえ得たものを、目を通して見たもの、耳から聞いたもの、あるいは肌で感じたものによって、その人の学んで来た、教育や、思想や、あるいは習慣によって判断をしているからです。
あまりにも物質文明だけが発達してしまって、私たちは本当の人間としての価値と、そしてその使命というものを忘れてしまっているのが多くの現代の人々です。
あくまでも私たちの肉体を通して、感じ得たもの、あるいは皆さま自身が想像して、心の中で思うことによって、自分なりに判断して生活しているはずであります。その結果、女性の方は、より美しく、そして結婚をして平和な生活をしようとする者から、結婚した人たち
は、良い子を生んで、立派に育てようとか、経済的な安住を得て、もっと自分自身がより以上に優雅な生活をしたいとか・・・。
 
男性の方は、学校を出て、社会に出たならば、すくなくとも社会的な地位を築いて生活環境を安定しようとか、会社に勤めている人たちは、少しでも役職を得て地位を築いてゆこうとか、それぞれ人によって違いはありますが、私たちが生まれてきた目的は果たしてそのようなものなのでしょうか。
皆さま自身が、この地球上に出てくる前、皆さまの中に、そんな馬鹿なことはない、肉体が絶対なんだ。親から頂いたこの己自身の肉体が絶対であるんだ、それ以外に何物もないと唯物的に考えるとしたならば、これをどう説明するのでしょう。
人間の脳細胞は約二百億あります。二百億の細胞からなる頭脳が、すべてを記憶し、想像する能力を持っているとしたならば、皆さまが、なぜ眠っている時に、私たちの耳の穴も、鼻の穴も、チャンと立派にあいているが、視覚も、聴覚も働かないという事実を何と説明しましょうか、現代医学においてはまだそこまで行っておりません。
さらにまた、皆さまが学校やあるいは男女関係、恋愛問題、親子の対話などの不調和により心を悩まします。恋人にふられて悩んで身体が痩せ衰える人もあるでしょう。なぜ悩んで私たちの肉体は疲労を感ずるのでしょうか。これについて現代の医学も物理学も証明するこ
とはできないのです。
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高橋信次先生講演 人生の目的と使命 4

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/kouen-mokutekitoshimei1.html
<転載開始>
高橋信次先生講演 人生の目的と使命 4

しかるに仏教もいつの間にか難しくなり、智と意の哲学的学問に変わっております。「観自在菩薩行深般若波羅蜜多」といったところで解りますか。

無学文盲のインドの当時の衆生に、ラジャグリハーの郊外において説かれたあの仏教の神理が、そのような難しいものであったと思いますか。

「ゴーダマ様よ、何によって生活しておられるのですか。私たちは、このように農耕をして、米を作って生活しております。あなたはなぜそのようにしておられますか」と問われたことがあります。

その時に「あなたは米を作って生活をしているが、私はあなたたちの心に神理の種を蒔いて、その実るのを待って生活をしている。人間は米のみによって生きるのではないのだ。人間の心こそ偉大なる不変のものなのだ」

そして「あなたは今、このように肥沃の土地によって稲を蒔いて生活をしているが、まず稲を蒔くならば、あの上の方の痩せた土地に蒔くか」と聞きました。

その時に農夫は「上の方の土地は砂利が多く、そのために米は実りません。土地に地味が足りません」といいました。

ゴーダマは「私の説いている神理も、受け入れる機根の無い人たちに、いかに説いたところで、この神理の種は、人々の心の中に入って芽生えるものではない」とこのようにこんこんとその農夫に説きました。

そのように方便を通して、その時の衆生の機根に応じて、神理を説いたのであります。
 
仏教というものが、二千五百余年の間に、本当の心の偉大性を失って、排他的に変わってしまったのですが、本来は転生輪廻をくり返す毎に、自ら誓って来た皆さまの魂の意識の中のテープレコーダーには、綿々として、神の子としての偉大なる真実が、あまさず記録されているのです。

皆さま自身が、一心に信仰をしている中においても、なぜなぜという疑問が出て来る原因もそこにあるのです。

人間は心をふさいではなりません。あくまでも疑問は疑問として、解答を得た時に、皆さんの心の中に神理の芽が、芽生えてくるということです。

このような事実をよく知ったならば、私たちは次元の異なったあの世があることを否定できないはずです。なぜならば物質というものを一つ考えても、仕事を成し得る能力であるエネルギーというものの存在をハッキリと物理学の上においても、実証できるからです。

そうなると物質に対するエネルギーというものの次元と、物質の次元というものは、物質とエネルギーは一体となっているはずです。物質そのものも、エネルギーの一形態である事実は、原子力科学の基礎理論になっているアインシュタインの理論においても正確に立証されているのです。

そうなって参りますと、皆さま自身が、この肉体と、もう一つの肉体、光子体を支配している魂の偉大性を知らなくてはならないのです。

皆さまは、実在界(あの世)において、すべて神の子としての偉大な智慧と、偉大な魂を兼ね備えて来ているのです。そして皆さんはあの世、次元の違った四次元以降、多次元の世界から、自分が望んで今度はこの日本に生まれよう!。あの世において、お互いに「あなたは今度はお父さんになって下さい」「あなたは今度お母さんになって下さい」と、あの世ですでに約束して来ているのです。

ところが、お父さん、お母さんはこの地上界に先に出て来ます。生まれて来たこの環境や思想や教育と、長い歴史の中に、人間の作り出した習慣によって両親は、その中で盲目の人生を歩み、神の子としての自分自身を見失ってしまいます。


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高橋信次先生講演 人生の目的と使命 6

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/kouen-mokutekitoshimei2.html
<転載開始>
高橋信次先生講演 人生の目的と使命 6

それですから自分自身の心で思うことは、即座に相手にも通じてしまいます。自分の生命を持っておっても、これは自由になりません。

それだけ悪い心が起これば、即座に神の光は消えてしまいますから、自分ですぐ反省します。なぜこのように心が暗くなったのか、その原因を追求して来て、再び反省した時に、神の光は我々に燦々ととふり注いで参ります。

そしてこの地上界に出て来て「今度こそは、今度はやるぞ」といって出て来るのです。

この地上界に出て、わずか一〇パーセントの表面意識で、人生を渡って行くために、私たちの心というものは解りません。そのために皆さま自身が今自由に行動をしておりますが、本当は暗中模索の人生ですから、また修行にもなるのです。このことは実在界においては全部解っております。

今度こそ使命を果たしてきますと送られて出て来たところが、その約束を破棄して、自分自身が物質の奴隷となり、心というものを見失っていくのです。

そういうことを皆さまが本当に知ったならば、今、両親に対して感謝する心を、行為に表わし親孝行するのは、万物の霊長として、神の子として当然のことなのです。ところが現代の多くの人々は、そのような心の持ち合わせはなく、親が勝手に生んだのだとか、教育するのは親の当然の責任だとかいいます。

貧乏に生まれれば、親を恨み、世間を恨みます。この地上界へ出て来る時、あの世において、金とか、地位とか、名誉とか、こんなものは関係ないのです。

ただひたすら永遠に変わらないところの、皆さまの船頭さんである魂、この魂を磨くということがまず第一なのです。その魂の中心である心が、すべての苦しみや、悲しみを作る、その根本を説くべきキリスト教も、また仏教も、永い歴史に中にゆがめられて人々の食いものになってしまったのです。

そのために、偉大なる心の働きという「正法」は、人々の知と意によって、ほこりとちりにまみれてしまったのです。

私たちは、このほこりを払いに地上界に出て、その道を説いているのです。

私たちは今から二千年前のイエスの神理、また、二千五百余年前の釈迦の神理に戻すために、ほこりを払いに来ているのです。
そこで皆さま自身が、正法神理の偉大性を悟り、心こそ永遠に変わらない己自身であり、永遠の生命の中で今地球上の最も不安定な修行所において、己自身が今も修行しているのだという自覚を得た時に、私たちは偉大なる神の子としての神理の実践行動の中に、皆さまの心は神の光によって包まれて行くのです。

このような事実を我々は知って、実在を通し、神の子として、この世の中でなすべきことは、お互いに助け合うことなのです。己自身が足ることを知ることなのです。現代社会に心を失ってしまった多くの人々は、足ることを忘れて、己の私利私欲、自我我欲を満足させようとしております。

果たしてそれで調和がありうるでしょうか、その事実を歴史を追って考えてみましょう。

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高橋信次師の最後の講演 1 八起正法先生編

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/sisikunokouenn1.html
<転載開始>
高橋信次師の最後の講演 1 八起正法先生編
獅子吼(ししく)の講演とはこれを言う

1976(昭和51年)6月4日〜5日、岩手の盛岡で東北研修会が開催された。演題が4日は「新復活」、5日は「太陽系の天使達」で、お釈迦様が説法をされたときのように光の化身となって昇華されるような迫力の講演であった。数時間にも及ぶが、将来、音声データの圧縮が劇的な進歩をとげれば、インターネット上で公開される時も来よう。くしくも高橋師はコンピューター端末機器会社の経営者であった。

 六月四日 「新復活」 

非常に美しい自然の、緑に包まれた環境の中で、東北の研修会が行われることを心からお祝い申し上げます。今日の演題は「新復活」。丁度、現在、東京地方には、創世記時代の映画が来ております。  

 しかし、人類は緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から三億六千五百有余年前にはじめて、ベーター星という星より、神より与えられた新しい緑につつまれたこの地球上に、人類は最初に印したのであります。
その当時ベーター星は調和され、私達は新しい、新天地を求めて、最も調和されたこの地球という環境を選んだのであります。

その当時最初に反重力光子宇宙船という、いまで云うUFOに乗りまして、最初地球上の人類は、神の光によって満たされた天使であるエルランティーと云う方が中心になって。
エルランティーは直接神の光を受けている真のメシアであります。
そしてエルランティーの光の直系として、光は七色に分かれます。七色のプリズムということを想像いたしまして、まったく同じように神の光はここから七色の光に分かれます。

この七色の光の方向を決めているのがミカエル(ミカ)と言います。(黒板に図示しながらの説明。外の項で詳しく出てきますが、この図が問題になったもので、講演の中からリアルに想像してください。)

 神の光の直系ミカといわれる天使です。
そしてこのスリットを通し、神は光なり、その光の六人の光の線がこのスリットを通して霊子線がつながっております。この中にそれぞれのスリットを通して七人の天使がおります。

これがガブリエル、この方がウリエル、サリエル、パヌエル、それから全部で六人、この七大天使というのが、じつは新しい、新天地を求めて来た時の最初の光の大天使達です。

この下にそれぞれ何億何十億という魂の霊子線があります。さらにまたエルランティの光の天使の分霊として、カンターレ、さらにアガシャ、モーゼ、一方においてガブリエル系統にマホメットがいます。そして第一艇団がエルランティを中心にしてミカエルに、ラファエル、ガブリエル、ウリエル、サリエル、この七大天使が中心にして、現代のエジプトナイル渓谷の東部にあるエルカンタラーと云うところに着地します。
その場所が一番最初のエデンの園です。
約六千人のベーター人が全部この地球上におりてまいりました。それぞれ七大天使はラファエルをはじめ文芸や芸術、政治経済、あるいは立法、科学、あらゆる担当をして総括的にミカエルが中心になってエデンの園をつくりあげました。

そしてその当時は同じベーター星の人間であっても皆さんの肉体とまったくかわっておりません。風土、気候いっさい地球上とかわっておりません。
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高橋信次師の最後の講演 6 八起正法先生編

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/sisikunokouenn2.html
<転載開始>
高橋信次師の最後の講演 6 八起正法先生編
これはインドの言葉だから通用するんです。「南無阿弥陀仏」ちゅうのは、これはインドの言葉が中国に渡り日本へ来たから丁度うまくいっているんです。
これを直訳したら「阿弥陀様の法に帰依する」っていうことです。

「ナム・アミ・ダボ」っていうんです。阿弥陀という悟られた方に帰依する。それを仏壇やお墓やお寺に行って「ナムアミダブ・ナムアミダブ…」そりゃ語呂はいいやね、確かに。
ところが日本語に直訳したら「阿弥陀様に帰依します。阿弥陀様に帰依します。…」って何百回ゆってもやらないんだね。
そしたら阿弥陀様は皆さん何んて言いますか。「お前、帰依すんならやってくれよ」って言いますよ。そのように仏教も化石化したんです。

最近は、又はやりでね「南無妙法蓮華経」。「妙法蓮華経」に「南無」をつけたらもっと良いんじゃないかと日蓮さん考えちゃってね。
一千万人近くの人間が「南無妙法蓮華経…」をまあ、二時間も三時間もやっていますね。あれも馬鹿げた話ですよ。

あれで救われた人はいないんです。「南無妙法蓮華経」というものも、本来ゴーダマ・シッタルター、釈迦牟尼仏がインドの地に於いて、ガンガーの流れを通し、無学文盲の人々に対して方便として説いたものです。

「諸々の衆生よ、比丘、比丘尼たちよ、あの汚いドブ沼の中でも美しい蓮の花が咲くであろう。
ときに、そなたたち、比丘、比丘尼たちよ。
サロモン、サマナーたちよ、そなたたちの身体を見てみなさい。
目が疲れれば、目糞が出て来るだろう。
汗、大小便、あのドブ沼より汚いそなたたちの肉体である。
しかれども、そなたたちの心が、宇宙の真理を知って生活をしたならば、
あの蓮の花と同じように、調和された境地に、安らぎを得ることができるのだ。」
と説いたのが法華経なのです。

 それをわからないで、「法華経に帰依します、法華経に帰依します、…」「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、…」最近はもっと速くやればいいと、「ナミョホレンゲキョ、ナミョホレンゲキョ…」馬鹿げた話です。
気違いです。いわんや汝、偶像を祭って祈ることなかれです。
人間の印刷物をいくら拝んだところで、救われる道はないのです。
我々は旧来の陋習を破らなければいけません。もし、神が必要ならば皆さんがこの地上界に生まれて来た時に持たしてよこしたはずです。

曼陀羅をみんなブラ下げてよこしたはずです。男性のブラ下げて来ているのは違うじゃないですか。このように仏教ですらわからなくなってしまったのです。
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高橋信次師の最後の講演 11 八起正法先生編

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/sisikunokouenn3.html
<転載開始>
高橋信次師の最後の講演 11 八起正法先生編
天上の世界がピラミッドのように高くあれば、逆に又、地獄の世界は逆ピラミッドとして存在しているのです。
この地球はその中間的環境にあるのです。
そのために皆さん自身が、善を思い善の行為をすれば天上の世界へ、悪の行為をすれば地獄の世界へ、彼等はいつでも待っております。

それだけに正しい心、正しい法この道を己自身のものとして、生活をしなかったならば、人間は救われないのです。
しかし、皆さんの心の中には誰しもが神の子としての真の愛の心を持っているのです。
なぜならばすべて皆さんは天上の世界から約束されて、この地上界へ出て来たのです。還るときに、あれもしよう、これもしよう、ではなく、今の一秒一秒、一日一生の己自身の完成が皆さんをより大きい、豊かなものにしていくのです。

今、厳しい経済的環境にあろうとも、悲観することはないのです。今、その厳しい環境の中で、今、皆さんは、自らの魂を学習するために、今その体験をしているのです。
たとえ経済的にめぐまれていようとも、その環境に安住するものではないのです。恵まれているならばそれを大事にし、気の毒な人達に真の愛の行為を無所得のままにしてやることなのです。
これが道なのです。皆様は皆兄弟なのです。

生まれの環境が違おうとも、神の子としてすべて太陽のもとに兄弟なのです。他人ではないのです。袖すり合うも他生の縁といいます。まことにその通りです。
皆さんが目覚め自からを自覚した時に、皆様は神の子としての道を、己自身がして実行していくのです。

みな、私がしゃべっているこの言葉は、皆さんの心の中にすべて記録されていきます。そして、この地上界を去ったときに、真実であるかないかを、皆さんは自らしてわかるのです。
その時に救われるのです。生きている中に自らをつくることです。道は永遠に続きます。

今、この世限りではありません。やがて我々はあの世に還ります。そして、またいつの日か地上界か、或いは、また他の天体に出てくるのです。

皆さんは自らに目覚めなさい! 
自らの心を開きなさい! 
小さな自分を捨てなさい! 
偉大なる神の光に目覚めなさい! 
それは愛です!

それ以外にないということです。

この研修会を通し自分の心を裸にして、神の己自身の本性に目覚めて下さい。永い時間本当に有難度う御座居ました。


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高橋信次師の最後の講演 16 八起正法先生編

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/sisikunokouenn4.html
<転載開始>
高橋信次師の最後の講演 16 八起正法先生編
智性と本能と感情と理性と想念、これを大きく分けますと、このようになっております。
丁度、風舟玉のようになっております。
そして心の中の機能というものはピシッとなっている訳ですね。これはもう一人一人あります。
或いは、こうやって見ますと、前の方には、きれいなピンク色の光の出ている人は、何かというと、もっか恋愛中ということです。

それと一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人がいますが、こういうのは困りますね。
そこで今度は、心が丸くなっている人達というのは、身体からもきれいな後光が出ております。このように光がでております。ダルマさんのような、きれいな光が出ております。

こういうような光が出ております。やわらかい金色の光です。この光の出ている人達は、まず心は百パーセントきれいで、夜、寝ても地獄へ行かない人です。
夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行ったり、もう、おどおどしているのは、まず、その前の日、寝る前に、あんまり良いことをしていない人達です。

ですから、心がこうやって、丸く、感情も智性も理性も想念もみんな丸く豊かであると、そういう地獄の世界に行かないわけですね。

ですから、夕べ夢を見て、どうも怖かったという人は、あんまり心が丸くなかったという証拠です。何か心配事がある。

何か、何かある場合ですね。

更に又、この心というものは、今までは形がないんだなんて思っていたけれども、とんでもないことですね。
私、ある講演をした時に、九州の方でした。心なんかあるものか。人間は、すべて頭で判断するんだというわけですね。

確かに頭で判断するんです。だから心は頭にあるんだというわけですね。一流大学の有名な一流のお医者さんで精神学会で日本で一番という人ですよ。
その先生が「頭がおかしくなったんですよ。それを治す為には、大脳をこのようにしなけりゃいかんよ」ということを僕の前でとうとうと言ったわけです。

そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか」と聞いたら「そりゃ君、頭にあるんだよ」。

ハハァーと思ったんです。その時にそれを説明したわけです。

「それでは先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみあがってくるのは頭からこみ上って来ますか。」
「そりゃ君、ここだよ。」

「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか」ったら「それがわかりゃノーベル賞だ」もうそこまできたら、もう話しにならないんですね。



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高橋信次師の最後の講演 21 八起正法先生編

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/sisikunokouenn5.html
<転載開始>
高橋信次師の最後の講演 21 八起正法先生編
そして、このエル・ランティは、光そのものです。
天上の世界へ行くと光そのものです。光の化身です。といって、神ではありません。
神は、又、こちらにあるわけです。いまだかつて地球上に神だなんて言って出て来た人は百%嘘です。どんなものだって、神様になんかにはなれないんです。

神は一つです。宇宙には神は一つです。こういう、エル・ランティと同じような人達が、宇宙に、真のメシヤという人達がおります。
遂に、過日はM37という星があります。

M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤはついに、自分自身を悟ったというのは、太陽系の中の、軌道修正コントロールセンターというのがあります。
太陽系の軌道を修正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。

その中心の心臓部に伝達があるわけです。宇宙的ですね。そして、真のメシヤが、それぞれの惑星の地上界に出て、皆んな互いに連絡がとれるようになって、真の調和が完成されたとき、そのメシヤが神になるのです。

大変なことですね。M26、この太陽系それぞれに出て来ておりますね。
今、出て来ているのは、太陽系で、一人、悟っております。M37で悟っております。M27、M26、出ております。このMというのはメシヤという意味で、つけたようですね。
我々の出て来たところのベーター星というのも、調和されている世界、ユートピアです。その、皆さんも出て来た所ですね。

ところが、今、我々が住んでいるのは、自分の住んでいる地球だけだと思っているだけなのですね。
かつて皆さんは、三億六千数百年前には、そのベーター星という所から、移住民族として、地球上へ来たわけです。


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高橋信次師の最後の講演 26 八起正法先生編

インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/sisikunokouenn6.html
<転載開始>
その点はクリスチャンの皆さんの場合は、生きている内に、自分の心を入れ換えて、マリヤに近い、マリヤ様のような気持ちになりたい、とマリヤとつけてみたり、色々と人の名前をつけている人もいますね。

クリスチャンの方は、はるかに御立派です。
生きている内に変えるんだから、ものの考え方を。
ところが仏教は死んでから変えるんですからね。死んでから変わる訳、ないじゃないですか。
だから、そんなものに皆さんは心を奪われてはいけません。だから「GLA」のお坊さんはそんなことしませんよ。

「院殿下さい」と来ても「まあ院でいいじゃないですか」なんてね(笑)そんなことでやってますね。
ですから商売繁盛しちゃうわけです。仕事が忙しくなっちゃうわけです。あそこ行きゃ、天上界へ行けるっていうわけで、葬式多くなっちゃう。

本当は、お坊さん、葬式専門じゃ困るんですよ。生きている人を救うことでね。死んだ人はもうしようがないんだ、これは。
ところが日本はお坊さんイクォール生きている人には関係がないんだな。だから、お坊さんが入院している患者さんをお見舞いに行きますと、縁起が悪いや、なんて。

そうじゃなく、病院に入院して、今、死ぬか、生きるかという人に「お前さん、あの世があるんだよ、といつまでも執着を持っているな、みな捨てちまえ、子供達にみな分けてあげなさい」と教えてやりゃあいいんだよね、本当は。
ところが、お坊さんが行ったら、縁起が悪いや、あいつは死ぬんじゃねえか、なんてね。

僕が丁度、この間、坊主になって船に乗っとったら、「坊主と一緒じゃ魚一匹つれねえや」(笑)なんてね。
だから坊さんは縁起が悪いことになっちゃってんだ。私も一応、心を改めて、自分の頭の毛を、一つ形の方からやってみようと思いまして、色々検討の結果、頭を三分刈りにしてみた訳です。そうしたところが、「坊主と一緒じゃ、魚も釣れねえや」なんてね。
こりゃ不思議なものです。ですから本来は、坊さんは、生きている人を救うんです。
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心の窓を開く

心の窓を開く
https://www.youtube.com/watch?v=4SQ1tmcFFng


高橋信次
2015/08/15 に公開

本が読めない▷地獄霊が読まさせない 怒りや怨みがあると心の窓は開かない。地獄霊が体内に憑依すると身体のあちこちが痛む­、冷える

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