大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

ケイ・ミズモリ

映画『宇宙戦争』公開の真意とは?

ジャーナリスト・翻訳家、「ケイ・ミズモリ」の公式ホームページさんのサイトより
http://www.keimizumori.com/articles/worldwar.html
<転載開始>
映画『宇宙戦争』公開の真意とは?
学研「ムー」2005年7月号掲載(改定前原稿)
映画『宇宙戦争』の公開
今月29日、スティーブン・スピルバーグ監督による映画『宇宙戦争』が世界同時公開される。1898年に発表されたH・G・ウェルズのSF小説『The War of the Worlds』(邦題『宇宙戦争』)を、現代へ置き換えて製作されたものだ。スピルバーグ監督作品としては最高の製作費1億3300万ドル(約140億円)が投じられた超大作であり、大物俳優のトム・クルーズが主演という点でも今夏最も注目すべき作品と言えるだろう。
スピルバーグ監督は、1978年に『未知との遭遇』、1982年に『E.T.』を発表し、人類と地球外生命体との心の交流を描くファンタジーを作った。また、1977年、80年、83年にジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』シリーズが公開され、1985年にはロン・ハワード監督の『コクーン』が公開されるなど、当時は、宇宙人との交流や宇宙文明に関して好意的に描かれる状況があった。その先駆者とも言えたのが、スピルバーグ監督であった。
ところが、今回の『宇宙戦争』では、敵意ある恐ろしい異星人達が地球を侵略してくるシナリオとなっている。スピルバーグ監督と言えば、『インディー・ジョーンズ』のようなSFアドベンチャーから、シリアスな『アミスタッド』や『プライベート・ライアン』まで、幅広く才能を発揮している人物だが、なぜこの時期に『未知との遭遇』や『E.T.』とはまったく毛色の異なる映画を公開することになったのか? しかも、(当時としては斬新な傑作であったとしても)100年以上前の古臭いSF小説を原作に利用して・・・。もちろん、本稿執筆段階では、筆者は同映画を観ることが出来ていないが為に詳細は分らないのだが、少なくとも70年代後半から80年代までの雰囲気とは、圧倒的に異なる映画のように思われるのだ。
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超巨大[宇宙文明]の真相

ジャーナリスト・翻訳家、「ケイ・ミズモリ」の公式ホームページさんのサイトより
http://keimizumori.com/articles/atogaki.html
<転載開始>
超巨大[宇宙文明]の真相
訳者あとがき(第5刷)
「久し振りに興奮を覚える面白い本を読んだ」「他の人にも読んでもらって、どのように受け止められるが見てみたい」
それが、私が本書(原題『ABDUCTION TO THE 9TH PLANET』)を最初に読んだ時の感想であった。著者ミシェル・デマルケ氏が認めているように、彼の体験を証明する物的証拠や目撃者はまったく存在しない。しかし、私がこの本に強く引き付けられてしまったのは、ひとえにタオを始め、タオリのもたらした情報に説得力があったことにあろう。
1995年12月に翻訳を始めて以来、何度もデマルケ氏とは連絡を取り合ったが、不思議に私は本章の詳細についてまったくと言ってよいほど質問をしていない。自分でも良く分からないのだが、本書で語られた内容は、すでに私の潜在意識が知っていたような気がしたからである。
彼の体験談を証明することは私にはできないが、いくつか読者に伝えておくべきことがある。デマルケ氏がこの大冒険をしたのは1987年のことで、当時彼は56歳であった。そして、3年以上の歳月を掛けて、原書はようやく出版されることになった。その訳書が出版された1997年当時66歳であった彼は、年功により穏やかでゆっくりとした口調で会話をする素朴な男であった。本人も序文で認めているように、私には彼がSFを書けるほどのイマジネーションを持ち合わせているようには思えなかった(失礼を申し上げて大変申し訳ない)。また、もし可能だとしても、なぜ56歳という年齢に至ってから、このようなSFを書いて、出版社探しに奔走せねばならなかったのか? 本人はこの体験を迷惑がっており、原題では「アブダクション(誘拐)」という言葉を使用しているのである。
また、イエス・キリストに関してだが、日本人にとっては面白い記述があったことは読者も記憶に残っているだろう。原文では、イエスはAyomoruの、かつてHeraiと呼ばれたShingo villageで死んで、その地に埋葬されたことになっている。とても興味深いのは、その記述が日本最古の歴史書とも言える『竹内文書』の内容と一致していることである。
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キリストは既に再臨していた !?

ジャーナリスト・翻訳家、「ケイ・ミズモリ」の公式ホームページ さんのサイトより
http://keimizumori.com/articles/toko.html
<転載開始>
キリストは既に再臨していた !?
学研「ムー」2003年4月号掲載(一部改定)
アフリカに再臨のイエス現る!?
これから紹介する話は、イエスの再臨と呼ばれた人物がアフリカに存在していたことを報告するものである。イエスの再臨と呼ばれた人物は、過去にも現在にも複数存在したとも言われ、ある説では、常に地球上に9人存在するなど諸説ある。しかし、20世紀末という時代に注目した場合、この人物ほど多くの人々を驚愕させ、熱烈に支持された人物は居ないとも思われる。群集の前で堂々と数々の奇跡を行い、それらを目の当たりにしてきた証人達が今なお数千人、いや数万人は居るかもしれない。
では、それだけ騒がれた人物をどうして我々は知らずに来たのかと皆さんは不思議がられるかもしれない。確かに、日本ばかりか諸外国のメディアがその人物に関して取り上げることはほとんどなかったと言って良いだろう。また、その人物の活動は常に厳重に監視、妨害されてきた事実もある。そして、何よりもその人物が現れた国は、紛争の絶えない辺境の発展途上国であり、一般人が入国可能な土地ではないことが挙げられる。
そのような国とは一体どこだろうか? 答えはアフリカのアンゴラである。アフリカ大陸の南西岸に位置して、ザイール、ザンビア、ナミビアと国境を接している。以前は、コンゴ王国の一部であった場所で、遡ればポルトガルの植民地であった。1956年アンゴラ解放人民軍(MPLA)が結成。1962年アンゴラ民族解放戦線(FNLA)が、1965年から同戦線から分かれたアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が結成された。そして、長い闘争の末に1975年11月に独立を果たした。しかし、その後3派の抗争は激化し、1977年にソ連の軍事援助とキューバー兵の直接支援を受けて、MPLAが内戦に勝利した。今でも政情は不安定であり、世界中で最も地雷の多い国と言われている。NGOのメンバーでもない限り、外国人の入国は極めて難しいと思われる土地である。そのため、ここで紹介する話の多くは、他のジャーナリストからの情報を元にまとめたものであり、特にアリゾナ州在住のトム・ダーク氏、そして『The True Third Secret of Fatima Revealed』(絶版)の著者パスター・メロ・N・ヨシアス氏のレポートによるところが大きいことをお断りしておく。
また、同じくかつてはコンゴ王国であった隣国ザイールに関しても触れねばならない。ザイールはベルギーの植民地であったが、1960年に独立。1971年から国名をコンゴからザイールに変えている。これから紹介する話は、まさに植民地からの独立と内戦最中の出来事であり、主にアンゴラとコンゴを舞台として、ベルギー植民地政府、ポルトガル植民地政府という言葉が登場する。また、15世紀以来、キリスト教各派の使節団が存在しており、改宗しなければ残忍な殺戮が行われたことから、アフリカ人達は強制的にキリスト教を受け入れざるを得なかった背景がある。そのような状況で、植民地政府から派遣された宣教師や指導者ではなく、黒人指導者が自らの土地から現れたことの意味は大きいことをご理解頂きたい。

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火星人の記憶を持つ少年

ジャーナリスト・翻訳家、「ケイ・ミズモリ」の公式ホームページさんのサイトより
http://keimizumori.com/articles/boriska.html
下の「噂の真相-真実を追い求めて」さんの記事の中からです。
<転載開始>
火星人の記憶を持つ少年
学研「ムー」2009年11月号掲載
○ロシアで注目を集める予言者ボリス・キプリャノヴィッチ少年
ボリスカの愛称を持つボリス・キプリアノヴィッチ少年は、1996年1月11日朝8時半、ロシアのヴォルゴグラードの北320キロほどの街ジルノフスクに生れた。ほとんど泣くこともなかったボリスカ君は、生後4ヶ月にして簡単な単語を発し、8ヶ月目には完全な文章を話した。2歳になると、火星について話を始め、他の太陽系の惑星や遠い文明に関しても語りだした。だが、息子の非凡さは、母親のナデージダにとっては、決して歓迎すべきものではなかった。
ボリスカ君はストリートを歩く若者にドラッグを止めるように忠告することもあれば、妻に内緒で浮気する男たちに説教することもあったのだ。そして、やってくる災害や病気について人々に警告した。その反面、彼は他人を中傷することを嫌い、愛に満ちた優しさを持っている。生れてから、病気知らずのボリスカ君ではあるが、深刻な災害や不幸な事件が起こると、気分を害して学校に行くことを拒んだ。
ボリスカ君の言葉は人々を当惑させたが、誰もが大きな関心を寄せて聞き入った。そして、7歳にしてロシアのプラウダ紙が記事に取り上げると、彼はロシアで最も有名な少年の一人となり、世界的にも注目を集めるようになった。
ボリスカ君が特に人々を仰天させたのは、7歳の時、キャンプファイアーを囲む人々に向かって静粛に話を聞くように求めたことだった。そして、彼がその後1時間半に及んで話した内容には、火星での生活、火星の文明と住人たち、そして地球へのフライトが含まれた。
つまり、ボリスカ君は、火星で前世を過ごした経験があり、その当時貿易を行っていた地球に向けて宇宙船に乗って出掛けた記憶もあったのだ。また、母親には2歳の頃から語ってきたことであったが、太陽系に属する惑星が抱える衛星や他の銀河の名前だけでなく、様々な科学用語が口から出てきたこともあった。彼が7歳とは思えないほどの知識を持っていたことに人々はただ驚嘆し、大人をからかっているなどと疑う余地はなかった。

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