大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

ぽこあぽこ

ダンテ「神曲」を読む!天国篇

ぽこあぽこさんのサイトより
http://www.geocities.jp/michi_niku/index.html
<転載開始>

いよいよ天国篇です。しかし、抽象的な文章が多くて、なかなか進みません! とりあえずここに載せておいて、終わったら見直すつもりです。。。(2005年11月8日)

第一曲
すべての物を動かす神の栄光は、全宇宙に(詩篇139の7-10、エレミヤ書23の23-24参照)染み通っていますが、受ける者の力によって、ある所ではとてもよく示され、他の所ではあまり示されません。私は第十天、すなわち至高天にいました。一度そこから下界へ降りれば、人は、話すべき知識も力もなくなって(コリント人への第二の手紙12の1-4参照)しまいます。なぜなら、わたしたちの知識は、神に近づき、深く探るにつれて、記憶は追いつけなくなってしまい、忘れてしまうからです。でも、その聖なる王国について私が心にしまった事柄で、私は詩を作りましょう。ああ、すばらしいアポロンよ(この祈りは、地獄第二曲、煉獄第一曲のそれと対応。アポロンは煉獄第二十曲参照)、この詩作のために、私を、あなたの才能と月桂樹(ギリシア神話のダプネは恋慕するアポロンを嫌い、逃げ回っていたが、ゼウスによって月桂樹に変えられた(『変身譜』1の452-567)。爾来この木はアポロンの聖木となり、詩人の栄冠として用いられる)の冠を受けるにふさわしい者としてください。私はこのようにパルナッソスの一つの峰(パルナッソスについては煉獄第二十二曲参照。この山に二つの峰があり、一つには学芸を司る九女神のムーサイが、他の一つに詩神アポロンが住む。地獄篇と煉獄篇では、ムーサイからの霊感だけで事足りたが、天国を歌うとなれば、アポロンの助力がないといけない)に向かって祈りました。でも、今は、天国を歌うので、峰の二つともが必要です。アポロンよ、私の胸の中に入って、マルシュアス(ギリシア神話のマルシュアス。プリュギアのサテュロスの一人。女神アテナが捨てた笛を拾い、身分もわきまえず、アポロンと笛吹の技を競うが、判定で敗れ、生きながら皮をはがれる。その時流れた血、あるいは彼の死を悲しんだ人々の涙が、マルシュアス川になったという。ダンテは『変身譜』6の383-391によってこの箇所を書いた)を体の皮膚から引き抜いた時のような力で、息を吹き込んでください。ああ、神よ、私の心に刻みつけられた至福の国の、せめて影だけでも、顕わにしてください。そうすれば、私は、私の詩のテーマとあなたに助けられて、月桂樹の緑の葉でできた冠をかぶるでしょう。父よ、皇帝(ダンテはカエサル以後のローマ帝国の支配者達をもこう呼んでいる。地獄第十三曲、煉獄第六曲参照)も、詩人も、人は世俗的な心を持っているので、そのような栄冠を受けることは稀です。人が月桂樹の冠を望み求めると、アポロンは月桂樹によって、さらなる喜びをもたらすでしょう。小さな光から大きな炎になるのです。ですから、私の詩に励まされて、私よりもさらに大いなる詩人が現れて、アポロンの助けによってさらに良く天国の歌を歌うこととなるでしょう。世界を照らす太陽は、様々な所から人間に届きます。でも、四つの圏が合わさって三つの十字となる箇所(四つの圏とは、地平・赤道・黄道帯・分至経線を言う。それが合わさって三つの十字となる箇所とは春分点のこと)から出れば、よりすばらしいコースをたどって、よりすばらしい星々(白羊宮、すなわち雄羊座)が結合し、春分の頃には、太陽が地球に最も恵み深い力を及ぼすのです。今(この旅が想定される1300年の春分は3月21日であったから、今ダンテのいる4月13日水曜日は、太陽はまだ白羊宮にあり、ほとんど同じ季節の内)、煉獄山のそびえる南半球では昼が始まろうとし、イエルサレムのある北半球は夜に入ろうとしていました(そして心地上楽園はまさに正午。ダンテが地獄への旅の出発を夕刻に、煉獄への旅の出発を明け方に、そして天国への旅の出発を正午に措定したのは、綿密な用意に基づく。『饗宴』4の23で述べているように、太陽のさんさんと燃え輝く正午はダンテにとって一日の内最もめでたい時刻であった。天国篇はこの時刻に、日神アポロンへの祈りと共に展開を始める)。その時、私はベアトリーチェを見ると、ベアトリーチェは左側の太陽を見ました(煉獄第三二曲にあるように、ベアトリーチェの行列は東に向かって進んでいた。太陽は北側すなわち左側にある)。どんな鷲でもそのように真っ直ぐと太陽を見つめたことはないでしょう(鷲だけが太陽を直視しても目はくらまないと、当時一般に信じられていた。ルカヌスの『パルサリア』9の902-903参照。天国第二十曲参照)! 光線が物に当たって、反射光線となるように、そしてまた、目的地に着いた旅人が再び故郷に帰るように、ベアトリーチェの所作を見て私も太陽を見つめました。地上の楽園は、神が、人類のために作られた(創世記2の8および15参照)所なので、北半球では人ができないことが、南半球の煉獄山状にある地上楽園・エデンでは、できることが多いです(ダンテが太陽を直視できたのもその例)。私は長くは見つめることができませんでしたが、太陽が、火からしたたり落ちる溶けた鉄に似た火花をあたりに散らすのは見ました。すると突然、神が、太陽をもう一つ作られたかのように明るくなりました(ダンテは地球を離れ、天上へ登っていく)。そこにベアトリーチェは立ち、目は諸々の天に向けられていて、私の目は高い所からベアトリーチェに向けました。ベアトリーチェを見つめると、グラウコス(『変身譜』(13の904-959)に拠れば、ボイオティアの漁夫で、ある日前人未踏の草地に座し、獲物を数えようとした所、魚が動き始め、自力で海へ帰っていった。グラウコスは草に霊験ありと考え、一茎を取って噛むと、海を恋する願いがわき上がり、大地に永遠の別れを告げ、海中に没して海神となる)が、草を噛んで海神の仲間になった時のような変化を、私も感じました。「超人」の事は説明できないので、恩寵によってそれを経験する時まで、このグラウコスの例で我慢してください。霊魂だけが昇天したか、肉体も共にであったか(それをダンテは、同じ経験を持つ聖パウロをまねて(コリント人への第二の手紙12の3-4)神のみぞ知ると、未決定のまま残す)、それは神のみがご存じです。ベアトリーチェの光で私を引き上げてくれたのは、神なのですから。神をしたってめぐる諸天球の運行は、神によって調節されたハーモニーに調和した歌(ダンテは『饗宴』の2の3の9で、神の宮居のある第十天に最も近接する第九天の原動天が最も速く運行するのは、形を持つ宇宙のいやはてに当たるこの天のいかなる部分も、他を動かすが、自らは動かず、静まりかえる第十天と接触したい、烈しいあこがれによると説明している。せがまれるままに諸天球を動かす神の概念は、アリストテレスの発想であるが、煉獄第三十曲にも出てくる諸天球の「調和した歌」を整え分かつ神の概念は、普通『スキピオの夢』の名で知られ、中世を通じ愛読されたキケロの『共和国論』第六巻18の18-19に基づくことが最も多い)によって私の心が捕らわれた時、私は太陽が燃え立つように輝いているのを見ました。地球上のすべての雨と川を集めても、これほどまでに大きな湖にはならないでしょう。このようにも明るい光の大きさと音は、初めてだったので、私はその原因を知りたいと強く思いました。ベアトリーチェは、私を見て、私の乱れた心を静めようと、私が質問する前に話し始めました。「あなたは誤解によって心を悩ませているのです。誤解によって本当は見える物が見えないのです。あなたはまだ地球にいると思っているのかも知れません。でも、第一天である月と地球の間にある火焔天からの光は、神のもとへ昇っていくあなたほど速くはありません。」ベアトリーチェが微笑んで話してくれたこの少しのことで、私は初めの疑問が解けました。しかし、新たな疑問が湧いてきました。私は言いました。「私の心に引っかかっていた疑問が解けて満足したものの、今度は、これらの第一天の月から始まり、第九天の原動天に到る軽い諸天体を、私はどうやって昇っていくかという疑問が生まれました。」ベアトリーチェは、私の質問を聞くと、憐れんでため息をつきました。そして、興奮した子供の言うことを聞いてあげるお母さんのように私を見ました。そして言いました。「森羅万象は、皆それぞれ違いますが、ある一定の秩序を持っているのです。この秩序によって、神の姿を現すのです。天使や人間のような被造物は、この秩序において、神の跡を見るのです。その秩序の中で、すべての被造物は、皆その目的である神を望むのですが、天の中でその位置が高い物も低い物もあり、また、役割が皆異なるので、火や地球のように神に遠い物もあれば、諸天使のように神に近い物もあるのです。ですから、皆、大海原を渡り、本能に舵を取らせてそれぞれの港へ向かうのです。この本能によって、火は地上にあっても月と地球の間の火焔天へ帰りたがります。本能がやがて死ぬ運命にある物(人間も含めて。なおこのあたりの発想についてはアウグスティヌスの『告白』13の9参照)の心を動かします。本能によって、地球は重力によって寄せ合い、各部が結合して離れることがないのです。理知のない被造物だけが本能の弓矢を駆り立てるのではなく、知性や愛を持つ天使と人間にも当てはまります。これらすべてを取り仕切る摂理は、その輝きをもって、最も速くめぐる第九天に当たる原動天をつつむ第十天の至高天(エンピレオ)を静まらせます。そして至高天へ向かって、本能の力により、私たちは昇っていくのです。しかし、芸術家が意図したことが材料にうまく反映されないことがあります。ちょうどそれと同じように、神の意図があっても、人が偽りの快楽に誘われて、方向を誤ることがあります。あなたが昇っていくことは、水が山から麓に下りるように、怪しむことはありません。あなたが、罪の重荷を下ろしても、下界にとどまれば、それは、地上に燃える火が静かであること(火焔界以外で火が静かなことはない)のように、不思議で、おかしなことです。」そしてベアトリーチェは目を天へ向けました。(2005年10月5日)(2005年12月23日更新)

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ダンテ「神曲」を読む!煉獄篇

ぽこあぽこさんのサイトより
http://www.geocities.jp/michi_niku/index.html
<転載開始>

煉獄篇の初めのあたりは、大江健三郎「懐かしい年への手紙」のラストのシーンに引用されています。とても美しい場面ですよね!

第一曲
美しい水を渡ろうと(煉獄の詩を歌おうと)、私の小さな詩の才能の船が帆を引き上げ、あのようにも無慈悲な海を後にしました(地獄の刑罰のような恐ろしい詩を歌うのをやめました)。人の魂が浄められ、天国に昇るのに相応しくなる、煉獄の詩を歌います。でも、まず、滅亡の魂を歌う詩に生命の息吹を与え、望みのある煉獄の魂を歌わせてください、ああ、至上の神聖なムーゼよ(学芸を司る九女神ムーサイからの霊感を乞う祈願。やがて展開するまったく異質の光景を過たず描くために、古典叙事詩の慣習に則り、神曲全篇を通じて、異教の詩神達の助力を乞うている)! カリオペ(ギリシア神話のムーサイの一人で、叙事詩の女神とされる)を呼び、忘れられないぐらい厚かましいピケ(マケドニア王ピエロスの九人の娘で、カササギの意味。ピエロスはこれをムーサイと名乗っていたが、真のムーサイの代表者カリオペと歌を競って敗れ、カササギに変身させられた。オウィディウスの『変身譜』5参照)の心を突き刺した(負けたピケはムーサイをののしり、罪を大目に見て許してもらうことができなくなる。煉獄篇の主題は「へりくだって控えめにすること」なので、ピケへの言及は相応しい)のと同じ調べで、私の伴奏をさせてください。大空を美しい色で満たしていた、サファイアのうち最も美しいとされた東方のサファイアの優しい色合いは、深く清らかに地平線まで届き、私の目は喜びにあふれます。今や、私の目と心を悩ましたあの暗澹たる地獄の空気から離れたのだと気づかされます。人の心に愛を燃え立たせる美しい金星は、東の空を明るませ、光る魚座の星々を覆い隠す時(金星の光が、これと共に登る魚座の星の光をかき消すほど強い刻限とは、日の出前一時間あまりの頃。1300年の復活祭にあたる四月十日の朝前とされるが、その日金星は日の出後昇ったはずとの天文学的考証もある。しかしダンテは、大抵日の出前に金星が輝くとされる通念によって、この詩句を綴ったのだろう)、私は右を向き、南極をじっと見つめ、そこに、人類の始祖(アダムとエバ。彼らがエデンの園すなわち南半球のこの地点に人は住まないとの想定)の他、誰も見たことのない四つ星(ダンテ自身の設定による象徴的な星。これらの星が何を寓意するかは、地上楽園にいたって明らかにされる)が見えました。天はその輝きを非常に喜んでいるようでした。ああ、その星々を永遠に見ることの出来ない、寡婦となった北半球(楽園を逐われた後、アダムとエバは北半球に住み、その後裔にも、南半球の四つ星を見る幸福が奪われたこと)よ! そして、私がその四つ星から目を離し、北斗七星が見えなくなった北極の方を向いた時、私は一人の老人カトー(ローマの政治家大カトーの曾孫で、小カトーの通称を持つマルクス・ポルキウス・カトー(前95-前46)。護民官に選ばれ、内乱では終始元老員側を支持してカエサルに抗したものの、志を得ず、アフリカ北岸のウティカに赴き、ウティカのカトーと呼ばれる。カエサルの軍が到るに及び自殺したが、死の直前までプラトンを読んでいたと伝えられる。深くストア思想の感化を受け、人格高潔、ルカヌスは『パルサリア』の中で神に近い美徳の鑑と褒め称えた。ダンテが彼に煉獄を管理させたのは、『アエネイス』8の670で、その立法ぶりに対するウェルギリウスの高い評価に触発されてのことであろうが、本来ならば自殺者の入るべき地獄第七圏にカトーを置かず、また他にもいくつか地獄に堕ちる罪状を持つにもかかわらず、あえて煉獄の守護者とした最大の理由は、彼が自由の真摯な実践者であり、浄罪によって徹底的に自己を汚濁の痕跡から解放することに励む者たちの監督に最も相応しいと考えたからであろう。ダンテ自身のカトーへの讃美は、『帝政論』や『饗宴』に見られる。また50にも達しないで死んだカトーを「老人」と表現したのは、老年は46才から始まるとするダンテの持論(『饗宴』)による)が独りぼっちでいるのを見たのです。カトーの顔は、敬意を抱かせるもので、どんな子供でも父親に対してそのようにも深い敬意を抱くことはないぐらいでした。長いヒゲには、白髪がまじり、それは、胸の左右に垂らした髪も同じように白髪が交じっていました。神聖なる四つ星からの光線はカトーの顔の上を光り輝かせていました。太陽がそこで輝いているかのようでした。カトーは、立派なヒゲを動かして言いました。「あなた達二人はどなたですか? 真っ暗な流れをさかのぼって、永遠の地獄から逃れてきたあなた方は? 誰があなた達を導いてくれたのですか? 永遠に真っ暗な地獄の谷から脱出する時、暗闇を照らす明かりとしたものは何ですか? 地獄で罰せられている魂はその定位置を離れられないという地獄のおきては破られたのですか? 天国で新しい決定が成されて、罪人のあなた達が私のいる岩まで上がって来れたのでしょうか?」ウェルギリウス先生は急いで私の腕をつかんで、言葉と、手と、まなざしで、私を跪かせてお辞儀をさせました。そして先生はカトーにおっしゃいました。「ここへ来たのは、私の身勝手ではありません。天国からの淑女ベアトリーチェが私に頼んで、このダンテの導き手となったのですよ。しかし、もし私たちがここへ来るに到った状況を知りたいということなら、拒むことはしませんよ。このダンテはまだ死んでいないのですが、愚かにも死に近づいたので(地獄第一曲始め参照)、引き返す時間はなかったのです。そこで、私が先ほど申したように、ダンテを助けに使わされたのですよ。私がこの道をずっとダンテを導くしか、ダンテの魂を救う方法はなかったのです。私はダンテにすべての罪人達を見せてきました。今度はダンテに、あなたに管理されて自らを浄める魂達を見せたいのです。私たちがどのようにここまでやってきたかをお話しするには時間がいくらあってもたりません。天国からの力によって、私はダンテをここまで導き、あなたに今お目にかかり、お話しをすることができたのですよ。ダンテを歓迎してあげてください! ダンテは自由(原罪及び個人が実際に犯す罪の束縛からの自由。それを得るのが煉獄でのつまるところの目的)を探し求めているのです。自由こそは貴いものです。それは、自由と引き替えに命を捨てたあなたがよくご存じでしょう(カトーは政治上の自由のために生命を捨てた。自由尊重のその心情は、魂の場合と同じ)。あなたが、最後の審判の日に光り輝く肉体を捨てたウティカ(古代の北アフリカで、カルタゴよりも早く栄えた重要な海岸都市。第三ポエニ戦争に際し、ローマに味方してカルタゴと戦い、その褒賞としてカルタゴの領土を大きく併合した)では、自由のためなら死も苦しくありません。私たちは、天国の永遠の掟に背いてはいません。このダンテは生きています。ミノス(冥界の法官。地獄第五曲参照)は私にしっぽを巻きませんでした。私が来たのは、あなたのマルキア(カトーの妻マルキア。地獄第四曲参照。『パルサリア』によると、マルキアはカトーの後妻であったが、第三子誕生後、夫の命令に従い、その親友ホルテンシウスに嫁した。ホルテンシウスの死後、マルキアはカトーを説いて再びその妻となり、生前、「カトーのものなるマルキア」を墓碑に記す公約を得たという)の貞淑な目が輝いている辺獄(リンボ。地獄第四曲参照)ですよ。ああ、聖なる心よ、今でもあなたの魂に、いつまでもあなたのものだとお願いしています。マルキアへの愛のために私たちのことにも心にかけてください。あなたの七つの冠を通るのを許してください。辺獄へ帰ったら、あなたの親切をマルキアに話しましょう、もし辺獄であなたの名前を口に出してもいいのなら。」するとカトーは答えました。「マルキアは、私が生きていた時、私の目を大いに喜ばせてくれたので、マルキアの望みはすべて叶えました。今、マルキアはアケロンテ川(冥界を流れるアケロン川。地獄第三曲、第四曲参照)のそばに住んでいるのでしょうから、私の心を動かすことはできません。私が辺獄(キリスト受難の約80年前に世を去ったカトーの霊は、辺獄に置かれているうち、キリストの地獄下りを迎え、煉獄山へ移されたとの想定)を出た時作られた掟(救われた者は、地獄にいる者に対し心動かし憐れんではならぬとの定め。両者の間には、渡る事のできない大きな断絶がある。ルカによる福音書16の26参照)によって。でも、あなたの言うとおり、天の淑女があなたの心を動かしてあなたに命令したのなら、へつらうことはありません。その方のために、私に頼めば、他に何もする必要はありません。このダンテと共に行きなさい。でも、注意してください。ダンテの腰にイグサ(浄罪のための最も基本的な主徳の一つ、へりくだって控えめにすること、を象徴する)を結びつけ、あらゆる穢れが取れるまでダンテの顔を洗いなさい。そうしないと、地獄の霧によって視界が曇っていては、天使に初めて会う時相応しくないでしょうから。この小さな島は、波が打ち寄せる岸の柔らかい砂地にイグサが生えています。葉があったり、固くなったりするような植物はここでは育ちません(柔軟でなければ、へりくだって控えめにはできない)。イグサだけは波にもまれても育つのです(浄罪行の厳しさと通う)。用意ができたら、山を登り始めなさい。この道を戻ってきてはいけません。太陽(日没後の勝手な行動は許されない)によって示される方に登るのです。」こう言い終わると、カトーは姿を消しました。私は跪いていましたが、立ち上がり、黙ってウェルギリウス先生のそばに寄り添い、先生の目を見ました。先生は私におっしゃいました。「私の足跡についていらっしゃい。さあ、私たちは後戻りしなければなりませんよ(「かの星々を」再び仰ぎ見ようと二詩人が地獄から出てきた地点は、海岸を少し離れた裾野の中腹で、その時ダンテは山を背に、東に面して立っている。やがて右、すなわち南を向いて、南の空に四つ星を見、さらに北へ向くと、大熊座の星々は既に没していた。傍近く急に現れたカトーの顔を、四つ星が照らしていたとあるから、カトーは南面。二詩人はカトーと向かい合う位置。従って「あともどり」は、時計回りに南の方向へ進むことを意味する。これは地獄巡りの時と同じ回り方で、へりくだりの印でもあるが、やがて時計の逆回りに登頂を志すこととなる)。そこの平野が海辺の方にゆっくりと下り始めますから。」夜が明け始めて、夜の時間は暁に追われて逃げていき、海の遠くの方でさざ波が立つのが見えました。私たちは、寂しげな平野を歩みました。それはちょうど、見失った道に戻るのだけど、それが見つかるまでは無駄足を踏む人のようでした。私たちは、露に太陽の光が当たっても、涼しい影によって干上がらず、いつまでも湿り気の残る場所に着いた時、先生はイグサの上に、広げた手を優しく置かれたので、私は先生の意図したことが分かり、涙に汚れた顔(地獄ではあまりの惨状に涙の乾く暇もなかった)を先生に向けると、先生は私の顔をきれいにしてくださり、私の顔は、地獄の泥の下にあったいつもの顔に戻りました。それから私たちは、その海域(オデュッセウスが仲間もろとも海底の藻くずとなる直前に航行した海域。地獄第二十六曲参照)を航海しても帰ってきてその話をした人などいない寂しい海辺に来ました。そこで、カトーの意志の通り、先生は私の腰にイグサを巻いてくださいました。ああ、何とフシギなんでしょう! 先生がイグサを摘んだ時、同じ所に、すぐにつつましやかな草が生えてきました(謙遜こそ煉獄を旅する者にとっての護符であり、これを持たなかったオデュッセウスは、煉獄山を目前にしながら非業の最期を遂げる)。(2005年7月28日)(2005年9月28日更新)

にくちゃんメモ:煉獄山のふもとの海岸の岸辺に来ました。(2005年8月14日)

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ダンテ「神曲」を読む!地獄篇

ぽこあぽこさんのサイトより
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<転載開始>

地獄
第一曲

1265年生まれの私は、1300年4月7日の夕刻、気づくとまっすぐな道を見失い、暗い罪深い森のなかに迷い込んでいました。その森の、荒涼として、殺伐としたことといったらないのです。思い出すだけで、その時の恐ろしさが戻ってくるようです。本当にひどい所だった! 死にも劣らない。しかし、そこで起こったすばらしいこと、つまり、ウェルギリウスと出会ったことを語るためには、そこで起こったいろいろなことをお話ししなければなりません。どのようにしてそこに迷い込んだかは、本当に分からないのです。真実の道からはずれて迷い込んでしまったその時、私はとても眠たかったのでした、つまり、罪に満ちていたのです。しかし、谷の中の森の際の丘のふもとに来た時、私は胸がつぶれるほど恐かったのですが、人を正しい道に導いてくれる光が丘の上を包んでいるのを見ました。その夜、私は深く絶望していたわけですが、その恐れが落ち着いてきたのでした。私は、生きて通り抜けられたことのないその道を、逃げながら振り返りました。ちょうど、難破して波に巻かれながら、息を切らして泳いでいる人が、やっとの思いで安全な岸にたどり着き、振り返って、恐ろしい波を見るように。少しの間、疲れた体を休め、そして荒涼とした坂道を、低い方の足を踏みしめながら上り始めました。その坂道が急になる辺りに、まだらの毛皮の身軽で敏速そうな一匹のヒョウ(肉欲の象徴)が現れたのです。目の前に立ちはだかっているものだから、私は何度も引き返そうとしました。その時は、4月8日のまだ朝の早い時で、神の愛が美しい星々をめぐらし始めたのと同じその星とともに太陽が昇ってきました。私は、このかぐわしい時に力づけられて、ハデなまだらのヒョウをかわすことができるかもしれない、と思ったのですが、その時、ライオン(慢心の象徴)が姿を現し、私はさっきの希望はどこへやら、また、恐くなってしまいました。ライオンは頭を高くもたげて、お腹をすかせて私の方に近づいてきたので、恐ろしさのあまり周りの空気さえ震えるようでした。そして、今度は、メスオオカミ(強欲の象徴)が現れたのです。貪欲そうな痩せた体をしていて、これまで何人の旅人が餌食になったか知れないぐらいです。私の心は重く沈み、丘を高く登ろうとした希望は恐ろしさのあまり消え去ってしまいました。その容赦ないメスオオカミは、私に一足一足近づいてきて、私は太陽の光の来ない森の方へ戻らざるをえませんでした。ちょうど、お金儲けが大好きな人が急に一文無しになってしまって、その落ちぶれ方を嘆くようです。低い方へと下っていくと、口をきかないので声がかれてしまったかと思われる人の姿が現れたのです。その荒れ野でその人を見た時、私は「私をあわれんでください、どこのどなたでも、人でも影でもかまいませんから!」と叫びました。するとその人は、次のように言いました。「昔は生きた人間でしたが、今は違います。私の両親は北イタリアのロンバルディアの東南にあるマントヴァの生まれです。ユリウス・カエサル(前100-前44)に30年遅れて、紀元前70年に生まれました。偽りの神々がひしめく時勢に、ローマ帝政初代の皇帝であるアウグストゥス・オクタウィアヌス(前63-後14)が治めていたローマに住んでいました。誇り高いトロイアが焼け落ちた後、トロイアから逃れてきたアエネアス(トロイアの名将アンキーゼと、アプロディス女神との間に生まれた)のことを詩に書きました。それにしても、君は、なんでこんな悲惨な場所に後ずさりするのですか? なんであの煉獄の山のいただきに登らないのですか、そこにはすべての喜びの源があるというのに?」私は、謙遜して頭を垂れて、その人に言いました。「それでは、あなたは豊かな言葉の泉のようなウェルギリウス先生ですね? ああ、先生は、すべての詩人の誉れであり、光です。先生の詩を愛し、勉強することを喜びとしてきました! あなたこそ私の先生です。あのすばらしい高貴な文体から学んだのです。私が後ずさりしてしまった、あのメスオオカミを見てください。有名な賢人である先生、あのメスオオカミから私を助けてください。ドキドキするほど恐いのです。」先生は、私が涙を浮かべているのを見て、お答えになった。「でも、この荒れ野から逃れるためには、他の道を通らないといけません。君が恐ろしさのあまり泣き叫んでいるこのメスオオカミは、誰にもこの道を通らせず、行く手を阻み、殺してしまいます。このメスオオカミは、邪悪で凶暴で、その貪欲さは満たされることはなく、食べても食べてもお腹を空かせているのです。猟犬(将来世に出て、物質上及び精神上、救いとなるべき偉大な人物。皇帝や、法王)がやってきてこのメスオオカミを苦痛の内に死に至らせる時まで、このメスオオカミとつがう生き物は多いのです。その猟犬は土もお金も食べることはなく、知性、愛、武勇によって生きているのです。猟犬は、フェルトロ(共にフェルト帽をかぶっている双子座のディオスクロイを指すという占星術的な解釈が有力)とフェルトロという場所の間に生まれました。『アエネイス』に登場する処女カミーラ、ツルヌス、ニスス、エウリアルスが戦い命を捧げた、低く横たわるイタリアの平野を救うのは、その猟犬なのです。地獄の王ルチフェルが、悪魔や人類の幸福をねたむあまり、災いの獣である強欲なメスオオカミを地獄から飛び出させたのですが、猟犬はそのメスオオカミをまたその地獄に追いやるまでくまなく探しまわるのです。さて、そういうことなら、私についてくるのがいいでしょう。君を地獄に案内しましょう。地獄では、絶望して叫んでいる声が聞こえ、苦しめられている亡霊を見て、もう魂が肉体を離れているのに、その魂を無にしてしまいたいと叫んでいる声が聞こえるでしょう。地獄を過ぎれば、煉獄です。そこでは火の中にあっても、望みがあればかなえらえるので、至福の民とともにいられるので大喜びしている人を見るでしょう。もし君が天国に行きたいと願うなら、私よりふさわしいベアトリーチェの魂に君を託して、君と別れましょう。なぜなら、高い所にいられる帝は、掟を破った私を天国に入れてくれませんから。帝が治めているところこそ、とても高い所にあり、そこに住むのは、なんて幸せなことでしょう!」そして、私は先生に言いました。「先生、お願いです、先生は紀元前にお生まれになったからご存じでない、その神の名にかけて、お願いですから、この現世の苦しみと、後世の苦しみから助けてください。そして、おっしゃった場所に連れて行ってください。聖ペテロの煉獄の門(マタイによる福音書16の19参照)と、先生が私に話してくださった苦悶する人びとを、私に見せてください。」すると、ウェルギリウスは歩き出し、私はついていったのでした。(2005年6月2日)(2005年10月17日更新)

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