浅川嘉富の世界へさんのサイトより
http://www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message95.htm
<転載開始>
 


 
 

2009年に発生した震度6・3のラクイラ地震では、耐震性が
弱かったため多くの建物が瓦解し、死者も300人を超す大惨事となった

 


2009年4月に死者309人を出したイタリア中部のラクイラ地震の予知を巡って、科学者と国が訴えられている。彼らは住民に対し警告を発しなかったばかりか、大地震の可能性は低いと安全宣言を出していたからである。この裁判については、8月18日のNHK・BSテレビでドキュメンタリー番組として放映されたので、ご覧になった方も多いのではないかと思う。

この裁判で検察側は25日、被告7人それぞれに禁錮4年を求刑したというニュースが流れた。地元紙によると判決は来月23日までに言い渡される見通しだという。頻発していた微震の分析を地震発生の6日前に実施しながら、大地震の可能性を認めず、甚大な被害が出る事態に至ったというのが求刑の理由である。

この種の裁判騒ぎは史上初めてのもので、イタリアのみならず世界中の科学者達が固唾(かたず)を呑んで見守っていた。それだけに、まだ裁判所の判決が出たわけではないが、検察による禁固4年という実刑の求刑は、彼らにとって衝撃をあたえるところとなったようである。

もしも、有罪となって求刑通りの判決が下ることになると、地震研究に携わる研究者やその結果に基づいて政府に上申する幹部の方は、今までのように単に「人心を騒がせる」という理由で、警告をないがしろにすることは許されなくなってくる。しかし、可能性があるからといって、やたらと警報を発すれば良いというわけもないので、なかなか判断が難しいところである。

警告を発する側も、それを受け取る側もこれからは、自然が相手であることを前提にして、謙虚な気持ちで情報を流し、それを受けとめることが大事となってくる。警報を発する側は、事実を変に隠し立てせずありのままに情報を伝え、それをどう受け止めるかは受ける側の自己責任で判断するしかない。

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