大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

zeraniumの掲示板

エイリアンインタビュー 分割1/5

zeraniumさんのHPは閉鎖されているようです。
保存していたものを載せてみました。
5/5迄ありますが順次載せるかもです。

エイリアンインタビュー 分割1/5
https://www.youtube.com/watch?v=obdp_0MzBME


「基準値」のウソ

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-bc94.html
<転載開始>
  日本では薬を飲んでいる人がとても多いですね。
  降圧剤一つをとっても、60代では3割以上が、70歳代だと5割以上が飲んでいます。(2011年全国調査) 高血糖や高コレステロール血症なども合わせたら、クスリを服用している人は一体どれほどの数になるでしょうか。
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  私の外来に来られた60代の男性は、「クラス会に出席した数十人のうちクスリを飲んでいないのは自分だけだった。ほとんどの人が検診で異常を発見されてクスリが始まったと言っていた」と苦笑していました。
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  この話にもあるように、クスリが処方されるきっかけは、決まったように、健康な時に受けた検査です。風邪や花粉症などでの”念のための検査”や、職場検診などで異常を指摘されてクスリが始まるのです。特に人間ドックは、何らかの異常を指摘される人が9割にもなります。
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  なんで異常がそんなに多くなるのか、本章では検査で"異常"が量産される仕組みと、そのようにして診断された高血圧などを治療する意味があるのかどうかを検討します。
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「歴史を忘れた民族に未来はない」

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-bcdf.html
<転載開始>

  ソウル独立門の由来について、それがどこからの独立を記念したものなのかを韓国の若者に聞くと、「日本からだ!」 という答えが返ってくる。

  ⇒ 正解は中国(清・シン)である。
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  しかも朝鮮独立は日本が清に勝利したおかげだ。
  朝鮮半島にある国家は、地理的、歴史的に「つらい」国だった。日本のように海に囲まれた状況ではなく、中国と陸続きであることから、古来何かと中国が侵入し戦争を仕掛けてきた。
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  7世紀、高句麗や百済は唐(中国)に抵抗したが、新羅の金春秋(武烈王)は、結局、唐の臣下(新羅国王)となることでライバルを滅ぼし、朝鮮半島を統一する道を選んだ。しかしこれ以後、半島の国家は新羅、高麗、朝鮮などすべて、中国皇帝の臣下となった「国王」の下にあった。
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  これが、当時の朝鮮半島の歴史のまぎれもない事実である。
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【注】:朝鮮人が日本の天皇陛下のことを「日王」と言うのは、日本の天皇はシナ皇帝の臣下であった、とする彼らの歴史捏造によるものであり、こうして日本の天皇を侮辱しているのである。
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  日本が清(シン)との日清戦争に勝利し、下関条約により、初めて「朝鮮国の独立」を清に認めさせた時、朝鮮人はこれで長年にわたる屈辱から解放されたと欣喜雀躍(きんきじゃくやく)して喜び、その記念に「独立門」を建てた。
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・ガチでテレビや新聞を見るのはやめよう!

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-9a85.html
<転載開始>
 東京倶楽部さんより転載です。 
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  .これは朝鮮総連の巧妙な圧力から、採用にあたり、無試験の在日朝鮮人枠を設けるようになったTBSが、徐々に在日朝鮮人に乗っ取られる様子を克明に記した告発です。
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元TBS社員のひとりごと

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  あなたはTBSテレビ局が朝鮮人に乗っ取られた事実を知っていますか?
  TBSがこんな状態になってしまった経緯をお話ししましょう。
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  「それは1960年代から始まった。
  テレビ放送が始まってまもない頃のことだ。放送中のちょっとした言葉使いの問題で、たとえば「朝鮮民主主義人民共和国」を”北朝鮮”と言ってしまったことに対し、朝鮮総連からクレームが入るようになった。それはTBSの会社にだけではなく、経営陣幹部の自宅にまで及び、脅迫に近い抗議行動が繰り返されるようになったのだ。彼らはヤクザまがいの風貌で、自宅を探し出しては押しかけるようになった。
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  その後、彼らの抗議行動は功を奏したようで、それに対する「手打ち」として採用枠に”在日枠”が密かに設けられるようになった。それは朝鮮総連の人間の子弟を中心に行なわれ、入社試験は無く、カタチだけの面接だけで在日の採用が毎年続いた。
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世界で活躍する日本人――その① 近藤 享さん

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-8ebb.html
【凄い日本人】平均寿命45歳のネパールを復興させた日本人の奇跡!高齢ながらも国際協力に尽力したその姿に世界が感動!

Kevin Cable
<転載開始>
   世界で活躍する日本人。
   ですがその多くはすぐに世に知られることはなく、海外で奮闘しながら、後に伝説として語り継がれています。
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   日本から海を越え、ネパール現地の人たちのために生きた1人の日本人がいます。その人の名前は「近藤享(まこと)」。近藤は1921年に新潟で生まれました。某大学教授を経て、1976年には国際協力事業団(JICA)からネパールへ、果樹栽培専門家として派遣されました。
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   1991年、定年を迎えた近藤のために、日本では帰国祝賀会が開かれました。ですがその時、答辞に立った近藤は、JICA時代の思い出を語った後、突然、ある宣言をしたのです。それは家族にもまだ知らされてはいないことだったのです。
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   「皆さま、私はこれから再び、今度は一個人の奉仕活動として、ネパール中でも秘境中の秘境、ムスタンへ間もなく旅立ちます。今度はJICAを離れて、まったく個人の支援活動ですから、なにとぞ一層の熱い支援を賜りたく切に切にお願い申し上げます。秘境ムスタンではこの一瞬でも、飢えと寒さに泣いている大勢の子どもたちが、私どもの温かい援助の手を必死で待ち望んでいるのです。どうぞよろしくお願い申し上げます。」
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憲法9条のために竹島を守ることも取り返すこともできない

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/9-2749.html
<転載開始>
【コラム】民族の名誉を守ったトルコ政府
  アメリカ連邦下院決議は、次のような言葉から始まっています。
  「1930年代から第二次世界大戦までの間、日本政府は『慰安婦』と呼ばれる若い女性たちを日本軍に性的サービスを提供する目的で動員させた。日本政府による強制的な軍隊売春制度は、『集団強姦』や『強制流産』『恥辱』そして『手足切断、死亡および結果的自殺に至る性的暴行』などの残虐と規模において前例のない20世紀最大規模の人身売買の一つである」  朝日新聞夕刊2007年7月31日付
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  韓国の捏造した途方もない嘘がそのまま決議文として採択され、残虐民族とされた日本人の名誉は地に堕ちました。同じ時期にアメリカ連邦下院では、第一次世界大戦期のオスマン・トルコによるアルメニア人大虐殺非難決議採択の動きがあり、トルコ政府は「トルコ民族の名誉が永遠に失われる」と猛反発し、アメリカとの軍事協定の無効化まで持ち出したのです。これに慌てたブッシュ政権は議会に最大限の圧力をかけ、採択は阻止されました。民族の名誉を守ることがいかに大切か、誇り高きトルコ人は熟知しているのでしょう。
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「強制連行がなかったとしたら、韓国世論を抑えられない。賠償は一切要求しないから、あったことにしてほしい」  ⑤

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-87e1.html
<転載開始>
悲惨だった米軍慰安婦
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  米軍慰安婦の生活は悲惨でした。22歳の時から25年間、米軍慰安婦として過ごした金蓮子(キムヨンジャ)さんは『基地村の女たち』という手記のなかに書いています。「病院へ行くとお金がたくさんかかりそれがすべて自分の借金になるので、子どもを堕ろすのに生理不順の薬を飲み、何日も下腹部をえぐるような痛みに耐え、拳(こぶし)のような塊りが出てきて気を失った」(『週刊新潮』平成25年11月28日号「大新聞が報じない韓国の馬脚」より)
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  前144ページの写真の下部分の記事は、1957年7月21日の東亜日報の記事です。「行けども行けども耐えがたい慰安婦生活。借金がたまり、死ぬ以外にない」との遺書を遺しています。米軍慰安婦の悲惨な状態がよくわかります。日本軍慰安婦のほうがよほど恵まれていたのではないでしょうか。韓国は日本軍慰安婦問題を追及する前に、自分たちが米軍に差し出した慰安婦への補償を一刻も早く行うべきです。(日本向けはできても)なぜ「米軍向挺身隊問題対策協議会」は韓国にできないのでしょうか?
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韓国公認30万人の慰安婦がいた ④

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/30-e89f.html
<転載開始>
  前回③で、渡邉茂さんが述べていた「警察が職務に熱心で民衆の悩み事の相談にのっていた」、という証言を裏付ける資料が私の手元にあります。これは当時、朝鮮で警察官を務めていた稲葉豊作氏による『私の生きてきた道』という自分史です。稲葉氏のご子息からいただいたもので、当時の実態がわかる第一級の資料です。稲葉氏は昭和14年(1939年)9月に警察学校を卒業後、江原道平昌警察署へ派遣されました。そして朝鮮での警官の日常について書き遺しています。
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昭和14年(1939年)
  日勤の仕事は直轄以外の巡察や諸調査、春秋2回の掃除検査、種痘および予防注射の立ち合い(警察が立ち会わないと出て来ない人がいる)その他である。
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  田舎回りをしてみると人々の衛生思想は低く不潔であった。農家の住宅と牛舎が一緒であったり、蝿が多く追い払うのに一苦労する。出された食事を断れば「美味しくないからか、汚いからか」と親切で迫ってくる。最後は断り切れず、ご馳走になった。
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  どこでも田舎に行くほど人間は純朴で、親切で心根がやさしい。田舎回りをするとき清潔の点であまり神経質になると、民衆の中に溶け込むことはできないと思い、その後は臨機応変にやることにした。
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「慰安婦強制連行」への反論  ③

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-4741.html
<転載開始>
     .韓国は慰安婦問題を日本潰しの切り札と位置付けています
    慰安婦問題は事実の歪曲と捏造から成り立った虚構ですから、反論は簡単です。にもかかわらず、日本政府が韓国に気兼ねして謝罪を繰り返したことでドツボに嵌(はま)ってしまいました。韓国では「女子挺身隊」を「従軍慰安婦」であると歴史を歪曲しています。私が調べた限り、この説を最初に「事実」として打ち出したのは朴慶植です。彼は昭和40年(1965年)に発行された『朝鮮人強制連行の記録』の中で次のように書いています。
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  「うら若い同胞の女性が多数『女子挺身隊』『戦線慰問隊』などの名目でひっぱられ、慰安婦として戦争遂行の犠牲にされた」
  「同胞女性は中国や南方、沖縄の戦線にも多数連行されているが全体の数は数万に上ると思われる」
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   このようにまったく何の根拠もなく、唐突に「数万が連行された」と決め付けています。さらに金賛汀はその10年後に『証言 朝鮮人強制連行』の中で、またもや何の根拠もなく次のようにその数字を増やしています。
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 「1944年8月には『女子挺身勤労令』が発布され、連行に国家権力の強権が伴った。『女子挺身勤労令』によって数十万人に達する朝鮮人女性が軍需工場、軍要因として『徴用』されたが、これらの女性たちのうち本人も知らぬままに、中国大陸に、南方戦線に『軍慰安婦』として送られた人々も多かった。その総数は今日に至るもはっきりしないが、10万人内外であったろうと推定されている」
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・「強制連行の嘘」補償問題は「完全に決着済み」 ②

zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-0340.html
<転載開始>
朝鮮労働者の実態
朝鮮人労働者に配慮した内地企業
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   戦前・戦中の朝鮮人労働者の日本での待遇は非難されるほど悪くなく、それどころか高額の賃金が支払われていました。昭和15年(1940年) 4月21日付大阪朝日新聞・中鮮版には次のような記事が掲載されています。
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【朝鮮人鉱夫に特別の優遇設備・まるで旅館住まい同様】
  「福岡県遠賀郡水巻町の日産鉱業所では、石炭増産の一方策として多数の朝鮮人鉱夫を採用し、彼らのために特別の社宅やアパートなどを新築して優遇、特に南鮮旱害(かんがい)地からの醇朴(じゅんぼく)な出稼者たちのために建設された第一、第二尚慶寮の如きは、入寮者一同まるで旅先の旅館にでも泊まっている気持ちらしく、その行き届いた設備にすっかり感激している。」
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   これは決して日本政府におもねた”御用記事”ではありません。
   昭和19年(1944年)11月に徴用された鄭忠海(チョンチュンヘ)という人物は『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)という本の中で、広島での徴用先であった東洋工業の生活環境について詳しく書いています。
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  「新しい木造建ての寄宿舎があり、そこがこれから我々が寝起きする寄宿舎で、朝鮮応徴士たちを迎えるために新しく建てられた寄宿舎だという。20畳ほどの広い部屋に、新しく作った絹のような清潔な寝具が10人分、きちんと整頓されており、片方には布団と私物を入れるのだろう、押し入れが上下二段になっている。住についてはまずまずだ」
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  「食事は食卓の前に座っているとやがて各自の食事が配られた。飯とおかずの2つの器だ。飯とおかずは思いのほか十分で、口に合うものだった」
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  「会社側では、我々朝鮮半島出身応徴士を迎えるに当たり、いろいろ神経を使ったようだ」
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