大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

人に内在する良心神(神言会)

霊学№47 人のこの世での命は短く、圧倒的に霊界での時間が長い。この世で魂を磨くとは?。

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=666
<転載開始>

人のこの世での時間とは長いようで実は短い時間と言えます。大本教から【国常立尊】様は【約三十五万年前】に神界の表舞台から御引退と出されましたが、私達人類がその【三十五万年前】に神界で何があったのかは知るよしもありません。 私はその【三十五万年前】からの記述で、とんでもない事柄に気づいたと言えます。

私が豊受姫の命令で住居を構えた土地は、その【三十五万年前】に深い関わりがあった土地で、その地に関わる神霊とは今の世に出ている神霊達では無いと、優れた霊能者達は言われます。

 

現在の人類はホモ・サピエンスと呼ばれていて【約二十万年前】にアフリカで誕生した存在とされ、遺伝子的にそれ以前の原人や猿人や旧人とは遺伝子が違うことから、それらの子孫では無いとされています。それは言うなれば【科学】の説明です。しかし、今の人類が猿的存在から進化したものでないとすると、どこから誕生したのかの謎は深まります。突然にアフリカの高山で湧いたのか?。

霊学の分野では諸説ありますが、そうした中に旧約聖書の神は【悪神】説があります。魂とは本来高次元世界の存在であった。その魂を猿的な肉体内に封じた。その猿的存在の肉体の遺伝子を操作して、今の人類を創り上げた。本来は自由である魂を肉体に封じて奴隷化しょうとした悪神であるとの説です。

続きを読む

霊学№41 本当に宇宙創造神(天帝)など存在するのだろうか?。痕跡の「痕」に【艮】の字

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=660
丑寅の方向と言えば仙台、福島辺り!
で、311で狙われたという話も有りました!

<転載開始>

私が子供の頃、私に語りかけて来る霊声があり、私はそうした霊声が自分に聞こえて来ることを不思議と思ったのではなく。それが誰であるかと思って、【貴方様はどなた様ですか?】と聞き返しました。

すると、【私は私で在り。アブラハムの神であり。そなたの神で、旧約聖書の神である。】と答えられたのです。私は子供心に、どうして自分にそんな外国の神が臨むのか?。疑問の中にいました。その霊声は私が小学校を終える頃まで幾度か起きました。

 

その中で私に言われたことは、【私はこの世の幕を降ろすにあたり。人類を救わんが為に、そなたをこの世に遣わした。】と言われます。すると私は【救世主】かとなりますが、そうでないことは直ぐに解りました。それは旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたには終わりの終わりの時でないと、この神の力を何一つ与えない。】です。

何の神の力も与えないということは、何の【奇跡】も見せることが出来ない。それで、人類を救えと言われても誰も私の言葉すら聞かないということです。人は何等かの力を見せつけられて、初めて従うがあるからです。子供心にも何の意味も無いことを告げておられると思っていました。

 

その旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり。この私を知るのに「外国の宗教書」を学ぶ必要が無い。そなたはそれを学び取って、この神の仕組を人々に伝えなさい。】と言われます。

 

続きを読む

人の【尻】を行く下座行の【しんがり】の言葉は何故に【殿】なのか?

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=578
<転載開始>

人がこの世に生まれ出て来るのは【魂の修業】と言うことではあるのですが、それが今日迄の宗教においてもどれだけ理解されていたかとなりますと、お釈迦様が悟られたことは自らが【仏陀】と成る【小乗】の道でした。そこにお釈迦様の死後、自分だけ仏陀と成ればそれでいいのかという【大乗】の教えが起きて来ました。

確かに、自分だけ仏陀になれば他の人のことはどうでもいいでは【狭い了見】とは言えます。その大乗の教えにおいて、願えば私達を救ってくれると言う諸仏の存在が説かれて来たと言えます。ただ、それは諸仏にすがるだけの【他力往生】と言えます。

 

為に、【人は何故にこの世に生まれ出て来るのだろう?】。お釈迦様が疑問に思われて修業に入られた経緯すら、どこかに行ったと言えます。

 

そうした【大乗】の教えの起こりで、お釈迦様の本来の「悟り」は埋没したとも言えます。誰も他力で救われるのであれば、何も自力の【苦労】などしたくもないからです。誰かにすがれば救われる。為に、お釈迦様の本当の悟りは消えたと言えます。

そのお釈迦様の悟りはお釈迦様の死後【五十六億七千万後】に現れる【弥勒菩薩】が出て来ないと解らないともされていました。その弥勒菩薩を【みろく神】として、世の大立替論と共に打ち出したのが戦前の大本教と言えます。

 

続きを読む

第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その12(最終)

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=471
<転載開始>
第××項 私見。創造神ならば、この世を終わらせるは不可能ではないが⁉

私は大本教神諭予告。【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】に関して、言で成る【誠】の仕組で紐解きました。それは驚くことに、大本教出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神論ではなくて、本来は【ラ】神論だったのです。
まさに、大本教の出口王仁三郎聖師が遺言として残された【信天翁(アホウドリ)】にある、【この大本教に現れた変性女子はニセ者だ】なのです。しかも、それは【みのおわり】を示しているのです。
しかしながら、現在の新神道系の教団ではどこも【ス】の神論で走っています。その中で私がいくら【ラ】神論を説いても、孤立無援に近いと言えます。


明治25年(いち早くにの西暦1892年)に大本教から世に出された【ウシトラ金神国常立尊】とは、牛頭虎パンツの「鬼」で云うの牛虎(ウシトラ)の【魂】論の仕組であったなのです。
大本教からは【五六七】大神として、【みろく神】が世に出されました。そのみろく神とは、当然に仏教で説かれるお釈迦様の死後【56億7千万年】後にこの世の終わりが訪れて、人々が忘れていたお釈迦様の本当の悟りをお釈迦様に代わって説き、人類を【未来の世】に渡すとされた弥勒菩薩のことです。
しかしながら、この地球が所属する太陽系でも誕生してから約46億年と言われており、人類の歴史などたかが知れたものです。一般的に仏教では、今の世は【末法】とされる時期であり、末法は長ければ一万年続いてこの世は終わるとされているのに、56億7千万などの数字はどこから出たのかとなります。私は末法は一万年の予定であったが、八千年縮めたと出た時、エッー!となりました。すると、今じゃないかです。
が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解くと、そこに【みろく】の仕組と【お釈迦様の悟り】と【56億7千万の数字】が見事に浮かび上がって来るのです。

続きを読む

諺の誤り 健全な心の持ち主には正しき神が宿る。覚醒剤や精神破壊による幻覚幻聴と本来の霊懸かりの幻覚幻聴の差は【紙一重】

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=411
<転載開始>
日本の諺ではないのですが、諺に「健全なる精神は健全なる身体に宿る」があります。この言葉を聞かれた方もあろうかとは思います。ローマの詩人ユウェナーリスの「風刺詩」の言葉からですが、これは必ずしも正しくない諺と解りました。

西洋人が持つ宗教や精神世界の感覚には「輪廻転生」が存在しません。為にスピリット(精神)とかソウル(魂)に対する認識が誤っています。肉体は死ねば終わりだが、その後は天国や地獄で暮らすので肉体は「一代限り」であり、そこに誤った概念が入り込んでいると言えます。精神は言うならば「神」です。

この諺の通りならば、健全な身体の持ち主で無い身体障害者の場合には、正しくない神が宿ることになります。昔、仏教でカルマが盛んに言われていた頃には、そうした身体不自由で生まれたお子さんは前世で悪業を積んだ結果とか、親の因果が子に報いとして現れたと言う方達がありました。
私は神霊世界を見聞していて、カルマとは魂の修業の過程としても出て来る現象であることが解りました。しかし、自分が犯した罪のカルマでは無い他の人のカルマを解消する為の菩薩行として出る場合もあるのです。続きを読む

先人訓その4 九十九匹の羊と迷った一匹の羊。九分九厘と一厘の違い

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20160330
<転載開始>
イエスの教えに有名な「迷い出た羊」の教えがあります。ルカの福音書第15章4に記載される内容です。
【あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないであろうか。そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰って来て友人や隣の人を呼び集め、『私と一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きい喜びが、天にあるだろう】。


この内容は常に神学論争の種になります。意味が解らないからです。100匹の羊の中の一匹が不明になった。その羊を捜す為に羊飼いは九十九匹を荒野に置き去りにした。すると残りの九十九匹は「狼」等に食べられてしまう危険性にさらされているわけです。場合によっては残りの九十九匹は全て狼の群れに食べられるかも知れないのです。その一匹を捜す為に、他の九十九匹を危険にさらすことをすることそのものがおかしいのであって、一匹を捜すことを前提にして残った羊はどうなるか説明していないイエスの教えは舌足らず言葉足らずとなっているからです。

続きを読む

創造神とは病気治しや困り事相談の神ではない。自分の救いや利益を求めるは勘違い。創造神には仕え奉る

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=409
<転載開始>
時たまですが、自分は「米」教を見て、自己に内在する良心神の存在を信じている。なのに自分の置かれた立場は何一つ好転しない。そうした「愚痴」を言われる方があります。

それは、とんでもない勘違いをされていると言えます。「米」教とは、病気治しや困り事相談の神を説いているのではありません。どこまでも【最後の審判】を通過して、新しい【永遠のみろくの世】に進む為のものなのです。そこに「創造神」と呼ばれる存在を言葉の仕組みで「確信」することなのです。
巷で自分が創造神だとか、自分に創造神が降りて来る式のスピリチュアルに狂う為のものではないのです。

お釈迦様が悟られたのは、現在の諸仏に頼る他力の「大乗仏教」ではなくて、自分が「仏陀」を目指す自力の「小乗仏教」に似たものと言えます。 自己の【努力】無しの「濡れ手に粟」ではなかったのです。

​最後の審判が間もなく起きると断定は出来ませんが、それが何時発動されてもそれに対処出来る為の道筋を示しているのです。決して今の自分の苦しみが取れるという意味合いのものではないのです。
​ほとんどの人は気づいておられませんが、今の自分の苦しみとは自分自身は記憶していないが過去世から来た自分の【罪】。すなわち【カルマ】から生じているものが多いのです。自分が過去世で為した「業」なのです。
スピリチュアルでは神は愛だから何をしても赦されます式ですが、どこかで「カルマ」の支払いが起きるのです。

大本教から牛虎(魂)金神国常立尊が出され、大本教神諭に「この神は病気治しの神ではない。心の立替・立直しの神である」と出されました。
続きを読む

カルマの掟。人の改心は目には目、歯に歯を受けて自己の誤りに気づく

人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=363
<転載開始>
スピリチュアルの多く方は【神は愛であり、何をしても赦される】を売り言葉にされています。今や「お題目」と化した感です。

しかし、それは「霊世界」をしっかりと見ていない論理です。

優秀な霊能者達は、破砕された魂。腐った魂の存在を見ておられます。もし、神が何をしても愛で許される存在ならば、破砕された魂。腐った魂など存在しないはずなのです。だが、霊的世界の現実としては、そうした類いのものがあるのです。そうした時、どうしてそんな魂が存在するのか?。そこに認識が行かなければ「神は愛だ!」のお題目主義に陥ってしまいます。

全ての魂が「輪廻転生」しているのかとなりますと、その答えは「次の世にも人として出て来る」の意味であれば、その答えは「ノー」なのです。そこに形を変える「転生」が存在します。


破砕された魂は小さな欠片のような物であり、とてもその存在は人の魂となって入れるような存在ではありません。浮遊している「塵(ちり)・埃(ほこり)」的な存在にしか過ぎないからです。
そうした破砕された魂の欠片は、ボウフラのような存在の命(魂)となるとも言われています。そうした存在から、今の人として出して貰えるような魂になるまでは一億年からの「輪廻転生」の時間を経るという説もあります。
そうした論は、太陽や地球の様な星であっても、最後は爆発して粉々となり塵や埃の様なガス化して、また集約されて新しい星として誕生する「死と再生」論と同じようなことです。
科学の世界ですら星の「死と再生」を認識しているに、星々と同じ様な玉である私達の魂も、また「死と再生」が存在していることの認識が出来ていないことは問題と言えます。

続きを読む
記事検索
情報拡散のため1回ポチッとクリックお願いします。
人気ブログランキングへ
読者登録
LINE読者登録QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新記事
最新コメント
カテゴリ別アーカイブ