世相を斬る あいば達也さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/bbff7185c99a29942c5564db5f553d83
<転載開始>
●ガブリエル×國分 哲学者が語る民主主義の「限界」後編
■民主主義の理念と実行の緊張関係
ガブリエル氏:
まさにおっしゃるとおりです。ここには再び、ここまで話してきた緊張関係が存在しています。つまり、民主主義の理念と、実際にそれをどう実行・実現していくかという問題の間にある緊張です。これは行政の問題になってくるわけですが、行政というのは「中間の媒介的な層」であって、経済、警察の問題、あるいは、火事が起きた時に消防士を派遣するといった問題に対応するわけですが、情報は複雑なわけですから、行政の役割とは、情報を、フィルターを通じて濾過(ろか)して複雑さを減らして処理することなわけです。
ここでの問題は、そうしたフィルタリングを通じて行政がだんだんと権力を増していくことです。つまり、情報処理すること自体が行政に権力を与えてしまう。この問題に対抗するには、倫理的なものが必要になります。民主主義をいざ実行しようとすると、そうした問題が出てきます。ルソーはかつて「市民宗教が必要だ」と言ったわけですが、これがまさに今で言う倫理が必要という話です。人々が責任感をもって行政を扱う必要があります。行政を行う人もまた市民なのです。
例えばメルケルであっても、法の前では私と同じ市民であって、その意味では「平等」なのです。メルケルはもし気にくわなければ権力を使って私を抑圧することができるかもしれません。でも倫理的にみたらそれは謝りを侵していることになります。とはいえ、抑圧することは非常に簡単なわけです。
そういう意味では、哲学が出来るだけ速い段階で人々に教育されること、つまり倫理的判断が出来るためのトレーニングを初期教育として行っていく必要があると思います。中学や高校で、数学と同じように教えるべきなのです。数学もトレーニングなしにはできないように、倫理的判断もトレーニングなしにはできません。倫理的教育は簡単なものであれば5~6歳でもできるので、出来るだけ速く学校で、哲学を他の学問と同じように教えるべきだと考えています。
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●ガブリエル×國分 哲学者が語る民主主義の「限界」後編
■民主主義の理念と実行の緊張関係
ガブリエル氏:
まさにおっしゃるとおりです。ここには再び、ここまで話してきた緊張関係が存在しています。つまり、民主主義の理念と、実際にそれをどう実行・実現していくかという問題の間にある緊張です。これは行政の問題になってくるわけですが、行政というのは「中間の媒介的な層」であって、経済、警察の問題、あるいは、火事が起きた時に消防士を派遣するといった問題に対応するわけですが、情報は複雑なわけですから、行政の役割とは、情報を、フィルターを通じて濾過(ろか)して複雑さを減らして処理することなわけです。
ここでの問題は、そうしたフィルタリングを通じて行政がだんだんと権力を増していくことです。つまり、情報処理すること自体が行政に権力を与えてしまう。この問題に対抗するには、倫理的なものが必要になります。民主主義をいざ実行しようとすると、そうした問題が出てきます。ルソーはかつて「市民宗教が必要だ」と言ったわけですが、これがまさに今で言う倫理が必要という話です。人々が責任感をもって行政を扱う必要があります。行政を行う人もまた市民なのです。
例えばメルケルであっても、法の前では私と同じ市民であって、その意味では「平等」なのです。メルケルはもし気にくわなければ権力を使って私を抑圧することができるかもしれません。でも倫理的にみたらそれは謝りを侵していることになります。とはいえ、抑圧することは非常に簡単なわけです。
そういう意味では、哲学が出来るだけ速い段階で人々に教育されること、つまり倫理的判断が出来るためのトレーニングを初期教育として行っていく必要があると思います。中学や高校で、数学と同じように教えるべきなのです。数学もトレーニングなしにはできないように、倫理的判断もトレーニングなしにはできません。倫理的教育は簡単なものであれば5~6歳でもできるので、出来るだけ速く学校で、哲学を他の学問と同じように教えるべきだと考えています。
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