http://blog.livedoor.jp/jikeyasumasa-oomuroyasumasa/archives/67714277.html
<転載開始>
その1からのつづき
日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)
愛子さまはまもなくすりかえられる。
なぜ橋本久美子は日本で一番権力持ってるの? その①
大室寅之祐が南朝光良親王の末裔なんて大ウソ
【田布施】明治天皇(大室寅之祐)の故郷
http://www.youtube.com/watch?v=YUHBQhtCZGk
① 地家作蔵とは何者か?(遼陽サンカ)(トケコミ3代) (旧姓)岸(ガン)作蔵、
岸要蔵(岸信介の祖父)のお兄さん。つまり昭和天皇と岸信介は「はとこ」つながり。
秦(シリウス星人)→ 李→ 岸→地家→大室家(日本の天皇家)
初代はシリウス星から満州「遼陽」に1800年ころトケコミしてきた遼陽サンカ。
(はじめ秦姓から「李」姓を名乗る)サンカのなかでは秦星(シリウス星人が主流)
2代目 李●●(←名前はわからない。)は遼陽の海族(日本の右翼のモデル)で
満州→朝鮮半島→萩→田布施の戎ヶ下に定着したのが文政時代。
そして「李●●」は「岸(ガン)●●」と名前を変えた。
(初め萩に上陸したとき岸(ガン)姓を名乗る)
岸●?●の長男は早死。二男岸作蔵は1825年ころ生まれた。
それから長女 二女 三女・・・と立て続けに生まれた。
その後三男 岸要蔵が生まれた。(頭がよかったので
田布施の悪代官に昇格した。公安、警察、憲兵のモデル)
だからいまだに「右翼」と「警察」の『根元』 は一緒なのだ。
(ここが重要なポイント。警察が右翼をとりしまれないのはここにある。スポンサーは昭和天皇(国の税金がカネの出所)。なお岸の満州人脈は信介死亡で
途絶えたが安倍のスポンサー統一教会が岸の遺産を横領し肥やし
現在の安倍晋三、統一教会ラインが確立された。
1839年正月ころ岸作蔵(遼陽サンカ)は
地家吉左衛門家(現在の地家利通さんの家)の養子となり地家作蔵と名乗る。(地家家にトケコム。サンカは3代で溶け込みする)
廻船業のノウハウ学び1844年地家の西円寺の興正寺(大谷)昭顥坊
(苗字は『谷口』であろうか?まだわからない)の娘スヘ(満13歳)と結婚。1845年地家作蔵が西円寺の東隣の土地を分けてもらい家を建てる。
「地家」とは「地球の中心の家」という意味。
1850年1月10日に地家寅吉(大室寅之祐)誕生。
1854年6月?ころに作蔵とスヘは離婚。スヘが長男地家寅吉
地家庄吉引き取り西円寺の実家にこもったが1855年正月に
スヘと大室弥兵衛が再婚。スヘは弥兵衛の2号
となり地家寅吉は大室寅吉(寅之祐)に。
地家庄吉は大室庄吉に(浩宮の高祖父)