tacodayoのブログさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/6661629.html#more
<転載開始>
17章には“女”と“獣”が出てきますが、ここが『ヨハネの黙示録』解明の為の大きなポイントとなると思いますので、詳しく見ていきましょう。
『それから、七つの鉢を持つ七人の御使(みつかい)の一人がきて、私に語って言った、
「さあ、来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦(だいいんぷ)に対する裁きを、見せよう。地の王たちはこの女と姦淫(かんいん)を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。
御使(みつかい)は、わたしを御霊(みたま)に感じたまま、荒野へ連れて行った。私は、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫(かんいん)の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦(いんぷ)どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
私は、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、私は非常に驚き怪しんだ。
すると、御使は私に言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。
あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めから命の書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚き怪しむであろう。
ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
そのうちの五人はすでに倒れ、一人は今おり、もう一人は、まだ来ていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中の一人であって、ついには滅びに至るものである。
あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
彼らは小羊に戦いを挑んでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。
御使(みつかい)はまた、私に言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦(いんぷ)のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
神は、御言(みことば)が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨(みむね)を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。』(ヨハネの黙示録17章全文)
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17章には“女”と“獣”が出てきますが、ここが『ヨハネの黙示録』解明の為の大きなポイントとなると思いますので、詳しく見ていきましょう。
『それから、七つの鉢を持つ七人の御使(みつかい)の一人がきて、私に語って言った、
「さあ、来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦(だいいんぷ)に対する裁きを、見せよう。地の王たちはこの女と姦淫(かんいん)を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。
御使(みつかい)は、わたしを御霊(みたま)に感じたまま、荒野へ連れて行った。私は、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫(かんいん)の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦(いんぷ)どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
私は、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、私は非常に驚き怪しんだ。
すると、御使は私に言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。
あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めから命の書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚き怪しむであろう。
ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
そのうちの五人はすでに倒れ、一人は今おり、もう一人は、まだ来ていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中の一人であって、ついには滅びに至るものである。
あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
彼らは小羊に戦いを挑んでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。
御使(みつかい)はまた、私に言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦(いんぷ)のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
神は、御言(みことば)が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨(みむね)を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。』(ヨハネの黙示録17章全文)
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