大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

すめらみち

旧九月八日の仕組(四) : 神懸かり

すめらみちさんのサイトより
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03_6
<転載開始>

 日月神示では立替えに際して起きる外国との戦争において、日本が一方的に負けることが伝えられています。しかし、最後は“神の力”によって勝利することも力強く断言されています。そのための“逆転の秘策”であり、“立替え立直しの方法論”として用意されている仕組が【(かみ)()かり】です。

 なお、立替えの方法論的な側面は次項で考察しますので、本項では神の力に焦点を当てて論じます。

 前々項の最後で引用した(マツリ)の記述をよく読んで頂くと判ることですが、(たと)えられているのは神国と外国だけではなく、“神”(しん)(みん)も含まれています。

 臣民とは「天皇を(ほう)(たい)する民」という意味であり、戦前までは一般的に使用されていました。日月神示での臣民には非常に深い“神経綸上の(みつ)()が込められているようですが、それは この第三章の総論で論じますので、本項では神霊に対する“人間”及び“肉体”としての側面を取り上げています。

 そして、日月神示は()()()()の段階において、“元の神”である天之日津久神様が『因縁の五十九の身魂』と称される人々を筆頭とする()(たま)の磨けた人間”に神懸かり、立替え立直しや岩戸開きが遂行されることを明かしています。

「元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、この五十九の身魂は神が守ってゐるから、世の元の神かかりて大手柄をさすから、神の申すやう何事も、身魂みがいて呉れよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。何事も時節が来たぞ」 『上つ巻』 第十三帖 [13]

「イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ 〔中略〕 カミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、カミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな」 『磐戸の巻』 第一帖 [237]

「此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用であるぞ、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組 愈々となったぞ」 『雨の巻』 第一帖 [335]

 次に「神が()かる」「神が取り()かる」の二重の意味が込められていると思われる記述を引用します。

「いづれは(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は(はげ)しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり難しいぞ」 『地つ巻』 第三十六帖 [173]

「いよいよ あめの日津久の神様おんかかりなされるぞ」 『水の巻』 第十四帖 [288]

「愈々天の大神様の御命令通りに神々様 総掛かりぞ」 『梅の巻』 第五帖 [432]

 

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旧九月八日の仕組(三) : とどめの戦

すめらみちさんのサイトより
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03_5
<転載開始>

 前項で引用した(マツリ)の記述に見受けられるように、(たと)えられているのは日本と外国だけではありません。詳細は次項で解説しますが、旧九月八日の仕組とは基本的にする仕組」のことであり、そこから派生する多くの出来事を包括する意味を有しているのです。そして、そういった旧九月八日に関わる出来事の総称的な位置付けにある言葉が【とどめの(いくさ)】です。

 これは別に難しいことではなく、要するに、

 (とどめ)(いくさ)とは外国との戦争()()を指しているわけではないのです。

 (いくさ)と言うと戦争の印象(イメージ)が強く、日月神示でも日本と外国の戦争に関する記述が多いので、戦争が三千世界の大立替えの最重要の出来事(メ イ ン イ ベ ン ト)に感じられる場合があるかもしれません。しかし、そのように受け止められるのは天之日津久神様の本意ではないことが多くの記述から判ります。

 まずは、こういった「戦争や天災は立替え立直しや岩戸開きの本質ではない」という点について考察することによって、とどめの戦を論じる上での前提にしたいと思います。

「今度の戦で何もかも(らち)ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも()うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ」 『下つ巻』 第二十五帖 [67]

「臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか」 『下つ巻』 第三十四帖 [76]

「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にも分りては居らんのざぞ」 『天つ巻』 第二帖 [109]

「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や(わざわい)は見当とれまいがな、()()()第一と申すのざ、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても()()らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ」 『磐戸の巻』 第七帖 [243]

「人の殺し合ひばかりではケリつかんのざぞ、今度の負け勝ちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの(ところ)まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから()()迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ」 『磐戸の巻』 第十二帖 [248]

「今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界(すみ)(ずみ)まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、(つら)い人民 沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。戦の手伝い位 誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ」 『松の巻』 第八帖 [299]

「人の殺し合ひで此の世の建替出来ると思ふてゐるのも悪の守護神ざ。肉体いくら滅ぼしても、よき世にならんぞ。魂は鉄砲では殺せんのざぞ。魂はほかの肉体にうつりて、目的たてるのざぞ、いくら外国人殺しても、日本人殺しても、よき世は来ないぞ。今迄のやり方、スクリかへて神の申す様にするよりほかに道ないのざ。このたびの岩戸開きは、なかなかぞと申してあろが」 『風の巻』 第十三帖 [364]

「今迄になかったこと今度はするのぢゃから合点出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、始めは(たたかい)で、(いくさ)で世の建替する(つも)りであったが、あまりに曇りひどいから、イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、(イクサ)ばかりでないぞ」 『梅の巻』 第十八帖 [445]

「この神示よく読んでくれたら何を申さんでも、何を聞かんでも、よいことになるのであるぞ、戦や天災では人の心は直らんと申してあろが、今迄のどんなやり方でも人の心は直らんぞ、心得なされよ」 『海の巻』 第六帖 [498]

「戦や天災では改心出来ん。三千世界の建直しであるから、誰によらん。下の神々様もアフンの仕組で、見事成就さすのであるが、よく神示読めば、心でよめば、仕組九分通りは判るのであるぞ」 『黄金の巻』 第七十五帖 [586]

 

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旧九月八日の仕組(二) : 終わりの始まり

すめらみちさんのサイトより
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03_4
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 第一項でも少し触れましたが、日月神示の源流の一つである伊都能売神諭には、ミロクの世という言葉が理想世界のみを意味しておらず、立替え立直しの序盤を含むことが述べられています。そして、日月神示の“天子様の年齢”におけるミロクの世とは【旧九月八日の仕組】の開始を告げており、これらと全く同じ意味で使われているのが【終わりの始まり】という表現です。

 第二章の第七節の第七項『岩戸開き/岩戸明け』でも考察しましたが、旧九月八日から始まる神経綸九の期間は、八方的世界が十方的世界に(せん)()する“正念場”であり、人体に(たと)えるなら絶え間ない陣痛に襲われる“生みの苦しみの期間”です。

「死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の(ことごと)くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ」 『至恩の巻』 第十三帖 [960]

 立替え立直しの真っ最中であり、“最大の難所”を意味する(おお)(とうげ)と呼ぶのに最も相応(ふさわ)しいであろう期間をミロクの世に含む見方は、伊都能売神諭に“ミロクの世の定義”として書かれています。

「世の(しま)いの世の(はじま)りがミロクの世であるぞよ」 『伊都能売神諭』 大正七年十二月二十三日

 基本的に旧九月八日で八方的世界は終わります。しかし、神経綸九の期間は個別的な区分では十方的世界になっていません。故に、あくまでも“終わりの始まり”なのであり、新しき世界が()()()()()()()()()と言えます。それは十方的世界として結実する直前の“前なるもの”としての段階です。

 そして、「終わりの始まり」という表現は日月神示にも出て来ます。

()()に出したら直ぐに出て来るぞ、終りの始めの神示ざぞ、夢々おろそかするでないぞ、キの神示ぢゃ」 『風の巻』 第七帖 [358]

 この記述からは『日月神示』の意味が判ります。何故なら、終わりの始めとは日の大神と月の大神が結ばれることであり(ミロク)の世の始まり”を意味しているからです。だからこそ(ミロク)の実現のために活動する存在”として『日月神』と名乗っている側面もあるのでしょう。

 また、第一章の第六節でも述べたように、日月神示の予言は旧九月八日の前後と神経綸九の期間に集中しているのですが、これは“終わりの始めの()()として当然のことなのかもしれません。

 その上で前項までの日月(ミロク)論や数霊論にも目を通して頂ければ、日月神示の「終りの始め」や伊都能売神諭の「世の終いの世の初り」という言葉が、神経綸九の“八方的世界から十方的世界への移行期間”としての在り方を表す、()()()()()()()()()であることが判ると思います。

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旧九月八日の仕組(一) : 元神の神策

すめらみちさんのサイトより
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03_3
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 そこで、ここからは【旧九月八日の仕組】について先に述べたいと思います。これは旧九月八日から起こる出来事が“ミロクの仕組”の具体的な内容を論じるための予備知識として必要だからです。

 そして、旧九月八日の仕組の内容は一つではなく、幾つかの出来事が複合的に折り重なって起こり、その全てに相関関係があります。それらの中でも神経綸の意味や理由と呼び得る【元神の神策】の核心部分を、()()()()(のかみ)()()()()(のかみ)“神話”及び“数霊”として明かしているのが以下の記述です。これらを「一神」や「一人」や「一方」という言葉に注目して読んでみて下さい。

「岩戸閉めの始めは()() ()()の時であるぞ、那美の神が火の神を生んで黄泉(よもつ)(くに)に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。(おっと)(がみ)(つま)(がみ)、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉(よもつ)(おお)(かみ)となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、()(びき)の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を(とも)にひらかんと申してあろうがな」 『碧玉の巻』 第十帖 [874]

「ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ」 『至恩の巻』 第八帖 [955] コトドは古事記では「事戸」であり、日本書紀では「絶妻之誓」ですが、日月神示では「九と十」としての意味が第一義であるはずです)

()(びき)(いわ)をとざすに際して 〔中略〕 その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七(ない)()八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。或る時期迄は八方と九、十の二方に分れて それぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ」 『至恩の巻』 第九帖 [956] 対訳形式である昭和三十七年版の原文では「十千十火」であり、訳文では「十方十全」と書かれています。原文を基準にすれば「十全十方」と書くのが正しいと思われます)

「父のみ(おろが)みたたへただけでは足りない、母に抱かれねば、母の乳をいただかねば正しく生長出来ないのであるぞ。一神として拝んでも足りぬ、二柱でも一方的、十万柱としても一方的ぞ、マイナスの神を(おろが)まねばならん、マイナスの神とは母のことぢゃ、天にまします父のみでは足りないぞ、天にあれば必ず地にもあるぞ、一即多即汎、地即天、天即地から表即裏である、マコトを行じて下されよ」 『星座の巻』 第十三帖 [896] 第一仮訳)

「何事もはらい清めて下されよ、清めるとは和すことぞ、違ふもの同士 和すのがマコトの和であるぞ。8迄と9 10とは(さが)が違ふのぞ」 『極めの巻』 第五帖 [932]

「一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは(まっと)う出来ん、九分九厘でリンドマリぞ」 『至恩の巻』 第十六帖 [963]

()()読まないで智や学でやろうとて、何も九分九厘で終局(りんどまり)ぞ。(われ)(われ)ががとれたら判って来るぞ。慢心おそろしいぞ」 『夜明けの巻』 第十一帖 [331]

 

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次の世 / 月の世

すめらみちさんのサイトより
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03_2
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 日と月とミロクの関係を更に詳しく解説するために、時節の要にして鍵にして基点であり、旧九月八日がミロクの世の始まりであることが明かされている“天子様の年齢”を再び引用します。

「五十二才(ツキ)の世の始、五十六才七ヶ月ミロクの世」 『黄金の巻』 第五十四帖 [565]

 この記述では、天子様が五十六才七ヶ月の時に「ミロクの世」になる他に、五十二才の時から「二の世」が始まることが述べられています。日月神示の原文の“二”は「ツギ」や「ツキ」と訓む場合が非常に多く、天子様の年齢では どちらの訓み方をしても本質的な意味は変わりません。むしろ、二つの訓み方をして照らし合わせることにより、双方の固有の意味が更に鮮明に浮かび上がるようになっています。このような相互補完の関係にある言葉が【(つぎ)の世】と【(つき)の世】です。

 まずは“次の世”としての意味から考察します。

 日月神示の説く次の世とは、基本的に「八方的世界の()()()()()十方的世界」のことです。数霊的に表現すれば、八方的世界は“一二三四五六七八の世”のことであり、十方的世界は“一二三四五六七八九十の世”のことです。

 現在の八方的世界が十方的世界に切り替わる時期については、()()“大別的な区分”“個別的な区分”の二つの視点が提示されており、両者には十二年の時間差(タイムラグ)があります。神の大望である十方的世界が始まるのは個別的な区分では2024年からですが、天子様の年齢によると大別的な区分では2012年から始まることになります。これは“三十年の立替え”を解説していない現段階では納得し難いことかもしれませんが、時節の全体像から見る限り、2012年が大別的な区分での節目の年なのです。

 そして、天子様の年齢における次の世とは、「大別的な区分での十方的世界が始まる」という意味に加えて「ミロクの世の王の御代が始まる」という二重の意味が込められているらしいのです。この二つの出来事は相互に連携(リンク)していると思われ、“鶏と卵の関係”のように前後の順序が判別できない関係にあると推測されます。故に、この概論では天子様が五十二才の時である2012年2月23日から2013年2月22日の間に、実質的な(せん)()が起きると解釈しています。

 また、大別的な区分での十方的世界が始まる2012年は、2008年から2016年までの神経綸八の“真ん中の年”です。前編の第二章の第八節でも述べましたが、数霊の八の“どっちつかず”の性質が神経綸や時節にも一日単位で反映されているとすれば、2008年の8月17日から2016年の旧九月八日までの中間点である2012年の9月13日辺りが、実質的な践祚の計画上の予定日なっているはずです。現実的には多少のズレがあると思われるので確実ではありませんが、平成二十四年が元年になる可能性が高いと考えられます。

 なお、これは後編で論じる内容なのですが、大別的な区分での十方的世界が個別的な区分でも十方的世界になるまでの十二年の時間差(タイムラグ)が、()()の説く()()(いづ)の仕組”の期間であると考えられます。天明氏は訳文で三四五に()()()づ」の漢字を当て嵌めていますが、これは十方的(あたらしい)世界が現出する」という意味に加えて「天子様の()()()を中心とする政治形態に移行する」という意味もあるようです。

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日の大神 / 月の大神

すめらみちさんのサイトより
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03
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 前節において考察したように、狭義の意味と広義の意味でのミロクの大神は必ずしも一致していません。故に「どの等級(ランク)のミロクなのか」という点については個々の文脈で判断する必要があります。()()()階級(ランク)を設けるのは不適切に感じられるかもしれませんが、この辺りの考え方については天之日津久神様による認識を示した方が判り易いと思います。

「手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ」 『天つ巻』 第三十帖 [137]

 当たり前の話ですが、中枢は末端に命令を下せますが、末端は中枢に命令を()()ことはできません。中枢も末端も「全体を形成する一部分である」という意味では()()でも、決して()()ではないのです。

 また、この場合は双方を含む全体が広義の意味での()()であり、中枢が狭義の意味での()()になります。これを「(がい)(かく)を分離する」という形で、少しづつ広義の意味を狭義に定義し直して行き、もう削ぎ落とせない最終段階まで残り続けた存在が、最も序列(ランク)が高いと言えます。つまり、全体の行動を決定する権能を有する()()としての存在、即ち(トップ)です。

 その上で、“ミロクの中枢”として神経綸の中心軸に居ると推測されるのは以下の五柱の神様です。これは予言の大半が、この神々の物語として描写されていることからも()し量れます。

一、一柱だけでもミロクと明言されている(あま)(てらす)(おお)(かみ)
一、天照大神と共に天の御先祖とされている()()()()(のかみ)()()()()(のかみ)
一、天の御先祖と一体になって立替え立直しの総指揮を()るとされている(くに)(とこ)(たち)(のかみ)
一、国常立神と同一神的に説かれ救世神とされている()()(なる)(のかみ)

 また、人体の頭が一つであるように最後の一柱まで絞り込む場合は、天照大神が最高位(トップ)になると思われます。恐らくは この点が関係しているのでしょうが、立替え立直しにおける“ミロクの仕組”の内容は、天照大神の別名でもある“ミロクの大神の正式な御神名”鍵言葉(キーワード)として読み解くことができます。

「何故、【(つき)(さか)()(いつ)()()(たま)(あま)(さかる)(むか)()(ひめ)(のみこと)】がミロクの大神なのか?」

 この疑問に対する回答を、ミロクの仕組の具体的な内容と“神話”から導き出したいと思います。そして、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()です。そこで、ここからはミロクと旧九月八日の関係を論じるために必要な内容を、順を追って解説して行きます。

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