大摩邇(おおまに)

日常の気になる記事を転載させていただきます。

サンカ

アヤタチとサンカ 終

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
<転載開始>
ここに評論家落合莞爾氏に感謝申し上げます。

サンカとは関連しませんが落合氏と山崎淑子さんのインタビューも必読です。

http://2006530.blog69.fc2.com/blog-category-22.html

関連URL

サンカとゴシェン 1~4

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/297.html

サンカのルーツは創世記のヘテ人 1~3

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/304.html

http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-576.html

 謎の民族といわれる山窩(サンカ)と、その頭領とされるアヤタチについて、前月号まで述べてきた。アヤタチを称する丹波桑田郡穴太村上田家の伝承を、1族の外科医・渡辺政雄から吉薗周蔵が聴き取った記録から、私が組み立てた仮説であるが、何しろ従来の歴史観念を大きく塗り替えるもので、さだめし当惑しておられるであろう読者のご理解のために、わが仮説の梗概を以下の一文にまとめてみた。

 サンカは本来、イスラエル十支族の末裔で本邦に渡来したアマベ氏を核とした特定の人的集団のことで、その「他称」と思われる。多神教を奉じた十支族は、ユダ族一神教徒の専横を憤って袂を別つが、独立したイスラエル王国は前734年、アッシリアに滅ぼされた。隷囚の身の十支族は身を以て逃れ東方に流移するが、主たる経路はインド洋治岸沿いの海上の道と、大陸内部を貫くシルク・ロードであった。

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アヤタチとサンカ その4

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
<転載開始>
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-575.html

 世界史は、多神教世界が一神教化していく過程と重なる。それは、エジプト新王国第18王朝のアメンホテップ4世 (イクナートン)がアメン・ラーのオリエント多神教を太陽神アトンの一神教に改革せんとした前1400年頃に始まった。改革は失敗に終わったが、唯一神の観念は遊牧民・ミディアンに受け継がれてヤァウエと呼ばれ、シナイ山でヘブライの指導者モーゼに憑依した。遊牧民ユダ支族の羊飼いダビデがヘブライ民族を統一し国王としてヤァウエ崇拝を図ると、農耕民の多神教徒イスラエル支族が反発、独立した。そのイスラエルがアッシリアに滅ぼされ10支族が離散すると、ユダ支族がヘブライ民族を僣称し、始祖アブラハム以来一神教徒であったかに装ったのはヤァウエ信仰を正当化するためである。キリスト教もこれに同調し、両教会は徐々に歴史の変改を行ったので聖書は11世紀に現行の内容となった。この間、8世紀にトルコ系カサール族が進んでヤァウエに帰依しユダヤ人(アシュケナジ)を偽称したので、ヘブライ族の人種および民族宗教の観念は矛盾・錯綜したまま、近年に至った。

 世界史の動因は一神教にあり、欧州を教化したキリスト教勢力は両米大陸を植民地化し、また中近東を教化した回教勢力がインド亜大陸と南洋諸島を席巻し、地球の大半は一神教となった。支那大陸での一神教化は殷周革命で、儒教(一神教)の周族が道教(多神教)の殷族を滅ぼした時期は前1111年、イクナートンから3百年後で、ダビデよりも百年ほど古い。周族も遊牧民で、唯一神「天」にはヤァウエと共通する部分もあるが、神との契約を強調せぬところが違う。儒教は1面政治規範で、国家間にあっては華夷秩序、国内では君・卿・士大夫の身分差別を重んじ、君臣の義を強調して支那大陸の統治に益した。ところが東亜の風土は★遊牧民さえ仏教・道教に帰依せしめたほど多神数的な共生意識が強く、漢族は遂に一神教に染まらず、儒教は建前で本音は道教と使い分けた。形骸化した儒教の本流は大陸から半島に移り、今日の政治的奇観たる北朝鮮を生んだ。


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アヤタチとサンカ その3

達人さんの掲示板より
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http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-574.html

 山窩には本来のものと、誤って山窩と呼ばれているものがあると、前月は述べた。上田伝承を始め、山窩に関する種々の伝承を論理的に整合させた上での結論であるが、従来の観念を大きく変改する内容なので、いま少し敷衍したい。前月号と重なる部分については、宥恕を乞う次第である。

 4世紀ころ、応神の東征に対抗するため、アマベの精鋭が山中に入り、イスラエル由来の錬金術を修業した。その集団を山窩と呼ぶのは自称か他称か不明だが、内部者が自称した実例(月海黄樹ほか)もあり、これが本来の山窩である。棟梁はアヤタチ、漢字を宛てれば「怪立」で、イスラエル支族たる出自を隠蔽するための自称だという。日本渡来に当たりアマベが江南から率いてきた倭人の中に、雲南由来の山岳民が混じっていた。彼らが山窩の諜者としての訓練をアヤタチから受けた後、セブリの漂泊生活に戻るのを見た世人が、誤ってこちらを山窩と呼んだ。民俗学者柳田國男が初期の論考で漂泊民サンカを論じ、三角寛が小説のなかで漂泊民を山窩と呼んだため、右の誤解が普及し、世人は今やこれを山窩と信じている(これが第2種)。両者の関係は、アマベ血筋の空海が漢詩で鳴声を讃えたアオバヅクを、世人が誤解して三光鳥に仏法僧の名を与えた例と似ている。

 長い間には変化が生じる。応神政権に反抗したアマベは、1部がアヅミ(海直)と伊勢部に吸収され、残る大半は同族モノノベに合流するが、これを最終的に併呑したのは同族ながら応神と同盟したウサ(秦氏)であった。その過程でモノノベとウサが、順次アヤタチの家系に侵入したのは蓋し当然である。何時のころか丹波国穴太村に本拠を定めたアヤタチは、上田姓を名乗り養蚕・絹糸・機織の繊維財閥を形成するが、ここに秦氏の特性を感じざるをえない。秦氏は経済力の蓄積を規模とし、政治面では蘇我・藤原氏ら歴世権勢家の外戚となり裏面で政治力を発揮したのは、何よりの延命策で、ワンワールド精神を体現している。

 この間、山窩の1部は下級貴族の家系に潜入して藤原・源氏らを名乗るが、それには秦氏が経済力に併せて呂不意韋以来の托卵策を用いたものと思う(注:托卵とはわが子を他家に押し込み、他家の家系を乗っ取る偽計)。この間、第1種と第2種の間にできた混血族を含めた山窩の範躊が拡張し、内容も変移した。


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サンカの親分はアヤタチ その2

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
<転載開始>
http://sibanokuni.exblog.jp/12286949/


サンカってなに?
昨日まゆみさんの誘導にのせられて?ついついコメントを入れたが、よせばいいのについ踏み込んで書いてしまった。しかも、サンカの名を使ってしまったため、「サンカってなに?」という羽目になった。
私の歴史研究の中でサンカは主要なテーマのひとつで、何回も取り上げている。しかし、必ずしも一本道ではなく、何回もあっちこっちへぶれて、結局答えは未だに道途中なのである。というより、答えは出ないだろうと思う。

いうまでもないけど、サンカに正式な定義はない。研究する人によってさまざまなとらえ方がある。
いま、私がサンカという場合はもっぱら大江山衆を指す。しかし、同様の研究に詳しい落合莞爾氏はサンカの親分をアヤタチといい、彼等は古代イスラエル部族で敦賀の籠神社から日本へ侵入したニギハヤヒと考えている。その配下には穴太衆という石工部族がいて全国へ散り、職人集団として築城や灌漑工事をする傍ら情報をアヤタチ本部へ伝えていたと述べている。もちろん石工以外にも色々な職人集団がいた事は間違いないであろう。これが間違っているのではなく、これもひとつのサンカだと考えてもいい。
自らがサンカだったという月海黄樹氏の著書も得がたい情報をもたらしてくれたが、私は出口王仁三郎を研究し、さらに、堀川辰吉郎などの研究を通じ、従来の歴史家が決して言及しなかった大江山霊媒衆にたどり着いたのである。
もちろん、栗原茂氏なくして絶対に判らないことばかりだが、それでもなぞなぞのような彼の著作はそう簡単なものではなく、解読作業はその都度ブログに書いてきたから詳しくは過去ログを読んでいただきたい。

落合氏が指摘したように、三角寛や八切止夫氏らのサンカはどちらかといえば本当の浮浪民で、たしかにそのような戸籍を持たず、各地でセブリを張り官憲から逃げ回っていた民はいたようであるが、それはあくまでサンカの本質をたぶらかすための煙幕で、実態はやはり秘密諜報組織としてのサンカが私の言うサンカなのである。
ヤタカラスなどもサンカのひとつであり、伊賀や甲賀の忍者も分類としてはサンカに属するといえるだろう。
いま私が問題にしているサンカ、つまり大江山霊媒衆というのは源氏の配下と考えている。そして根源的には近江に渡来した仁徳王朝とその配下である。日本が成立したのち、桓武天皇の頃に日本の国体が確立したと考えるが、仁徳王朝がその中で藤原の北家として皇室への婚姻家系の一角を占めるにいたる経過は未だに解明できていない。ただ、私の考えでは、日本に渡来した鮮卑族が動乱の中談合した結果、婚姻家系として四家に集約したように理解している。もちろん、藤原不比等は合成家系であり、架空であろう。
したがって、大江山衆はあくまで皇族の中の北家のために働くのであり、他の三家にもまたそれぞれに配下を持っていたと考える必要がある。それは未だに表に出ていないが、見えないからといって、その存在を否定する必要もないのである。

栗原茂氏はもっぱらこの大江山衆に詳しいので私はこの派閥に詳しくなったのだが、当然、対立する薩摩ワン・ワールドにもそのような裏組織がいるはずである。
このいくつかの支配組織が天皇の支持の元、政権を担当してきたのだ。明治維新では長州と薩摩が中心となり、大江山衆はおそらく冷や飯を食わされたのだと思う。明治の廃仏稀釈の時、全国にいる修験道が禁止されたが、この修験道こそ大江山衆の隠れ蓑である。このおかげで大江山衆は打撃を受けたはずである。
その代わり、ヤタガラス(これもサンカ)、即ち、伊勢神道が主力に躍り出た。

長州は表向き毛利なのだが、実質は尼子氏の末裔、鉢屋というサンカが主導したのではないか。それは大正末期、山県の失脚で権力を失い、昭和は薩摩コスモポリタンが主導権を握る。ちょっとややこしいね。

あー、つかれた。わかっってもらえたかな?明日続きを書きます。

尼子氏ってな~に?

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%B0%8F&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

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サンカの親分はアヤタチ?

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
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関連URL.........アヤタチがサンカの親分

サンカは天皇のためには働かない。

http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/10/post_afbd.html

アヤタチとサンカ

落合莞爾氏が雑誌、ニューリーダーで連載していたという「「佐伯祐三・真贋論争」の核心にせまる」のコピーをいただき、大量なうえ、大変難しい内容なので毎日数ページずつ読みこなしている。

きっかけはサンカから始まり、大本教へつながり、今はその大本教から日蓮宗、創価へと展開している。さらに、満州の阿片にまで話が広がり、サンカどころではなくなってしまった。

しかし、私は八切氏の本でサンカの親分は「おおもとさま」だと教えられた。ところが今回の資料では「アヤタチ」がサンカの親分で、海部・物部たちニギハヤヒの子孫につながると言う話だった。

資料によれば、王仁三郎の生れた丹波郡穴太村は代々石工部落で(管理人注:聖書の666はプロテスタントによると皇帝ネロとかソロモン宮殿の石工大工ヒラムであるとする説もあるが石工はメーソンと呼ぶ)、江戸時代には城の建設を請け負う技術集団だったと言う。従って彼等の部族は全国で仕事を請けながらも幕府や禁裏から諜報部員として雇われていたという。王仁三郎の父、上田吉松の先祖に画家である円山応挙がいるが、画家と言う隠れ蓑で全国の情報を集めていたのだとか。これはフリーメーソンそのものである。

やはり、歌舞伎役者や猿回し、能楽、俳人の役者のような全国を自由に出歩ける人たちは本来そのような仕事が本職だったのだろう。

私が疑問とするのは、教祖といわれる出口なおはあくまで反天皇であり、世直しを叫んでいたはずである。ところがその娘の婿となった上田鬼三郎(王仁三郎)が天皇の指令を受けていた諜報員だとしたらこれは正に正・反・合の陰謀だった事になる。

よく使われる、敵は分断して支配せよの策である。出口なおは天常立命を崇拝し、王仁三郎がスサノウの生まれ変わりと主張したなら、これはケンカするのも無理はない。さらに、王仁三郎が天皇家の血を引くと主張したとなれば、なお女史の考えとはまったく違ってくるだろう。

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ツイートテレビで紹介の拙稿

達人さんの掲示板より
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs?from=bbsticker
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サンカのルーツは創世記のヘテ人

http://tweettvjp.blog.fc2.com/

上記ツイートテレビの主催者は「めざまし政治」の管理人服部順次さんと「和順庭」の管理人熊木和枝さんのお二人でやっておられますがクリックするとPCの動きが極めて遅くなりますのご注意ください。上記の左にそのURLはあります。

赤く塗りつぶされた文章は左カーソルを押したまま右にスライドすると文章が出てきます。

日本の中のユダヤ人

http://www.youtube.com/watch?v=LnpVyD72C-U&feature=player_embedded


サンカについて拙稿を参考に話されておりますが大変嬉しいことです。大いに広めて欲しい。

サンカの続き...........詳しく書かれています。

http://tweettvjp.blog.fc2.com/blog-entry-268.html

ペルシャ(イラン)から航海術を駆使して渡来した平家
(ユダヤ10支族)は「八つ」と呼ばれ、
近年はヤの音で始る名前を持つ。
なお矢の屑をヤクザと呼ぶ。
平家は原始ユダヤ教のゾロアスター教徒で火を崇める
(民族色赤)好戦的で善悪をハッキリさせる。
貿易の拠点は神戸:
暴力団山口組と創価学会の活動拠点は同じ神戸で
麻薬取引など密売貿易の拠点でもある。→

管理人注:「八つ」に関しては拙稿・サンカとゴシェン その4参照

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/303.html


『名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという(八鏡文字?)。恐らくはハッティ(管理人注:紀元前2500年-紀元前2000年頃にアナトリア半島に居住していた民族で、ヒッタイトの先住民。「原ハッティ」「ハッティ人」などと呼ばれる。)のことであろう。だいたい出てきましたね結論が........サンカ(山窩)=ヒッタイトの先住民=創世記ヘテ人が祖先。

ハッティの神話

八鏡文字(カタカムナ)とサンカ(山窩)文字と古代ヒッタイトでの文字が一致すれば謎はとけるであろう。

八咫鏡(やたのかがみ)の裏面にはヘブライ語(へブル語)が

ヒッタイトという名称がよく知られるが、これは、英語読みで原音はハッティ。現在の小アジア・シリア地方の古代帝国で、紀元前1500年前後の数世紀に繁栄していた。鉄を生産し、武器や戦車に用いた。エジプトの記録ではヘタ、創世記にはヘテ人と記された民族で、インド・ヨーロッパ語族に属する。(管理人注:ヨシュア記一章四節、士師記一章二十六節、列王紀上十章二十九節、列王紀下七章六節その他聖書の各所に記されてある)』

一方、源氏は唐を滅亡させた中国の元と同じ渡来系騎馬民族で馬、牛など4つ足を主に扱う技術に優れていた。
民族色は白。
その日本を当時、唐から侵略して天皇システムを構築したのが
戦後で言えばGHQマッカーサーに相当する
郭ムソウ(藤原鎌足)で好きなように天皇を選定・捏造した。

唐人 藤原鎌足は頭がよく、他民族国家の日本を支配するのに夷
(異民族の意味でえびすなどの船で渡来してきた福七神も同じ)と夷を
戦わせ合うことでバランスをとってきた。
この手法は明治政府以降の水平社運動にも生かされ、
金で雇われたエタのエセ右翼を使いエタ同士を殺し合わせた。

北条政子は祇とよばれる太平洋沿岸より黒潮で渡来した平一族で非情なサンカ。
新羅、高句麗から渡来した源氏と結託し
天皇らを隠岐や佐渡へ一生閉じ込め藤原一族を斬首し
鎌倉幕府を樹立。

後に夫の頼朝や源氏の主だった者も殺し、
源氏を使い捨て。

公家となり創価学会の会長も務めるが即病死。




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