しばやんの日々さんのサイトより
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/217/
<転載開始>
前回の記事で昭和11年(1936)の8~9月ごろになって、抗日テロが至る所に起こった経緯について書かれた長野朗氏の『民族戦』の文章を紹介した。今回はその続きである。

長野氏の著書によると、この年の11月に起こった『綏遠問題』によって、中国の抗日運動がピークに達したのだという。この『綏遠問題』とは何か。

長野氏の文章と西尾氏の解説を参考にまとめることにする。
「綏遠」というのは内蒙古にある省の名前で、そこに徳王という蒙古独立運動の指導者がいた。
その徳王が蒙古族を率いて反漢人闘争に立ちあがったのを受け、蒋介石が綏遠に八万の大軍を送り込むのだがその際に、「徳王軍の背後に日本軍がいる。」との情報を流して、全国民に対して民族戦のために蹶起を促したために、中国全土で抗日の機運が一気に盛り上がったというのだ。
わかりやすく言うと、蒋介石は米英が種をまいた「排日思想」のエネルギーを蒙古族の徳王に向けさせて、その鎮圧に利用したということだ。

以前このブログで紹介した「神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ」の「新聞記事文庫簡易検索」システムで「綏遠問題」を検索すると、昭和11年11月18日付の大阪毎日新聞の記事が見つかった。
この記事によると、「露国はすでに外蒙を完全に勢力下に入れ、さらに北支にも赤化[共産化]の魔手を伸ばそうとしている矢先、この内乱こそ露国にとっては乗ずべき絶好の機会に違いない。」とあり、単純に蒙古族と漢人との争いというだけではなく、ソ連も「排日思想」のエネルギーをうまく用いて、双方を消耗させることは共産革命に導く好機ではないかと述べている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10106668&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

ここでしばらく長野氏の文章を引用する。
(原文は旧字・旧仮名遣いだが、新字・新仮名遣いに変更している。[  ]内は西尾氏の補足部分。以下も同様。)
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